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Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

目を向ければ

 年々、もの忘れ?ものの名前がでてこない。ただ、自然なことではあるので、そうそう気にもしませんが、ときに自分にいらつくのも確かです。

 それでも気持ちの底には、大事なことは消えることはないという思いがあります。記憶はあいまいになりますし、言葉にしにくくもなりますが、「私」という現象そのものが、その大事なこと、そのものです。そう考えて受け入れています。

 大いに感銘を受けたカリール・ジブランの「予言者」にこんな箇所があります。

 「神を知りたいと思うなら、それなら、謎を解くことはない。

 まわりに目をやれば、子ども達と遊んでおられる姿が見えるはずだ。

 空に目を向ければ、雲の中を歩み、稲光に両手を広げ、雨のなかを降りてこられる姿が見えるはずだ。

 花のなかで微笑み、駆け上がって、木々のあいだで手を振られるのが見えるはずだ。」

 信仰という章ですが、神に馴染みがなくても、神を真理や仏や本当のこと、大事なことと読み替えることができますね。

 「すべてが自分自身にかかっている」というわけです。内省や内観はむつかしいことではなく、ただそう思って過ごす、それだけのこととも言えそうです。


https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//manntorameisou.html 【マントラ瞑想】


「観世音の名を呼ぶたび by @koya_yamakawa | Suno

melodic,superslow,piano,ennya. , orchestral song. Listen and make your own with Suno.

観世音の名を呼ぶたび

「観世音の名を呼ぶたび 心が平安に包まれる 恐れや苦しみを手放して光の中へ導かれる」

「南無観世音の響きが 優しさと共に降り注ぐ 永遠の愛と命を信じて 祈りは光となり広がる」

「あなたの慈悲に守られ どんな痛みも消えてゆく 観音の名を唱えるたび 私たちは愛に戻る」

かんぜおんなむぶつ よーぶつういん よーぶつうえん  ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう ちょうねんかんぜおん ぼーねんかんぜおん ねんねんじゅーしんき

ねんねんふーりしん


http://moon21.music.coocan.jp/cd01f.html 【1st アルバム「この星の光に魅かれて」】より

アルバムジャケットデザイン:ファルコン(青木宏之)

「まほろば」の短歌を除く全曲作詞作曲 鎌田東二

01. 弁才天讃歌(5:08) 編曲:古川はじめ

02. 神(4:03) 編曲:古川はじめ

03. ぼくの観世音菩薩(4:41) 編曲:KOW

04. 泥の鳥ブルース(3:17) 編曲:古川はじめ

05. エクソダス(4:44) 編曲:古川はじめ

06. 虹鬼伝説(6:43) 編曲:古川はじめ 【YouTubeでの視聴はこちら】

07. 永訣の朝(3:58) 編曲:KOW

08. 銀河鉄道の夜(6:00) 編曲:KOW

09. ティル・ナ・ノグ(4:09) 編曲:KOW

10. 南無阿弥陀仏マリア(3:01)

11. 鳥は神に向かって飛ぶ(5:42) 編曲:KOW

12. 君の名を呼べば(5:00) 編曲:古川はじめ 【YouTubeでの視聴はこちら】

13. 月山讃歌(5:37) 編曲:古川はじめ

14. この星の光に魅かれて(5:53) 編曲:KOW

15. まほろば(2:59) 短歌:倭健命

total 71分:12秒

 オラビトとしての鎌田東二

五木寛之

 言霊に先だって「音霊」があった。音は天地自然の歌声であり、呼吸である。鎌田東二さんの祈りが、言葉としてより歌として発露することは、あまりにも自然であり、命が息としてあふれ出るとき、そこに音霊が生ずるのは当然だろう。一度、鎌田さんと共同で行ったパフォーマンスでは、私の論は彼の音の前にたちまち色褪せ、呆然とその音に聴き入るしかなかった記憶がある。スサノヲはアラブル神というより、オラブル神ではあるまいか。九州の私の郷里では、叫ぶ、呼ぶ、の意を「おらぶ」と言う。鎌田東二さんもまた現代のオラビトの一人である。その呼び声が人びとのこころの最深部にとどくことを念じつつ。

2001年夏 五木寛之

1. 弁才天讃歌

オンソラソバテイエイソワカ(8回)

天の川清く流れ 地上に光の帯となって 緑の大地を育み

世界に夢の帯となって 心の絆を結ぶ

弁才天 輝け

弁才天 宇宙へ

弁才天 響かせ

弁才天 天翔ける

オンソラソバテイエイソワカ(8回)

