https://www.konan-wu.ac.jp/~nobutoki/papers/sensuscommunis.html 【共通感覚の文学 「心象スケッチ」の言葉がめざしたこと】より
信時 哲郎
1. 宮沢賢治の共通感覚
福島章氏は賢治を、万物が生命感をもってせまってくるようにみえる躁状態と、いかなるものにも実感が伴わない離人感やメランコリーに苛まれる鬱状態が交互に訪れた周期性性格であると診断したが(『宮沢賢治 芸術と病理』昭45・2)、本稿ではそうした成果を含めて賢治の感覚を精神医学的に分析することから、信仰や文学を考え直してみることにしたい。
離人症とは世界のすべてが生気を欠いて感じられるだけでなく、それを感じているはずの自分の存在までが現実味を欠いてしまう状態である。賢治にとっての離人感は異常な事態としてあったのだが、これについて考えることは、宮沢賢治の全体像を考えるためのヒントを与えてくれる。
福島氏は<ぼんやりと脳もからだもうす白く消え行くことの近くあるらし(一六五)>が離人感を示しているというが、書簡にもその形跡が残っている。
私はしかしこの間、からだが無暗に軽く又ひっそりした様に思ひます。私は春から生物のからだを食ふのをやめました。けれども先日「社会」と「連絡」をとるおまじなゑにまぐろのさしみを数切食べました。又茶碗むしをさじでかきまはしました。
(大7・5・19 保坂嘉内宛書簡)
離人感から逃れるための肉食療法(?)にはかなり真剣なものが窺えるが、これから三年後の家出上京中にも同じことが試みられている。
七月の始め頃から二十五日へかけて一寸肉食をしたのです。それは第一は私の感情があまり冬のやうな工合になってしまって燃えるやうな生理的の衝動なんか感じないやうに思はれたので、こんな事では一人の心をも理解し兼ねると思って断然幾片かの豚の脂、塩鱈の干物などを食べた為にそれをきっかけにして脚が悪くなったのでした。然るに肉食をしたって別段感情が変わるわけでもありません。今はもうすっかり逆戻りをしました。
(大10・8・11 関徳弥宛書簡)
ここで賢治との比較のために典型的な離人症患者の証言を引用しておこう。
自分というものがまるで感じられない。いまここでこうやって話しているのは嘘の自分です。なにをしても自分がしているという感じがない。感情というものがいっさいなくなってしまった。嬉しくもないし悲しくもない。私が苦しいと言っているのは苦しいという感情のことではなく、苦しみそのもののことです。私が苦しいという感じをもっているのではなくて、苦しいということがあるだけ。(略)以前は音楽を聞いたり絵を見たりするのが大好きだったのに、いまはそういうものが美しいということがまるでわからない。音楽を聞いても、いろいろの音が耳の中へはいり込んでくるだけだし、絵を見ていても、いろいろの色や形が眼の中へはいり込んでくるだけ。なんの内容もないし、なんの意味も感じない。(略)奥行きとか高さ近さとかがなくなって、なにもかも一つも重そうな感じがしないし、紙きれを見ても軽そうだと思わない。とにかくなにを見てもそれがちゃんとそこにあるのだということがわからない。色や形が眼にはいってくるだけで、「ある」という感じがちっともしない。
(木村敏『自己・あいだ・時間』昭56・10)
木村敏氏によれば、離人症とは世界がものだけによって構成される状態である。彼らの五官は正常に機能しており、はっきりとものを見、聞き、触れている。しかしものがものとして存在するためには、ものがあるということを超越的に理解する主体の側の働きかけがなくてはならない。
例えば私が音楽を聴いているということは、私と音という実体としての二つのものが並んでいるというふうにしては決して説明できないことである。どこからどこまでが客観的対象としての音であり、また、どこからどこまでが主観的な私であるのかをはっきりさせることはできない。音楽を聴くこととは、主体と客体という合理的な区別のつくほんの寸前の微妙な状態でなりたっている。ものとものとのあいだでなりたっているとも言える。しかし離人症の人は、音楽を聴いてもそれがただの客観的なものが飛び込んでくるとしか捉えることができない。音と自分とのあいだに自然になりたつはずのこと的な関係が、薬物の力でも借りないかぎり成立せず、まるで実感のともなわない<冬のやうな>世界に生きているということになる。先に離人症とは世界がものだけで構成されると書いたが、それはつまり世界のこと性が理解できなくなるということである。
