https://www.hsfkc.org/center-news/post-80.html【「十五でねえ姐やは嫁に行き」を誤解していた】 より
理事長 五十嵐教行
私たちが口ずさむ歌のなかでも、歌詞はよく知っているのに、その歌詞の意味を取り違えていたりしたことはないだろうか。恥ずかしい限りだが、私は「赤蜻蛉」の歌詞の内容を今の今まで誤解していた。歌詞は次の通りである。
夕焼け、小焼けの あかとんぼ
負われてみたのは いつの日か。
山の畑の 桑の実を
小籠に摘んだは まぼろしか。
十五で姐やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた。
夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先。
誰もが知っているこの「赤蜻蛉」は、三木露風作詞、山田耕筰作曲で大正10年に生まれた童謡である。三木露風がトラピスト修道院において講師をしていたときに作ったもので、幼少時に見た赤とんぼの風景を描いたものである。
さて、私の誤解である。まず一番の「負われてみた」を、ずっと「追われてみた」と思っていた。だから私の中では、赤トンボの群の中で、子どもが赤トンボと追いつ追われつのかけっこをしている風景を浮かべていたのである。次に三番の「十五で姐やは嫁に行き」の部分である。その子どもの「お姉さんが15歳でお嫁に行った」と考えていたのである。昔は15歳でも結婚したのだなと勝手に解釈していた。
本当の意味はどうなのか。まず「負われてみた」は「背負われてみた」なのだ。「負う」は「背負う」という意味なのである。そして「姐や」は「姉」ではなく、「子守娘」のことなのだというのである。三木自身が『赤とんぼの思ひ出(日本童謡全集S12)』に「・・・姐やとあるのは子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである・・・」と書いている。実際、三木に姉はいない。さらに、子守娘は15歳で嫁に行ったのではなく、三木が15歳になった時に嫁に行ったということなのである。自分の誤解のすごさに素直に驚いてしまう。
三木の両親は、三木が7歳の時に離婚をしている。母親がだらしない生活を送っていた父親を嫌って家を出ていったのだ。三木は祖父の家に引き取られるが、そこで出会ったのが、お手伝いとして雇われていた三木の子守娘となった「姐や」なのである。この「姐や」は母親のいない三木をかわいがってくれたということだ。
「赤蜻蛉」は、三木が自身のさびしい幼少時代の思い出を歌ったものなのである。
それにしても・・・私の誤解は、事実を知れば知るほど滑稽に思えてくる。きっと他にも誤解している歌があるに違いない。そっと調べてみようと思う。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202112/0014937451.shtml 【「夕焼、小焼」「負われて見た」ってどういう意味? 童謡「赤とんぼ」の謎、詩の背景に迫る】より
兵庫・龍野城下生まれの詩人・三木露風(1889~1964年)が「赤とんぼ」の詩を1921(大正10)年に発表して100周年。当時、童謡集「真珠島」に掲載された詩に基づき、今年最後のご当地新聞で、誰もが知る歌い出しにまつわる謎や詩の背景に迫ります。(直江 純)
「負われて見た、ってどういう意味?」
こう尋ねる子どもは多いという。「背負われて」。つまり、おんぶされてトンボを見たという意味だ。
おぶったのは誰か、という論争がかつてあった。「幼くして別れた母だ」という説もあったが、露風自身による解説文が見つかり、子守役の「姐(ねえ)や」だと判明して決着している。
だが、歌い出しには別の謎もある。「小焼」。どういう意味だろうか。
計13巻もある詳細な小学館の辞書「日本国語大辞典」(通称・日国)には「語調を整えるために添えたもの。ゆうやけ(夕焼)に同じ」とある。何と!。「小焼」には意味がないということなのか?
