日本人の日本人らしいあり方

Facebookごとう 孝二さん投稿記事I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜

「やっぱり日本は凄い国だった❗️」世界が驚愕!?日本人の3.11地震対応に『感動』エピソード

11年前…2011年3月11日。

観測史上最大の地震(東北地方太平洋沖地震)に直面した日本。

世界から日本人の行動やモラルに賞賛の声が上がった。

助け合い、和の精神は、やはり日本人固有のもの。

千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らした時、横に居た高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。大丈夫、未来あるよ。

原発に勤めてる後輩から、今日か明日第一原子炉内の防御棒の除せんに向かうとメールが来た。みんなの為に頑張ってくるからって。

俺より年下の奴が命かけて人を守ろうとしてるのに、俺には節電くらいしかできない。

心配で情けなくて涙がとまらねー

おにぎりとパン、売り切れてたんだ。でもね、店員さんが「まんじゅうありますよまんじゅう!」とか言いながら配ってたの。タダだよ。

私たちは黙って入口のポストに100円入れてたw誰が命じたわけじゃないよ。

どちらも自発的に。それが出来るんだよ、この国は。

●大丈夫ですか―――!?

昨日、裏の家の高1になるお兄ちゃんに感動した。

家に1人で居たらしく、地震後すぐ自転車で飛び出し近所をひと回り。

【大丈夫ですか―――!?】と道路に逃げてきた人達にひたすら声掛けてた。

あの時間には老人や母子しか居なかったから、声掛けてくれただけでもホッとしたよ。 ありがとう。

●譲り合える日本人

地震後にコンビニで食料を調達したんだけど、普通なら店閉めるはずのパートのおばちゃん達が必死に対応してた。

レジ使えないから電卓で計算して、バーコードも読み取れないから客が値段を確認して。

下手すりゃ暴動になってもおかしくないのにな。こういう状況でも譲り合える日本人って凄いよ、ホント。

●若いお兄さんたち

バイト先に若いお兄さんたちが軍団でお酒を買いに来たんだけど、その中の一人が

「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから募金できん。

ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品してそのお金全部募金してた。

お友達も続々と募金しててすごい感動した。 すごいよ

●小さい島国だけど

韓国人の友達からさっききたメール。「世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。

毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる……小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。」ちなみに僕いま泣いてる。

●誇り

こんな状況でも略奪や暴動も起こらない。帰宅困難者も整然と自宅に向かう…。

そんな日本人の国民性が世界の人々を感動させるのだと聞いたことがあります。

平和ボケと見る目もありますが、コレは明らかに『美徳』です。誇りに思いましょう

●pray for japan

うわーん!!感動し過ぎて超泣いた!

さっきの知らない国際電話、誰か日本の人に繋がればいいなと思って日本の局番で自分と同じ番号おしてかけて来た、心配と応援の電話だったの!

英語よくわからなかったけど、言ってることは理解出来た!向こうで沢山の人がpray for japanって!

●鳴らないクラクション

一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。

複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。

恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。

●世界のディズニーランド

すごい。弟たった今ディズニーランドから帰宅したんだけど。新品のお菓子袋いっぱいにもらってきて、客全員分の帰りの交通費負担してくれたんだって。

一晩中、何か言えば全て対応してくれたって。やっぱり世界のディズニーランドなんだね。

●困った時はみんな一緒

昨日青葉台駅で帰宅困難者が溢れる中、車に乗ってる人が「○○方面の方どうぞ!」

って行って車に乗せてた。「困った時はみんな一緒ですから!」って言ってた。

超感動したの思い出した。

●アメリカの空母

アメリカの空母。船上には「はじめまして」の大きな文字。アメリカらしいユーモアに思わず笑った。そして感動して涙。よく見てみたら、コレって人文字なんじゃ…。

ありがとう!何か元気出たよ!

