https://www.beekeeping.or.jp/honeybee/biology 【ミツバチの生態】より
ミツバチの四季
自然状態での蜂群は、季節により状態が大きく変化するため、養蜂上も季節ごとの管理が重要となります。春から夏にかけては、育児が盛んな時期で、訪花活動も盛んです。群勢が増すのに引き続いて、繁殖期に突入します。
コロニーに一定の群勢が確保できると、繁殖用の雄の生産と王台の構築が始まり、旧女王蜂が半数前後の働き蜂と共に新しい営巣場所を求めて出ていく分蜂が起きます。
夏場は花が豊富な高原や北海道を除けば、花の少ない時期でミツバチにとっては厳しい季節となります。秋には再び花が増えますが、同時に多くの地域でスズメバチによる捕食の被害に対する対応が必要になります。
秋は越冬用に十分な貯蜜を確保しなければならない時期であり、冬は寒さの中で冬眠することなく春まで耐えなければなりません。越冬中は通常産卵と育児は停止しますが、春が近づくと女王蜂による産卵が開始するので、貯めていた蜜と花粉の消費(消耗)が激しくなります。
<花粉交配用のミツバチの場合>
長期にわたり、通常なら育児を休止している冬期に、安定的にポリネーションに使うには、特別なケアが必要となります。
当サイトの「園芸農家の方へ」をご覧ください。
群の構成:巣箱の中は
巣箱(蜂群)に1匹だけの女王バチ
目玉が大きい雄バチは交尾だけが仕事
花粉をダンゴにするための圧縮器(上)と、後ろ肢のバスケット内で大きくなっていく花粉ダンゴ(下)
女王蜂: 通常コロニーに1匹だけしか存在せず、毎日、自分の体重に匹敵する1000卵前後の卵を産みます。成虫の体重は250mg前後と、働きバチの100mgよりかなり重いく、寿命は2~3年程度です。
雄蜂: 春の繁殖期(日本では、通常4月から6月)にのみ生まれます。雄は巣内では一切の仕事をせず、性的に成熟すると、毎日定刻になると交尾飛行に出かけます。
働き蜂: 生殖以外のすべての仕事を受け持ちます。飛翔能力は秒速6~8m、一度に自分の体重の半分に相当する40mg前後の蜜を運ぶことができます。花粉は後脚にダンゴ状にして運搬します。必要に応じて、腹部の先端付近に内蔵されている刺針で外敵に毒液を注入することができます。しかし、働き蜂の刺針には、逆かぎがついているため、一度刺すと針が取れて死んでしまいます。
働きバチの一生
約1ヶ月の寿命の中で働き蜂の仕事は日齢が進むにつれて移り変わります。前半の2〜3週間は内勤期、後半の1〜2週間は外勤期で、この時期に蜜の採集や花粉媒介をします。
ミツバチの視覚と学習能力
ヒトと同じように、色、形、動きを見ることができますが、視力はあまりよくないようです。ヒトでいうなら近視といってよいでしょう。また、紫外線が見える代わりに、赤は色としては見えません。
ヒトは400から800nm、ミツバチは300〜650nmの範囲が見えています
ミツバチは訪花しながら、色以外にもたくさんのことを記憶・学習する
ミツバチは優れた記憶・学習能力をもっています。巣箱の位置、花の色、形、匂い、開花時刻、花の咲いている場所などを覚え、再度の訪問の時に役立てています。
ミツバチに必要な栄養
どんな栄養が必要かは、ほかの昆虫類とともにヒトの場合と基本的に同じで、ミツバチはそれらをすべて花から得ています。すなわちエネルギー源とするのは蜜の糖質で、そのほかの栄養(タンパク質、アミノ酸、脂質、ビタミン類、ミネラル)のすべては花粉から得ています。女王蜂や若い幼虫に与えられるミルク(ローヤルゼリー)は、花粉を原料として、若い働き蜂の乳腺(下咽頭腺と大顎腺)から分泌されたものです。
ミツバチの分蜂(独立・分家)
一つの蜂群が大きくなり、コロニー内に一定の群勢が確保できると、新しい女王が誕生することがあります。
このように一つのコロニーに女王蜂が2匹存在している場合、旧女王蜂は半数前後の働き蜂を伴ってこのコロニーから出て行って、新しい営巣場所を探します。このような現象を分蜂といいます。
分蜂後、直ちに新しい営巣場所が見つかればよいのですが、なかなか見つからない場合があります。こんな時、人目につきやすい公園の木々や建物の壁などに一時的に蜂の群れとしてとどまることがあります。
