https://manapedia.jp/text/1790 【おくのほそ道(奥の細道) 冒頭『漂白の思い(漂泊の思ひ)』現代語訳と解説】より
ここでは、江戸時代に松尾芭蕉が東北・北陸を旅したときに記した紀行文『奥の細道』の中の「漂白の思い(漂泊の思ひ)」を現代語訳しています。「旅立ち」や「旅こそ栖」というタイトルで書かれていることもあります。
『奥の細道』は、元禄時代に活躍した俳人松尾芭蕉による紀行文と俳句の集成です。芭蕉は、1689年(元禄2年)に平安時代の歌人西行の五百回忌を迎えた年に、江戸を出発し、奥州や北陸道を旅しました。この旅の様子や感想を詳細に記録したのが『奥の細道』です。
芭蕉は、作品冒頭で「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。」と述べ、旅人としての人間の移り変わりを表現しています。彼は江戸から日光、松島、平泉、象潟など、多くの名所や古跡を訪れました。その風景や出会った人々、自然の美しさに触発され、俳句として独特な感性を込めて数多くの作品を残しました。『奥の細道』は、芭蕉の旅の記録と俳句の融合が素晴らしく表現された文学的な傑作として評価されています。
【原文】
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをづづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別所に移るに、草の戸も住み替はる代ぞ雛の家 表八句を庵の柱に掛け置く。
弥生も末の七日、あけぼのの空瓏々として、月は有り明けにて光をさまれるものから、不二の峰かすかに見えて、上野・谷中の花の梢またいつかはと心細し。
むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗りて送る。千住といふ所にて舟を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。
行く春や 鳥啼き魚の 目は涙
これを矢立の初めとして行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、後ろ影の見ゆる間ではと見送るなるべし。
【現代語訳】
月日は永遠に終わることのない旅人のようなものであって、来ては去り、去っては新しくやってくる年もまた旅人である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬引として年をとっていく人にとっては毎日が旅であって旅を住処としているのだ。昔の人も、多くの人が旅をしながら亡くなっている。
私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように流浪の旅をしたいという気持ちがおさまらずに、最近は海辺をさすらってはいた。去年の秋に川のほとりの古びた家に戻って、(留守にしておいた間にできていた)蜘蛛の巣をはらい腰を落ち着けた。年もだんだんとくれてきて春になったが、霞だちたる空を見ると、「今度は白河の関を超えたい」と、そぞろの神が私の心に取り憑いてそわそわさせ、しかも道祖神が私を招いているような気がした。股引(ももひき)の破れているのを繕って、笠の緒を付け替えて、三里(膝のつぼ)にお灸をしたところ、松島の月はどのようになっているのだろうとまず気になったので、住んでいた家は人に譲って、杉風の別荘にうつると、次のような句を詠んだ。
このわびしい芭蕉庵(江上の破屋)も住人が変わることになって、雛人形が飾られる家になることであろうよ。
この句を芭蕉庵の柱に掛けておいた。
三月二十七日(末の七日)のこと、夜明けの空はぼんやりとかすみ、まだ空に残っている月の光は消えかけているが、富士の峰がかすかに見える。上野や谷中のサクラの梢を次はいつ見られるのだろうかと心細くなる。