天の星遠く流れ 地上に光の帯となって 魂の道を照らし

世界に虹の橋となって 国の境を超える

弁才天 あふれ出せ

弁才天 世界へ

弁才天 響かせ

弁才天 魂翔ける

オンソラソバテイエイソワカ(8回)

オーム

(2000年2月3日の節分祭の夜、天河大弁財天社でできた曲。できたばかりの歌をその夜、まず田口ランディさんと天川彩さんに聴いてもらい、翌朝には、神社の神殿で、柿坂神酒之祐宮司の大太鼓に合わせ、天河護摩野焼き講のメンバーと一緒に合唱していた。この歌は最初からみんなで歌うように仕組まれている歌であるかのよう。「オンソラソバテイエイソワカ」は天河で必ず唱える、水の女神・弁財天女に捧げる真言。)

2. 神

この苦しみの中に神が在る

この悲しみの中に神が居る

神は森に住んでいるけれど

人の心の森にも住んでいる

この激しさの中に神が在る

この慎みの中に神が居る

神は海に住んでいるけれど

人の心の海にも住んでいる

開け天地 吹けよ山河

つながれ天地 結ばれよ山河

この痛みの中に神が在る

この静けさの中に神が居る

神は天に住んでいるけれど

人の心の天にも住んでいる

この喜びの中に神が在る

この祭りの中に神が居る

神は祭りに現われるけれど

祈る心の中にも現われる

開け天地 吹けよ山河

つながれ天地 結ばれよ山河

(1998年12月22日、冬至に沖縄に行き、沖の宮神社で喜納昌吉さんと対談した。そして一緒に御嶽をお参りした。その翌朝、沖縄県庁前の喫茶店で、那覇市文化協会常任理事の佐藤善五郎さんと待ち合わせるためにコーヒーを飲んで時間をつぶしていたら突然、メロディが浮かんできて、曲ができた。ギターを使わずに作曲した数少ない曲のひとつ。神は海にも山にも森にも谷にも、風の中にも水の中にも、日月星辰の中にも、祈りの中にも祭りの中にも、どこにでもいる。どらえもんの「どこでもドア」のように。そうした日本人の神観を歌った曲。)

3. ぼくの観世音菩薩

朝 扉を開くと 鳥の声が聴こえる

風のそよぎ 水のせせらぎ

光に満ちて しあわせをかみしめる

ああ ぼくの観世音菩薩

ああ わたしの観世音菩薩

夕べ 扉を閉めて 闇の中に憩う

ろうそくを燈し 静かに語らう

やさしさにあふれ しあわせをかみしめる

ああ ぼくの観世音菩薩

ああ わたしの観世音菩薩

夜 魂を重ねて 夢の中に溶ける

いのちの声に 耳を澄ます

からだを寄せ合って しあわせをかみしめる

ああ ぼくの観世音菩薩

ああ わたしの観世音菩薩

ああ 南無 観世音菩薩

ああ ああ 観世音菩薩

(2000年5月連休明けに、友人の天台宗僧侶関口亮達さんと埼玉大学大学院で教えたことのある千田久子さんが結婚した。そのお祝いの歌として作り、浦和のワシントンホテルで行われた披露宴の来賓スピーチの際に、初めて歌った。観音様は33身に化身して苦しんでいる民衆を救うと信じられてきたが、この歌は33曲目の神道ソング。観音様は人類の未来の理想像だというのが、わたしの観音観。「音を観る」観音様をわたしは深く信じ、人生の目標としている。)

