https://www.youtube.com/watch?v=9SEs0sv5SJY
Facebook新田 修功さん投稿記事 ビートジェネレーションって知ってる⁉️🤔💦
ビートという言葉、ご存知ですか❓若い人たちは、聞いた事がないかも知れませんね。
ビートたけしの事ではありませんよ。でも、たけしさんのビートは、ビートニクからとったという話を聞いた事があります。
1955年10月7日 サンフランシスコの「シックスギャラリー」での、ポエトリー・リーディングからすべては始まりました。私が生まれた年の事です。
中心人物は、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダー、ニール・キャサディーなどです。一番、有名なのは、ジャック・ケルアックだと思います。
「路上」の作者ですから。この人たちが、次の世代、フラワーチルドレンの生みの親であり、ロック世代を生み出す原点でもあったのです。
詩人のアレン・ギンズバーグと、ボブ・ディランが、ケルアックのお墓参りをした話は有名です。今日は私が一番大好きな、詩人、ゲイリー・スナイダーの、言霊が宿るメッセージをご紹介しましょう。1974年に、ノース・ダコタ大学で行われた、インタビューでの発言です。
アレンやぼくや、他の仲間達が、なんらの幻想も混えず、絶対的確信をこめて、しかも大きなプライドをもって言えることはなにか、っていうと、それはぼくたちは世界を、おそらく百万分の一インチだけ動かせたってことだろうな
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どうですか、かっこいいでしょう。百万分の一インチというところが、凄いですね。
たったのそれくらいかも知れないけれど、確かに世界を変える事が出来たという、自身の現れですね。いつの時代も、若者の力は偉大です❗️世界を百万分の一インチ動かした、ビートジェネレーションとは、いったいどんなものだったのでしょう
アレン・ギンズバーグたちが1995年にサンフランシスコで開いた、ポエトリー・リーディングの会が、熱狂的に支持されて、サンフランシスコの詩のルネサンスの引き金となりました。
それが、後にビート・ジェネレーションとして知られるようになった訳です。
「その夜以来、サンフランシスコでは毎週のように誰かのアパートや酒場、あるいはギャラリーで詩の朗読会が開かれるようになった。
私たちはついに壁を破り、新しい表現の自由をはばんできた、大学の支配を打破したことを感じたのであった。
さらに、世界中の多くの知識人の想像力を枯渇させた共産主義と資本主義の、退屈で不毛な論争を超越したことも感じた。
また想像力は信頼できるものであり、
束縛されない精神から流れ出るものが詩であるということだった」
ゲイリー・スナイダーの著書、「惑星の未来を想像する者たちへ」より
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当時、ジャック・ケルアックはジーンズにノート一冊だけを持ち、放浪生活をしていました。
そして、1957年に出版された彼の小説「路上」により、ビートという言葉は一夜にしてアメリカ中に知れ渡ったのです。ビートの流れは、ロック世代へと受け継がれ、ヒッピー文化などのカウンターカルチャーへと発展していきます。
ラブ&ピース✌️を合言葉に、フラワーチルドレンと呼ばれる若者たちが、各地でコミュニティを形成したり、ネイティブ・アメリカンのリザベーションを訪れて、彼らの文化を吸収したりしていました☮️残念ながら、行き過ぎたフリーセックスや、ドラッグの使用などで大人たちの反感が昂まり、徐々に自然消滅していったのです😭
愛と平和をスローガンにした、フラワーチルドレンたちのことを歌った反戦歌「花はどこへ行った」という歌が大ヒットしました。日本でも忌野清志郎さんなどがカバーしています。
花はどこへ行ったの?
遠い昔の物語 花はみんな少女たちが摘んで行ったの? 少女たちはどこへ行ったの?
みんな恋して男の子たちの元へ行ってしまったの? 男の子たちはどこへ行ったの?
みんな兵隊に取られて戦場へ 遠い昔の物語 兵隊たちはどこへ行ったの?