木村氏はアリストテレスのいう共通感覚を援用して、離人症を共通感覚が正常に働かないための病だとする。共通感覚とは<視・聴・触・味・嗅の五つの個別感覚のすべてに共有されていて、これらの個別感覚を統一する、より高次の感覚である。この共通感覚によって、人間はことなった個別感覚領域にある感覚印象、たとえば「白い」ということと「甘い」ということを相当に関係づけ、比較することができる。>つまり音楽を聴いたら色が見えたとか、なにかの匂いから味を感じたとかいう共感覚の現象は、共通感覚から説明することができるようになる。<また共通感覚は、運動、静止、大きさ、数のような、すべての個別感覚によって共通に感覚されるものについての統一的な感覚だともいわれている。(以上『自分ということ』昭58・4)>共通感覚の正常な働きによって、五感に捉えられたものを総合的に、こと的に判断することができるのであるとすれば、離人症は共通感覚不全によるものだということができる。
木村氏の離人症についての見解を賢治にあてはめてみると、その性格の周期性を決定づけていたものが共通感覚であったことが理解できる。
賢治の共感覚は有名で、既に多くの人の言及がある。例えば賢治は音楽を聞くと、すぐに色や景色を思い浮かべたというようなエピソードが知られているが、これはまさしく共感覚である。また作品のうえでも、<それから新鮮なそらの海鼠の匂(真空溶媒)>、<いざよひの月はつめたきくだものの匂ひをはなちあらはれにけり(一九八)>、<こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで(小岩井農場 パート九)>といったものが共感覚を示すものとしてすでに指摘されている。
賢治はアニミズム(汎神論)的、アニマティズム(汎生命論)的に世界を表現していると言われるが、これは対象としてのものがこと的に感じられる体験に裏付けられているということができ、ここに共通感覚の鋭敏な働きを指摘することができる。例えば中学時代から作りはじめられた短歌も、花鳥風詠といったのどかなものではなく、生物・非生物を問わず、作者に迫ってくる対象のなまなましさが主題になっている。
白きそらは一すじごとにわが髪を引くここちにてせまり来りぬ (二六)
鳶いろのひとみのおくになにごとか悪しきをひそめわれを見る牛 (三五)
西ぞらの黄金の一つめうらめしくわれをながめてつとしづむなり (六九)
うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり (七九)
もう少し厳密に言い換えれば、ものとしての対象が迫ってくるのではなく、対象と自分とのあいだを表現しようと努力している形跡がうかがえるのである。また、童話についてもあいだの表現を指摘することができる。
「鹿踊りのはじまり」では、鹿の歌垣を覗き見ているうちに有頂天になってしまった<嘉十はもうまつたくじぶんと鹿とのちがひを忘れて、/「ホウ、やれ、やれい。」と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。>と描かれる。見ている自分と見られている鹿との区別を忘れてしまうのである。これを西田幾多郎にならって<毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態>、<未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している(『善の研究』)>純粋経験であるということもできよう。賢治の共通感覚はどこかで西田の純粋経験に通じているのである。
賢治は<唯物論ニ組シ得ザル理由>として、<人類ノ感官ノミ/ヨク実相ヲ得ルト云ヒ得ズ>というメモを残しているほか、<私達の感官で感じられ、それを記帳できる範囲というものは実にはっきりしていましてねえ、耳であろうが、目であろうがまるでたよりにならないものなんですよ。然し、科学というものは、感官を信じるよりほかないのですし、またそれを信じなければならんのですねえ>と森荘已池氏に語ったという(『宮沢賢治の肖像』昭49・10)。このように賢治が<感官の外>に特別の思い入れを持っていたのは明らかである。それは安易にオカルト的神秘主義に結びつけられがちだが、その前にまず共通感覚の鋭敏な働きを指摘すべきであろう。他人の痛みをわがことのように感じたというエピソードも数多く残っているが、倫理的に考えるよりも、他人と自分とのあいだで生きていたという共通感覚の働きをこそ、ここに見るべきかもしれない。
2. 共通感覚と賢治の信仰・言葉