4. 泥の鳥ブルース

身を切るような鋭さを自分に向ける

身を断つような悲しさに我を失う

俺にかまうな 捨て置け あめつちよ

遠さにあこがれる自分にあきれる

近くにいる君を傷つける自分を恥じる

俺は荒ぶる泥の神 ちちははよ

生れてきてから愛されたことがない

死のうとしても死ねない自分を哄う

俺は飛べない泥の鳥 しらとりよ

恋をしても飛べない自分を呪う

怒りの火山に身をゆだねて死にたい

俺は廃墟のガラクタだ 富士やまよ

生れてきてから自分を壊したことがない

一度たりと自分を超えたことがない

俺は飛びたい泥の鳥 始祖鳥よ

生れてきてから自分を壊したことがない

生れてきてから愛されたことがない

Ahu Ahu

(全国の不良少年少女に捧げるために作った歌。1997年4月から1年間、埼玉県大宮市立大成中学校のPTA会長をした。会長に就任してすぐに神戸の児童連続殺人事件が起こった。わたしの息子は酒鬼薔薇聖斗と同じ学年である。その3年後、「17歳問題」で騒がれた学年の子どもたち。わたしの近所でもオヤジ狩りをして少年院送りになった知り合いの少年がいる。何よりも彼らに聴いてもらいたくて作ったオヤジからの歌。泥の鳥は泥にまみれて飛べなくなっているが、大空を飛びまわりたいという強い欲求を持っている。)

5. エクソダス

ぼくは15歳 旅に出る

ぼくの生れたこの国を 離れて一人旅に出る

ぼくは15歳 旅に出る

エクソダス 自由を

エクソダス 世界へ

エクソダス

ぼくは15歳 旅をする

ぼくの生れたこの家を 離れて一人旅をする

ぼくは15歳 旅をする

エクソダス 自由を

エクスダス 世界へ

エクソダス

ぼくは探す 生きる意味

ぼくは求める 生きる価値

ぼくは探した 生きる意味

ぼくは求めた ぼくの価値

エクソダス 自由を

エクソダス 世界へ

エクソダス

ぼくは15歳 旅をつづける

ぼくの生れたこの国を 離れて一人旅をする

ぼくは15歳 旅をつづける

ぼくは15歳 旅をつづける

(1998年12月2日、神道ソングライターとして初めて作詞作曲した歌。「エクソダス」とは、もともと旧約聖書の第2の書のギリシャ語タイトル。その訳は「出エジプト記」。エジプトで奴隷の境遇に苦しんでいたイスラエルの民をモーゼが紅海を渡って、カナンの地に導き民族移動する、民族解放の物語。それを15歳の少年少女の自立と旅立ちと重ねて歌った。)

6. 虹鬼伝説

昔昔その昔 東の国のその果てに 一人の鬼が住んでいた

やさしいやさしいその鬼は 怖い怖い顔だった

だから誰もが逃げてった

なぜなぜ どうして なぜなぜ 逃げてくの

僕と一緒に遊んでよ 僕は独りでさみしいよ

昔々その昔 孤独な鬼は旅をした 友を求めて旅をした

淋しい淋しい心には きれいなきれいな虹の橋

だけど誰にも見えなかった

なぜなぜ どうして なぜなぜ 逃げてくの

僕と一緒に遊ぼうよ 僕は独りでいたくない

孤独な鬼は涙した 友を求めて涙した どこにも友はいなかった

独り淋しく涙した この世の果てで涙した

流す涙が枯れるまで

鬼 鬼 どうしたの なぜなぜ 泣いてるの

わたしも独り さみしいの わたしも鬼よ さみしいの

昔々その昔 孤独な鬼は鬼と会った この世の果てで友と会った

うれしいうれしい出会いだった この世のものとは思えない

きれいなきれいな鬼と会った

鬼 鬼 どこまでも 鬼 鬼 いつまでも

二人でいっしょに生きてゆく 二人の鬼は生きてゆく

昔々その昔 孤独な鬼は友と会って 二人でいっしょに虹になった

やさしいやさしいその鬼は きれいなきれいな虹になった

二人でいっしょに虹になった

虹 虹 どこまでも 虹 虹 いつまでも

心に虹を架けようよ 虹の橋を架けようよ

虹 虹 いつまでも 虹 虹 どこまでも

心をつなぐ虹の橋 世界をつなぐ虹の橋

心をつなぐ虹になれ 世界をつなぐ虹になれ

(1999年から2001年まで、わたしたちは「虹の祭り」を各地で行ってきた。大阪在住の音楽家・岡野弘幹さんの呼びかけに始まった祭り。その祭りのイメージソングないしテーマソングとして作った。この歌を1999年8月8日、東大寺、春日大社、奈良国立公園で行った虹の祭りのオープニングで歌った。子どものころ鬼をしばしば見たわたしは、鬼の歌まで作ってしまった。天河大弁財天社には2月2日の夜に祖霊でマレビトである「鬼」を迎える「鬼の宿」という神事がある。)