みんな戦死してお墓の中へ お墓はどこへ行ったの? 朽ち果てたその後に花が咲いていた
……、簡単に要約するとこんな歌詞です。今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
https://sengohaiku.blogspot.com/2020/02/british-haiku-005.html 【英国Haiku便り(5) 小野裕三】より
俳人ジャック・ケルアック
英語で書かれた俳句にずっと関心はあったものの、あまり心に響いたものはこれまでなかった。そんな中で、米国の作家ジャック・ケルアックが『Book of Haikus』なる句集を書いていることを知lり、取り寄せてみた。そしてその素晴らしさに驚いた。
ケルアックと言えば、小説『路上にて』で名高い、いわゆる「ビート・ジェネレーション」の小説家・詩人だが、まさか句集を出していたとは知らなかった。そして日本語以外の言語でここまで優れた俳句が書かれうることを実感して、嬉しくもなった。試しに、いくつかの句を僕の翻訳で引用してみる。
列車のトンネルが暗すぎて書けない「男どもは無知だ」と
鳥たちは北に向かい栗鼠たちはどこに? ほらボストン行きの飛行機が飛ぶ
湿っぽくてマッチも擦れないまるで水槽に住んでるみたい
一千マイルもヒッチハイクして君にワインを運んだよ
俳句作品だけでなく、感心したのは彼の俳句観だ。正直に言うと僕は、英語のHaikuが五七五に縛られることにはほとんど意味がない、とずっと思っていた。そもそもの単位となる、日本語の「一音」と英語の「一音節」は似て非なるものだ。また、日本語の持つ肉体風景に五七五が与える郷愁めいた余韻を、英語という言語はおそらく共有していない。
ケルアックも同様に考えたようだ。つまり、西洋の言語はそもそも日本語の音韻構造とは馴染まず、したがってそこには日本の俳句とは違う形の「西洋流俳句(Western Haiku)」があるべきだとする。それは定型には縛られず、ただ単に短い三節で構成される「シンプルで自由な詩」というわけだ。別の本で彼が語る「直接に、純粋に、抽象も説明もなく、物事を掴み出す」俳句の本質こそが形よりもむしろ大切、と考えたのだろう。
彼は、生涯を通じて熱心に俳句を作ったようで、「(詩や小説よりも)俳句が一番作り直したり手を入れたりしたんだ」とも語っているらしい。さらに興味深いのは、日本の俳人にも時に見られるように、俳句の伝統に対する愛着と反発が彼の生涯の中で何度も揺れ動いたようなのだ。そんな中で、「俳句をポップと呼ぼうと決心した」との発言も残るが、それはあたかも俳句革新への意志表明とも見える。
ともあれ、生半可な日本の俳人よりよっぼど誠実かつ冒険的に俳句に向き合い続けた彼にとって、俳句は単なる異国趣味の余技などではなく、もっと本質的な何かだったはずだ。今後、僕が「目標とする俳人は?」と訊ねられたら、「ジャック・ケルアックです」と答えてみるのもいいかもと思った。それほどに、この俳人のひたむきな生き方は素敵だ。
(『海原』2019年5月号より転載)
https://ameblo.jp/colorflower-2021/entry-12770465954.html 【文学の力 バップジャズにあわせて感じる文学! ビートジェネレーション!ジャック・ケルアック】より
おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ今日10月21日は世界中で若者らの生き方に影響を与えたアメリカの作家ビートジェネレーションの中心的人物のジャック・ケルアックの誕生日だそうです。昨日のランボーも、ケルアックも放浪詩人という共通点があるのが面白いのですが、ジャック・ケルアックが行ったビートジェネレーション(ビートニク)は1960年代のカウンターカルチャーに大きな影響を与えました。
若き日のボブ・ディラン、ジム・モリスン、ジョン・レノン、ブルース・スプリングスティーンや二―ル・ヤングが夢中になって「オン・ザ・ロード」を読みデニスホッパージム・ジャームッシュ ヴィム・ヴェンダースも読み耽ったというつまり現代の名盤といわれるロックや、ロードムービーはビートニクの影響を受けて育った人たちがつくりだしたもの…。
また、ビートニクはジーンズの人気に火をつけるなどファッション、音楽、映画にも影響を与えました。
そんな今のカルチャーに大きな影響を与えたジャック・ケルアックやビートジェネレーションについてみてみたいと思います。
またケルアックは東洋思想にも興味があった人で、禅に凝ってかなり真面目に研究したようです。その過程で、だと思うんですが、日本の俳句に興味を抱いて、英語で俳句を作ったり
しているんですよね
ビートジェネレーション
1950年代のアメリカアメリカ 第二次世界大戦を終え豊かな経済発展を謳歌していた黄金時代。そんな豊かさや当たられた人生に反発して自分自身の人生を決める若者たちがいました。
「オン・ザ・ロード(路上)」を書いたジャック・ケルアック「裸のランチ」のウィリアム・バロウズ詩集「吠える」のアレン・ギンズバーグ この3人が中心となって活動します。
