https://ihatov.cc/blog/archives/2024/02/post_1099.htm【心の深部に於て万人の共通】より
1924年に賢治の童話集『注文の多い料理店』が刊行されるにあたっては、その販売のために何種類かの「広告ちらし」や「広告葉書」が作成されました。その中でも「広告ちらし(大)」と呼ばれる大型版は、「イーハトヴは一つの地名である」から始まる有名なもので、執筆者は明示されてはいませんが、賢治が書いたとしか思えない独特の文章で綴られ、『新校本全集』にも「恐らくは賢治自身の文案によると考えられる」と記されています。
『注文の多い料理店』広告ちらし(大)の一部(『新校本宮澤賢治全集』第12巻口絵より)
上の左半分では、収録童話の「特色」として、賢治自身が次のような四点を挙げています。作者の並々ならぬ「自負」も感じさせる文章です。
[一] これは正しいものゝ種子を有し、その美しい発芽を待つものである。而も決して既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を色あせた仮面によつて純真な心意の所有者たちに欺き与へんとするものではない。
[二] これらは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しやうとはする。けれどもそれは全く、作者に未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展であつて決して畸形に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。
[三] これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分析とはあつても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。
[四] これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつやゝかな果実や、青い蔬菜と一緒にこれらの心象スケツチを世間に提供するものである。
この文章には、数か月前に刊行された詩集『春と修羅』の「序」と共通する要素が多く、[四]にあるように個々の作品を「心象スケッチ」と呼んでいることもそうですし、[三]の「たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである」という表現は、『春と修羅』「序」の「たゞたしかに記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのこのけしきで」という箇所に似ています。
そして特に私が興味を惹かれるのは、[三]の「たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である」という箇所です。
賢治がここで主張しているのは、「人間の心の内にある現象は、その深部においては、全ての人に共通している」ということになるでしょう。特に何の説明もなく、「故にそれは……」などと論を進めているところを見ると、賢治にとってこの主張の背景には、根拠とする何らかの理論があったのではないかと思います。
その根拠とは何だったのかと考えてみると、まず第一に思い浮かぶのは、C.G.ユングが提唱した「集合的無意識」の理論です。
※
精神分析の祖であるフロイトは、無意識の中にはその人の本能的な衝動や、個人的に抑圧した種々の欲動などが含まれていると考え、無意識の内容物はあくまで一個人ごとに別々のものと想定していました。
これに対してユングは、古今東西の人々が見る夢の内容や、世界各地に分布する神話や民話には、特定の共通したパターンが認められることから、個人的無意識のさらに深奧には、全ての人間に共通した層があると考え、これを「集合的無意識」と名づけたのです。
ユングが考えた「意識」からその深部の「無意識」に至る構造は、後世の人によってしばしば下のように図示されます。
これは、A、B、Cという3人の人間の、「心の断面図」とお考え下さい。
一番上の「意識」は、海面上に浮かんだ3つの「島」のように、3人それぞれが独立しています。お互いに異なる人間なのですから、意識が別々なのは当然です。
海面の下には、まず3人それぞれの「個人的無意識」があります。この部分も、それぞれ独自の経験によって形成されたものですから、やはり別々になっています。
そこからさらに下に行くと、海底にあたる土台の部分において、3人の無意識はつながっており、これが「集合的無意識」です。ユングは、人間の心の奥には、人類全体の長年の進化の歴史に根ざした、共通の層があると考えたのです。
人間の心というものが、上図のような構造をしていて、全ての人の心が深奥で互いにつながっているのだとすれば、冒頭の広告ちらしの「心の深部に於て万人の共通である」という記述は、すんなりと納得できます。誰であれ、一人の人間の心の奥深くへと潜っていくと、「万人の共通」の層に到達するのです。