7. 永訣の朝

ぼくがきみと出会った朝 遠くの星が泣いていた

いつか別れの時が来ると 遠くの星が泣いていた

いつだって どこでだって 探していたのに

こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみを想い出すたび 遠くの星が泣いている

もう二度と帰らぬ日々と 遠くの星が泣いている

風に吹かれて ぼくは旅をする 忘れることも出来ずに

こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

ぼくがきみと別れた朝 遠くの星が泣いていた

いつかまた出会うときが来ると 遠くの星が泣いていた

いつだって どこでだって 探していたのに

こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

いつだって どこでだって 探していたのに

こんな星の下 この時ばかりは 泣いたよ

(日本の詩歌の中で涙なくしては読めないものが2つある。ひとつはこのアルバムの最後に収めたヤマトタケルの「倭は国のまほろば」、すなわち国偲びの歌。もうひとつは、宮沢賢治が妹とし子の夭折をいたんで作った「永訣の朝」。このふたつは日本の詩歌の中でもとりわけ悲しく切ない絶唱だと思う。この歌を読むたびにわたしは澄明な悲しみに包まれる。どちらも深い喪失の悲しみを歌ったものだが、ここではこの世での出会いと別れをイメージして作った。)

8. 銀河鉄道の夜

この地球から見ると銀河は白い乳の流れに見えて夜空を彩る

その夜 ケンタウルスの祭りでぼくは不思議な夢を見た

銀河の夜汽車に乗って星の世界を旅する夢だった

あの空の果てまで ぼくたち二人で

まことのさいわいを探しに行こう

カンパネルラの星までぼくは旅をする

カンパネルラの星からぼくは飛んでゆく

この宇宙の中で地球はいのちと苦悩に満ちた星として輝く

その夜 銀河の渦の中でぼくは孤独な星となる

いっしょに行こうと誓ったきみはどこにいるのか教えて 教えて

あの空の果てまで ぼくたち二人で

まことのさいわいを探しにゆこう

カンパネルラの星までぼくは旅をする

カンパネルラの星から独りで飛んでゆく

あの空の果てまで ぼくたちみんなで

まことのさいわいを探しにゆこう 探しにゆこう 探しにゆこう

(宮沢賢治は日本の詩人のベストワンだと思う。何よりもその宇宙性、未来性、透明度、哀切度、地域土着性。言葉に風が吹いている。言葉に自由と霊感と科学と信仰がある。風の又三郎のつぶやく異言のような。4次元象眼のセンシビリティ。その賢治のローカルでユニヴァーサルな感覚が全開した作品が『銀河鉄道の夜』である。ジョバンニはカンパネルラと共にまことのさいわいを探そうとしたが、一緒にその道を往くことができず、銀河の旅から独りでこの世に還って来る。そのジョバンニの悲しみと孤独と理想は、菩薩の涙と受苦の道である。)

9. ティル・ナ・ノグ

ティル・ナ・ノグ 探して

ティル・ナ・ノグ 見つけに

ティル・ナ・ノグ 探して

ティル・ナ・ノグ 旅する

この世界の果てまで この世の果てまで

いのちの花をたずさえ 巡礼の旅を終える

見つかった 永遠 見つかった 久遠

見つかった 永遠 見つかった 久遠

ティル・ナ・ノグ 探して

ティル・ナ・ノグ 見つけに

ティル・ナ・ノグ 探して

ティル・ナ・ノグ 旅する

青い海の果てまで 波の彼方の果てまで

常若の島を目指して いのちの巡礼を終える

見つかった 永遠 見つかった 久遠

見つかった 永遠 見つかった 久遠

見つかった 永遠 見つかった 久遠

見つかった 見つかった

(友人の須田郡司さんは、写真すなわち「フォト」の「たましい」を撮ることを志す写真家であるがゆえに、「フォト霊師」を名乗っている。彼とはこの10年、機会あるたびに共に国内外の聖地巡礼をしてきた。その彼が初の写真集『ヴォイス・オブ・ストーン』を出版し、その表紙を一緒に行ったケルトの石の遺跡で飾った。その出版パーティで歌うために作った。「ティル・ナ・ノグ」とはケルト人の他界観で、常若の島、永遠の生命の島をいう。その常若の島とケルトの末裔アルチュール・ランボーの詩「永遠」が重なった。)