親しい人々は宵のうちから集まって船に乗って見送ってくれる。千住というところで船をおりると、「これから三千里の旅が始まるのか」という思いで胸がいっぱいになり、幻のようにはかないこの世の分かれ道での別れに涙を流す。
もう春は過ぎようとしている。その別れを思い鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいるように見える。
この句を最初の句として旅を始めたが、足が進まない。私たちを見送ってくれている人たちは、私たちの後姿が見えなくなるまでは見送ってくれていることだろう。
【単語説明】
古人 ここでいう古人とは、不特定多数ではなく、芭蕉が尊敬していた日本の西行や宗祇、中国の李白や杜甫のことを指します。
海浜にさすらへ 奥の細道の旅に出かける前に行った旅のことを指します。
三里 膝のツボのことです。ここにお灸をすると、足が丈夫になると考えられています。
杉風 芭蕉の後援者 弥生 3月
あけぼの 明け方 有明の月 夜が明けかけても、空に残っている月
むつまじき 親しい 幻のちまた 幻のようにはかないこの世の分かれ道
Facebook田中 宏明さん投稿記事
僕が人生に リラックスできるように なった一番の要因は「人生はどこにも辿り着く ことがない」というこの事実を本当に体感として感じられたことが大きいように思います^ ^
例えば今朝 瞑想の途中に 今までに感じたことが ないような心地よい 自由を感じました
自分が流れ続ける川 になったようで どんな思考にも とどまる事が出来ないのです
そうしてそのまま 流れ続けていたら 言葉が消えはじめて ただこうして 存在している
だけで満たされて 全身を至福感が 包んで行きました
さて^ ^ こんな事を言うと たゆまぬ瞑想の結果 僕がまるでどこか 素晴らしい境地に 辿り着いたかの ように見えるかもしれません^ ^
でも実際は そんな感覚が自分の中に 生まれて消えていった だけの事なんです
それ以上でもなければ それ以下でもありません
この世界では ある特定の感覚をずっと 感じたりする事は出来ません
全てが変化して いきます
素晴らしい境地 に辿り着いたと 思ったら 次の瞬間は テレビのニュースを 見て嫌な気分に なっているかもしれません^ ^
本当の安心というのは どこかまだ見ぬ 素晴らしい境地の中に あるのではなく 絶えずどこかに辿り 着こうとする その執着から 自由になる事の中に あります
人生にはどこにも 辿り着く場所がないの だということに 本当に気づく事が 出来た時
今ここがまさに ゴールそのものに なります
もうどこにも 行かなくていいし もう他に探す 必要もありません
その時目の前に 起きている事に 心を込めて生きるだけで いいんです^ ^
それ以上の 気楽さがあるでしょうか?
目的を達成し さらなる発展や 向上の先に きっと素晴らしい自分が いるはずだという
その自らに課した 呪縛に気づきましょう^ ^
そんな自分を探しているうちに あっという間に 人生は終わってしまいます
求めるのではなく 楽しみましょう
真の人類の発展は 怖れや不足からの 創造ではなく 喜びからの創造の 中にあります
今日は何だか 誰かに書かされたような 感じになりました
断定的な 表現がありましたが 苦手な人はどうぞ スルーなさってください^ ^
てなわけで 今日という一日を 楽しんで行きましょう 皆さまも良い一日を🌈💓😆
らぶ💓
川はやがて海に至りますね。まるで集合無意識としてワンネス。
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
老いること、それは誰も避けることのできない人生の季節。
肩の荷を下ろすように、少しずつ過去のことを忘れていくのは自然なことです。
しかし、たとえば認知症。いまだに根本的な治療法はなく、突然のことに本人も家族も戸惑います。
私たちは、この難しい病とどうつき合っていけば良いのでしょう? どうしたら人生の最後の季節を自分らしく生きることが出来るのでしょうか?