日国には、可能な限り古い用例が掲載されることで知られ、「小焼け」をうたう2つの童謡も登場する。北原白秋の「お祭」(1918年)と、中村雨紅の「夕焼小焼」(作詩は翌19年)だ。「赤とんぼ」の発表は、その2年後の21年。大正年間に「夕焼け小焼けブーム」があったのだろうか。
雨紅の童謡は「♪夕焼小焼で日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る」で有名だ。雨紅ゆかりの八王子市中央図書館の担当者に質問すると「雨紅本人が『小焼』の意味を書いた文章は見つからなかった」との返答だった。
「小焼けは白秋の造語だった可能性もある」と推測した辞書編集者もいた。「仲よしこよし」「りすりす小栗鼠(りす)」など、似た表現を白秋が用いているという。だが、露風に詳しい姫路大学の和田典子教授は違う見方を示す。「白秋は古い童歌を大事にしていた。そこから採集したのでは」
取材を進めると、1901(明治34)年に出版された「日本全国児童遊戯法」にたどりついた。
その復刊本、東洋文庫「日本児童遊戯集」(1968年)の「雑戯唱句」の章には「日没前、空中の夕燒(ゆうやけ)を仰ぎ視れば即(すなわ)ち希望を述べて曰(いわ)く 夕やけこやけ、あした天気になァれ」とある。白秋の造語説はこれで消えたが、本当に「小焼け」はリズムを整えるだけの言葉なのだろうか。
ユニークな記述で知られる「新明解国語辞典」(三省堂)は「小焼け」を「夕焼けがだんだん薄れること」とする。和田教授は「語調説」を支持しつつ「刻一刻と変わる夕焼けの美しさを思うと、その解釈もいいですね」と締めくくった。
夕焼、【1】小焼の あかとんぼ
【2】負われて見たのは いつの日か 夕やけ小やけの 赤とんぼ とまっているよ
【3】竿の先
【1】北原白秋の造語? 薄れていく様子? リズムを整えている?
【2】おんぶされて見た
【3】十字架説?(記者の思いつきです)
■露風、作詩当時に修道院で講師 作品に「カトリック」色
露風が「赤とんぼ」の詩を書いた当時、北海道のトラピスト修道院で講師をしていた。翌年、カトリックの洗礼を受け、作品でも宗教色を強めていく。「露風をカトリック文学の先駆者として再評価すべき」。ノートルダム清心女子大(岡山市)キリスト教文化研究所の山根道公教授(61)は、こう指摘する。
明治以降、プロテスタントの影響を受けた日本の思想家や文学者は内村鑑三や賀川豊彦らが有名だが、カトリックでは戦後の遠藤周作までは目立つ人物が少ない。そこに露風を位置づけるべきだというのだ。
山根教授は「露風と宮沢賢治の間に献本などの交流があったと最近報道された。賢治もキリスト教の影響が強く、トラピスト時代の露風に賢治が献本したのは、深い精神性に共鳴したからではないか」と解説する。
取材しながら、ふと記者が「歌詞の最後のさおの先のトンボは十字架みたい。露風がキリストの磔刑(たっけい)に見立てたのかも」と思い付きを口にすると、山根教授は「それ、まんざらでもないかもしれませんよ」と急に真顔になった。
露風が初めて修道院を訪問した経験から書いた詩集「良心」(1915年)には、夕焼けの赤さをキリストの血にたとえた詩があるという。赤は愛の象徴でもある。「十字架を掲げる教会の尖塔(せんとう)とトンボを重ね合わせても不思議ではない」
霞城館(たつの市)の図録「露風の童謡」(2003年)でも「赤蜻蛉(あかとんぼ)」の挿絵は、教会の塔とトンボだ。挿絵を見た山根教授は「普通なら空を飛ぶ姿を思い描くが、『さおの先』に止まっている。露風が信仰にたどりついたことを投影しているのかも」と続けた。
挿絵を手掛けたのは、たつの市の画家・大谷隆子さん(90)。姫路独協大教授だった夫の故・恒彦さんとともに長くカトリックを信仰し、露風をテーマにした絵を多く描いてきた。
大谷さんに「十字架説」への意見を聞くと「思い付かなかった」と笑いつつ「人生に悩んだ露風さんが、トラピストで愛に触れて生まれた詩。郷愁以外にも思いが含まれているのは確かでしょうね」と語った。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202108/0014613843.shtml 【賢治と露風の意外な接点、研究者「偶然の発見に興奮」 露風、献本の詩集読んですぐ返信】より