10. 南無阿弥陀仏マリア

アヴェ・マリア アヴェ・マリア

アヴェ・マリア アヴェ・マリア

救いたまえ

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

救いたまえ

心にもないことを唱えても神は見そない哀れみ給う

心の内から吹き上げてくる悲しみを神は見そなわし給う

天から遠く離れたさまよえるわが魂よ

天の記憶を遠く忘れ果てたさまよえるわが魂よ

南無阿弥陀仏マリア 南無阿弥陀仏マリア

南無阿弥陀仏マリア 南無阿弥陀仏マリア

救いたまえ 救いたまえ 救いたまえ

(今年の年初めのある日、突然、こんな曲が出来た。わたしの作る曲はほとんどすべて3分間で出来る。たいへんでたらめで、でまかせ。それが神道ソングたるゆえん。何事も「神ながら」なのだ。いいかげんといえば、こんないいかげんなこともない。しかしこの歌を歌うとわたしはなぜか祈りのモードに入って、恍惚となる。不思議である。なぜそうなるのかわからない。南無阿弥陀仏マリアよ!)

11. 鳥は神に向かって飛ぶ

道に迷ったならば そう 迷ったままその道を行け 行け

たとえ道なき道でも それがおまえ自身の道となる 道となる

人を愛したならば そう 迷わずその愛を貫け 貫け

たとえ実らぬ愛なれど それがおまえ自身の道となる 道となる

風が吹いたら風とともに その大空を飛んでゆけ

嵐が来たら嵐とともに そのどしゃぶりの道を行け

吹き飛ばされてゆく 溶け散らばってゆく

迷い鳥になったなら そう 迷ったままその空を飛べ 飛べ

たとえ行く先見えずとも それがおまえ自身の道となる 道となる

遠い夢を見たならば そう 迷わずその夢を追ってゆけ 追ってゆけ

たとえ叶わぬ夢なれど それがおまえ自身の道となる 道となる

光に照らされ 光とともに その青空を飛んでゆけ

闇に襲われ 闇とともに その暗黒の道を行け

光を求めて 光を求めて

鳥は神に向かって飛ぶ 鳥は神に向かって飛ぶ

鳥は神に向かって飛ぶ 鳥は神に向かって飛ぶ

鳥は神に向かって飛ぶ 鳥は神に向かって飛ぶ

(ヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』の中に「鳥は神に向かって飛ぶ」という一節があって、強く印象に残った。去年、『エッジの思想――翁童論Ⅲ』という本を出した時、そのタイトルを本気で『鳥は神に向かって飛ぶ』にしようと思っていたくらいである。主人公シンクレール少年は、デミアンの導きによって精神的なイニシエーションの旅に出る。旅の苦難と試練は人生そのものの縮図である。)

12. 君の名を呼べば

ああ ああ ああ ああ ああ ああ

君の名を呼べば 君の名を呼べば

君の名を呼べば 君の名を呼べば

打たれて 雨(アーメン)

ああ ああ ああ ああ ああ ああ

君の名を呼べば 君の名を呼べば

君の名を呼べば 君の名を呼べば

どしゃぶり 雨(アーメン)

南無妙法蓮華経(4回)

南無阿弥陀仏(4回)

のうまくさまんだばーだらだんせんだんまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん

おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだだまにはんどまじんばらはらばりたやうん

のうぼうあかしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか

オンアミリタテイセイカラウン(3回)

オンソラソバテイエイソワカ(3回)

南無神変大菩薩(3回)

南無大師遍照金剛(3回)

南無日蓮大上人(3回)

オンマニペメフーム(4回)

キリエ・エレイソン(4回)

アラー・アクバル(4回)

神ながらたまちはへませ(4回)

ギャ-テイ ギャーテイ ハラギャーテイ ハラソウギャーテイ ボウジーソワカ 般若心経

ああ ああ ああ ああ ああ ああ

君の名を呼べば 君の名を呼べば

君の名を呼べば 君の名を呼べば

どしゃぶり 愛(会い、合い)

(この歌を歌うとなぜかほとんどの人が笑う。なぜだろう。「君の名」とは、ここでは特に世界の諸宗教における信仰の対象や唱え言を指している。題目、念仏、不動明王の真言・慈救呪、光明真言、虚空蔵菩薩の真言、阿弥陀如来の真言、弁才天の真言、役行者の真言、弘法大師空海の真言、日蓮の真言、チベット密教のマントラ、キリスト教の祈りの言葉、イスラム教の神を称える言葉、神道の寿詞、般若心経の真言。あなたも自分の大切な「君の名」を一緒に呼んでみて下さい。始めと終わりの読経は、親友の正中山大荒行堂遠壽院傳師・戸田日晨上人の荒行中の祈祷の声。)