賢治は熱心な浄土真宗門徒である父親にそむいてまで、法華経の信仰を貫き通そうとしたが、なぜ法華経でなくてはならなかったのだろうか。むろん簡単に結論の出せるような問題ではないが、大きく関わっていたのは賢治の共通感覚的体質との相性の良さだろう。
法華経では宇宙を唯一の大生命体であると考える。したがって歴史上のブッダという人物もこの本当の生命体の一つの現れ、現象にしかすぎないことになる。『春と修羅』の序に<わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です>とあるように、この私でさえも移ろいやすい一つの現象であり、ただ五官の働きによる感覚でそう仮定されているにすぎないとされる。しかしその電燈は<いかにもたしかにともりつづける>のであるから、やはり大生命体の一部ではあるのだ。
法華経は私を無化せしめるペシミスティックな教えでは決してない。むしろ現象である私を宇宙的大生命体の一部だとして積極的に肯定する教えである。現象としてのさまざまなものを成立させていることを礼賛する教えなのである。つまり法華経はきわめて共通感覚的な宗教であるということができる。
賢治は自分の文学について理論的なものを残していないが、「法華文学」というべきものを志向していたらしいことが、手帳に残されたメモや、身内の証言によって確認することができる。また、次のような文面から、法華文学が宇宙的な大生命体の生そのものを描こうとしていたことがわかる。
たゞひとつどうしても棄てられない問題はたとへば宇宙意志といふやうなものがあつてあらゆる生物をほんたうの幸福に齎したいと考へてゐるものかそれとも世界が偶然盲目的なものかといふ所謂信仰と科学とのいづれによつて行くべきかといふ場合私はどうしても前者だといふのです。すなはち宇宙には実に多くの意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめやうとしてゐるといふまあ中学生の考へるやうな点です。ところがそれをどう表現しそれにどう動いて行つたらいゝかはまだ私にはわかりません。
(昭4 高瀬露宛書簡下書き)
宇宙意志の生を表現する言葉というのは、いかにそれが洗練されていたとしても現象としてのものにすぎない。しかし賢治はそのことにも意識的で<それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが/それらも畢竟こゝろのひとつの風物です>と言ったり、<正しくうつされた筈のこれらのことばが/わづかその一点にも均しい明暗のうちに/(あるいは修羅の十億年)/すでにはやくもその組立や質を変じ/しかもわたくしも印刷者も/それを変らないとして感ずることは/傾向としてはあり得ます(以上、『春と修羅』序)>と言ったりしている。つまり書簡下書きで書いたようなことをもので表現するということの限界があらかじめわかっていながら、法華文学の表現に苦心していたのである。
<ことばはそれ自体一種のものでありながら、その中に生き生きとしたことを住まわせている。そこではものとこととのあいだに一種の共生関係があるといってよい。この共生関係を最大限に利用しているのが「詩」と呼ばれる言語芸術だろう。詩がふつうの文章と本質的に違っている点は、詩がことばというものを用い、しかも多くの場合さまざまなものについて語りながら、ものについての情報の伝達を目的とはせず、ことの世界を鮮明に表現しようとしている点である。(『時間と自己』昭57・11)>木村敏氏はこう言うが、これはまさに賢治のためにあるような詩論ではなかろうか。
賢治は<「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません(大14・2・9 森佐一宛書簡)>として、それが心象スケッチというべきものであると主張しているが、詩とはどこがどうちがうのかについては明らかにしていない。おそらく当時の賢治には、詩というものが言葉の順序をいれかえたり、絢爛豪華な修飾を施したりする技術だというふうにうつっていたのであろう。彼はそうした詩の価値を否定しなかったにしても、それは言葉というものを扱う技術であって、自分のすべき仕事だとは思わなかったのであろう。そうだとするとほんとうのことを表現する「詩」は、文学よりもむしろ心理学に近いものとして考えられ、そこで心象スケッチという言葉が使われることになったのだと考えることができる。
