https://ameblo.jp/izumino-naka/entry-11457359826.html 【相馬遷子の医師俳句】より
俳人・相馬遷子(明治41年~昭和51年)は、東大医学部を卒業した医師(内科)でもありました。
長野県北佐久に生まれた遷子(本名・富雄)は、勤務医を経て、戦後、郷里で開業医となり、亡くなるまで、医を生業としました。代表句は 冬麗の微塵となりて去らんとす
でしょうが、これは晩年、病床にあった時の作です。死を覚悟した清澄な心境から生まれた絶唱と言われています。
遷子は、信州という風土に根ざした佳句を、数多く遺しています。
わが山河まだ見盡さず花辛夷 澄みわたる天より湧きて初つばめ
ちかぢかと命を燃やす寒の星
そして、開業医としての哀歓を詠んだ俳句も、篤実な人柄を偲ばせます。
風邪の身を夜の往診に引きおこす 百合の香と小過失吾を眠らせず
未明書くカルテに年の改まる 蝌蚪(かと)見るや医師たり得ざる医師として
学校医疲れて戻る夕さくら
若き日の作句である
草枕ランプまたゝきしぐれくる 梅雨めくや人に真青き旅路あり
瀧をさゝげ那智の山々鬱蒼たり
といった瑞々しいリリシズムにも、心惹かれますが、最晩年、病を得てからの境涯句、医師として病者となった心境を吐露した俳句に、最も胸をうたれます。
わが山河いまひたすらに枯れゆくか かく多き人の情に泣く師走
死の床に死病を学ぶ師走かな 冬麗の微塵となりて去らんとす
http://www.happyendo.net/minasanno-haiku.html 【みなさんの俳句】より
回診の朝のひととき冬日さす かいしんの あさのひととき ふゆびさす
朝の回診とは、病棟の入院患者のところを医師が巡回して診察することである。大学病院ではかつて総回診が大名行列と揶揄され、小説やドラマの題材になったことがある。病院と権威主義とは相性が良いらしい。
しかし、この回診はなくてはならないものである。多くの入院患者は毎日不安を抱えながら過ごしている。医師の診察は決められた曜日のみ。したがって毎朝医師とコミュニケーションを取れる回診は、患者にとっても安心が担保できるありがたいものなのだ。
ひさしぶりに投句をいただいた元禄武士さんも、定期的に入院されているのだろう。冬日が晴れやかだ。一日も早い完全回復をお祈りしています。
秋の夜は石とごろごろ宙返り あきのよは いしとごろごろ ちゅうがえり
日向ぼこ何となく見る青き空 ひなたぼこ なんとなくみる あおきそら
今年は台風が多いといわれているので心配ですが、爽やかな秋になってきました。
久しぶりに元禄武士さんからの投句がありました。
ありがとうございます。ホームページリニュアルのあと、初めての俳句関係の更新になりました。俳句から精神的に遠ざかっている私への、よい励ましになりました。心から感謝します。
秋の夜は石とごろごろ宙返り
暑さ寒さも彼岸までと言われますが、秋分の日を過ぎるとめっきり秋が深まります。
夜長、長き夜、という季語があるとおり、秋は夜の長いことを実感する季節でもあります。
手持ち無沙汰な長い長い夜。そんな夜、寝つくこともできずにごろごろしている私。転がる石のように寝返りを打ったという景でしょうか、それとも体内の石も私に合わせて宙返りをした……という句でしょうか。 そして秋の夜は、更けていくのです──。
余談ですが人間の体は石を作る働きがあるようで、唾石、耳石、唾石、胆道結石、尿道結石、などたくさんの石ができます。しかし、それぞれの臓器ごとに石を作る方法は仕組みはみんな異なるそうです。
日向ぼこ何となく見る青き空
日向ぼこは冬の季語ですが、そろそろ太陽のぬくもりがほしい季節でもありますね。秋の空は夏空と比べて、ぎらぎらまぶしくないので、ずっと見ていることができます。そして、空の青さに癒されたり、励まされたり……
こんな緊迫した情勢ですから、なおさら空の力に感動します。
