精紳医学と俳句

http://www.arsvi.com/b2000/0811ib.htm 【『精紳医学と俳句』】より

石川 文之進 20081115 幻冬舎ルネッサンス,584p.

■内容

 報徳会宇都宮病院の精神科医療の変遷を通じて、病院の創設期に迎えた初代病院長平畑富次郎(静塔)と石川文之進の40年間に渡る交誼が、およそ350句の静塔俳句の世界を縁として描かれている。静塔を師と仰ぎ父と慕った石川文之進が解明していく平畑静塔の実像は、科学者として文学者として多種多用な人間味がにじみ出て、静塔実存俳句の真髄が読み取れる。 (「BOOK」データベースより)

昭和の大俳人平畑静塔の実像と後姿。「静塔の医道と俳句は写真の陽画と陰画の関係にあった」40年間静塔に師事した著者が畏敬を持って静塔を語り明かす。

■目次

I 鳥銜へ去りぬ(思い出の名句) II 山高の案山子(苦悩)

III 黙し征く(戦争・戦後)

IV 天辺に紅葉(故郷)

V 平畑靜塔と斎藤茂吉

VI まだ他国者(下野・関東)

VII 八朔や(奥州・漁歌)

VIII 夜はしらたま

IX 壺国

■言及

◆立岩 真也 2011/05/01 「社会派の行き先・7――連載 66」,『現代思想』39-7(2011-5):8-20 資料

◆宇都宮病院事件・廣瀬裁判資料集編集委員会 編 20081031 『都宮病院事件・廣瀬裁判資料集』,発行:宇都宮病院事件・廣瀬裁判資料集編集委員会,197p. 1000 連絡先:東京都東久留米市東本町14-7 滝ビル1F グッドライフ気付 荻久保 ※ m.

 「まず石川文之進という人(一九二五~)――著書に『アルコール症――病院精神医学の40年』(石川[2003])と―『精紳医学と俳句』(石川[2008])がある――および東京大学の関係死者たちはこの報告書では次のように記される。

 「石川文之進は内科医から精神科医に「転身」していく際に、東京大学精神医学教室の秋元波留夫教授(当時)に近づき、同教室の武中信義医師から精神科医としての指導を受けた。宇都宮病院と東大との関係はこのときに始まる。

 宇都宮病院と東大との関係はキブ・アンド・テイクと言える。宇都宮病院側からすると、東大の医師の名を借りることによって病院の権威付けをすることができる。東大の医師の側からすると、短期間のディスカッション(通常の病院では複数の医師らが患者の診断や治療について一定の方針を出すもの。宇都宮病院ではこれと異なり、ビールを飲みながら不真面目に患者さんの人格への誹謗を繰り返すだけのもの)に関わるだけで多額の謝礼を受け取れる。入院患者を「研究材料」として提供されたり、宇都宮病院を実験の場として事実上の人体実験を行った者もあった。宇都宮病院では無届けの解剖が多数行われており、それによって得られた脳を送られていた者もいる。

 宇都宮病院に関係した東大の医師は多数にのほるが、反省の弁を述べている者はごくわずかである。その中には大学の教授になっている者も多い。今なお宇都宮病院と共同で研究している人もいる。上記の武村は事件発覚時は東大脳研究所の助教授であったが、東大の中で追及の声があがったため、宇都宮病院に逃げ込み、長く常勤医として宇都宮病院に勤めた。」(編集委員会編[2008:7])」


https://kenkyukaiblog.jugem.jp/?eid=622 【私説・日本精神医療風土記(その 32) 栃木県(戦後の病院の事件・不祥事など)】より

前回の記事からだいぶ時間が経過したが、栃木県の続きである。

今回は「戦後の病院の事件・不祥事など」というタイトルがついているが、まずは1970(昭和45)年6月29日に発生した両毛病院(かつての両毛脳病院)の火災の話からはじめたい。

前回も出てきた新井進の論文「日本精神医学風土記 栃木県」(『臨床精神医学』16(5): 785-790 (1987) に掲載)を参照すれば、この火災が起きた昭和40年代は「精神病院のあり方の問題」が学会やマスコミで取り上げられていた時期に重なる。

1969(昭和44)年に金沢で開かれた日本精神神経学会の第66回総会では、「精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える」という声明が出され、翌1970年3月の朝日新聞には、アルコール依存患者をよそおって精神病院に潜入した記者による「ルポ精神病棟」が連載された。

そのような時代を象徴する出来事に続いて、「佐野市にある戦前からあった両毛病院(・・・)の木造閉鎖病棟がシンナー中毒少年など数名の入院患者の放火により全焼して焼死者がでるという痛ましい事故」が発生した。