しかしここで疑問となるのは、はたして賢治は、このようなユングの「集合的無意識」の理論を知っていたのか、ということです。
実際のところ、賢治はフロイトの理論についてはある程度の知識を持っていたようですが、ユングについては、残されたどの草稿にも、伝記的な情報の中にも、関連した記述は見当たりません。賢治が、ユングという人やその理論について知っていた証拠は何も残っていないのですが、「知っていた証拠がない」というだけでは「知らなかった」と断定はできませんので、念のためにもう少し検討しておきます。
ユングが「集合的無意識」という用語を最初に用いたのは、1916年に書いた「無意識の構造」という論文においてだということですが、この論文はユング研究者からも長らく忘れ去られ、死後に再発見されたものです。また、集合的無意識の主な内容である「元型(archetype)」という用語をユングが最初に用いたのは、1919年の「本能と無意識」という論文だったということで、だいたいこの1910年代後半あたりが、集合的無意識という概念の初出時期だったようです。
したがって理屈の上では、賢治が1924年以前にこれらのユングの原著を自分で取り寄せて読んでいたら、その集合的無意識の理論を「広告ちらし」に援用することも、可能だったわけです。しかし、当時まだ日本ではあまり知られていなかったユングという新進の学者の本や論文を、賢治がわざわざ原書で注文していた可能性は、非常に低いと考えざるをえません。
一方、日本において「集合的無意識」というユングの概念の訳語が登場した時期を調べてみると、「国会図書館デジタルコレクション」で(「集合無意識」「集団無意識」も含めて)検索した結果では、最初の用例は1924年刊行の厨川白村著『苦悶の象徴』で、二番目の用例は1928年でした。
1924年刊の『苦悶の象徴』における用例は、次のようなものです。
思想や文學の方の傳続主義はこの心理から研究することが出來よう。ユング教授の所謂「集合的無意識」the Collective Unconscious、またスタンレ・ホオル教授の「民族心」Folk-soulと稱するもの皆これだ。
(厨川白村『苦悶の象徴』p.38)
「集合的無意識」という言葉が登場するのは上の一箇所のみで、ここではその意味内容については説明されておらず、これを読んだだけでは、その理論を知ることはできません。すなわち、賢治が『注文の多い料理店』広告ちらしを書いた1924年という時期において、日本語の書物によってユングの「集合的無意識」という概念を具体的に知ることも、無理だったということになります。
※
それでは、賢治が「この通りその時心象の中に現はれたもの」は、「必ず心の深部に於て万人の共通である」と、まるで当然のことのように書いたのは、いったいどのような理論を根拠としていたのでしょうか。
これについて私は、若き日の賢治がほぼ同時に出会っていた二つの宗教思想書、すなわち『大乗起信論』とエマーソンの論文集が、その根拠となっていたのではないかと考えます。1911年8月、盛岡中学3年の賢治は大沢温泉で行われた仏教講習会で、島地大等の『大乗起信論』の講話を聴きました。そしてその休みが明けた2学期には、「エマーソンの哲学書を読んでいた」と、寮で同室の藤原文三が語っています。(いずれも『新校本全集』年譜篇pp.70-72)
二つの本に記された宗教的世界観は、賢治の中でつながり合っていたのではないかと、私は思うのです。
まず『大乗起信論』は、この世界の全ては「真如」であり、それは実は「衆生心」である、という命題から出発します。
これだけではあまりに抽象的ですので、井筒俊彦氏が『意識の形而上学──『大乗起信論』の哲学』において、この「衆生心」という独特の概念について説明しておられるところを見てみましょう。
その〔引用者注:『大乗起信論』における「意識=心しん」の〕重要な一点とは、この意味での「意識」の超個性的性格、つまり、それが我々個々人の個別的な心理機構ではなくて、超個人的・形而上学的意識一般、プロティノス的流出論体系の「ヌース」に比すべき純粋叡智的覚体であるということである。宇宙的意識とか宇宙的覚体などというと、やたらに大袈裟で古くさくてそんな無限大の超個的意識の実在性など現代人には信じられないかもしれないが、その場合は、現代のユング心理学の語る集団無意識(Collective Unconscious)という意識(!)の「超個」性を考え合わせれば理解しやすいであろう。集団無意識とは、要するに、集団的アラヤ識の深層における無数の言語的文節単位の、無数の意味カルマの堆積の超個的聯合体である。このユング的集団無意識に見られるように、超個人的共同意識、または共通意識を想定して、それの主体を汎時空的規模に拡大し、全人類(=「一切衆生」)にまで拡げて考えてみる。つまり、「一切衆生」包摂的な意識フィールドの無限大の拡がりを考えるのだ。
このような超個的、全一的、全包容的、な意識フィールドの拡がりをこそ、『起信論』は術語的に「衆生心」と呼ぶ。またこういう意味で、「意識(=「心」)は「存在」と完全に相覆うのである。
(『意識の形而上学』pp.60-61)
ご覧のように、ここにユングの集合的無意識が登場しています。