●研修でこっちにきてた女の子

避難所にいたときに、社会人1年生で、研修でこっちにきてた女の子が、たまたま携帯のバッテリーも持参してたらしく、体育館のコンセントを使用する許可ももらい、「携帯の充電をされたい方は、ご自由につかってください」と呼びかけて回ってたんだ。

僕はその子にとても感動したんだよ・・・

●井上雄彦さん

井上雄彦さんがものすごい勢いで笑顔のイラストをいっぱいあげてて感動する。

励ましとか勇気とかメッセージって、こういうことなんだなーと思う。

●朝礼で

今朝の朝礼で

「何があっても決して不安な顔は見せずに売り場に立つ以上はおもてなしをする気持ちを忘れずにお客様を安心させてあげてください」ちょっと感動した。がんばるか。開店です!

●日本は確実に強い国に

サントリーの自販機無料化softbankWi-Fiスポット解放、

色んな人達が全力で頑張っててそれに海外が感動・協力してる。

海外からの援助受け入れに躊躇したり自衛隊派遣を遅らせたりしてた阪神淡路大震災の頃より日本は確実に強い国になってるんだ。みんな頑張ろう。

●みんな大変だから

タクシー運ちゃんと電車駅員さんとおばさんと話したけど、みんな遅くまで帰れなかったりしてすごく疲れているのに、苛立つ事なく、言葉遣いもふるまいも丁寧で、逆に気遣われてしまった。

「みんな大変だから」という"みんな"って意識があることに感動するし、私も受け継いで大事にしたい文化。

●おじいちゃんおばあちゃんが手信号

実際日本すごいよ。

昨日信号が一カ所も機能していない御殿場市でもお互いにドライバー同士譲り合ってたし、

地元のおじいちゃんおばあちゃんが手信号やってくれてたりで、混乱もなく本当感動した。

9時間運転してたけど前車を煽るようなドライバーはもちろんいなかったし、みんな譲り合い精神。

●スーパーでの出来事

スーパーで無事買物出来ましたヽ(´o`; でもお客さんのほとんどが他の人の事を考えて必要最低限しか買わない感じだったのが感動しました(涙)

●ドイツ人の友達

ドイツ人の友達が地震が起きた時に渋谷に居て、パニックになっていた所を日本人に助けてもらったらしく、

その時の毅然とした日本人の態度や足並み乱さずに店の外に出てやるべきことを淡々とこなす姿にひどく感動し、まるでアーミーのようだったと言っていた。

●twitterすごい

Twitterの方々の情報とかが一致団結しててすごくたすかります。

みなさま親切です!!

こういうとき、なんか、感動します。

最近は近所とつきあいなかったり冷たい世の中だとか思ってたけどそんなことなかったね。

●日本って凄い

日本って凄い。官僚も民間も、皆で助けようとしてる。

トラックの運転手も有志で物資運んでるらしいし、東北の交通整備をヤクザさんがやってるという話も聞いた。

最近、日本に対して誇りを持てないことが続いていたけれど、そんなことない。

日本は凄い国だ。

素直に感動してる。日本国の皆さん頑張ろう!

●パン屋のおばちゃん

昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。

こんな喧噪のなかでも自分にできること見つけて実践している人に感動。心温まった。

東京も捨てたもんじゃないな。

●整列する日本人

日本人すごい!!