一般の方々からすると、蜂に襲われるのではないかという恐怖から、すぐに殺虫剤などで駆除となりますが、棒でつついたり、石を投げるなどの刺激を与えない限り襲われることはほとんどありません。
このような分蜂を見かけた場合は、都道府県(畜産担当部署)にご相談ください。
https://www.earthship-c.com/psychology/self-transcendence/ 【「自己超越」とは何か】より
「自己超越」(Self-transcendence)とは、自我意識が消えて、すべきことに極度に集中しているような心理状態のこと。また、自己にとらわれない行為を志向する「生きる態度」のこと。ロゴ・セラピーの創始者ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)や心理学の第3勢力「人間性心理学」の生みの親アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow)が、「自己超越」の概念を持論として展開した。
フランククルの考える自己超越
オーストリアの心理学者ヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)は、フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」と呼ばれる世界的偉人です。かのアルフレッド・アドラー(Alfred Adler)に破門された経験を持ち、独自の心理学「ロゴ・セラピー」を確立しました。
第2次世界大戦の時には、ナチスの強制収容所に収監され、いつ死んでもおかしくない地獄の日々を生き延びました。その体験を綴った『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)は、世界的ベストセラーとなり、今も、世界中の人々に読まれています。
そのフランクルは、著書『生きがい喪失の悩み』(講談社)の中で、こう書いています。
「彼が自分の課題に夢中になればなるほど、彼が自分の相手に献身すればするほど、それだけ彼は人間であり、それだけ彼は彼自身になるのです。
したがって、人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度に応じてのみ、自己自身を実現することができるのです」
『生きがい喪失の悩み』(V・E・フランクル 講談社)p26
仕事や趣味に没頭すると、自分が「している事」に意識が没入して、自分を意識する心(自我意識)が消えます。時を忘れ、自分を忘れ、今、自分がどこにいるのかも忘れ、「している事」と「自分」が一体化しているような感覚になります。
ただ、没入している時に、その「一体化」を意識することはありません。ふと我に返った時に、つまり自我意識が戻ってきてから「一体化」の感覚に気づくのです。
読書での没入体験
例えば、自分の好きな小説をのめり込んで読んでいる時に、そうなるでしょう。小説の世界に没入し、登場人物たちと一緒になって、喜んで笑ったり、悲しい場面では、本当に涙が流れたりします。ただ、文字を読んでいるだけなのに、です…。
読書を終えて、ふと、時計に目をやると、「あれ、もうこんな時間か!」と、思った以上に時が流れていて驚いた経験はないでしょうか。その体験が自分を忘れ「自己超越」していた心理状態です。それはとても素晴らしい読書体験だったといえるでしょう。
自分を忘れれば忘れるほど、自分をある事に没入させればさせるほど、より豊かで質の高い体験をすることになるのです。
仕事での「自己超越」体験
仕事でも「自己超越」体験は起きますね。
夜遅く、人気の少なくなったオフィスで、イヤホンをつけ音楽を聴きながら、企画書を完成させようとキーボードをたたきます。やがて極度の集中状態となって、一気に、企画書ができあがりました。
「ふ~、やっと終わった!」。そうつぶやき、我に返ったとたん、突然、イヤホンから音楽が聞こえてきます。