井筒氏の述べるように、『大乗起信論』の世界観においては、「心しん」というのは一人一人別個にあるのではなくて、その本性は個を超えて、「衆生心」というただ一つの大きな海のような状態にあるのです。しかし私たち凡夫は迷妄にとらわれているために、各自にはそれぞれ「我」というものがあるのだと思い込み、一人一人がまるで小さな洗面器に汲んだ水のようにして、個別の「心」を持っていると、考えてしまっているのです。
このような「誤った見解=邪執」を離れることができれば、人は悟りに近づけるというのが、『大乗起信論』の教えです。
「誤った見解の克服(対治邪執)」とは、あらゆる誤った見解(邪執)はすべて、〈ものの実体視〉(我見)にもとづいている。したがって、ものの実体視さえ除去できれば、誤った見解はなくなる道理である。この〈ものの実体視〉には二種ある。どんな二種か。一つは〈個人存在の実体視〉(人我見にんがけん)、他は〈客観存在の実体視〉(法我見)である。
(岩波文庫版『大乗起信論』pp.244-245)
もしも人間が邪執を去って、個人存在を実体と見てしまう「人我見にんがけん」から離れることができれば、全ての衆生の「心しん」が実は一体であるという、真実に近づくことができるというわけで、言わば「心の深部に於て万人の共通である」ということになります。
すなわち、『注文の多い料理店』広告ちらしの考えと、『大乗起信論』の世界観は、同型なのです。
また、これと非常によく似た世界観を、19世紀アメリカの思想家ラルフ・ウォルド・エマーソンにも見ることができます。
賢治が中学校時代に読んだエマーソンが、どのような版だったのかはわかりませんが、1932年に教え子の照井謹二郎に、蔵書の中から戸川秋骨訳『エマーソン論文集』上巻(第5版)を贈呈したという記録が残っていることから、少なくとも賢治が戸川秋骨の翻訳版を読んでいたことは、確かです。
その冒頭に置かれた「歴史論」は、次のように始まります。
あらゆる個人を通して一貫せる一個の心あり。各個人はみな此の心とその全局に到るの溝渠たるなり。されば人若し一たび理性を用ふるの権を享有せんか、その人はかの心の全領土に於ける自由の民とせられたるなり、その人はプレトオの思索せる処を思索し得べく、古聖の感じたる処を感じ得べく、時の如何を問はず、人の如何を論ぜず、苟も人間の上に起りし事はこれを了解し得るなり。この普遍共通の心の内に入るを得たるものは、既に今日に至る迄に遂げられ、また今後に於て遂げらるべき事物を知悉せるものなり、何となれば此の普遍共通の心は唯一最高の権能を有するものなれば也。
(戸川秋骨訳『エマーソン論文集』上巻pp.1-2)
冒頭に登場する「あらゆる個人を通して一貫せる一個の心」のことを、エマーソンは「大霊(Over-Soul)」と呼び、各個人の心は、その「大霊」につながっている「溝渠」(水の流れる溝)だというのです。
つまりエマーソンの「大霊」も、『大乗起信論』の「衆生心」と同じく、古今東西の全ての人々の心が水路を通して流れこむ統一体であり、井筒俊彦氏が言うところの「超個的意識」なのです。まさにユングの「集合的無意識」のように、「心の深部に於て万人の共通である」という構造になっています。
キリスト教の牧師もしていたエマーソンと、『大乗起信論』との類似は不思議にも思われますが、エマーソンはインド哲学に強い関心を寄せ、『ヴェーダ』から大きな影響を受けたということですので、仏教ともどこか通じ合っているのでしょう。
またエマーソンは、上掲書の「大霊論」では、大霊と自然との関係について、次のように述べています。
過去并に現在に対する最高の批判者并に必然なるものゝ唯一の働となれるものはかの大自然にして、地の大気の柔き腕の内に横はるが如く、吾人はこの自然の内に休息するなり、この大自然はかの統一若くは大霊にして、その内に人々個々の存在は抱有せられ、個々の人は甲乙共に合一するなり、そは又共通の心情にして其内にありて為す処の誠実なる対話は即ち礼拝となり、正常なる行為は服従となる、更にそは又全局を蔽ふ力ある現実にして、この力ある現実は吾人の小智小才を打破し、人をしてその有るが儘の姿を以て顕れ、吾人の語るにも只舌を以てせず、全人格を以てせしめ、更にたえず吾人の思想と双手の中とに入り来りて、吾人の智識と美徳と、力と美とにならんとするものなり。〔中略〕
吾人は世界を見るに個々の一片を以てす、例へば太陽、月、動物、樹木といふが如し、雖然これ等がみなその輝ける一部を成せるその全体なるものは心霊なり。
(戸川秋骨訳『エマーソン論文集』上巻pp.449-450)
ここでエマーソンは、大自然そのものが大霊であるという、汎心論的な世界観を述べています。
これは、賢治が上の「広告ちらし」[三]において、「たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである」と述べながら、同時に[四]においては「これは田園の新鮮な産物である。われらは田園の風と光の中からつやゝかな果実や、青い蔬菜と一緒にこれらの心象スケツチを世間に提供する」と述べていることに、対応しています。
