https://mainichi.jp/articles/20200701/dde/014/070/007000c 【定型の窓から
時事を詠むのか否か=片山由美子】より
倒・裂・破・崩・礫の街寒雀 友岡子郷
車にも仰臥という死春の月 高野ムツオ
多くの新聞には短歌・俳句の投稿欄がある。毎週これを見ていると、昨今目立つのはやはり新型コロナウイルス関連の投稿だが、短歌と俳句ではかなり違いがある。そこで思い出すのは、かつての機会詩論争だ。
機会詩は、ドイツ語の訳語である。17~18世紀に眼前の事象を即興的にうたう詩として生まれたとのことだが、短歌・俳句で機会詩と呼んでいるのはそれとは少し違う。
機会詩ということばを聞くようになったのは、湾岸戦争や米国の同時多発テロ事件の頃からだ。特に後者の衝撃的な映像がテレビ画面に映し出されたとき、新聞の短歌投稿欄にはすぐ反応があった。信じられないような光景を目にした驚きや怒り、悲しみが短歌欄に溢(あふ)れたのである。
この記事は有料記事です。
https://ameblo.jp/seijihys/entry-12612743317.html 【時事俳句と座の文学】より
昨日の「池袋谷端川句会」である質問を受けた。
その方は、新型コロナウイルスが心配で、今回、句会は欠席しFAX投句のみで参加した。
FAXを受け取った会場担当者の方から、質問が書いてあるのですが…。と手渡された。
そこには、今回、新型コロナを詠んだ句を二句出したのですが、こういう「時事俳句」は詠んでいいのでしょうか?ある本で、時事俳句は難しい、ということを書いていたので…。
という主旨のことを書いてあった。
「時事俳句」とは、今起きている社会的出来事や現象、事件、ブームなどを詠むことである。
これは時折、質問される。
他の句会に参加している方が、そこの指導者からも「時事俳句は作るな」と言われたことがあるそうだ。
私は、全然問題ない。と書いて、そのあといろいろ書いて担当者に渡した。今回、そのことを述べてみたい。
まず、俳句に詠めないものなどはない。なのに、なぜ、「あれは詠めない」「これは詠めない」と決めつけるのか。
だいたい俳句は「17音」しかない。ただでさえ、短いものなのに、あれはいけない。これはいけない。と自ら俳句の可能性を狭めてしまうのだろう。
時事俳句を詠んでいい根拠として、いろいろなことが挙げることが出来るが、私が一番言いたいのは、俳句は「座の文学」であるということだ。「座の文学」の「座」とは何だろう。
例えば、皆で集まり、互いに俳句を研鑽し合う場と考えてもいい。
しかし、それなら、鍛錬会、稽古という言葉で十分だろう。それ以外の要素があるはずである。「座」というのは、「連歌」「連句」が深くかかわっているのだが、まあ、そういう難しいことは置いといて、私はこう考えたい。
「座」とは、同じ時代を生き、同じ志を持った人が、出会ったことを喜び、四季の移ろいを楽しみ、惜しむ場である。「同じ志」とは「俳句の指向」である。
ある程度同じ俳句への指向がある人々が集まり、研鑽する、ということである。
ただ、私がここで強調したいのは、同じ時代を生きという部分。
「座」とは、同じ時代を生き、出会った人々が共に季節を味わう場である。
俳句を通し、春の到来を喜び、去り行く秋を惜しむのである。俳句の優劣や研鑽はその次のことである。これが「鍛錬会」「稽古」とは違う。
今、生きていることの実感や共感まず、その「大前提」がなければ「座」は存在しない。
であるから、今の時代に起こったことを詠むのは当然である。
今の事柄を共感出来るのは今、共に生きている人々だからである。
「時事俳句を詠むな」という人の言い分に、時事俳句には永遠性がない。というのがある。
「新型コロナ」「自粛生活」を詠んでも、それは今だけのこと。50年後、100年後には通じなくなる、というのである。
「文学」というか「芸術全般」には、時代を超えた「永遠性」がなければならない、というのである。その言い分もわからないではない。