集中している時にも、音楽は流れていました。でも、仕事に没頭すると、自分という意識(自我意識)が消えるので、流れている音楽に気づけなくるなのです。これは、とても質の高い集中状態といえます。
集中できていない時は、音楽が気になって、今聴いている曲から別の曲にしたり、あるいは、「集中できないな〜」とぼやいて、イヤホンをつけたり外したり、落ち着きがなくなります。
これは、仕事に集中できていない、自分に「とらわれている」心理状態ですね。
「自己超越」とは、自分を超越している心理ですので、「自己へのとらわれ」は、その反対にある状態と言えます。
フランクルは、『宿命を超えて、自己を超えて』(春秋社)の中で、こう書いています。
「自己超越とは、人間存在がいつでも、自分自身ではないなにものかへ向かっているという基礎的人間学的事実のことである。人間存在はいつでも、自分自身ではないなにかや自分自身ではないだれかへ、つまり実現すべき意味や、出会うべき他の人間存在へ、向かっている」
『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル 春秋社)
仕事に集中するとは、自分ではない「仕事」に向かうことです。この自分ではない「何か」に向かうことが「自己超越」です。ですので、しっかり自分ではないものに向きあえたら、自己を越えて行くので、自分(自我意識)は、消えるわけです。
「時を忘れて没頭する」
そんな言葉がある通り、自己超越をしていたら、時間感覚が無くなるのも特徴です。
心理学者チクセントミハイのフロー体験
時や自分の存在を忘れるぐらい没頭する状態は、スポーツをしている時にも発生します。アスリートたちは、それを「ゾーンに入る」と表現します。
「ゾーンに入る」と、速く動いているものがスローに見えたり、次に何が起きるのか全てわかるような特殊な心理状態が発生したりします。そして、自身の能力を越える極めて高いパフォーマンスを発揮するのです。この「ゾーンに入る」現象は、数多くのアスリートが体験し、繰り返し確認されています。
フロー体験とは
「ゾーン」と、ほぼ同じ概念に心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー」(flow)があります。
「フロー」は、自分にとっての最高な状態を経験した人にインタビューして生まれました。彼ら彼女らは、「流れている(floating)ような感じだった」「流れ(flow)に運ばれた」と表現していたのです。
チクセントミハイは、自著『フロー体験 喜びの現象学』(世界思想社)で、次のように記しています。
「フローしている時、人は最善を尽くし、たえず能力を高めねばならないような挑戦を受ける。その時、人はこれが自己にとって何を意味しているのかについて考える機会はない──もし自分自身にあえて自己を意識させようとすれば、その経験は奥深いものとはならないだろう。しかし後にその活動が終わって自意識が戻った時に人が顧みる自己は、フロー体験前のものと同じではない。それは今や新しい能力と新しい達成によって高められているのである。」
『フロー体験 喜びの現象学』(M.チクセントミハイ 世界思想社)p84
上の「自己にとって何を意味しているのかについて考える機会はない」は、自我意識の消失のことですね。チクセントミハイは「自意識の喪失」と表現し、これを「フロー」の特徴と考えています。
そう考えると、チクセントミハイが提唱した「フロー」も、「自己超越」している心理状態だといえますね。
フロー体験については、コラム128「フロー体験とは」に書いていますので、参考になさってください。
マズローの自己超越
では、アブラハム・ハロルド・マズロー(Abraham Harold Maslow)は「自己超越」をどう考えていたのでしょうか。
マズローといえば、「5段階の欲求階層説」が有名です。その最上位は「自己実現欲求」でした。「自己実現」とは、自分の持つ潜在的な部分も含めた資質・能力を最大限に活かして、「最善・最高の自己」に到達していくことです。
マズローは晩年、人間の「至高体験」(peak experience)に着目し、「自己実現欲求」の上に「自己超越欲求」を設定しました。