すなわち、広告ちらしでは、これらの作品は「心」に由来するという表現と、「自然」に由来するという表現が入り交じっているのですが、エマーソンによれば「心霊=自然」なのですから、結局これらは同じことになるのです。
以上のように、賢治が1911年の夏から秋という時期に相次いで親しんだ『大乗起信論』とエマーソンは、どちらも私たち一人一人の「心」というものは、本当はつながり合った一つの偉大なまとまりであり、それが森羅万象を成り立たしめているのだということを、述べているわけです。
このような考えが、『注文の覆い料理店』広告ちらしの背景にはあったのではないかと、私は思うのです。
※
ところで最初の方で触れたように、この広告ちらしの思想は、『春と修羅』の「序」ともつながっていると思われますので、上記のような「超個的意識」の視点から、あらためて「序」を見てみることもできます。
序
わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
この冒頭部の「ひとつの青い照明」とは、「わたくし」という一人の人間の心を指しているのだと、私はこれまで理解していたのですが、本日の趣旨に沿えば、『大乗起信論』の「衆生心」やエマーソンの「大霊」のように、ただ「ひとつ」の「超個的意識」を指していると考えることもできるでしょう。
そうすれば、「あらゆる透明な幽霊の複合体」という箇所の意味も、別の意味で明確になります。ふだん私たちが「自我」と呼んでいるところの、個人的な心が「透明な幽霊」であり、その「複合体」が、「衆生心」や「大霊」だということになります。仏教的には「我」というのは実体がないので、賢治は「幽霊」と表現したのかもしれません。
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは 記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから)
「ある程度まではみんなに共通いたします」という結果になる理由は、広告ちらしにあったように、「心の深部に於て万人の共通」だからです。人間の心は深部でつながり合って一体なのですが、表層的な部分は各人別々なので、全てが完全に一致するわけではなく、「ある程度まで」です。
「すべてがわたくしの中のみんなである」というのは、世界の全ては(私の)心の現象であるという、唯心論的な世界観の表明でしょう。
「みんなのおのおののなかのすべてです」というのは、その世界の全ては、私以外の衆生にとっても、同じように心の現象であるということです。
私にとっての世界と、他のみんなにとっての世界が、「ある程度まではみんなに共通」である理由は、突きつめれば上述のように、私の心も他のみんなの心も、「衆生心」「大霊」という唯一つのものの一部だから、ということになるのでしょう。
『注文の多い料理店』もまた「心象スケッチ」であるということからすると、『春と修羅』の「序」も一緒に超個的意識のもとに包摂して、このように解釈するべきなのかもしれません。
https://www.shiikabun.jp/exhibition/detail/1337.html 【賢治に献ずる詩歌】より
タイトル宮沢賢治没後90年/『春と修羅』刊行100年
賢治に献ずる詩歌会期2023年3月14日(火)~2024年3月10日(日)
9:00~17:00場所2階 展示室入場料無料主催日本現代詩歌文学館図録1,100円(図録の購入はこちら)
展示テーマ
宮沢賢治は、故郷岩手の空と大地に深く交わり、37年の生涯において、詩や童話をはじめとする多彩な文学作品を残しました。科学・宗教・芸術の広い見識に基づく専門用語、生き生きとした方言や自在なオノマトペ。豊かで新鮮な賢治のことばは、いまなお多くの人を惹きつけています。2023 年は賢治の没後90年にあたり、翌24 年には生前唯一の詩集『春と修羅』の刊行から100 年という大きな節目を迎えます。
その詩集を賢治は自ら「心象スケッチ」と称し、己の裡に抱えた修羅や愛しい妹の死をも書き留め、心に映る一瞬のなかに、永遠を見出そうとしました。「(すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの)/ここまでたもちつゞけられた/かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりの心象スケツチです」(序)― 「わたくし」という個人の心象は、「みんなが同時に感ずるもの」でもあると、賢治は言います。この「みんな」は、賢治が山野を歩き、あるいは汽車で運ばれるうちに交感した風や雲、鳥や馬や人間たちの総体であり、絶えず変化する世界そのものなのかもしれません。
時間と空間を超え、明滅しつづける賢治のことばは、現代を生きる詩歌人たちにどのように受けとめられるのでしょうか。賢治作品の機軸であり、あらたな詩のことばを切り拓いた「心象スケッチ」への多様な応答をとおして、今ここに浮かびあがる賢治の姿を共有し、その先にある100 年を展望するべく、「賢治に献ずる詩歌」展を開催します。
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