しかし…である。いったい何に永遠性があって、何に永遠性がないなんて誰がわかるのだろう。自然や寺社さえ詠んでいればいいのだろうか。
が、「寺社」が永遠に残るなんて、単なる思い込みに過ぎない。「自然」でさえ変わるのである。いや、むしろ「自然」こそ変わる。
「コンビニ」が100年後に消えているかどうかなんて誰にもわからない。
つまり「自然」も「寺社」も「コンビニ」も「不易流行」の「流行」の部分なのである。
宝井其角の句に、 越後屋に衣さく音や更衣(えちごやに きぬさくおとや ころもがえ)
という句がある。この句は以前に鑑賞したことがある。宝井其角~越後屋の一句と俳句の新しさについて『宝井其角~越後屋の一句と俳句の新しさについて』
越後屋に衣さく音や更衣 宝井其角(えちごやに きぬさくおとや ころもがえ)越後屋は今の「三越」のこと。延宝元年(1673)、江戸日本橋の越後屋は、店…
この句の「越後屋」とは今の「三越」のことで、「衣さく音」とは、越後屋が日本で最初に始めた「反物の部分売り」のことである。
越後屋が始めた「画期的新商法」を其角は詠んだ。
これは今、われわれが「ユニクロ」や「ZARA」などを詠むのと同じである。
この句には夏を迎えた人々の喜び、活気がある。それこそが永遠性であり、不易流行の「不易」である。
私が一番言いたいのは、先人たちは伝統を尊重しつつも、常に新しい俳句を求め続けてきた。
今の俳句は「あれダメ」「これダメ」で、なんと保守的であろう。俳句の先人たちに申し訳ない思いがする。現代俳人自身が俳句を古臭いものにしている、と言われてもしょうがない。
今、生きている人々が「座」に集い、今起こっていることを喜んだり、悲しんだりするのは当然のことだ。永遠性があるかどうかは後世の人が判断する、今生きている実感を詠まなくて、なんの意味があるだろう…。
俳句にはそういう豪胆さが欲しい。
http://blog.livedoor.jp/toshio4190/archives/1076933079.html 【社会性俳句と時事俳句】より
俳句には大別して、自然詠(モノを詠む俳句)と社会詠(コトを詠む俳句)とがある。
それを真正面から取り上げた「俳句界」2月号第二特集「詠むのは花鳥か社会か」を興味深く読んだ。初学の頃から、コト俳句の中にある「社会性俳句」と「時事俳句」という似て非なるものの中で、いつも迷いを感じていた。
時折、句会の席で「時事俳句には普遍性がないからダメだ」という意見を耳にすることがある。ここで言う「時事」とは、おそらく只今現在、世の中で話題になっている出来事をさしているのだろう。さしづめ今ならば「コロナウイルス」の類 。
1年あまりが過ぎて収束してしまえば、「コロナウイルス」なるものに継承されるべき俳句的な価値は無くなってしまうということか。
それでは「東北大震災」に関連した俳句はどうなのだろう。多くの俳人が数多くの震災句を残している。東北大震災という出来事は、その規模、影響力の大きさから時事俳句を超えて永遠に俳句の素材となりうるということなのか。
昭和16年12月8日に始まった彼の大戦の場合と同じように。社会性俳句と単なる時事俳句の違いは、その出来事の大きさだけではあるまい。
震災句が時事俳句ではなく社会性俳句として認知されるためには、その底にある根源的なものを描いているかにかかっていると思う。
兜太のいう「社会性とは一人一人の態度の問題」ということと重なる。
換言すれば、その出来事を単にニュースとして捉えるか、そこから派生する奥深くにある事象にまで敷衍されているかによるのだろう。
以下の句のように。
あやまちはくりかへします秋の暮 三橋 敏雄
終戦日妻子を入れむと風呂洗ふ 秋元不死男
広島に鳩沖縄に桜貝 西澤 照雄
(第23回俳人協会俳句大賞準賞句)
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり 高野ムツオ
帰る雁死体は陸へ戻りたく 小原 啄葉
0コメント