マズローの欲求階層説
「至高体験」には「神秘体験」も含まれます。
人智を越えた存在(自然、宇宙、神、魂など)を前提としていて、神秘的な存在を見たり、ふれたりする経験も「至高体験」です。スピリチュアルな存在(神、天使など)を求める心情は、時として、人間に強くあわられる心理です。
「自己超越欲求」の考え方を軸に、マズローは心理学第4の勢力といわれた「トランスパーソナル心理学」を提唱するようになります。そして、トランスパーソナル学会を設立するのです。
マズローは自著『完全なる人間』(誠信書房)の中で、「至高体験」にふれながら、こう書いています。
「自己実現する人間の正常な知覚や、平均人の時折の至高経験にあっては、認知はどちらかといえば、自我超越的、自己忘却的で、無我であり得るということである。それは、不動、非人格的、無欲、無私で、求めずして超然たるものである。自我中心ではなく、むしろ対象中心である…(中略)…美的経験や愛情経験では、対象に極度にまで没入し、「集中する」ので、まったく実際のところ、自己は消えてしまうばかりである。」
『完全なる人間』旧版(A・マズロー 誠信書房)p99
「自己は消えてしまうばかりである」とあるように、マズローも自我意識が消えることにふれています。
自分のすべきことに本気になって、自分のことを忘れてしまう。そうした自己を超越した「無我の境地」である時が、人間にとっての最高の心理状態です。
自分へのこだわりを捨て、目の前のすべき事に全力を傾けている。まさに「無我夢中」とは、このことです。「無我」とは、自我意識の無い状態です。
本当の意味で「無我夢中」になれた時、人間は「自己超越」でき、質の高い人生経験をすることになるのでしょう。
https://diamond.jp/articles/-/176029 【真の自己実現は、自己を忘れることで実現される】より
フランクルの「名言」に学ぶ心を強くする考え方
「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ーー。ヴィクトール・E・フランクルは、フロイト、ユング、アドラーに次ぐ「第4の巨頭」と言われる偉人です。ナチスの強制収容所を生き延びた心理学者であり、その時の体験を記した『夜と霧』は、世界的ベストセラーになっています。冒頭の言葉に象徴されるフランクルの教えは、辛い状況に陥り苦悩する人々を今なお救い続けています。多くの人に生きる意味や勇気を与え、「心を強くしてくれる力」がフランクルの教えにはあります。このたび、ダイヤモンド社から『君が生きる意味』を上梓した心理カウンセラーの松山 淳さんが、「逆境の心理学」とも呼ばれるフランクル心理学の真髄について、全12回にわたって解説いたします。
真の自己実現は、自己を忘れることで実現される
彼が自分の課題に夢中になればなるほど、彼が自分の相手に献身すればするほど、それだけ彼は人間であり、それだけ彼は彼自身になるのです。したがって、人間はもともと、自己自身を忘れ、自己自身を無視する程度に応じてのみ、自己自身を実現することができるのです。
『生きがい喪失の悩み』(V・E・フランクル[著]、中村友太郎 [訳] 講談社)
成功をおさめる不思議な体験「フロー」
プロスポーツ選手やオリンピック選手など、トップアスリートたちが試合中に特殊な心理状態となり、大きな成功を収めることがあります。この時、心には深い充足感があり、自分の能力を超える力が発揮されます。
「ボールが止まって見えた」
「相手の動きが手にとるように分かった」
「すべてがうまく行くという自信に満ちあふれていた」。
本人にとって不思議に感じられる至高の体験を、多くのスポーツ選手が経験し証言しています。アスリートが経験する至高の心理はスポーツ心理学で研究対象になっていて、この特殊な心理状態を「フロー」といいます。
「フロー」の提唱者は、心理学者ミハイ・チクセントミハイです。「フロー」という名は、自分の最高状態を経験した人にインタビューした際、「流れている(floating)ような感じだった」「流れ(flow)に運ばれた」と表現したことから付けられました。
