Facebook福田純子さん投稿記事 ー世界を照らす太陽にの巻ー
あの2011年3月11日 14時46分東日本大震災から10年!タイムラインに3年前記事が上がって
来て「不思議なことに2011年3/16日に届いたコピーが出てきたので読み人もわからないのですがきっと皆さんにお伝えするようにとの意味に受け止めここに添付します。長いですが心静かにお読み頂ければ幸いです」と書いて投稿した詩の作家は「ホメオパス♾りゅうさんです」とFacebook仲間のアーティスト田中さんからお知らせ頂きました💕
3年目にして作者がわかったと言うご縁に感謝し震災から10年の祈りに再びこの詩をお捧げします
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日本よ 日本の民よ 日出ずる国の民たちよ 地震多き 原発多き 島国にて まるで龍神の背の上で暮らす かのごとき暮らしを選んだ 勇気ある民たちよ
見たこともないすざまじき 未曾有の試練を意識もしない 魂の底で実は受け入れていた
あなた達よ!あなたたちの 誇り高さを讃えます 大変な犠牲もありましたが
その者たちも瞬時に光となり さらなる被害を食い止めようと 全力で働いています。
まだ肉体あるあなたたちが そんなことでどうするのです。
恐怖の連鎖に飲み込まれては なりません!恐れや不安や緊張や パニックに便乗してはなりません
あなたたちは何のために今まで 長い時間をかけて自分のことを 癒してきたのですか
たくさんの内なる浄化を 続けてきたのですか 何のために眠れる力を 目覚めさせてきたのですか たくさんの人に助けられて きたのですか 集団の祈りの力を信じれるように
なってきていたのですか 今、今のためであった それを感じるでしょう
不吉な予言の奥を見なさい そうならないようにするために 予言はある 今こそ祈りなさい
歌いなさい 手を取りなさい 力を合わせなさい 政治的な 大事な決断をする人の意識に
届くように....瓦礫の奥で助けを 求めている人を、誰かが偶然の ごとく見えない力に導かれて 見つけ出すように.....
原子炉が何とか持ちこたえるように 風向きが最も被害少なく 良い方向へ流れるように....
救助しやすき天気になるように....祈る事は山ほどあります
地震前のあなた達の族っぽい 悩み全てぶっとんだでしょう
いつもと変わらぬ毎日 すべてくつがえったでしょう 政治批判をしてきたものよ
衣食住が今まであっただけでも なんとありがたき政策か 電気のありがたさガスのありがたさ 水のありがたさ屋根のある家の ありがたさ身に染みたでしょう
今体調が悪いものよ 誇りなさい あなたたちは自分の身体を使い 被害の何兆分の1かでも身をていして 引き受ける勇敢な者達なり!
たった1日で全員が 真実を見たでしょう
本当に大事なのは生きること
できれば大事な人たちとできれば 少しでも多くの人たちと生きて 笑えること 笑い合えること..... それだけです
連絡が滞っていた人に 連絡をしたでしょう
大嫌いだった人の安否も 気になったでしょう そうあなたたちは愛のかたまり
いつだって本当はそうでした
思い出して!
あなたたちは自殺したいときであっても、誰かを殺したいときで あってもいつだって愛そのものであったことを!
ひいずる国の民よ あなたたちは集団覚醒した。それそれが微力であろうともそれが重なり合えばまばゆき光となりき強大な熱を持ちエネルギーとなり絶大なるパワーを放つ
届かせよ!できるだけ遠くまで 祈れよ 感じるままに 最大の窮地それぞれがそれぞれに
限界だと思うもうちょっとだけ 先までどうか持ちこたえよ!
今こそあなたたちが望んだ
世界が始まるのだ 見届けよ!
最後の1人となろうとも大和魂復活の時来たれり
1人でも多くの手を取れサポート多きあることを信じなさい
我々も共にゆかん!
