万作の会と狂言

https://www.mansaku.co.jp/about.html 【万作の会と狂言/狂言まめ知識】より

「万作の会」とは

「万作の会」は、野村万作を中心に公演を行うグループです。

万作をはじめ、野村萬斎・石田幸雄ほか「万作の会」の狂言師たちは、国内外で多くの狂言・能公演に出演しています。

また、一般の方に狂言を体感して頂くワークショップや、大学やカルチャースクール、専門学校などで講師として指導を行い、狂言の普及活動に努めています。

一方で、古典はもとより、狂言の技法を駆使した新しい試みにしばしば取り組み、その演技・演出でも高い評価を受けています。

「狂言」とは

狂言は、今から600年ほど前、室町時代に能とともに成立した、日本特有の伝統芸能です。

奈良時代に中国から伝わった種種雑多な芸能が、平安時代中ごろには大衆向けの滑稽な芸能「猿楽(さるがく)」となり、さらに寺社芸能や農村の芸能、田楽、白拍子などの影響を受けながら姿を変えていきました。

現在のような上演形式になったのは江戸時代、幕府の式楽に定められてからのことです。

現在、狂言は能と合わせて、「能楽(のうがく)」と呼ばれています。

「能楽」は2008年、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。

能の多くが荘重・悲壮な内容であり、舞歌を中心とした幻想的・象徴的な劇であるのに対して、狂言はセリフとしぐさを中心とした写実的・喜劇的な対話劇です。

内容も現実に根ざしたものが多く、筋も単純。

登場人物も二、三人だけのものが多く、能と違って歴史上の人物もほとんど登場しません。

おろかな大名、たくましい家来、ものほしげな僧、わわしい妻、こけおどしの山伏、愛しげな鬼、はては猿、狐、狸、蚊の精までが登場し、日常的な事柄のうちに、庶民の誰もが持っている生活感情の機微を洗練された笑いに表現しています。

能楽の大成者・世阿弥は、品のいい笑いを生み出す「幽玄の上階のをかし」であれと言っています。この狂言の笑いこそ真に人間らしい感情の表出であり、健康で大らかな人間への賛歌であると言えるでしょう。

狂言まめ知識

登場人物

太郎冠者

狂言の中のスーパースター的存在。

職業としては主人や大名に仕える家来で、曲により小賢しかったり、健気だったり、しっかり者だったり、おろかだったりとさまざまな性格を持つ。

どんな状況でも生き抜くたくましさと愛嬌に溢れ、一生懸命なほど滑稽に見えるという、狂言そのものを象徴するようなキャラクター。

山伏

山野で修行を重ねる仏教の修験者。

「野に伏し山に伏し、あるいは岩木を枕とし、難行苦行捨身の行いをするによって、その奇特には、今目の前を飛ぶ鳥も、祈り落とす程の行力」を得たと自称するが、狂言ではその力を発揮できずに失敗することが多い。

狂言に登場する女性たちは、強くたくましくバイタリティに富んでいる。

「わわしい女」と呼ばれる彼女たちは、「ええ、腹立ちや腹立ちや」と怒りを爆発させつつ、頼りにならない夫を支える健気な存在。

愛あればこそのわわしさなのである。


https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/202405_shigeyama/ 【狂言の力で日本に活力を取り戻す】より

茂山千三郎 (狂言師)

江戸時代から続く名門に生まれながら、〝フリーランス狂言師〟として従来の枠に囚われない活動で狂言の新たな可能性をひらいている茂山千三郎氏。3歳の初舞台から50年以上狂言の一道を倦まず弛まず歩んできた千三郎氏に、狂言が秘める力、そこから見えてくる古来日本人が大事にしてきた生き方についてお話しいただいた。

頭で考えるのではなく、自分の感性や目に見えないものに素直に耳を傾け、身を任せていくことで、よりよい人生の循環が生まれていくように思うんです

茂山千三郎 狂言師

――千三郎さんはどの一門にも属さない〝フリーランス狂言師〟として幅広い分野でご活躍です。

〈茂山〉 

狂言の世界には、他の伝統芸能と同じで流儀、一門という枠があるんですね。私の場合は江戸時代初期から続く茂山千五郎家の一門になります。まあ、芸能界でいう事務所みたいなものです。

フリーランスになれば、一門を通じた仕事は来なくなるわけですが、狂言は一門の中で2、3人のチームを組んで公演を行いますから、本来はフリーランスでの活動はあり得ないことなんですよ。

でも私は、いろんな分野の方とご縁をいただく中で、一門の役者とばかりやっていてよいのだろうか。ほとんどの日本人が狂言を見たことがないという時代になっている中で、狂言のあり方はこのままでよいのだろうかという思いが年々強くなっていきましてね。

ただ、新しい取り組みをするにしても、一門にいては迷惑が掛かる。であれば、フリーランスになろうと、2020年12月31日をもって茂山千五郎家を離れたんです。56歳の時でした。

事情があって一門を離れざるを得なかった人は過去にもいたかと思いますが、自らの意志でフリーランスになった狂言師はおそらく私が初めてだろうと思います。

――しかし、フリーランスでは大変なことも多いのではないですか。

〈茂山〉 

最初は人を雇う余裕はありませんから、自分で自主公演を企画し、共演してくださる狂言師に声を掛け、案内状に切手を貼はって発送して、稽けい古こもして……というように、完全に一人で全部やらなくてはいけなくて大変でした。