平均年齢80歳以上のアメリカ・オハイオ州にある高齢者介護施設。ここに暮らす多くの方が認知症です。スタッフのジョンは施設で暮らすおじいちゃんおばあちゃんに毎日たずねます。 「僕の名前を知っていますか?」 でも、答えはいつも「いいえ」。何度名前を伝えても覚えていません。そんな彼女たちが挑戦したある取り組み(※)が、彼女たちの毎日を変えていきます。それはスタッフと一緒に、読み書きや簡単な計算などをすることで認知症の改善を目指すというもの。
エブリン(93歳)は認知症と診断されて2年。自分の名前も書けず、ジョンとの会話も噛み合いませんでした。しかし彼女にも大きな変化が表れます。
趣味の編み物を再びはじめ、笑顔でジョンに話しかけるようになりました。そして、かつてお得意だった辛辣なジョークまで復活したのです。
彼女たちは仲間と一緒に学ぶことで、大切なものを思い出していきます。そしてそのことは、ジョンやスタッフ、そして家族をも笑顔に変えました。この物語に登場する人たちの笑顔が、私たち誰もが抱える不安を希望に変えるヒントになるはずです。
※「脳トレ」ブームの立役者である東北大学・川島隆太教授と、公文教育研究会、介護現場の協力によって生まれた認知症改善プログラム「学習療法」のこと。認知機能が衰えはじめた高齢者とスタッフが、対面でコミュニケーションを取りながら、簡単な「読み」「書き」「計算」を行うもので、現在、日本国内で1万人以上が実践しています。
https://www.youtube.com/watch?v=yG619xktW6M
https://hakujyujikai.or.jp/dreamcare/gakusyu.html 【学習療法って何??】より
音読と計算を中心とする教材を用いた学習を、利用者とスタッフがコミュニケーションを取りながら行うことで、利用者の認知機能やコミュニケーション機能、身辺自立機能などの前頭前野機能の維持・改善を図るものです。
脳(前頭前野)の役割?
脳の他の領域を制御する最も高次な中枢であり、そこは、おでこのちょうど裏側にある人間の大脳の約30%を占める巨大な領域です。
人間の前頭前野には図1のような働きがあります。
これらは、まさに人間をたらしめている高次の機能です。つまり前頭前野は“人間の心”そのものといえるでしょう。
また、前頭前野が命令を発することで、脳の、他の領域の機能が働くという点で、「前頭前野は、脳の司令塔」ということもできます。
そもそも、認知症とは、加齢に伴い脳の働きが衰え、それらが重度になった状態です。そのため、脳を鍛えたら前頭前野の機能を改善し、認知症が改善されるという話になります。
図1:前頭前野の働き
MRI等の画像診断で調べた結果、一桁の足し算などや簡単な計算問題を解いている場合や、そして本を音読している時に、左右の前頭前野を含めた脳全体が活性化していることが分かりました。一方、一生懸命に何かを考えていたり、テレビゲームをしている時には、一般的に想像されるほどの前頭前夜は活性化しませんでした。さらに、その研究からすらすらと速く計算したり、速く音読したりするほど、脳がより活性化することも分かっています。
これらの研究によって「計算や音読を毎日行うことで、左右脳の前頭前野が活性化し、ソレが効果的な刺激となって低下しつつある脳機能を向上させることが出来る」という結論が得られました。学習療法はこの考え方を根幹に、前頭前野機能の維持・改善を図るプログラムを行っています。
図2:前頭前野の活性化
学習療法の効果は??
このプログラムを開始し6ヶ月後、「読み・書き・計算」の学習をした方は、認知機能検査にて改善はありませんでしたが、学習をしなかった方は、機能が低下し、学習をしたほうが、学習をしなかったほうに比べ、脳機能の低下を防いだという結果が出たのです。
まったく無表情だった方が、学習が進むにつれて笑顔が認められるようになりました。
また、おむつに頼っていた方が、尿意や便意を伝えることができるようになったり、ついには自分でトイレに行けるようになったりと、日常生活に大きな変化が表れたのです。
このように、学習療法を通じて前頭前野の神経細胞が元気を取り戻すことで、脳機能の働きやコミュニケーション能力、身辺自立性が改善されるということが分かります。
ドリームケアの取り組み
ドリームケアはパワーリハビリテーションや学習療法、総合的な介護予防サービスを駆使し、自立と健康をサポートしています。
https://hakujyujikai.or.jp/%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%90%91%E4%B8%8A%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8F%96%E7%B5%84%E3%81%BF/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E7%99%82%E6%B3%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ 【学習療法® とは? 認知症の予防・進行抑止改善のための非薬物療法です】
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