菜の花のより一層に輝けり なのはなの よりいっそうに かがやけり
周りの県に遅れること数日、大分県でも開花宣言がやっと出されました。霾ぐもり(よなぐもり=俳句の季語で、春の黄砂により曇ったような空模様になること)の中にかすんで見える桜もやさしくて素敵なのですが、私は菜の花の黄色との対比で見る桜が断然好きです。
菜の花は2月の寒風の中を咲きはじめ、冬がちだった景色を鮮やかな黄色に染めます。北国の人が辛夷(こぶし)に春の到来を感じるように、私も菜の花に励まされます。
木蓮が咲き、そして散っていっても菜の花は咲き続け、ついに桜の花と重なります。菜の花の目の覚めるような黄色と桜のほのかなピンク色は、この国で生まれ、この国で育ったことの幸福をしみじみと感じさせてくれます。日本の自然はこんなにも素晴らしいのだと、誰彼に告げたくなります。
やがて桜が散っても、しばらくは菜の花は咲き続けるでしょう。こんなに長く咲いてその時々に心を豊かにしてくれますが、今この時の菜の花は、よりいっそう輝いて見えます。
元禄武士さん、素敵な俳句をありがとうございます。
元禄武士さんの俳句に負けないように、私も一生懸命がんばります。
木枯らしに向き立つ力底深し こがらしに むきたつちから そこふかし
柿のれん余すとこなく取り払わる かきのれん あますとこなく とりはらわる
農の日の程良い疲れ根深汁 のうのひの ほどよいつかれ ねぶかじる
久しぶりに元禄武士さんから投句をいただきました。
木枯らしに向き立つ力底深し
たとえ逆境であっても「国民が主人公」の立場を貫く日本共産党を讃える俳句だと受け取りました。日本共産党は創立93年。この間、部分的な誤りは当然ありましたが、「国民の利益」の方針を忘れたことは一度もありません。私自身も、党の歴史に恥じない人間でありたいといつも願っています。
柿のれん余すとこなく取り払わる
「柿のれん」には違った意味もありますが、ここでは干し柿、吊し柿がのれんのように連なった様を言っているのでしょう。見渡す限り続く雄大な柿のれんが、ある日を境に急速になくなっていきました。年末年始に向けた出荷が始まったのです。「余すことなく」に作者の驚きが表現されています。
農の日の程良い疲れ根深汁
根深汁は葱(ねぎ)汁のことで、冬の季語。一日の農作業の疲れを癒してくれるのがこの根深汁だと言うのです。額に汗して働く者のささやかな喜びや、誇りが表現されています。晴耕雨読という言葉がありますが、日本人の勤勉さがよく出た俳句だと思います。
蝶それぞれ花の好きずきありにけり ちょうそれぞれ はなのすきずき ありにけり
生きかたはみんなまちまち春の潮 いきかたは みんなまちまち はるのしお
葱坊主美脚すんなり列をなし ねぎぼうず びきゃくすんなり れつをなし
久しぶりに元禄武士さんから作品が届きました。最近どうしたんだろうと心配していただけに、とてもうれしい気持ちです。
元禄武士さん、ありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね。
蝶それぞれ花の好きずきありにけり
花と蝶は切っても切り離せないものと思っていましたが、花なら何でもいいというわけではないのですね。種類同士で好みが違うだけではなく、同じ種類の蝶でも、好きな花は決まっているのかも知れません。確かに庭の蝶を見ても、あまり遠くまで飛び回っていない気がします。 蝶のことを言っていながら、それでは私たち人間は……と、考えさせられる句でした。
生きかたはみんなまちまち春の潮
きっと元禄武士さんの感慨なのでしょうね。好きなように生きる……と言いながら、本当に好きなように生きている人はごく少ないのでしょう。その上、好きな生き方も人によって違います。地位や名誉やお金が大好きな人もいれば、質素でも自由に生きたいと思う人もいます。どちらが良いかは分かりませんが、人間は誰でも一生をかけて、自分の生き方を見つけていくものかも知れません。寄せては返す春の潮を見ながら、そんなことを考えるのでした。