こんな時にも山手線ホームできれいに整列してる …涙。

有楽町駅を上から眺む

●父親の行動

1階に下りて中部電力から関東に送電が始まってる話をしたら、普段はTVも暖房も明かりもつけっぱなしの父親が何も言わずに率先してコンセントを抜きに行った。

少し感動した。

●BBCの報道

本当に感動。

泣けてくる。

⇒BBCめっちゃ誉めてる。

地球最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。

その力や政府が試される。

犠牲は出たが他の国ではこんなに正しい行動はとれないだろう。

日本人は文化的に感情を抑制する力がある

●絵師さん

絵師さんたちがこの地震でみんなに元気付けようと必死に美しい絵や励ましのイラストを描いていることに感動。

みんな自分にできることをしたいと思っているんだね。

●ツイッターに感動

それにしても、電話もメールも繋がらなかった中でのTwitterの強さには感動した。

ほとんどはきっと誰かの心を支えたと俺は思います。

●メディアの動きについて

ツイッターやUSTでの状況共有と、それに連動するマスコミの動きは、阪神淡路大震災の時とは比べ物にならない質の高さを感じる。

もちろん過去の辛い経験から得た教訓を、みんな活かそうとしている感動。

●外国人から見た日本人

外国人から見た地震災害の反応。

物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。

運転再開した電車で混んでるのに妊婦に席を譲るお年寄り。

この光景を見て外国人は絶句したようだ。

本当だろう、この話。すごいよ日本。

●段ボールに感動

ホームで待ちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けって段ボールをくれた。

いつも私達は横目で流してるのに。あたたかいです。

●タイムラインに感動

TL見て感動した。

みんなが、ひとりひとりが大変な状況にいる人に笑顔を伝えようと、前向きになってくれるような発言がいっぱいで。

TLがあたたかい。

みんなのコトバを見て笑顔が少しずつでも増えればいいな。

被災地の方、頑張れ、応援してくれる人がたくさんいます。

●日本人の良さを再認識

この地震が、きっかけになって、失いかけていた日本人本来の良さが戒間見れた気がする。

犯罪はする様子はなく、助け合い、律儀、紳士的。

普段日本人は冷たい人が多い…。

って個人的に感じてるんだけど、多くの人が今回で

「絆」を取り戻しつつあるように見えて、それがなんか感動して、泣けてくる。

●ディズニーシーにて

ディズニーシーに一泊した娘、無事帰宅しました!

キャストのみなさんが寒い中でも笑顔で接してくれて不安を感じることなく過ごせたそうです。

防寒のカイロやビニール袋、夜・朝の軽食と飲み物、おやつまで。ディズニーの素晴らしさに感動です。

頑張ってくれたキャストさん、ほんとにありがとう!!

●バス停で・・・

バスが全然来ない中、@saiso が、バス停の前にある薬局でカイロを買ってきて、並んで待ってる人みんなに配った!

●揺れている最中でも・・

聞いた話でびっくりしたのが、とっさに「入口の確保」と揺れてるにも関わらず、あの状況で歩いて入口を開けた人が居たのが凄いと思った。

正直、シャンデリアも証明も何時落ちるか分からないのに、凄く勇敢な人が居た事に感動した。

●渋滞した交差点での出来事

一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。

複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。

恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。

●国連からのメッセージ

国連からのコメント「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。

今回は国連が全力で日本を援助する。」に感動した。

良い事をしたら戻ってくるのです。これがいい例なのです

●ディズニーランドでの出来事

ディズニーランドでは、ショップのお菓子なども配給された。

ちょっと派手目な女子高生たちが必要以上にたくさんもらってて「何だ?」って一瞬思ったけど、その後その子たちが、避難所の子供たちにお菓子を配っていたところ見て感動。

子供連れは動けない状況だったから、本当にありがたい心配りだった。

あの震災から11年…まだまだ傷跡は残っている。

被災者の皆様へ心よりお見舞い申し上げます。

ライジングサン✨


https://www.mskj.or.jp/report/3205.html 【日本人の日本人らしいあり方~震災とのたたかい~】より

杉島理一郎/卒塾生

日本人は強い。そして美しい。 東日本大震災を受けて、世界からそう評価された日本。どんな困難にも負けない日本の底力はどこからくるのか。松下幸之助塾主の人間観を通して見えてきたものは、やはり自然との調和であり生成発展であった。

1.はじめに

 3月11日、突如襲った未曾有の大震災。沿岸部を中心に広範囲に広がったその被害は、決して一地域における災難ではなく、日本全体を揺るがす大きなものであった。震災から半年が経ち、今この震災を振り返る時、人間の強さや弱さ、たくましさや脆さが見えてくる。それを日本人としてどう捉えるのか、そして人間としてどう捉えるのか。東日本大震災を通じて今改めて考える日本人の人間観とはいかなるものか、考察したい。

2.自然災害との終わらない戦い

 日本は災害大国である。

地球全体を覆っている十数枚のプレートの内、その四つが日本列島下に存在する。これらが互いにぶつかりあって蓄積されたエネルギーが発散されることで地震が発生するため、日本は世界的にも極めて地震が多い地域であると言える。

 特に、東海地震や首都直下型地震、宮城県沖地震はリスクが高いと言われてきた。過去の記録をたどってみても、震度6を超える大きな地震が幾度となく発生している地域であり、今回の東日本大震災も大きな流れでいえばその内の一つであるといえる。