筆者はかつて、賢治は父の政次郎や友人の保坂嘉内を法華経に入信させることができなかったことから、伝達の道具としての言葉に幻滅し、最高の伝達方法としてテレパシーを夢想したことがあったのではないかと書いた。「銀河鉄道の夜」の中でテレパシー実験のシーンが描かれたのもそのためで、この<何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事>が<正統な勉強の許されない>ままであったことから、<機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチ(以上、大14・2・9 森佐一宛書簡)>を始めたのではないかとして、心象スケッチを超言葉ともいうべきものの創設の試みであると解釈した(「宮沢賢治の言葉」『上智近代文学研究6』昭63・3)。
超言葉を本当の「意味(記号内容)」を伝達するための「形式(記号表現)」であるかのように書いていたのは誤解を招くかもしれない。形式のないところに意味だけがあるというのは、ものがなくてもことがあるということで、それではまるで幻覚の世界である。しかし詩人には、伝えたいと思うほんとうのことがつねにいかなるものにも先行して感じられるのである。そのことについてはどんな科学も近寄れないし、どんな言葉も語ることができない。だからこそもののかなたのほんとうの世界を描こうとするほんとうの「詩」が、つまり完全な言葉が求められることになるのである。
古沢由子氏は、<わが索むるはまことのことば/雨の中なる真言なり(早春)>という詩句や、<まことのことばはここになく、修羅の涙は土に降る(春と修羅)>という詩句を引いて、賢治が宇宙全体とコミュニケーションする完璧な言葉としての真言を考えていたのではないかとしている(「シンポジウム 宮沢賢治の理想を探る」『賢治研究 54』平3・2)。真言というのは言葉というもの自体が、宇宙意志であるようなものである。いや、ものであるよりもことだと言った方がよいだろう。真言という考え方は『春と修羅』の序にあった現象としての言葉という考え方とは矛盾するのだが、そうした目的を夢みることなくして心象スケッチを試みたとする方がむしろ不自然だろう。
3. 共通感覚文学宣言
いままでの考察をまとめてみると、おおざっぱながら次の表のようになる。
(略)
この表の右と左は単純な二元的な対立をしているわけではない。ものとことがどちらか一方だけでは成り立たないように、五感/共通感覚も、現象/本体も、どちらか一方だけを想定することはできない。
卑怯/純真についても同じことが指摘できる。「よだかの星」のよだかは、名前を改めることを拒否したが、そこに<卑怯な成人>の世界への参入を拒んで、純真なままで生きていこうという意志を読み取ることができる。しかし純真であろうという決意ほど、純真な存在にとって縁遠いことはない(拙論「『よだかの星』論」『上智大学国文学論集 23』平2・1)。つまり「よだかの星」にも、どちらか一方だけを偏重することによってパラドックスに陥ることが描かれているのである。
しかし忘れてならないのは、賢治が明らかにことの側に肩入れしていることである。彼は五感の識認できるものだけが価値をもつ社会に反発し、共通感覚を武器にほんとうのことの復権を訴えようとしていたのである。賢治はものとこととが正しい関係にある状態を理想としたのである。
宮沢賢治の文学は、ものの世界の奥にあることの世界を表現しようとした法華文学であり、それは共通感覚文学と言い換えることもできるが、最も雄弁にその理論を展開していると思われるのは、童話集の『注文の多い料理店』の序文である。以下、順を追って見ていくが、それは右表の説明にもなるだろう。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗のきものにかはつてゐるのをたびたび見ました。
わたくしはさういふきれいなたべものやきものをすきです。
氷砂糖もひどいぼろぼろのきものも、現象としてのものを表しており、当然ながらそんなものに賢治はいっこうに関心がない。風も日光もものだし、びろうども羅紗も宝石も結局ものではないかという批判のしようもあるが、ほんとうのことは、いつも比喩的にしか語れないのだ。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニはキリスト教徒らしい青年に向かって<たったひとりのほんたうのほんたうの神さま>と最大限の形容をしてほんとうのことの伝達に努めるのだが結局それは成功しなかった。ここでは言葉というものの限界が剥き出しにされており、同時に法華文学の限界を見ることにもなる。ほんたうのという言葉は、ものの世界を一気に超越してことの世界に至るための鍵として使われている。同じように「きれいな」「うつくしい」「すばらしい」といった言葉も、ただの形容とばかりは捉えられない。拙劣な表現だといえばそれまでだが、これはことの表現者である詩人が、ぎりぎりのところで言葉の壁につきあたっているのであって、賢治はここで命がけの比喩をしていると考えるべきである。