創設者・秋山学を継いだ院長の秋山洋一は、「マスコミから厳しく誹謗され」た一方、日本精神病院協会は「あり方委員会を派遣して実情を認識し不幸な事件であったと受けとめて院長の姿勢を擁護し」、日本精神神経学会は「全く対応を示さなかった」という。

ところで、消防の専門家の立場から書かれた両毛病院の火災の記事がある(田村重幸「栃木県佐野市 両毛病院の火災詳報」『防災』24(10): 16-24 (1970) に掲載)。

それによると、出火は1970年の6月29日午後8時00分ころ、覚知時分は6月29日午後8時12分、鎮火時分は6月29日午後9時10分であり、この火災による死傷者は、死者(一酸化炭素中毒)17人(最低11才、最高51才)、傷者(頭部1度火傷)1名である。

出火原因は、「6月29日午後7時30分ごろ、第二病棟(男子重患病棟)に収容されていた患者47名のうち、6名が脱走するための手段として放火することを謀議し、うち1名が病棟のほぼ中央部にある布団部屋に侵入したうえ、前日看護婦から盗み取ったマッチを使って新聞紙に放火し、出火するに至ったもの」(必要に応じて漢数字はアラビア数字に変換した、以下も同様)と書かれている。

さらに「栃木県佐野市 両毛病院の火災詳報」には、出火当時の「患者の動向」が以下のように記述されている。

(以下略)


sorori @sorori6

平畑静塔(精神科医)の文章、時代的に仕方が無いのかも知れないけど今読むとぎょっとするほど人権無視の用語、発言が多くて、精神医学の進歩って大きかったのだなと思う


https://blog.goo.ne.jp/jiyuu-sen/e/cb29d8dbf762ecbd46d77f20277b01f4 【俳句一言 (第150回記念 投稿)】より抜粋

⑭ 『一句鑑賞、その他』  まめ

春泥を来てこの安く豊かなめし (平畑静塔)

道の泥濘む貧しい界隈の一膳飯屋に入った、ひとりの男。恰好も中身も紳士の彼は、そこに出された飯を堪能する。注文の後に手際良く運ばれた、その大盛りの飯は安く旨い。空腹を満たす単純な喜びを、彼は周りの労働者風の男らと同様に味わう。

俳句会の名峰のひとつであり、京大俳句会の立役者である平畑静塔の、俳人としての人となりを私は、この句に想像する。

飯屋の給仕の女の微笑に覗く金歯とか、飯を掻込む男らの余所者をチラと見る目付きとか、器類のそっけなさ等を静塔は、頼もしく美しく感じた事だろう。汚れた自分の靴の、泥の乾きも愛しかったろう。

静塔に関する、もうひとつの想像。それは、今の京大俳句会を静塔が訪れて

「そんな事より良い句を詠もう」と、句会に集まった皆に言う場面である。

静塔らの時代の栄光は遥か後方に在る、現在の京大俳句会(静塔らが見守っている事を忘れてはならない)。

俳句は若者のものでもあるが、滞った場所に若者は寄り付かない。今の京大俳句会は先ず、外部に良い指導者を求める必要があると、京大俳句会の歴史を大事に思う私は、考える。 (了)


https://yukihanahaiku.jugem.jp/?eid=72 【80年の時を越えた問い ~ 昭和14年の「京大俳句」を読む 】より

80年の時を越えた問い ~ 昭和14年の「京大俳句」を読む 

五十嵐秀彦

このごろは古書店も店頭販売からネット販売に切り替えている業者が多い。古本屋の棚をぼんやりと眺めるのが若いころからの趣味のひとつだった私にとっては淋しいことだ。けれど、探し物がある場合に、ネットでの古本漁りは実に便利だ。日本中の古書店の在庫の中から探せるのだから画期的である。