葱坊主美脚すんなり列をなし
葱坊主はねぎの花。球状に小さな花が集まってまるでいがぐり頭のようです。だから「坊主」なのですね。どこかユーモラスなくせにインパクトがあって、不思議な魅力を感じさせます。俳句では昔から葱坊主を子どもに例えたり、兵隊に例えたりするものが多いのですが、元禄武士さんは若い女性の脚に見立てました。言われてみるとなるほどと思わせるすばらしい発見です。
夕暮れの時がいきいき赤とんぼ ゆうぐれの ときがいきいき あかとんぼ
いつの間に棒となりたり吾亦紅 いつのまに ぼうとなりたり われもこう
十五夜の如く完全とはいかず じゅうごやの ごとくかんぜんとは いかず
元禄武士さんから投稿がありました。「みなさんの俳句」のコーナーは、武士さんの力でもっているようなところがあります。リードしてくださり、ほんとうにありがとうございます。お体も順調なようで、何よりです。
夕暮れの時がいきいき赤とんぼ
私もそう思うことがあります。やっぱり赤とんぼは夕暮れが一番似合いますよね。お彼岸の頃から飛び始め、群舞する様子を見ていると、ああ、夏が終わったなあ……と、どことなく寂しくなった小学生の頃を思いだします。美しい日本の風景を、子どもたちの時代に残していきたいものです。
いつの間に棒となりたり吾亦紅
庄司薫さんの小説に「赤頭巾ちゃん気をつけて」というのがあって、その中にワレモコウという言葉が出てきます。これが大変気になって、小説を読んだ若い頃から吾亦紅を知りました。
蒲の穂絮のように見えるけれど、じつは花の集まり。山野に夏から秋にかけて群生しています。葉が枯れて、淡緑色だった花は、次第に暗紫色になり、冬が近くなると、ついには花が落ちて棒状になってしまいます。何だか人生を考えてしまう句です。
十五夜の如く完全とはいかず
今年は9月19日が十五夜でした。俳句で十五夜は、明月とも、満月とも、望月(もちづき)とも言い、古来から日本人は親しんできました。秋の澄み渡った空にまん丸く輝く月は、いろいろな思いをかき立ててくれます。しかし私たち人間は、体にも心にも欠点が多く、とても満月のように円満ではありません。それを自覚しながら生きていくしかないようです。
ちなみに、今年は十五夜と満月が正確に重なりましたが、こういう年はむしろ例外で、次に重なるのは8年後、オリンピックも終わった2021年の9月21日だそうです。
袋かけ終え手術の手が伸びる ふくろかけおえ しゅじゅつのてが のびる
俎板の鯉が物言ふ手術室 まないたの こいがものいう しゅじゅつしつ
梅雨晴間男も化粧したくなる つゆはれま おとこもけしょう したくなる
元禄武士さんの手術が成功し、無事退院されたそうです。 おめでとうございます。よかったですね。
実は手術後俳句を送ってもらっていたのですが、参院選の忙しさに紛れて、メールを見失っていました。再送信していただき、やっと気づきました。失礼しました。本当に申し訳ありません。
袋掛けの句と俎板の句。
袋掛けは初夏の季語です。梨、枇杷、林檎、葡萄など時期は前後しますがそれぞれに袋掛けをして害虫から果実を守ります。果樹園農家にとって収穫時期と同様に、最も忙しい季節です。
さて、作品では袋掛けが終わり、手術の手が伸びると書いています。手術の手とは、医師の手のことでしょう。袋掛けが実際の職業であっても、何かの象徴であっても、この大仕事を終え安堵している身にメスが入れられようとしているのです。じたばたせず、なすべきを成したあとは俎板の鯉のように運命を受け入れようとしている元禄武士さんの覚悟が伝わってきます。そしてその鯉も物を言う、つまり生還したのです。
梅雨晴間の句。
メタモルフォーゼという言葉がありますが、本来は生物学でいう変態、変身のことです。そして人間には、特に男性には、変身願望があるとよくいわれます。