 災害大国といわれる日本において、その中でもリスクが高く何度も大地震を経験している地域において、今回の地震は発生した。いつ起きてもおかしくない有事ともいえる。

 それでは、そもそもそのような有事リスクの高い地域に生活をすること自体に問題があったのだろうか。もしくは、その有事に備えが薄かった人間側に問題があったのだろうか。それとも、こんな災害をもたらす自然界が悪いのであろうか。

 私たちがこの震災を総括する時、必ず論じることになるこの責任論に対して、私たちはこれからも向き合っていかねばならない。不幸にも亡くなった多くの方々の尊い命だけはどうしても取り戻すことができないが、かたち上の原状復旧は進んでいく。しかしながら、我々は常に迫りくる有事と戦い、この責任論と戦い続けていかねばならない。

2.1 復興計画にみる自然との対峙

 今、被災地では復興計画を策定し、住居地域や商業地域の配置を検討している。同じ地区からは離れたくないが、海から少し離れた高台には移転したいという要望が多く、いかにして都市計画を構築していくかということに、予算的制約や物理的空間の問題からも苦慮しているところである。コンクリートの要塞で波から住居地を守り今のところに住むという選択肢もある。高台に家を連ねて建築していくという選択肢もある。

 しかしながら過去に学ぶならば、万里の長城と呼ばれた日本一の防潮堤は無残にも津波の勢いに勝てず破壊されてしまったし、高台移転を求めて移転をしたものの、十分な高さには居住土地を必要なだけ確保できず、相対的に今よりも高いところということで移転をして再び生活を送っていた多くの沿岸部地域の住宅についても今回大きく被害を受けてしまった点などは、考慮しなければならないだろう。

 防潮堤に加えて、十分な高さに必要なだけの居住土地を確保して高台移転することが住民の要望であり、有事の備えとしては現時点でできる最大の優良な対処といえるのかもしれない。

 かつて松下幸之助塾主は「新国土創成論」の中で、山を切り崩し沿岸部を埋め立てて国土を有効に使うという国家百年の計を打ち立てた。今にも崩れそうな危険な山や崖などを切り崩し、自然や景観を考えながら埋め立てていくことで、自然に逆らうのではなく自然を活かし活用する術だと唱えた。

 これは、もともと日本の国土が狭いことが過疎過密の問題の本質であると捉えた故の発想であったのだが、これは今回の高台移転の問題とも重なる部分がある。

 今は、現存の住居地域と可住地域をパズルのように組み立てているが、今ある用途地域を変えずに対処するのではなく、どのような姿ならば自然を活用して人間が共生することができるかという観点から計画を立て、修正しながら実行に移していくことが必要である。そのためには、既存の概念にとらわれない国土創成の考えが必要である。

 たとえば、新たに島を作るという考えである。

 津波と火災で大きな被害を受けた気仙沼市は、稲妻形の湾の形状になっており、湾内は海が荒れた日でも安定していることから、台風の際の避難港にもなっている。

 また、湾の入り口近くに大島という島がある。大島は、島を波が渡ってしまう程の強い津波を受けたが、そのために波の力を弱めた効果もあったと言われている。

 実際に、同じ三陸沿岸でも、数々の島が景観を豊かにしている日本三景の松島では、津波被害は小さいものであった。

 そう考えるならば、稲妻上の湾と島というものをうまく使って津波に強い国土計画をすることはできないだろうか。景観をより美しくしながら、機能的にも優れた国土創成のあり方があるのではないかと考えるのである。

 もちろんその為には、大きな国土計画として日本の国土を新たに創成するだけの国家ビジョンが求められてくる。まさに被災地だけでなく日本全体での国土創成計画をしっかりと打ち立てていかなければならないが、今はまさにその時であると思うのである。

 自然の脅威に備えるために、自然の力を活用する。

私たち人間は非常に小さな存在でありながら、責任ある大きな存在であるということを自覚して前に進むことこそ、自然とともに生存し発展してきた日本人の日本人らしいあり方なのではないだろうか。

2.2 自然災害を受けとめる日本人

 私が被災地に足を踏み入れたのは震災から十日ほど経った後であった。報道を通して伝えられる被災地の惨状と、東京で物資をかき集め被災地に行く為の準備をしている緊張感から、実際に足を踏み入れた被災地では声が出せなかった。何と声をかけていいかも、なんという表現をしていいのかも分からない状態だった。

