「龍伝説」は水害の教訓知らせる

https://www.nhk.or.jp/matsuyama/lreport/article/002/96/ 【「龍伝説」は水害の教訓知らせる“いにしえ”からのメッセージ】より

岸本南奈

梅雨時、大雨災害に注意警戒が必要な時期です。2024年は辰年ですが、実は”龍”の伝説には水害や土砂災害が出てきます。県内各地に伝わる龍の伝説を通して、研究者が防災を呼びかけました。

【ラジオ第1「ひめゴジ!」より パーソナリティー 岸本南奈】

災害の歴史に詳しい研究者 大本敬久さん

大本敬久さんは、地震や水害など県内の災害の歴史に詳しい研究者で、過去から学び、今後予想される災害へ備えてほしいと、情報発信を積極的に行っています。

西予市にある愛媛県歴史文化博物館で20年余り専門学芸員を務め、博物館では、お祭りなどの伝統行事をテーマにした展示を担当しています。伝統行事などを調査する中で「災害」に由来するものの多さに気づき、災害の歴史を調査し始めました。東・中・南予ごとに龍伝説が見られるということで、それぞれご紹介いただきました。

【中予】竜姫宮:松山市奥道後

少なくとも300年前から松山市奥道後に伝わる竜姫宮(りゅうきぐう)の伝説。

—江戸時代の初め頃、奥道後の「湧ヶ淵」に大蛇が棲み、美女に化けて、通る人に危害を及ぼしていた。そこで、地元の城主・三好家の長男が鉄砲を撃って退治し、それ以来、怪しい美女は現れなくなった。その蛇の頭の骨を祀った祠が竜姫宮—

石手川ダムから少し下流で、温泉旅館施設がある辺り。切り立った淵で水の流れが速く、土砂災害なども起こりやすい場所です。

奥道後の湧ヶ淵

歴史上、龍と蛇を混同して語っているケースが見られますが、龍が出る、蛇が出るという伝説には危ない場所だと、多くの人に知らせる役割があります。

【中予】「大崩壊物語」:東温市

東温市に伝わる「大崩壊(おおつえ)物語」

ーある娘と男が結ばれたが、実は、男は蛇の精霊だった。娘は身ごもっていたが、生まれたのは蛇の子。驚いた一家が蛇の子を皿ヶ森に葬った。それを知った蛇の精は嘆き悲しみ、黒雲を呼んで龍になり天に昇った。すると大雨が七日七晩降り続き、地鳴りが起こり山津波が人家を襲った。人々は竜神様に一心不乱に祈り続け、祠を立てた―

実際に東温市の皿ヶ森近辺の川沿いは、東温市のハザードマップでも、土砂災害警戒区域に指定されています。

【東予】「龍川橋」

新居浜市立川町にある橋「龍川橋」(たつかわばし)

立川町(たつかわちょう)はマイントピア別子や旧別子銅山東平地区がある地域です。大正時代に作られた橋で、頻繁に氾濫していた川がありました。そこに橋が架かった橋の名前が“龍川橋”。近くには龍河神社ができました。

龍川橋の石碑

龍河神社の石碑

【南予】蛇骨堂(大蛇伝説):西予市

西予市宇和町伊延(いのべ)に伝わる蛇骨堂(大蛇伝説)

―領主の宇都宮永綱が多田に住むという大蛇を退治し、その大蛇を供養するために建てられたという言い伝えがある―

西予市宇和町伊延は土砂災害の恐れがある場所。蛇が通ったような跡が残るため、土石流のことを「蛇抜け」といいます。

【南予】拝竜権現:大洲市

大洲市森山の拝竜権現(はいたつごんげん)に伝わる話。今も当時をしのぶ祠が残っています。

―肱川の洪水が竜の神様の仕業とされて、その祟りを避けるために、毎年3月3日の朝3番目に通る人(のちには獣類)を人身御供にしていた―

【南予】龍王池:八幡浜・大島

八幡浜の大島にある龍王池に伝わる伝説。

―もともとの八幡浜の保安寺というお寺の池にいた龍が、成長して手狭になった際に現在の八幡浜大島の池に引っ越そうと、娘の姿に化けて貧しい漁師に連れて行くように頼んだ。島につくと龍は姿を現し、漁師に「私のことを口外しなければお礼に大漁にする。」といって、去った。するとそれ以来豊漁続きで、大金持ちになったが、人に龍の話をしたら不漁になり、また貧乏に戻った。ただ龍は人々への恩を忘れず、雨乞いをすれば、雨を降らしてくれたそう―

「龍伝説」は”いにしえ”からのメッセージ

龍伝説は、自然の脅威や災害の教訓を知らせる”いにしえ”からのメッセージです。氾濫する川になすすべがなかった昔の人たちが、荒ぶる龍が水害をもたらしていると考えて、神社や祠を作りました。龍にちなんだ伝説やゆかりの場所は、地域の災害の記憶を共有する財産。