これはスポーツ選手の心理に限定された概念ではありません。「フロー」は、取り組んでいる事への高い集中状態から意識の没入が発生することであり、それは仕事において趣味において一般の人にも起きうる心理現象です。
チクセントミハイは、「フロー」に入った時の特徴をいくつかあげています。その中のひとつに「自意識の喪失」があります。彼は自著『フロー体験 喜びの現象学』(世界思想社)で、こう書いています。
「フローしている時、人は最善を尽くし、たえず能力を高めねばならないような挑戦を受ける。その時、人はこれが自己にとって何を意味しているのかについて考える機会はない──もし自分自身にあえて自己を意識させようとすれば、その経験は奥深いものとはならないだろう」※1
冒頭の言葉にある通り、フランクルもまた自分を忘れ、自己への執着から解き放たれることの重要性を強調します。自分の欲求を満たそうと過度にこだわることは自己中心性の高い心理状態であり、「真の自己実現」から遠ざかります。
はたから見ても「俺が、俺が」「私が、私が」と、自分にこだわる人の姿は美しいものではありません。それでは人が遠ざかるようになり、結果、仕事も人生もうまくいかなくなるケースがあります。
自分を忘れ心のベクトルが自己を越えた存在に向けられることを、フランクルは「自己超越」(self-transcendence)といいました。
自己超越の先に成功がある
真の自己実現は、自己を忘れることで実現される
松山 淳(まつやま・じゅん)
企業研修講師/心理カウンセラー 産業能率大学(経営学部/情報マネジメント学部)兼任講師
1968年生まれ。成城大学文芸学部卒業後、JR東海エージェンシー(広告代理店)に入社。同社退社後、2002年アースシップ・コンサルティング設立。2003年メルマガ「リーダーへ贈る108通の手紙」が好評を博す。読者数は4000名を越える。これまで、15年にわたりビジネスパーソン等の個別相談を受け、その悩みに答えている。2010年心理学者ユングの性格類型論をベースに開発された国際的性格検査MBTI®の資格取得。2011年東日本大震災を契機に、『夜と霧』の著者として有名な心理学者のV・E・フランクルに傾倒し、「フランクル心理学」への造詣を深める。ユング、フランクル心理学の知見を活動に取り入れる。同年Facebookページ「リーダーへ贈る人生が輝く言葉」の運営開始。フォロワー数は6300名を越える。2016年産業能率大学情報マネジメント学部の兼任講師。2017年産業能率大学経営学部兼任講師に就任。経営者、起業家、中間管理職など、リーダー層を対象にした個別相談(カウンセリング、コーチング)、企業研修、講演、執筆など幅広く活動。
フランクルは「自己超越」をこう解説しています。
「自己超越とは、人間存在がいつでも、自分自身ではないなにものかへ向かっているという基礎的人間学的事実のことである。人間存在はいつでも、自分自身ではないなにかや自分自身ではないだれかへ、つまり実現すべき意味や、出会うべき他の人間存在へ、向かっている」※2
自分を越えた存在、つまり、他人や仕事や社会や自然と関わり、それらから求められる事に没頭している時、その人に潜在している真の人間性が発揮され、
よりよい心理状態が実現されるのです。その結果として、自分の望んでいる成功が(スポーツ選手にとっては勝利が、ビジネスマンにとっては仕事の高い成果が、人間にとっては幸福が)実現されてくるのです。
ここで強調すべきことは、フランクルが「成功とは、自己超越の結果に過ぎない」と考えていたことです。
フランクルは、自己を中心とした欲求から描かれる成功(お金持ちになりたい、組織で高いポストにつきたい、起業して大成功したい、人から尊敬される成功者になりたい)を追い求めるのではなく、自己超越を心がけ目の前にあるすべき事に没頭するような生き方を推奨しています。
生きる意味を実現する自己超越の先に、私たちが求める成功があるのです。
チクセントミハイは、『フロー体験 喜びの現象学』で、フランクルが書いた『意味の探求』(Man’s search for Meaning)から言葉を引用し、その考えに賛同しています。引用箇所がこちらです。