鬱陶しい梅雨の、つかの間の晴れ間。入院して自由に外出できない身であればなおさら、着飾ってこの晴れ間を満喫したいと思うのです。「 化粧したくなる」というのは、晴れやかなものに対する憧憬、男性はこの夢を追い続ける生き物なのでしょうか。
初節句未来を開く手の力 はつぜっく みらいをひらく てのちから
間断なきかごのメジロのこえとおり かんだんなき かごのめじろの こえとおり
やまあじさい小さきものを慈しみ やまあじさい ちいさきものを いつくしみ
入院中にもかかわらず、元禄武士さんから俳句を投稿していただきました。
元禄武士さんは6月2日の日本共産党演説会にも参加してくださいました。ご病気中にもかかわらず、本当にありがたい気持ちでいっぱいです。どうか一日も早くご回復、ご退院なさることをお祈りしています。
○初節句未来を開く手の力
レーニンの有名なことばに「未来は青年のもの」というのがあります。そんなたくましい青年に育ってほしいものです。5月5日の端午の節句。新しい生命にたくす元禄武士さんの思いが伝わってきます。
○間断なきかごのメジロのこえとおり
目白は秋の季語ですが、籠の鳥には季節がありません。ただ鳴き声が透るというのですから、春もまだ浅いころの季感があります。「間断なき」とありますので、籠の目白に思いを寄せているのでしょう。みずみずしく繊細な感受性です。
○やまあじさい小さきものを慈しみ
山紫陽花の小さいのをいつくしむ、というのではありません。この句の場合「やまあじさい」で切れて、「小さきものを慈しみ」という別の世界が挿入されます。ちいさなもの、弱いものをいたわる気持ちは、元禄武士さんの素養ともいうべき特性です。そしてその気持ちは、山紫陽花の小ささに感動する、そんな心に宿るものだということを教えてくれる句です。
芽吹き始めた山々のことを俳句では「山笑う」と表現します
いさぎよくがんを受け入れ山笑ふ いさぎよく がんをうけいれ やまわらう
毎日を祈るよう生きふきのとう まいにちを いのるよういき ふきのとう
久しぶりに元禄武士さんからお便りがありました。
この間お仕事を休んで病院で精密検査を受けていたそうです。結果は前立腺のがんだったとか。がんの5年生存率が50パーセントを超えて久しいのですが、そのせいもあってか最近の医師はシビアに告知することが多いようです。
私の身の回りにも、がんの治療を受けたことがある人がたくさんいます。何十年も長生きすることも普通にあるようです。元禄武士さんがこれから元気にご活躍をされることをお祈りします。
桃の花と道
しばらくは風のゆく道桃の花 しばらくは かぜのゆくみち もものはな
伸びるほど天辺広げふきのとう のびるほど てっぺんひろげ ふきのとう
こじんまり金貨は一つ福寿草 こじんまり きんかはひとつ ふくじゅそう
ひさびさに元禄武士さんから投句をいただきました。お体の調子もだんだん良くなっているみたいですね。俳句も伸びやかで、本来の上手さが表に出てきたと思います。私も負けずに頑張りたいと思います。
「しばらくは風のゆく道桃の花」の句。
春の到来を告げる桃の花。
暦の上で立春を過ぎても、一直線に暖かくなってくるものではありません。やっと散歩を再開しようと思った矢先、真冬のような風が通り過ぎていきました。このお気に入りの散歩道も、しばらくは風の通り過ぎるのにまかせるしかないようです。でも、こんな寒い日は長くは続かないでしょう。それはもう桃の花がほころびているので、はっきりと分かります。
「伸びるほど天辺広げふきのとう」の句。
ふきのとうは漢字で「蕗の薹」と書きます。庭先の土の下から蕗の薹が頭をもたげてくると、春になった喜びでいっぱいになります。
初めは芽キャベツのように小さくまとまっていた蕗の薹も、大きくなるにしたがってぐっと開いてきます。それを「てっぺん広げ」と捉えました。うまいですね。