天の岩戸は開かれた
日本よ日本の民よひいずる国の民よ世界を照らす太陽となれ
ホメオパス♾りゅう
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024041900707&g=soc 【大地震前兆現象の仕組み解明 上空の電子変化、予知に期待―京都大】より
時事通信 社会部2024年04月19日14時01分配信
京都大の時計台=京都市左京区
京都大の時計台=京都市左京区
地震の規模(マグニチュード)が6.0以上の大地震発生前に上空で電子の数が変化する現象について、京都大の研究グループは19日までに、プレートや断層の粘土に含まれる水分が地震前の微小な震動で帯電し、上空に電気が伝わることで生じると発表した。
津波、1分で沿岸到達か 東北大が分析―能登地震
京都大大学院の梅野健教授(数理工学)は「前兆現象の仕組みを科学的に示すことができた。大地震を予知して警戒を促すシステムの実現が期待できる」と話している。研究成果は3月、国際学術誌の電子版に掲載された。
東日本大震災や熊本地震、能登半島地震などでは、地表から約300キロ上空にある電子が集まる「電離圏」で、発生約1時間前に電子の数に変化が生じる現象が観測されている。しかし、この現象が起きる仕組みは分かっていなかった。
研究グループは、大地震の震源付近の地質調査で、プレートや断層の境界面に粘土が含まれていることに着目。粘土に含まれる水分が地震直前の微小な振動で高温となって帯電し、その後に電気が上空に伝わることで電離圏の電子の数を変化させることを発見した。簡易な実験で再現し、同様の現象が生じることを確認したという。
手を合はせ蹲ふ浜や風光る 高資
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7897067/ 【3・11の日に】
電線を越えてや一本松炎ゆる 高資
東天を支へて松葉海へ散る 高資
11月11日は平和記念日だそうです https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12418265232.html 【33の反転のために~11月11日11時 人類至上 最も大切にすべき日を 知っていますか?】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7035795/ 【蓬莱伝説・不老長寿の是非】
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230609-OYT1T50059/ 【[関東大震災100年]教訓<3>予知は可能 見果てぬ夢】より
100年に1度発生してきた東京の大地震は最後の安政2年(1855年)から50年、その時期に我が帝都は接近し、皆同一の運命にある――。関東大震災からさかのぼること18年前の9月。東京帝国大(現・東京大)地震学教室助教授だった今村 明恒あきつね は、東京を襲う次の大地震に関する論文を雑誌に公表した。
「ぼくら」シリーズの最新作、関東大震災100年で防災をテーマ…作者・宗田理さん「思いやりと協力こそ最大の武器」
この論文が翌年1月の新聞に取り上げられ、さらに2月にかけて東京で地震が頻発すると、「大地震が来るとの警報を気象台が出した」といったデマが流れるなど、世間は激しく動揺した。今村の上司で、「日本の地震学の父」と呼ばれた同教授の大森房吉が、科学的根拠に乏しい浮説と退けたことでいったんは沈静化した。
だが、1923年9月1日、東京や横浜が火の海と化した大震災は、現実のものとなる。今村の真意は、被害軽減に向けて人口が密集した大都市での火災などの対策を強くうながすことだったが、結果的に発生が「的中」したため、地震予知は可能との幻想が生まれることになった。
政府が予知に本腰を入れ始めたのは、60年代。62年に予知実現のための観測体制拡充などを訴える地震学者有志による提言書が政府に提出されると、3年後には国家事業としてスタートした。観測網整備などに約30年間で1100億円余の巨費が投じられた。
特に、駿河湾から静岡県の内陸部を震源として想定された東海地震は、「直前予知が可能」として、発生直前の前兆現象をとらえるための観測体制が整えられた。首相が「警戒宣言」を発令できる大規模地震対策特別措置法など、予知を前提とした法整備も進んだ。
