隠者に学ぶ

https://diamond.jp/articles/-/58059 【鴨長明や西行、芭蕉ら隠者に学ぶ これからの時代の「ひとり」の哲学】より

【宗教学者・山折哲雄氏インタビュー】山折哲雄:宗教学者

「ひとり」という言葉には、寂しく不安なマイナス・イメージがつきまとう。しかし、本当にそうだろうか。鴨長明や松尾芭蕉など隠者の生活や、かつての貧乏暮らしに、「ひとり」が生きやすくなる哲学を学び取ることができそうだ。宗教学者の山折哲雄さんに聞いた。

山折哲雄(やまおり・てつお) 宗教学者。1931年米サンフランシスコ生まれ。東北大学文学部インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。『これを語りて日本人を戦慄せしめよ』等、著書多数。現在、『新潮45』にて『日本人よ、ひとり往く生と死を怖れることなかれ』を連載中。

少子高齢化や晩婚化に伴って、「ひとり」という言葉には、孤独な“独居老人”や寂しい“独身”といった負のイメージがつきまとっています。その「ひとり」の不安感を振り払うかのように、特に2011年の東日本大震災後、世間では「絆」や「助け合い」が強調されてきました。確かにそれも必要だけれども、危機的な有事でない場合は、まず「ひとりで立つ」「ひとりで生きる」姿勢が必要で、それがあってこそ、はじめて助け合いや絆が生まれるのではないでしょうか。

今後、人口が減少していけば、色んな場面でひとりで生きる領域が空間的にも時間的にも広がるはずです。だから今こそ「ひとりで生きる」「ひとりで立つ」「ひとりで暮らす」ことの本質的な価値を見直すべきではないでしょうか。ひとりで考える「ひとり」の哲学も発動させる必要があります。対象をじっととらえ、握りしめ、つかみ直し、もみほぐす。物事を分析したり、意味づけしたりせず、ただ対象をとらえ、握りしめ、つかみ直し、もみほぐすことを繰り返すのが、この場面の重要な方法です。

実はこの「ひとり」という言葉は万葉集の柿本人麻呂の歌「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む」にも出てくるように、大昔からの伝統があります。しかもこの歌には「ひとりになって他者を思いやる」という、日本人がずっと大切にしてきた価値観が内包されています。

宗教と芸術というハイブリッドに隠者の生活の魅力がある

では、「ひとり」を楽しむ良いモデルはあるのか? その一例は、庵住まいをして質素に生きた隠者たちです。たとえば、鴨長明や吉田兼好、西行、芭蕉、良寛といったあたりでしょう。

 日本の思想史では、一級扱いする親鸞や道元、日蓮らと比べて、これらの人物たちはどちらかというと厭世家で実践的なことをやらずに来た人たちとして少し下に見る傾向が、なんとなくあるようです。でも、私はそれは違うと思う。彼らの生き方の魅力は、「宗教と芸術」のハイブリッド−——つまり、出家しながらも歌をうたい、書を書き続けた−——「信仰と美」と言ってもいいけれども、その両にらみの姿勢と生き方にあったのではないでしょうか。必ずしも禁欲的とは言えない生活ですよ(笑)。

 鴨長明を例に挙げると、彼は平安時代末期から鎌倉時代初期に歌人として活躍したのち、50歳で出家して、62歳で生涯を閉じるまで京都の山中に隠棲していました。さまざまな天災や飢饉に苦しめられて命を失う人々の姿を描き、人生の無常を見事に綴ったのが、あの有名な「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」で始まる『方丈記』です。彼は隠遁生活に入ったあとも鎌倉まで旅をして、歌人として高名だった3代将軍・源実朝と歌の問答をするなど、行動派で好奇心旺盛なところがありました。狭い庵の中も、経典を読んだりする宗教空間と、歌をつくったりする芸術空間とに分けて、生涯どちらも手放すことなく追い求めていたのです。

そうした点は、西行も同じです。出家して旅を続けながらも、歌の道を究めて行きました。芭蕉も坊主の格好で神社仏閣を参詣して回りながら、俗っぽい俳句の世界を同時に生きました。けれども「俗にして髪なし」と、−——せめて髪だけは剃っているよ、と強弁しています(笑)。その100年後を生きた良寛も、曹洞宗の僧侶でありながら、歌も俳句も書も漢詩もたしなみ、「沙門にもあらず、俗人にもあらず」と言っています。

 彼らのごとく、芸術と宗教など、どちらか一方でなく両方に軸足を置いて、複眼的に生きる柔軟な教養がひとりの「自立」の助けになったのではないでしょうか。

隠者の生活に通じる戦後の貧乏暮らしを

楽しむための3つの心構えとは?