13. 月山讃歌

北の大地から天に向かって月の山が聳え立つ

万年雪を頂いた峰が緑の田畑を潤す

この天地に永遠なるもののしるしを刻んで

この世界のいのちの絆を結ばしめる山

Holy Mountain Forever 我らが月の山

Holy Mountain Forever いのちのオリジン

人は死ねば皆月の山に帰ってゆく

この世の浄土に安らかな顔で月の山に還って往く

この天地に永遠なるもののあかしを結んで

この世界のいのちに平和を約束する山

Holy Mountain Forever 我らが月の山

Holy Mountain Forever いのちのオリジン

Holy Mountain Forever 我らが月の山

Holy Mountain Forever いのちのオリジン

(1999年8月14,15日と、山形県の霊山・月山の麓の牧場で、鶴岡市市会議員の草島進一さんを実行委員長として「月山炎の祭り」を行った。山伏・星野文紘さんの採灯護摩の祈りと共に。その祭りが終わってすぐにできたのがこの曲。月山は庄内平野の水を供給する水源の山であり、出羽三山信仰の中核をなす神の山で、月読の尊をお祀りしている。月と水は古来深く関係し、それは同時に死と再生を司った。月山は神仏習合して阿弥陀如来の浄土で死者の霊魂の赴くところとされ、湯殿山は大日如来胎蔵界で再生を、羽黒山は観音菩薩の現世救済を表わす。)

14. この星の光に魅かれて

この星の光に魅かれて この世の身体を通して

この海と陸とを旅する

みなし子は天を仰ぎ 独り子は地に涙し

この世界の海を渡る

いつしかこんなに遠くまで来た 道連れもなく最果て

いつのまにかさすらいの果てに ぼくは真実に出会った

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

この星の力に魅かれて この世の心を通して

人といのちに出会ってゆく

みなし子は天に祈り 独り子は地を祭り

この宇宙の海を寿ぐ

いつしかこんなに遠くまで来た 花のような道連れと共に

いつのまにかさすらいの果てに ぼくは真実に出会った

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

この宇宙の限りない永遠の彼方に いのちの海が広がり生きているのを

(17歳になったばかりの春3月、九州の青島に独り旅をして以来、詩を書き、聖地巡礼をするようになった。そして、17歳を終わろうとする時の春3月、銀座のテアトル東京でスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』を見て、この地球こそが「青島」であり、聖地であるという直観を持った。30年後、47歳から突然「神道ソングライター」を名乗り、歌を作って歌い始めた。そして、2001年に『この星の光に魅かれて』という題でCD2001枚を自主制作した。このアルバムは、「2001年宇宙の旅」と21世紀のあらゆる存在=いのちに捧げるオマージュである。ありがとう!)

15. まほろば

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し うるはし

            (『古事記』、倭健命の「国偲びの歌」より)

(日本の歌はスサノヲの命の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の祝婚歌に始まる。『古事記』に記された歌謡群の中でも、わたし自身が特に感銘を受けたのがこのヤマトタケルの命の「国偲びの歌」である。「倭」とは四方を青山に囲まれた日本的な盆地の風景を意味する。山への入り口としての「山門」は日本の風土の代名詞である。その「山門=倭」に「大和」という漢字を宛てたのはそこに「大いなる平和」を希求する心があったからだろう。グレート・ピースとしての大和。その大和の青い山並みの美しさを慕情と共に歌った歌がこの歌である。「まほろば・真秀呂場」とはこの大和のみならず、この地球、この宇宙そのものであるというのが「神道ソングライター」としてのわたしの大和=まほろば観である。)


Facebook相田 公弘さん投稿記事

「目が見えることで大切なことが見えなくなる」というお話です。

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偉い人とは、目に見えないものをたくさん持っている人だと思います。そしてそのことで光り輝いている人。そういう人は目に見えるものを、人々のために捧げることのできる人です。

僕達は、お金や地位、名誉、車や宝石のような、手にしたときに、ある種の幸福感・満足感を与えてくれるものを求めて暮らしているものです。ただ、そういうものは、なくなるときには全部なくなってしまう。残念ながら、僕達はそういうものを追いかけて、生きていくものなのです。目が見えることで、見えなくなってしまう尊いものがたくさんあります。

