https://www.sankei.com/article/20180226-E6JHKT2NUFIXZJE2JGFWLIHGYY/ 【金子兜太さん 現代俳句史でんと存在 俳人坪内稔典】より
「曼珠沙華どれも腹出し秩父(ちちぶ)の子」
「どれも口美し晩夏のジャズ一団」
「暗黒や関東平野に火事一つ」
これらは若い日の金子兜太(とうた)さんの句だが、表現やイメージが大胆で端的、ちまちましていない。現在でも突出して新しい。
私が兜太さんに出会ったのは20代のころ、彼の著書「今日の俳句」「定型の詩法」などを読み、俳句を同時代の詩としてとらえる見方に共感した。俳句仲間といっしょに上京、勤務先の日本銀行を訪ねたこともある。コーヒーをおごってもらったが、デパートの屋上から飛び降りる覚悟で俳句をやれ、とアジられた。今になって思うと、それは兜太さんの俳句に向かう姿勢だった。
五・七・五の小さな俳句は、その小ささへ俳人を閉じ込めがち。内向きにさせるのだ。兜太さんはその傾向に抗(あらが)った。自由律や無季の句を認め、俳句史的には傍流の小林一茶や種田山頭火を研究したが、それらは俳句を広げようとする行動だった。
2002年に「金子兜太集」全4巻が出た。この年、兜太さんは83歳だったが、そのころからは、俳句そのものよりも、「金子兜太」という存在の魅力が話題になり、その話題を拡大しながら98歳に至ったように見える。
実は、私は少し困っていた。モーロクしかかったとき、俳人は新しい言葉を得てすごい句を作ることがある、というのが私の仮説だった。だが、兜太さんの言動は明瞭、モーロクの気配がいっこうになかった。
「去年今年生きもの我や尿瓶(しびん)愛す」
「河馬(かば)の坪稔尿瓶のわれやお正月」
右は2010年に発表した句。兜太さんは万物に命を認めるアニミズムを発想の基本にしたが、尿瓶にも命を感じている。次の句の「坪稔(ツボネン)」は私をさす。彼はなぜか私をツボネンと呼んだ。ツボネンの愛する河馬、兜太の愛する尿瓶は同格だ、というのがこの句である。
兜太さんは母校の小学校で授業をした際、尿瓶を持ち込み、小学生にさわらせた。そのようすはテレビで放映された。
「山枯れて女子小学生尿瓶覗く」
「小学生尿瓶透かして枯山見る」
「われの尿瓶を嗅ぎ捨てにして無礼かな」
これらはその日を詠んだ作。小学生と尿瓶を介して命を通わせる兜太さんはすてきだ。もっとも、尿瓶を無視する無礼な子もいたし、眉をひそめた大人もいたのだろう。でも、尿瓶もまた命を持つ自分の同類だという見方を彼は堂々と押し通した。こういう兜太さんは、もしかしたらモーロク的生き物だったのではないか。
「合歓(ねむ)の花君と別れてうろつくよ」は80歳代の作。明治は子規、大正・昭和は虚子、敗戦後から平成の今日までは兜太さんが俳句史にでんと存在した。その兜太さんはときにうろつく人だった。うろつくよ、と率直に言う兜太さん、いいなあ。(寄稿)
◇
俳人の金子兜太さんは20日、急性呼吸促迫症候群のため死去した。98歳だった。
<つぼうち・ねんてん>(本名・としのり)昭和19年、愛媛県生まれ。俳句グループ「船団の会」代表。正岡子規や夏目漱石の研究でも知られる。「モーロク俳句ますます盛ん」で、桑原武夫学芸賞を受賞。「坪内稔典句集」「カバに会う」など著書多数。
https://ameblo.jp/sakadachikaba/entry-12737769141.html 【金子兜太の5句―『兜太再見 』から】より
湾曲し火傷し爆心地のマラソン よく眠る夢の枯野が青むまで
曼殊沙華どれも腹出し秩父の子 梅咲いて庭中に青鮫が来ている
どれも口美し晩夏のジャズ一団
つい先日、柳生正名さんから自著『兜太再見』(ウェップエ)をもらった。11章からなる評論集だが、今日、第3章までを読んだ。彼が引いている句で私が愛唱してやまない5句を挙げた。
「そもそも俳句が言葉の芸術である以上、作者の姿勢や内容で分別し、枠から漏れるものは俳句と認めないという狭量自体、反芸術的ある。あくまで言葉の問題として語と語の連続と分断、それが織りなす用語と文体の姿をそのまま捉えることこそが正しい姿勢ではないだろうか」。この柳生さんの意見に賛成だ。ただし、それを「正しい姿勢」とは言いたくない。句を魅力的に読む一つの姿勢というべきだろう。正しいという言い方をすると、それ以外の可能性を排除し、自分の姿勢を権威化してしまう。私見ではこの種の正しさの主張を嫌ったのが兜太であった。
https://ooikomon.blogspot.com/2019/06/blog-post_2.html 【金子兜太「朝蟬よ若者逝きて何んの国ぞ」(国民文芸 俳句の力 第20回記念講演会「金子兜太の世界」)・・】より
本日2日(日)は、三鷹市公会堂・光のホールで、「国民文芸 俳句の力 第20回記念講演会『金子兜太の世界』」(主催・出版NPO「本を楽しもう会」)が開催された。第1部は映画「天地悠々 兜太・俳句の一本道」の予告編と、この日のために、河邑厚徳監督が特別編集した、昨年2月6日に、金子兜太が入院する数時間前の「兜太さん最後の言葉」が上映された。第2部には、黒田杏子&マブソン青眼のトークセッションだった。
マブソン青眼は、3月2日付けフランス日刊紙「ルモンド」の兜太訃報の記事を日本語訳して紹介したり、長野県上田市「無言館」近くに、新興俳句弾圧事件を、思想、言論、表現の自由を求めたものとして、「弾圧不忘の碑」を昨年・建立するに至った経過など(愚生も建立呼びかけ人の末席をけがした)、また黒田杏子は兜太20句を読みながら、これまで明かされることのなかったエピソードを数多く語った。
アビゲール・フリードマン(杏子主宰「藍生」会員でもある)からのメッセージには、
マブソンさんへ
金子兜太の業績を語る今日の会にあなたも出席して、黒田杏子先生とともに語り合うと知ってとても嬉しいです。
兜太の業績を積極的に紹介するだけでなく、彼の働き=世の中を変え、好戦的な風潮に抗うその姿勢を受けつぐあなたの活動を、とても誇らしく思っています。
今日の会にもしも私もご一緒できたら、どれほど嬉しかったことか。遠くワシントンから、盛会を祈っています。
アビゲール・フリードマン とあった。
会場は700名のキャパがあったが、満員で、黒田VSマブソンの熱い語りに、熱気と笑いに包まれていた。以下にその20句から・・・
白梅や老子無心の旅に住む 兜太
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
湾曲し火傷し爆心地のマラソン
デモ流れるデモ犠牲者を階に寝かせ
デモの句では、黒田杏子が、60年安保闘争時、樺美智子忌になった6・15に同じ国会前に参集していた、と語った。
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫
夏の山国母ひてわれを与太と言う
春落日しかし日暮れを急がない
河より掛け声さすらいの終るその日
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