 彼らのような隠遁者の生活では、はじめは貧乏暮らしに始まり、やがて自由なひとり暮らしへとそれをつなげていったようです。そうであるならば、私たちもかつて第2次世界大戦後に経験したはずの貧乏暮らしを改めて見直して、これからのひとり暮らしを楽しむためのヒントをみつけることができるように思えるのです。

 私は敗戦のとき、旧制中学2年でした。戦後に学生時代を送り、結婚してからの期間も含めて、ほとんど「貧乏暮らし」でした。ただし、貧乏ななかで自らの生活を工夫する楽しみもあった。決して暗さだけではありませんでした。当時、私が基本としていた3つの心構えがあります。

 第1に「出前精神」。どこへでも自分から出かけて行く。いまは便利な時代でなんでも家に宅配で届きますが、やはり仕事でも遊びでも自分から出て行かなくてはいけなかった。そうしなければ喜びも楽しみも手にすることができなかった。

 第2に、「手作り」。便利な商品はいくらでもありますが、少しぐらい足りなくても、自分の手足を使って作ればいい。そう思うのが当たりまえの時代だった。

 第3に「身銭を切る」こと。貧乏であっても、貧乏なりに身銭を切る、ということですね。他人に対するだけでなく、自分自身についても会社の経費や税金のサービスを当てにせず、たとえば安酒を自腹で飲んで元気になる……。

 この3つは、「ひとりで立つ」ためのポイントだと思っているのですが、現代においてはインターネットで薄く、緩く、他人とつながる際に大切な生き方にもなってくるかもしれません。

 「ひとりで立つ」というのは、いわゆる「個の自立」という考え方とよく似ていて、しかし違うところもある。この「ひとり」のあり方をどう活用するかというのが将来の重要な問題になるかもしれません。

「個の自立」を重視するのは西欧発の考え方ですが、西欧と日本では、そもそも根本的に人間観が異なることを忘れてはいけません。

 ヨーロッパ近代社会を支える人間観の第一の軸は「人間は疑うべき存在だ」という思想です。われわれの社会は、最後はどうしても「弱肉強食」の自由競争になるのを避けられない。そうした競争社会を生き抜いて行くときには、まず相手を疑うところから出発するわけです。イギリスの哲学のベースには、この思想が流れています。哲学といえば、デカルトのいう「われ考える、ゆえに吾あり」ですが、それは詰まるところ「われ疑う、ゆえに吾あり」です。徹底して疑う精神があるからこそ、科学的な発見もそこから生まれたのではないでしょうか。

 しかし、もしも、人間を徹底的に疑わしい存在だとだけ考えていたら、コミュニティーはそもそも存在しません。民族や国家も成立するはずがありません。それを成立させるためには、どうしても2つの条件が必要でした。そのひとつが、「絶対神」を考えだしたことです。個人同士では人間的な信頼関係をつくれないから、絶対神と個人との垂直な関係をそこにつくり出すためです。絶対神のもとにおいては、人間の行動は抑制されますから限界づけられるでしょう。一神教の存在が絶対に必要だったわけです。

 もうひとつは、契約の精神でした。これも旧約聖書から出てきていますが、近代になって神が否定された後、「神と人間」との契約精神を「人間と人間」の関係に置き換えて契約を結ぶという考え方が出てきました。食うか食われるか、という不安定な社会を、契約によって安定させる。また、一神教の伝統が近代になって、神の代わりに理性や公平さ、正義という言葉に置き換えられたのもそのためです。余談ですが、グローバル時代に入って、正義や理性や公平性が持ち出されるときは、実はその背後には一神教の神を持ち出してきているのと同じことなんだ、という自覚を日本のビジネスマンは持たなければいけないと思いますね。

 これに対して、日本の社会は一神教がまったくとは言わないけど、ほとんど育たなかった。それから、契約の精神も育たなかった。中世の北条政権の頃、武士の世界にあった忠誠心は現実的な契約に基づいていたという歴史学者もいますが、根本的に欧米における契約の精神とはレベルが異なります。

 こうして、一神教的観念も、契約の精神もない日本のようなところで、人間同士の根本的な関係をどう考えるか。相手を疑ってばかりいては、そもそも社会が成立しないどころか崩壊してしまう。そこで、人間は信ずべき存在だ、という人間観がどうしても必要になったのだと私は思います。そして、この「人間は信ずべき存在だ」という人間観をなんとか安定させようとして生み出された価値観のひとつが「集団」のあり方を大切にするという考え方でした。

 今風に「コミュニティー」というと何となく新しい観念のように映りますが、つまりそれは、今いった「集団」ということでもあります。個人の利益を無視するのではないけれども、その個人の利益は集団の安定性のなかで始めて意味あるものとなる、という考え方です。

 もちろん、この「集団」の問題を「個人」のあり方から切り離して独走させはじめると、いわゆる悪名高い「集団主義」をつくり出すことになりますが、そのいつか来た道を避けるためにも「個人」の問題をいつも視野に入れておかなければならないでしょう。そして、その場合の「個人」というのは、西欧社会の場合とは異なって、我が国の伝統的な価値観の中心を占めていた「ひとり」の生き方を包み込むものでなければならないだろう、と私は思っているのです。西欧流の「個人」と日本流の「ひとり」をうまく調和させる形で生きるための第3の道をみつけることが、これからのわれわれの課題ではないでしょうか。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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