宮沢賢治宛ての文面を書き写した三木露風の直筆メモを持つ義則敏彦学芸員。10月からの企画展で展示を予定する=たつの市龍野町上霞城、霞城館
修道院講師時代の露風(前列左)と教え子ら(霞城館提供)
日本大元教授の近藤健史さん
「岩手県花巻川口町 宮澤賢治宛」。三木露風の直筆メモを調べていた日本大元教授の近藤健史さんは、この文字を読んで驚いた。露風は宮沢賢治の7歳年上で同時代を生きた詩人同士だが、研究者の間でも接点がないと思われていた。賢治の詩集の献本を巡り、交流が分かった2人。経緯は未解明だが、近藤さんは「私も岩手出身。偶然の発見に興奮した」と話している。
詩集「春と修羅」の発行日は、1924(大正13)年4月20日。露風の手紙はその5日後の日付だ。賢治は刊行直後に献本し、露風はすぐに返信したらしい。近藤さんは「賢治の初の詩集に対する意気込みと、露風のきちょうめんな性格がうかがわれて興味深い」と話す。
露風は当時、北海道の「トラピスト修道院」に講師として赴任中だったが、前年の23年末からノイローゼ気味となり、24年には納得のいかない人事があって同年6月に辞職している。本が届いたのはその直前だった。
初版本は、出版時にはほとんど売れなかった。価値の低い「ゾッキ本」として市中に出回り、後に高い評価を得る詩人・中原中也(1907~37年)が入手して大きな影響を受けたが、中也は当時まだ10代の学生だった。
賢治の同郷の親友で童話「セロ弾きのゴーシュ」のモデルとも言われる藤原嘉藤治でさえ「当時果たして何人に読まれ、或は受読され、味読、理解されたことか(中略)序文にでくわして、お手あげ、後は読んでもわからないのが普通」と後年に振り返っている。
近藤さんがメモを発見したのは偶然だった。現在の宍粟市に拠点を置いた「山崎新聞」に露風が寄稿していた作品を研究するため、露風のノートを読んでいて見つけたという。
ただ露風が受け取った「春と修羅」の実物は未発見で、賢治側でも露風の手紙は見つかっていない。
近藤さんによると、嘉藤治は1915(大正4)年に詩を雑誌に投稿し、選者の露風が「温かな情緒があつて心を牽く」として佳作に選んでいる。近藤さんは「嘉藤治を通じた縁があったのかもしれない。今後研究していきたい」と話す。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202108/0014613848.shtml 【宮沢賢治の詩集「春と修羅」、三木露風が称賛 詩人2人が生前交流 手紙の控え発見】より
「春と修羅」の初版本(宮沢賢治記念館提供)
三木露風が宮沢賢治に宛てた手紙の控え。直筆メモから近藤元教授が発見した(霞城館提供)
三木露風(霞城館提供)
童謡「赤とんぼ」を作詩した三木露風(1889~1964年)に、宮沢賢治(1896~1933年)が生前唯一の詩集「春と修羅」を献本し、露風が感想を書いて返信していたことが22日、分かった。露風の故郷・兵庫県たつの市が所蔵する直筆ノートに経緯が記されていた。近代日本文学を代表する詩人の2人に交流があったことは知られておらず、発見した研究者は「生前は不遇だった賢治を露風が評価したことが分かる貴重な資料」と分析している。(直江 純)
露風のノートは、たつの出身の文人を顕彰する「霞城館」が所蔵。同館は今春、財団法人から市立施設として移管された。三木露風研究会代表で、日本大元教授の近藤健史さん(68)が所蔵資料を精査して賢治との文通が分かった。
露風は自分が出す手紙の文面を、詳細にノートに書き残す習慣があった。賢治への手紙は1924(大正13)年4月25日付。現在の北海道北斗市に修道院講師として赴任中だった露風が岩手・花巻の賢治に宛てて送ったと書かれている。
文面では、本と「御書面」を受け取ったとして「喜んで御受容れまします」と切り出し、「序文中に於て自分といふ者が現象で電流体の青き照明であると観られてゐることに就て私は善い賞讃を惜まぬ」「善い詩情を有つてゐるものと思ひます」と結んでいる。