実はそういう目に見えないものこそが、本当の意味で僕達に幸福を与え人生を豊かにするものなのです。讃美歌に「アメイジング・グレース」という有名な歌があります。みなさん、一度は聞いたことがあると思います。その中の歌詞に、

「I once was lost but now am found, was blind but now I see.」

一度は道を外れた私だが、今見出された。かつては見えなかったこの目、でも今ははっきりと見える。という言葉があります。

この歌詞に描かれている人は目が見えなかったわけではないと思います。

肉眼の目は見えていた、けれど見えなかった(blind:盲目)と言っているのです。

目が見えることで、大切なことが見えなくなり、この与えてもらった命に感謝することなく、道を外れてしまう。太古の昔から、人間はそういう存在なのでしょう。

自分の与えられた命に感謝し、時間を人のために使える人。

さらにいえば、時間はまさに「タイムイズマネー」です。

得たお金をも、他者のために捧げることのできる人、僕はそのような人が本当に偉い人なのだと思います。

生きていくあなたへ  日野原重明 著  幻冬舎

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人間と動物を分ける最大の決め手は、目に見えないものを信じ、敬うことができるかどうかにあるそうです。猿は、神さま、ご先祖さまなどの目に見えないものに対して敬うとか、尊敬する、感謝する、手を合わせるという行為をしません。

生かされていることに感謝し、「ありがとうございます」と手を合わせ、頭を下げることが、人間最大の人間らしさなんだと思います。

もし、目に見えるものだけを信じ、それだけを頼りにしていたのなら、動物たちと同じになってしまう。人からもらったモノだけじゃなく、そのモノの奥にある「想い」とか「愛」っていうのは目に見えないけどあるんです。言葉の裏にも「愛」が隠れていたりします。

目に見えないから、見ようとしない人には絶対に見えない、まさに盲目と一緒の状態です。

誰かの頑張りとか、悲しみとか、喜びとか、人知れず願った人の幸せとか、常に与えてもらっている愛も、目に見えないものだから、スルーしようと思えばできてしまう。

本当にたいせつなものほど、目に見えないのかもしれません。そう、「当たり前」というものが目を濁らせるから。

骨肉腫の為に右足を膝から下で切断、のちに肺に悪性腫瘍が転移したことにより、31歳という若さでこの世を去った医師“井村和清”氏彼が、妻と娘、そしてお腹の中にいるまだ見ぬ子に遺した手記の一部をご紹介させて頂きます。

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ようやくパパと言えるようになった娘と、まだお腹にいるふたりめの子供のことを思うとき、胸が砕けそうになります。這ってでももう1度と思うのです。

しかし、これは私の力では、どうすることもできない。

肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、私の背中は一瞬凍りました。その転移巣はひとつやふたつではないのです。レントゲン室を出るとき、私は決心していました。

歩けるところまで歩いていこう。

その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、私は不思議な光景を見ていました。

世の中がとても明るいのです。スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。走りまわる子供たちが輝いてみえる。犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

アパートへ戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほど尊くみえました。

「ふたりの子供たちへ」

心の優しい思いやりのある子に育ちますように。父親がいなくても、胸を張って生きなさい。

私は最後まで負けない。お前達の誇りになれるよう、決して負けない。

だからお前達も、これからどんな困難に遭うかもしれないが、負けないで耐え抜きなさい。

(中略)

お母さんを守ってあげなさい。二人の力で守ってあげれば、どんな苦労だって乗り越えられるよ。そしてもし、私が死んだ後、お母さんが淋しがっていたら、慰めてあげなさい。

思いやりのある子とは、周りの人が悲しんでたらともに悲しみ、喜んでいる人がいたらその人のために一緒に喜べる人だ。思いやりのある子は周りを幸せにする。

周りの人を幸せにする人は、周りの人々によって、もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。だから、心の優しい、思いやりのある子に育って欲しい。それが私の祈りだ。

さようなら。私はもう、いくらもおまえたちの傍にいてやれない。

おまえたちが倒れても、手を貸してやることも出来ない。

だから、倒れても倒れても自分の力で起き上がりなさい。

さようなら。お前達がいつまでも、いつまでも幸せでありますように。

雪の降る夜に  父より 

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「スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。走りまわる子供たちが輝いてみえる。

犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

アパートへ戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほど尊くみえました」

普段見ているようで、見えていないことに気付かされます。きっと、大切なものほど、目に見えないんだ。

※魂がふるえる話より

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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