だが、死者・行方不明者6437人を出した阪神大震災(95年)、同2万2318人の東日本大震災(2011年)が不意打ちで起き、予知への期待は失望に変わった。東日本大震災ではマグニチュード9級の巨大地震の発生を予測できず、「全くの想定外。地震学の限界を突きつけられた」(加藤照之・東京大名誉教授)という完敗だった。
東日本大震災の苦い教訓は、地震の防災対策に大きな転換をもたらした。予知は困難との前提で巨大地震への対応にかじを切るとともに、「想定外」をなくすため、史料などの記録に残っていないケースまで検討して最悪被害を見積もることにした。
「確度の高い予測は困難」。政府の有識者会議が、近い将来の発生が懸念される南海トラフ地震に関する報告書をまとめたのは13年。これを機に、観測体制が見直され、気象庁は17年から、想定震源域とその周辺で一定規模以上の地震が起きた場合などに住民らに警戒をうながす「臨時情報」を発表する運用に改めた。
政府による同地震の被害想定も、死者数を最大23万1000人と見積もり、今年から見直しに着手した。有識者会議で座長を務めた山岡 耕春こうしゅん ・名古屋大教授は言う。「地震予知は人類の夢だが、地震への理解が十分でなく、まだ難しい。地に足をつけて、大地震が次に発生する可能性が高まっている現状を国民に丁寧に伝えることが大切だ」
兆候発見へ 模索続く
阪神大震災後、全国の活断層で調査が実施され、想定される地震の規模や発生確率の公表が進んだ(群馬県高崎市で、2000年撮影)
関東大震災から100年の間に、日本列島は幾多の大地震に見舞われた。その都度、新たな課題に直面しながら、防災技術や研究を進展させてきた。関東大震災後も、地震観測・研究の拠点となる地震研究所が発足した。
抜本的な対策を迫られたのは、1995年の阪神大震災だった。神戸市で震度7を記録したにもかかわらず、地震計の整備が不十分で、市内の複数の地域でデータが取れなかった。人口や建物が集中する都市を直撃したこの震災は、内陸直下型地震への対策を見直す契機となり、全国の活断層調査や4000か所以上で地震計の設置が進んだ。
観測網が充実してきたことに伴い、新たな防災技術も実現した。2007年に運用が始まった気象庁の緊急地震速報だ。地震計に最初に届く弱い地震波の情報を基に、強く揺れる地域をわずかな時間で推定して速報する。同庁で開発に関わった愛知工業大の横田崇教授(地域防災)は「一人でも多くの人が身を守れるようにと思いながら作った」と語る。
津波で多数の死者を出した11年の東日本大震災後には、手薄だった海底観測網の拡充が進み、各地の津波の高さなどをより正確に予測する技術が向上。震源から遠方の高層ビルを大きく揺らす「長周期地震動」の被害も東京や大阪などで相次いだため、気象庁は揺れの大きさに応じた4段階の階級を新たに設け、今年2月から同地震動の速報の配信も始めた。
日本災害情報学会副会長の岩田孝仁・静岡大特任教授(防災学)は「災害を経るごとに、技術の進化で防災情報の種類も増え、すばやく届くようになった。これらの多様な情報をわかりやすく伝えて、避難などの行動につなげていくことが必要だ」と話す。
東日本大震災の巨大地震の発生メカニズム研究が進む過程で、注目すべき観測データも見つかり始めた。地震発生の約2か月前に、震源近くで、地下に沈むプレート(岩板)がゆっくりと滑るようにして起こる「スロー地震」と呼ばれる現象が起きていたことがわかった。
京都大などのチームは、南海トラフ地震の想定震源域に設置された海底地震計から得られるデータなどを基に、数あるスロー地震の中から巨大地震の兆候を見つけ出す研究に取り組む。 関東大震災級の地震を警告した今村明恒は、大震災後も、私財を投じて紀伊半島などに独自の観測網を設置し、次の巨大地震の兆候を探る研究を精力的に続けた。孫で東京都内に住む英明さん(88)の自宅には、人命を救うために生涯をささげた祖父の遺言状が残されている。そこには、地震を予測する研究の重要性が記されていた。
スロー地震を研究する京大の西川友章助教(地震学)は「予知実現の壁は高いが、決して諦めるわけにはいかない」と強調する。今村の遺志を受け継ぐように、研究現場では、なお試行錯誤が続く。(科学部 中根圭一、林尭志)
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