ただ、・・・

 ▼フリーランス狂言師として新たな道を切りひらく

 ▼「和儀®」の普及で元気な日本を取り戻す

 ▼芸は頭ではなく体で覚えるもの

 ▼見えないものにこそ人生の幸福がある

プロフィール  茂山千三郎

しげやま・せんざぶろう――昭和39年生まれ。祖父・三世茂山千作(人間国宝)、父・四世茂山千作(人間国宝)に師事。3歳「業平餅」の童にて初舞台。50か国に及ぶ海外公演、他分野とのコラボレーション、演出家としても活躍。平成26年「京都府文化賞功労賞」受賞。令和3年茂山千五郎家から独立。フリーランス狂言師として、自主公演「三ノ会」や狂言に伝わる教えをもとにした健康メソッド「和儀®」の普及など、従来の枠に囚われない活動に取り組んでいる。

編集後記

どの一門にも属さない〝フリーランス狂言師〟として、狂言の新しい可能性に挑戦し続けている茂山千三郎さん。SNSでは「千ちゃん」として親しまれているそうですが、取材でも常に自然体、生き生きとした語り口で、先代からの教え、狂言に伝わる日本人の生き方をお話しいただきました。背筋をピシッと伸ばし、自分だけの人生をひらいていくヒントが満載のインタビューです。

https://www.youtube.com/watch?v=bzdUk3eudTY

https://www.youtube.com/watch?v=Lr3VplSWgcg&t=205s

https://atelier-oga.com/kyogen.htm【萬狂言とは】より

萬狂言(よろずきょうげん)とは…

加賀前田藩お抱えの300年の歴史と伝統を持つ狂言の名家 野村万蔵家を母体とし、 未来への継承と発展のために、2000年1月、八代目当主5世野村万之丞(故人)が万蔵家特有の様式を表す<萬狂言>と命名し活動。

2005年1月当主となった九世野村万蔵を筆頭に、その父である萬(人間国宝、芸術院会員)ほか一門により、 北陸、関西、九州に拠点をおいて全国で活動している。日本国内での公演はもとより毎年海外でも公演やワークショップを行ない、 その伝承と普及・発展に努める。

<年間公演数>

萬狂言本公演4回(東京)、定例公演10回( 大阪・福岡・金沢等 )、

学校公演30~40回(全国各地)その他依頼公演を全国各地にて開催。

萬狂言 公式サイト

【 狂言とは… 】

そもそも、狂言とは 600年前に誕生した庶民喜劇で、特に能とは関係が深く、”能・狂言”を併せて「能楽」と言います。

能が古典的題材(貴族社会)を取り上げ幽玄美の歌舞・悲劇であるのに対して、 狂言は庶民の日常的な出来事を、笑いを通して表現する、科白(せりふ)・喜劇です。

古典演劇ゆえに、そこにはいろいろな約束事がありますが、 もともとは予備知識など何もない観客を相手に出来上がった演劇です。 面白くなければだれも見てくれない、というところで狂言は演じていたのですから、 その約束事など知らなくても楽しめるように出来ています。

まず、舞台を見て何かを感じて頂くのが、狂言を楽しむ一番手近かな方法です。

600年という長い歴史の中で洗練された笑いのエッセンスは古さを感じさせず、

今もなお新鮮で楽しめる「笑いの芸術」です。

内容は、

◆「笑う門には福来る」という、おめでたい“祝言の笑い”

◆人間誰しもが持っている弱点をユーモラスに指摘する“風刺の笑い”

◆単なる滑稽性だけでなく、笑みの中に楽しみを含んだ“和楽の笑い”

という、三つに分類されます。

登場人物は2~5人と少なく、家来が一人しかいない大名、主人よりしっかりしていても主人に頭のあがらない召使い、 なんでもしったかぶりをする僧や山伏、夫を尻にしいたわわしい女、盗人、詐欺師などと、それぞれが面白い一面を持っています。

このような欠点を持った人間が集まっているのが世の中であり、私たち人間の持っている弱みや滑稽さをとてもよく表現しているので、 それだけで親しみを持っていただけるでしょう。

狂言の演技の特徴は、無駄をはぶいた、明るく強いところにあります。

普通の芝居のように大がかりな舞台装置もなければ、幕も使いませんので、どんな舞台でも手軽に演じられます。 小道具もほとんど必要とせず、一本の扇が弓になったり、開けば盃になったりもします。 科白(せりふ)は現代語の母胎である中世口語を基調とし、 扮装も当時の姿を忠実に写しているので、「動く室町庶民風俗絵巻」の感があり、 現代の誰からも親しまれる条件を備えています。

【 狂言の歴史 】

狂言の歴史

【 狂言の流儀 】

和泉流

野村万蔵家(東京)、野村又三郎家(名古屋)、狂言共同社(名古屋)など

大蔵流

茂山千五郎家(京都)、茂山忠三郎家(京都)、大蔵弥右衛門家(東京)、山本東次郎家(東京)など

【 用語説明 】(略)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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