皆さんがお住まいの地域の近くにもあるかもしれません。”いにしえ”からのメッセージにぜひ耳を傾けてほしいと、大本さんは龍伝説を通じて「防災」を呼びかけました。


http://www.waterworks.jp/vol17/page5.html 【水神の神話と伝説 - vol.17 水の神様を訪ねて】より

「龍」と水神

龍に祈る文化は中国直伝

龍は中国に端を発する神話上の生き物であり、水との関係が密接だ。戦国時代から漢代に書かれた『管子』には「龍は水から生ず」と記され、同じく戦国時代に成立したとされる『春秋左氏伝』にも「龍は水物なり」という記述が残されている。龍と水の関係を如実に表わしているのは、龍の頭には博山(はくさん)と呼ばれる肉の盛り上がりがあり、そこに力の源の尺水(せきすい)を貯める ことで自由に空を飛べるという説話だ。このことから、龍は水を招き寄せ、雨や洪水を呼び込む生きものと中国では長く考えられてきたのである。例えば黄河の洪水や日照りの際には、黄河の龍神と見なされている河伯(かはく)に牛や馬を生贄として捧げ、河の氾濫や慈雨を祈った歴史がある。この一種呪術的ともいえる中国の祈祷文化は、日本には仏教と共に伝来した。日本の朝廷が降雨や止雨を祈願し、吉野の丹生川上神社や京都の貴船神社に馬を奉納したのも、中国の伝統儀式を受け継いだものなの である。

河童は日本人の水神信仰の中から、擬人化された生きものとして誕生し、古くは図画や古典、近現代はマンガの中にまで登場するようになった

「河童」と水神

成り立ちは龍から来ている?

日本で水神を語る上で、龍と並んで必ず登場するのが河童である。伝説的な生きものとして、古くから口伝されてきたように思えるが、『古事記』や『日本書紀』にその姿は見つけられない。 そればかりか奈良、平安、鎌倉、室町の文献にもほぼ見当たらないといっていい。成立したのはどうやら江戸時代になってからと謂われている。河童は予想以上に新しい伝説上の生きものといえるのだ。 河童が創出された大元は、龍であるという説が色濃い。前述の通り、龍は頭に神水を蓄え、生命力を得ると謂われている。これは河童も同様だ。頭の上のお皿が乾くとたちまち力を失くすという定説は、龍とまるでそっくりだ。 民俗学者の大家、柳田國男は、「河童は水の神が零落したもの」と考えていた。だから時に、いたずらや悪さをするというわけだ。しかしその人間味を帯びた風体や行動が、より庶民に親しみを覚えさせたのも事実である。忌避される以上に、どこか憎めないキャラクターとして愛されてきた面も大きい。 宮城県の磯良神社のご神体は河童である。地域の人から「おかっぱさま」と親しまれている。河童を祀る神社は日本中にあり、茨城の手接神社、高知の河伯神社、佐賀の潮見神社などは河童を神格化し、手篤く祀っている。

恋の水神社の御祈願方法は非常に個性的だ。神社の清水「恋の水」を、願い事を書いた紙コップに入れると想いがかなうとされている

「縁結び」と水神

恋によく効く水神神社

神社に参る目的は、健康長寿、商売繁盛、家内安全などのご利益を得るためという人が多いはずだ。今挙げたご利益の他に、老若男女問わず気になるのは「縁結び」ではないだろうか。縁結びをご利益とする神社には、水神神社が意外に多い。なぜなら水は命の源であり、心身の穢れを洗い流し、気持ちを新たにする力があるとされるからだ。先に紹介した「貴船神社」も縁結びの神社として有名だ。同神社の本宮と奥宮の中間にある結社には、縁結びの神である磐長姫命(いわながひめのみこと)が祀られており、かつては平安時代の歌人、和泉式部も不和になった夫との復縁を祈願したことでも知られている。 愛知には「恋の水神社」という、非常にストレートな名前の神社もある。 祭神は水神として有名な美都波能女命(みづはのめのみこと)。この神は、丹生川上神社の祭神、罔象女神と同じで表記が違うだけである。  他にも縁結びのご利益がある神社としては、龍神信仰のある箱根の「九頭龍神社」や、霊水〈神鏡水〉を地下から湧出している滋賀の「御沢神社」、イザナギとイザナミの夫婦神を祀った熊本の水神神社「浮島神社」などがある。もちろん全国にはまだまだあるので、ぜひとも探して訪ねてみてほしい。

■取材協力/隅田川神社、丹生川上神社、貴船神社、竹生島神社、墨田区役所広報

■参考文献/「龍の起源」(紀伊國屋書店)、「龍伝説」(NHK出版)、「ニッポンの河童の正体」(新人物ブックス)、「河童アジア考」(彩流社)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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