元禄武士さんの句は、「成長するということは、こうして自分の世界を押し広げていくことだ」と、私たちに教えてくれているようです。
「こじんまり金貨は一つ福寿草」の句。
福寿草は縁起がいい花として、お正月飾りの花とされます。歳時記を見ても「新年」の項に必ずでてきます。これは昔から温室栽培された福寿草です。
しかし、露地ものの福寿草は今ごろのもの。温室栽培と違って、どこか勢いがあるようです。そしてその姿は、ちょうどコインを落としたような金色です。たった一つの花でも金貨に匹敵する存在感。そんな空気感をよく捉えた句だと思います。
コスモスと秋空
竹島も尖閣もわが国天高し たけしまも せんかくもわがくに てんたかし
秋風よ少しずつならついて行く あきかぜよ すこしずつなら ついてゆく
元禄武士さんから投句がありました。ありがとうございます。
竹島も尖閣もわが国天高し
天高く爽やかな秋日和。でも竹島や尖閣諸島の問題はエスカレートするばかり。静かな秋の情感に浸っていることはできません。
領土問題はナショナリズムに直結し、お互いが「自分たちは絶対正しい」と主張し合うので、なかなか解決の糸口が見つかりません。自分たちが絶対正しいと思うように、相手も同じことを思っているのだと認識することから始めなければ、そもそも対話が成立しません。時間をかけて双方と国際社会がともに納得する解決策を見つけたいものです。
秋風よ少しずつならついて行く
元禄武士さんらしい、しみじみとした味のある句ですね。
春疾風とも夏の力強い風とも違う、どこかゆったりとした秋の風。人を受け容れようとする、慈愛に富んだ風です。
すでに体の病んだ「私」は、全力疾走はできないけれども、少しずつなら秋風に身をまかせてもいいような気がしています。自分をどこに運んでくれるのか分からないが、とにかく歩き始めるということ。そのことの大切さを秋の風が教えてくれるのでした。
鬼灯(ほおずき)の栽培
目の前をしほからとんぼどこ目指す めのまえを しおからとんぼ どこめざす
ほおずきのこの勢いに追いつかず ほおずきの このいきおいに おいつかず
いよいよ梅雨本番になってきました。恒例の元禄武士さんからの投句がありましたので紹介させていただきます。
○目の前をしほからとんぼどこ目指す
塩辛蜻蛉(しおからとんぼ)は他のとんぼと同様に秋の季語ですが、6月にも見かけることがあります。少し透明で独特な模様の塩辛とんぼは、日差しの下で見ると涼しげですが、雨や曇天の日はどこかはかなげにも見えます。
そんな塩辛とんぼが一匹目の前をよぎりました。どこから来て、どこに行くのだろうか。一瞬、自分の人生とも重ねて、塩辛とんぼの行き先を目で追ったのでした。
○ほおずきのこの勢いに追いつかず
鬼灯(ほおずき)も秋の季語です。夏に白い花をつけ、秋には赤く稔ります。俳句は原則的に当季雑詠(季節のものならテーマに縛られない)なので、季語辞典の季節にとらわれず、目の前の実際の事物を詠むことが大切だと思います。
この句は鬼灯の生命力に注目しています。赤い本来の鬼灯の勢いと理解してもいいのですが、この季節、青鬼灯の茂る勢いと理解しても感慨深いものがあります。「若さ」の圧倒的なエネルギーに対しては目を細めて見守るしかないという年齢になってきました。
ペットボトルの風車
ペットポトル切り曲げしての風車 ぺっとぼとる きりまげしての かざぐるま
日だまりは苦手風は好き夏近し ひだまりは にがて かぜはすき なつちかし
川べりを菜の花走り土手を越え かわべりを なのはなはしり どてをこえ
元禄武士さんから投句がありました。4月の連休前だったのに掲載が遅くなってしまい申し訳ありません。腰を痛めたとメールにありましたが、少しは良くなったでしょうか。心配です。
○ペットポトル切り曲げしての風車
風車は春の季語です。近年ペットボトルを利用した風車が増えました。私のよく通る道添いにも、いくつもの風車がカサカサと回っています。何でも、この風車が回る音が軸棒を伝わって土中に響き、それはモグラの天敵であるイタチが穴を掘っている音に似ているとか。それ故畑を荒らすモグラ除けに風車が立てられているという話を聞いたことがあります。