それは保守的な当時のアメリカ体制に異を唱え言葉を武器に個を貫くことを求めた思想であり、運動でそのビート運動やその活動に関わった世代を「ビートジェネレーション」と呼びました。
*第一次世界大戦後に活躍した
ヘミングウェイやフィッツジェラルド、フォクナーなどの世代を「ロストジェネレーション」と呼んだことからもじって、ケルアックが命名したそうです。
ケルアックは、エッセイで「ビート」という言葉についてこういっています。
シカゴ出身のヒップスターのハンキ―が僕らの前に現れて「俺はビートだ」といったのだ。
彼の絶望的な目から刺すような光が放たれて…。おそらくどこか中西部の祭りか場末のカフェテリアあたりが出どころの言葉…。
本当は、スペード(黒人)の隠語だとわかったけど僕には新しいことばだった
シンフォニーシドでは夜通しのモダン・ジャズとバップ演奏がいつもあった
1948年には、ビート・ジェネレーションは形になり始めていた…。
「ビート」という語のもともとの意味は貧乏な、落ちぶれた、打ちのめされた浮浪者になった、寂しい、地下鉄で寝る、、などだった
しかし今はこの言葉はおおやけにみとめられ地下鉄で寝なくとも、新しい多数派になったとだけ言っておこう
ケルアックの「オン・ザ・ロード(路上)」
1947年からヒッチハイクなどでアメリカ大陸を放浪した実体験をもとに友人たちとの
さまざまにやらかした青春をつづる「オン・ザ・ロード(路上)」。
そこにはジャズやマンボが鳴り響きドラッグや安酒が行き交い、端市内道を走り飛ばす車があった…この本はケルアック(=サル・パラダイス)の自伝的小説で20代の後半に盟友のニール・キャサディ(=ディーン・モリアーティ)と広大なアメリアを横断した旅物語。
そして1951年4月旅から帰ったばかりの29歳のケルアックが旅路で綴り続けた手垢と土埃にまみれたメモに向き合いケルアックの持ち味ジャズに触発された「即興的散文」ですさまじい勢いでタイプし3週間で出来上がります。
そしてこの「オン・ザ・ロード(路上」はビートニクたちのバイブルとして読み継がれるようになります。
ビートニクの活動
ビートニク作家たちは教会やカフェなどで自作の詩を朗読する「ポエトリーリーディング」という活動を開始します。もともとは黒人たちによる人種差別に対しての抗議の形で始まったとされています。そこでは、社会に対する問題提起や人種問題、感情や信念を言葉にして発表するシンプルな朗読スタイルで徐々に音楽にのせたり、演劇の要素を入れたりとパフォーマンス性も取り入れられ総合芸術的な感じで盛り上がります。
そしてそこにはボブ・ディランやジム・モリソンなどの姿もありました。
ケルアックのエッセイのビートジェネレーションの哲学では
「ビートジェネレーションというのは突如出現しアメリカを席巻した狂気に光を浴びせられた
ヒップスターたちの世代についてを大ざったぱに考えたビジョンでまじめで、好奇心に満ち、
全く優雅な新しい方法で乞食同然、至福にみち美しくどこでもヒッチハイクで放浪する」そういうビジョンだとケルアックは語っています。
ビートニクと音楽
ケルアックが「オン・ザ・ロード(路上)」を書き上げる前から、ジャズに打ち込んでいた、といいます。そしてチャーリー・パーカーやセロニアス・モンクマイルス・デイヴィスらが活躍したビバップやハードバップ時代のジャズも新しい変革の時期を迎えて演奏者たちが一瞬の閃きで奏でるアドリブを取り入れるモダンジャズがスタートします。
*セロニアス・モンク
そんなバップジャズとの出会いをケルアックはこう言っています。そして、スリーデューセズで初めてバード(バード・パーカー)とディズ(ディジーガレスビ―)を聴いたとき、彼らは、風変わりな新しいサウンドをやる真剣な音楽家だとわかった…。
そしてビートニクたちが通ったクラブではジャズメンたちが反発精神旺盛なプレイでビートニクたちに影響を与えました。
*マイルスデイビス
世界を巻き込んだビートジェネレーションそんなアメリカのムーブメントは世界中の若者たちに影響を与えることになりその後、ベトナム戦争を反対する若者たちの運動「ヒッピー文化」につながっていきます。
それはアレン・ギンズバーグの詩集「吠える」の冒頭に「天使の顔をしたヒップスターたち」という一節があるのですが、「本当のフィーリングを持ったもの」という意味で使われ
それがヒッピーの語源になった言葉といわれています。
こうした常識といわれる社会や制度を否定して個人の魂の解放を訴えたビートジェネレーションはいつの時代にもある意味誰もが必ず通過する社会と自分の関わり方や自分とは何か、といった普遍的なテーマを改めて感じさせてくれるもの。
今改めてジャック・ケルアックを中心としたビートジェネレーションの本を読み音楽を聴いて感じることと同じように「感じる体験」をすることで自分が本当に求めているもの
内なる声を聴くきっかけになるかもしれませんね。
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