当時の賢治は中央の文学界ではほとんど無名で、生前も詩人の草野心平(1903~88年)ら、ごく一部にしか評価されなかった。近藤さんは「露風は難解な序文に理解を示し、冒頭部の詩3編を称賛している。露風にほめられた賢治はうれしかったのではないか」と分析する。
露風は、賢治とやりとりする3年前の1921(大正10)年の雑誌8月号に「赤蜻蛉」を発表し、12月に出版した童謡集で現在の詩の文言に修正した。今年が100周年に当たる。近藤さんは「節目の年に露風の新たな逸話を発掘できて感慨深い」と話している。
たつの市は、直筆ノートなどの関連資料を、10月30日から霞城館で予定している作詩100年記念の特別展に出展する予定。
https://ameblo.jp/makananako/entry-12809685967.html 【ゆうやけこやけ】より
『ゆうやけこやけ』
ゆうやけ こやけ あした てんきに なーれ
【童歌・呼びかけ歌・天体気象の歌】
◇明日天気になーれ とありますが唱歌『夕焼小焼』と『てるてる坊主』を
合わせたような歌ですね。
最近は夕焼けを見たのに次の日は青空ではないことが多くくもり
折り畳み傘を携帯したい
どんよりした一日だったりします。
ゆうやけこやけ〜♪スッキリ青空に しておくれ
https://weathernews.jp/s/topics/201905/200245/ 【童謡によく登場する気象・天体用語は何か!?】より
長く歌いつがれてきた童謡には、暮らしに密接した情景がよくうたわれています。その中には、雨、雪、星など、気象や天体にまつわる言葉も多く登場しています。
では、童謡にもっとも多く登場する、気象・天体用語は何なのでしょうか。約300曲の童謡・唱歌の歌詞を調べてみました。
5位:雪(28曲)
冬をうたった歌には、かなりの確率で入ってくる「雪」。雲、星、雨などのワードをおさえて、5位にランクインしました。
雪が登場する代表的な曲…『雪』『蛍の光』『ジングルベル』など
4位:日(ひ・32曲)
太陽やその光をあらわす「日」が4位にランクイン。朝をうたった歌には「朝日」が、夕方をうたった歌には「夕日」がよく使われています。また、「お日さま」と、かわいらしい言い方に置き換えられているケースも多くありました。
ちなみに「太陽」が登場する童謡には、『手のひらを太陽に』などがありますが、意外なことに、数は多くはありません。
日が登場する代表的な曲…『まっかな秋』『肩たたき』『スキー』など
3位:風(35曲)
季節や時間帯に関係なく、外にいればいつでも感じることのできる「風」が3位。風そのものだけでなく、風が運んでくれる音やにおいも、童謡の世界に広がりを与えてくれます。
風が登場する代表的な曲…『シャボン玉』『北風小僧の寒太郎』『たきび』など
2位:月(40曲)
視覚的なイメージがしやすい「月」が2位。夜空にぽっかりと浮かぶ月は、幻想的な雰囲気を童謡にもたらしてくれます。『荒城の月』『十五夜お月さん』『月の沙漠』『雨降りお月さん』など、タイトルに使用されることも多い言葉です。
月が登場する代表的な曲…『つき』『うさぎ』『すうじのうた』など
1位:空(47曲)
もっとも多かったのは「空」でした。元気や希望を与えてくれる童謡には、この「空」が多く登場します。よく使われるフレーズは「青い空」。また、「雲」「星」「雨」など、ほかの気象・天体用語といっしょによく登場するのも特徴的です。
空が登場する代表的な曲…『ドレミのうた』『とんぼのめがね』『おもちゃのチャチャチャ』など
童謡は、子どもだけでなく、大人の心にもうるおいを与えてくれます。しばらく童謡から遠ざかっている方は、子どものころのお気に入りの曲を、聴いてみてはいかがでしょうか。きっと心が、「青い空」のように晴れ晴れするはずです!
※今回の調査は、『思い出の童謡・唱歌とうた遊び200』(成美堂出版)収録曲、『ピアノ伴奏 日本童謡・唱歌全集』(メトロポリタンプレス)収録曲、および「日本の歌百選」選定曲をもとにおこなっています
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