「黄いろのトマト」という童話では、二人の兄妹が自分たちの育てたトマトを、その美しさの故に黄金であると信じる。二人はサーカス小屋に入るためにトマトを差し出すが、<ばかにしやがるな>と番人に怒鳴られる。世の中では、黄金だと思うことが、黄金というものに対して何の価値も持っていない。この話が<かなしい>とされる所以である。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです。
ほんたうに、かしはばやしの青い夕方をひとりで通りかかつたり、十一月の山の風のなかに、ふるへながら立つたりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんたうにもう、どうしてもこんなことがあるやうでしかたないといふことを、わたくしはそのとほり書いたまでです。
本体を描くべき言葉が心象スケッチであり、それが法華文学なはずであったが、『春と修羅』にも『注文の多い料理店』にも露骨な宗教臭さは感じられない。それはもの化されつくした宗教的説話をいくら繰り返しても、ほとんど効きめがないことに賢治が気付いていたからであろう。「心象」をスケッチすることがどうして宗教的なのかについて、さまざまな論議があるが、共通感覚の立場から考えてみるとこういうことになる。
五官の機能を最大限に活用してスケッチしたところで、それはカメラや録音機器がとらえたような景色にすぎない。そんなふうにして風とか山とかいうものの描写をしたところでどうにもならない。本当の世界のあり方を描こうとすれば、風や山があるということを描く必要があり、そのためには私の主体的な作用を待たなければならない。だから心象をスケッチするということは、ものをことにしている共通感覚の作用の現場を描くということで、そうして初めて仏教的説話を直接の内容としないでもこと的な文学、つまり法華文学が成立することになるのである。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしにはそのみわけがよくつきません。なんのことだかわけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
『注文の多い料理店』の広告文には<どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。>とあるが、これはものの彼方にある宇宙意志が万人に共通であるという信念に裏付けられている。その信念は作者(報告者と言った方が正確だが)賢治に、最大限の注意力をもって宇宙意志の声を聴くことを要請するのであるが、そのためには目に見えるものにしか価値を置かない<卑怯な成人>の心ではなく<純真な心意(広告文)>、つまり共通感覚が必要なのである。
西田幾多郎は<形なきものの形を見、声なきものの声を聞く(『働くものから見るものへ』序文)>感性に東洋文化の根底を見ており、木村敏氏はこれを共通感覚的感受性と呼んでいる(『時間と自己』)。賢治は生まれてきたものが何であるかより、形なき形や声なき声を感じることに全神経を集中させたわけであり、それは共通感覚文学者として当然のことだったのだろう。
けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることをどんなにねがふかわかりません。
作者が純真な心意を以て<形なきものの形を見、声なき声を聞く>ことは当然だが、ここでは読者にもまた純真な感覚が求められている。このものがたりが<すきとほつたほんたうのたべもの>として読者に享受されたいというのは、読みものとして理解されるよりも、読みこととして、言葉のむこうにあることの世界を感じ取ってもらいたいということであるからだ。賢治の作品からメッセージをひきだすのではなく、作品が即メッセージであると捉えるべきなのだ。心象スケッチは言葉という道具を使ってなにかが描かれているのではなくて、かぎりなくことに近い真言なのである。印刷されている言葉自体が宇宙意志なのである。
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