 しかしながら、そこにいる人々は自宅の瓦礫を自力で片付け始め、地域の人たちと情報交換し支え合いながら、もう明日を見ていた。私が声も出せずにいたのは、今という一定点にしか目がいかなかったからであると気づかされた。そして、奇跡的に自分は命が助かったこと、家の骨組みが残り、修繕で対応ができる状態であることなどを「不思議にも」という枕詞で表現している人々に強さを感じた。

 自然は時に人々の命を奪う恐ろしい存在であると同時に、人間を包み込み、機会を与え、力を与えてくれる温かい存在でもあるということを物語っているようであった。

 だからこそ、日本人は幾度も訪れる自然災害を忌み嫌い、人間の力に屈服させるべく戦おうとしてきたのではなく、祈り祀りながら何度でも乗り越えてくることができたのであろう。そしてそれは、二面性を持つ自然の偉大なる力でもあり、日本人が科学的な解釈に毒されることなく、目に見えない人智を超えた偉大な力に対して神秘性を見出し、調和し、活用しながら生成発展していくことを選んできた民族だからなのではないだろうか。

 そして更にいうならば、これが日本人を日本人たらしめたのである。

 日本人の歴史には災害があり、その災害と向き合いながら信仰心をもち、八百万の精神を確立してきた。これは戦いではなく、不変の教科書であり親なのである。そういった尊い自然の教えを受け入れて自然の流れに逆らわず万物を活かし活用していくことで発展を遂げていくことこそ真の発展であり、人間に与えられた使命なのである。

 被災地にいれば、日本人の骨身にはそういった考えが実は潜在的に浸透していることが分かる。そして自然に対して素直に心を向けた時、物事は道理を得て進むべき方向にゆっくりと歩みを進めていくように思うのである。

3.死との終わらない戦い

 今回の震災では、15,799名が亡くなられ、4,053名が未だ行方不明(2011.9.20政府発表時点)である。日本を支えてきて下さったお年寄りから生まれたばかりの赤子まで、多くの尊い命が失われた。震災後、報道から流れる情報には、死者や行方不明者の数が大きく表示され、日に日にその数が増していくことを恐ろしく感じた。その反面、簡単に数字で語られていく尊い命の数に、リアリティを感じなくなっていく感覚も覚えた。

 しかし、誰かにとって最も大事な人の死の積み重ねであるということを思う時、胸が締め付けられる思いになる。

 私は10年前に亡くした祖母のことを思うと、今でも涙が止まらなくなる。私にとって何を差し置いてでも守らなければいけないものが祖母だと教えられてきたし、そう思ってきたからである。桜の季節が来るたびに、死の一週間前に二人で歩いた桜並木を思い出す。そうして、祖母の命を奪った神を恨み、仏を憎んだものである。あの世というものがあるのならば今すぐにでも行って会いたいとも思う。そんな祖母の死がこれだけの数起きたと考えれば気が狂いそうになる。自然への怒りがこみ上げてくる。

 生きとし生けるものは必ず死を迎える。

 当たり前に理解しているこの法則を、時に人は恨み、苦しみ、恐れる。私たち人間は、生きている以上ずっと死と戦い続けていかなければいけないのであろうか。

 ここに葉隠の有名な一節がある。

“武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。”

 このように闘い続けなければいけない相手である「死」に打ち勝つべく向き合っていくことが大事であるとも読むことができる。しかしながら、その後段ではこう続く。

“二つ二つの場にて、早く死ぬ方に方附くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。圖に當たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて圖に當るやうにする事は及ばざる事なり。我人、生くる方が好きなり。たぶん好きの方に理が附くべし、若し圖にはづれて生きたらば腰抜なり。この境危きなり。圖にはづれて死にたらば、犬死氣違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。”

 つまり、死と闘っているのではないのである。圖に當たるか否かと戦っているのである。思う道、信じる道、正義の道に進むためには、自分の一番亡くしたくない命すらその天秤にかけてはいけない。自分の心との戦いなのである。