「成功を目指してはならない──成功はそれを目指し目標にすればするほど、遠ざかる。幸福と同じく、成功は追求できるものではない。それは自分個人より重要な何ものかへの個人の献身の果てに生じた予期しない副産物のように……結果として生じるものだからである」※3
名経営者と言われる人々、例えば、松下幸之助や稲盛和夫はリーダーとして「利他の精神」がいかに大切かを説きます。「まず自分」ではなく、「まず他者」に利をもたらそうとする行いが、巡り巡って自分のところに返ってきて自分に利をもたらすのだと。
「自利利他」という言葉もあります。それはまさに「自分個人より重要な何ものかへの個人の献身」を諭す言葉であり、「自己超越」という概念に通底する東洋思想だといえます。
「自己形成の秘密」が成功の秘訣
チクセントミハイは、フランクルの「自己超越」に通じることを、次のように表現しています。
「我々は幸福を探そうとすることによってではなく、良きにつけ悪しきにつけ、自分の生活の一つ一つの細部に深く沈潜することによって幸福になるのである」※4
私たちは日々の生活で発生する細々とした「すべき事」に追われます。中間管理職(ミドルマネジャー)であれば、電話を受けながらメールをチェックし、部下から報告を受け、自分の上司に相談し決済をとり、他部署と調整し、取引先(顧客)に頭を下げ、必要があれば手紙を書き、取引が円滑に続くように心を砕き、落ち込んでいる部下がいれば声をかけ相談にのる……。
経営学者ヘンリー・ミンツバーグが『マネジャーの仕事』(白桃書房)で喝破したように、管理職の仕事の実態とは、そうした互いに関連性の薄い細切れの仕事の連続なのです。
「細部に深く沈潜する」とは、日々の生活、職場で連続的に発生する細々とした「すべき事」に意識を集中し没頭することです。好きな仕事であろうが、嫌いな仕事であろうが関係なく、我を忘れる無我の時間の中に、あるいは、自分を忘れるような自己忘却の体験の中から幸福や成功が生まれてくると考えます。
その実践は心を成熟させ、ひと回りもふた回りも大きな人間へと私たちを成長させてくれるのであり、人格形成に大きな役割を果たします。
人には欲があります。欲があるから「理想の自分を描き、成功したい」と願います。この心理的図式は何も悪いわけではなく、欲があるからこそ人は成長するのだといえます。
ただ、その心理的図式は「成功しなければ人生は失敗だ」という短絡的な思考につながり、「虚しさ」を生み出す心の装置にもなるのです。「失敗ばかりのこんな人生、生きていて意味があるのか」と。
だからフランクルは「成功を追い求めるな」と強調するのです。
成功を求めるのではく、日々のすべき事に自分を忘れ100%集中するような自己超越的生き方、働き方をしていれば、人格が自然と高くなり、結果、求めている成功や幸せが、やがて手に入るのだとします。
こうした自己実現に対する逆説的な考え方を、フランクルは「自己形成の秘密」と呼びました。それは私たちが人間性や人格を高めていく秘訣でもあるのです。
「無我夢中」という言葉があります。無我とは「我を無くす」ことであり、これは東洋思想の「無我の境地」「無私の精神」です。「夢中」とは、我を忘れぐらい物事に熱中することです。
無我夢中」を「自己形成の秘密」をベースに発展させれば、「【我】を【無】くすぐらい自分のすべき事に熱中すれば【夢】を手【中】におさめることができる」となります。
真の自己実現とは、自己を中心に考えるのではなく、むしろ、自己を忘れることで実現されます。
もちろん、無我夢中になったからといって必ず成功するわけではありません。ただ、無我夢中なっている時、少なくとも私たちは他の人では決して成しえない自分らしい「心の成功」を深く実現しているのです。
◇引用文献
※1,3,4『フロー体験 喜びの現象学』(M.チクセントミハイ [著]、今村浩明[訳]世界思想社)
※2『宿命を超えて、自己を超えて』(V・E・フランクル[著]、山田邦男 松田美佳[訳]春秋社)
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