そんなある日、思わぬものを見つけた。それは昭和14年発行の「京大俳句」1月号だった。比較的入手しやすい価格だったので、ためらうことなく購入した。

戦前に、新興俳句運動と呼ばれた注目すべき俳句革新の取り組みがあった。もともとは水原秋桜子が主観俳句の評価をめぐって虚子と対立し「ホトトギス」を離脱、「馬酔木」に拠って虚子の伝統俳句とは異なる新しい俳句を主唱したことに始まる。これまでの俳句を旧弊と感じていた若手俳人たちが「馬酔木」に集まったが、じきに秋桜子の穏健な俳句にものたりなさを感じた作家たちが、より先鋭化して俳句文芸の古い常識を根底から変革しようとする運動を起こす。この動きが新興俳句運動と呼ばれるようになった。運動の代表的な拠点となったのが「京大俳句」と「句と評論」(のちの「広場」)であった。特に「京大俳句」は昭和8年に平畑静塔らによって創刊され、当初は顧問に水原秋桜子、山口誓子、日野草城たちも名を連ね、京都大学内の俳句会の機関誌として始まった。その2年後に学外にも広く開放されたことから、西東三鬼、高屋窓秋、石橋辰之助、渡辺白泉、そしてまだ少年だった三橋敏雄たちが続々と参加することで新興俳句の主流となり、俳句界に大きな影響を与えることになる。

ところが時代は日中戦争の泥沼化と国内においては二・二六事件以降の軍部暴走による治安維持法の濫用など、日本のその後の破局を生むことになった戦時ファシズムが吹き荒れていた。昭和15年、ついに言論弾圧が俳句の世界にも及び、新興俳句弾圧事件が起こる。その弾圧のまさに標的とされたのが「京大俳句」だった。

私が今回入手したのは、関係者の度重なる検挙により廃刊に追い込まれる年の前年の「京大俳句」1月号だ。「現代俳句時評」という本欄にはあまりふさわしくない80年以上前の古雑誌のことを私はいま語ろうとしているのは全く私の個人的思い入れによるものであり、「現代時評」ではないという批判は甘んじて受ける。

たかだか68頁の薄っぺらな小冊子を開くと扉には「1939」と西暦が記されている。巻頭評論を書いているのは代表の平畑静塔。「作品月評」としてさまざまな俳人の句をとりあげ辛口の批評を書いている。静塔の挙げている俳人の中にはその後忘れられた人も少なくないが、中に吉岡禅寺洞、渡辺白泉、横山白虹など新興俳句の代表的作家の名も見える。日野草城の句もある。

  防空のいつしんくらきあなたゆけり  吉岡禅寺洞

  青白き飛行機を見てゐしが笑ふ    渡辺白泉

  別れんとする卓上にバットの箱    横山白虹

  特務兵夢にぜんざいを喰ひ飽かず   日野草城

草城以外は無季句だ。戦争と強圧的な政治の影に不安な魂を抱えながらの創作に季題趣味など入る余地がなかった時代状況がそこに見える。さらに注目したのは次の句。

  百姓出征汽罐車貌へ熱く来る  細谷源二

静塔はこの句を挙げ〈矢張り、みなぎつてゐるのは、之の人だけである〉と高く評価している。当時、東京で工員をしながら「広場」誌を中心にプロレタリア俳句を作り続けていた源二が、既に新興俳句の中で注目作家だったことがわかる。また、この号の特集では、指名されて注目の評論家と作品について書いてもいる。この源二が2年後の「広場」弾圧で逮捕され3年近く拘留された後、開拓団に入り十勝に入植し、その後「氷原帯」を創刊して戦後の北海道俳句を牽引したその人であると思うと感慨も深い。

  遺骨歩む殊に花輪は燥き白し  三橋敏雄

静塔はこう評文をつけている。〈之の少年作家に、早く思想の陰影を與へよ〉。このとき敏雄、18歳であった。

「会員集」という作品欄には西東三鬼の4句が掲載されている。

  兵を乗せ黄土の起伏死面なす  西東三鬼

  一人の盲兵を行かしむる黄土

彼が当時さかんに作り続けていた戦争俳句である。戦争という存在が、当時の「現代を詠もう」とする俳人たちにとって季題の存在をいかに圧倒していたかが感じられる作品だ。

そして注目したのは一般投句欄で石橋辰之助の選に入って掲載された次の句だ。

  たくましき鼻梁秋天へさかのぼる  齋藤三樹雄

当時早稲田大学を卒業したばかりであった24歳のこの青年こそ、その後に北海道で結社「壺」を立ち上げた斎藤玄である。

北海道の戦後の俳句を形作った「氷原帯」の細谷源二、「壺」の斎藤玄の若き日の足跡がこの薄い小冊子にくっきりとのこされているのを確認し、俳句を現代の文学にしようとする強い作家精神のあらわれであった新興俳句運動が北海道の戦後の俳句に大きな影響を与え、いまなおその長い残響の中に私たちがいるということを、あらためて考えさせられるのだった。古ぼけた一冊の俳誌が80年の時を越えて今に問いかけているものは重い。


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13:04

精神疾患の新たな理解に向けて

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コズミックホリステック医療・現代靈氣

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