 同じように、私たちは人の死を自分の力とすることができる。亡くなった方々の分まで精一杯生きたいと思うことは、死と戦った結果ではないはずである。

 死も、恐ろしさの反面に包み込む力を持っている。死は恐ろしい。たとえ御霊は消えずとも、現世に存在しなくなるという現実は耐え難いものである。

 しかしながら、死によって良き所が見出され、愛おしい存在となり、語り継がれて後世では尊敬すべき立派な先達となる。それによって救われ、勇気をもらい、自分の心と戦う力を得る人々がいる。

 人は死んでも死んではいない。神となって万人を救う役割を得る。八百万の精神をもつ日本では、自然と同様に、死さえも活かし活用していくことが日本人らしいあり方なのではないだろうか。

4.日本人の日本人らしい人間観

 私たちは、農耕民族であるがゆえに日本人らしい協調性や温和で優しい心を持っているともいえる。確かに、狩猟民族とは違い、自然と共生することで自然の恵みを得、その生育過程において、食べ物に声をかけ、我が子を育てるように手間暇をかけ、実ったものをいただくからこそ、深い感謝の念を持つことができる。

 しかしながら、農耕民族ゆえの問題もあると指摘する者もいる。農業によって、計画的に食料を確保することができるようになったことで、人口が増え、更に農地を切り開いて食料を確保し、更なる人口増加に対応していく。この発展の過程において、土地や水を巡る争いが起こり、戦乱の世へと進んでいったという見方である。

 また、マンモスの絶滅にも農耕民族が関わったという。安定的な食料が確保されたことで、食の豊かさを求めてマンモスを食すようになる。狩猟民族は縄張りを守り、必要以上の捕食をせぬことで永続的に食料を確保する術を身に付けていたものの、そんな法則と無関係の農耕民族が必要以上に食べ進めたことで結果、絶滅に至るというものである。

 事の真偽も含めて一つの論に過ぎないが、そこから学ぶことが重要である。特に、自然の理法に則ったあり方こそが万物を生存させ、発展させることができるということを再認識させてくれる。足るを知り、自然の流れに調和するように発展していくことが結果として長期的に見た繁栄をもたらすことになる。逆に、豊かさを求めて欲に走り、他への影響を考察することができなくなってしまえば、結果として大きなしっぺ返しを受けることになる。

 私たち人間は、大きな宇宙の中に存在する小さな地球の中の数多ある生命体のひとかけらに過ぎない。そして宇宙の起こりから考えれば人間の進化の歴史などほんの一瞬にすぎない。しかし今、私たち人間はこうして生きている。日々、繁栄と平和と幸福の道を模索している。自然も死も、見えぬ敵ではない。戦う相手ではない。私たち日本人が、歴史の中でなぜこの地でこの環境で今もここに生きているのか。決して戦いに勝ち続けてきたからではない。それはどんな事象も全て受け入れ、自然の偉大さに対して畏怖畏敬の念を抱き続けてきたからではないだろうか。

 私たちは今大きな試練を与えられている。未曾有の災害に加えて、原発の問題、少子高齢化の問題、食糧問題、エネルギーの問題、経済的発展の問題など数え上げればきりがない。

 本当に私たちは、これを誰かの責任として、見えない敵と戦い続けていいのだろうか。これらの問題の根源は全て大きな宇宙の中の、見えない人智を超えた偉大なる力に対して、我々人間がどのような態度で臨んでいくかということにあるのではないだろうか。

 今ある目の前の事象をしっかりと受け止めて、「それでも運がある」、「それもまたよし」と捉えて、大きな流れに素直に向き合って、腰を据えて、何をも天秤にかけずに、お互いの未来のために智慧を出し合っていくことが必要なのではないだろうか。

 私たち日本人は何があってもくじけない。どんな試練にも感謝をすることができる。有り得ないことを、有り難いとして融通無碍に明日の一歩を踏み出していくことこそ、日本人の日本人らしい人間としてのあり方なのではないだろうか。

 一日も早い被災地の本当の復興を願うとともに、私自身、大きな流れの中で真の発展繁栄を成し遂げる真個の日本人のあり方を全うすることをここに誓いたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神・日本と日本人について』PHP研究所 1982年

松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年

松下幸之助『PHPのことば』PHP研究所 1975年

松下幸之助『新国土創成論』PHP研究所 1976年

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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