ネットで調べても真偽のほどは分かりませんでしたが、工作それ自体が楽しくてリハビリにもなるので、いいことだと思います。ペットボトルの風車を見るたび、私も優しい気持ちになります。
○日だまりは苦手風は好き夏近し
冬の間はあんなにうれしかった日だまり。春も深まり夏が近づくと、元禄武士さんは「苦手」だといいます。なにかべったりと甘いものを拒否する、元禄武士さんの心意気が感じられます。確かに世の中、甘ったるいやさしさが満ちています。しかしその欺瞞的なやさしさの陰で、平気で人を切りすてる酷薄さも同時に満ちあふれています。そうした世相に流されることなく、自分なりの人生を送る元禄武士さん。日だまりの心地よさではなく、風が好きだと胸を張ります。きっとその風は元禄武士さんの清貧な歩みを、やさしく見守ってくれることでしょう。
○ 川べりを菜の花走り土手を越え
川の土手や河川敷には、どうしてこんなに菜の花が群生するのだろうと不思議に思います。もしかしたら川から流れてきた菜の花の種子がここに根ついたのでしょうか。可憐な花なのにその生命力は驚くばかりです。
一面を黄色に塗りつぶした菜の花の群れ。勢い余って土手を乗り越え、さらにその向こうへと続きます。確かな命の鼓動と春がきた喜び。元禄武士さんのおだやかな瞳が目に浮かぶようです。
沈丁花(ジンチョウゲ)の蕾
病室のみんなリハビリ沈丁花 びょうしつの みんなリハビリ じんちょうげ
哲学の細道ここも春の闇 てつがくの ほそみち・ここも はるのやみ
摘みしままキッチンで眠るふきのとう つみしまま キッチンでねむる ふきのとう
青山高校の甲子園出場おめでとうございます。ウキウキ気持ちがするでしょう。一昨年夏はわが母校の大分工業も出ました。ライバルになるといいですね。
以上のようなコメントを添えて、元禄武士さんから投句がありました。退院されて三ヶ月あまり。文面にも、俳句にも、少しずつ体調を回復されつつあるご様子が伺われます。早く入院前よりも元気になってくださいね。
「病室のみんなリハビリ」の句。
入院で同じ病室だった人は、いわば戦友。深い絆が生まれるものです。退院して会う機会はなくなったけれど、通院の折、久しぶりに病室を訪ねました。
ところがベッドはどれももぬけの殻。誰もいないのです。ああ、そうだ、今日はリハビリの日だった、とやっと気付くのでした。
みんなリハビリということは、みんな順調に治っていっているんだという安堵感。窓から覗く沈丁花からも春の息吹が感じられます。
紅梅
紅一輪梅よ頑張り過ぎるなよ こういちりん うめよがんばり すぎるなよ
元禄武士さんから、今年初めての俳句を寄せていただきました。体調もよくなってきたそうで、まずは一安心です。どうか体を大切にして、いつまでもおつき合いくださいね。
厳しく長い冬に耐え、やっと一輪の花を咲かせた紅梅。梅は春の到来を知らせてくれる花であり、万葉の時代から日本人に愛されてきました。一輪の梅の清々しさは、見るものに大きな勇気をくれるようです。
元禄武士さんはこの梅を見て「頑張り過ぎるなよ」と言います。それは梅に対するやさしさであるとともに、わたし(猿渡)に向けた励ましのような気がしました。
わたしも元禄武士さんに「頑張り過ぎるなよ」とエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
松に月
消えてゆく尿瓶の温もり今朝の冬 きえてゆく しびんのぬくもり けさのふゆ
月天を刺す松くじけずあきらめず がってんを さす・まつくじけず あきらめず
元禄武士さんから久しぶりに俳句が届きました。
元禄武士さんは入院をなさっていたそうです。退院して十日ほどの句だそうです。まだとれない痛みと挌闘しながらの毎日です。
○ 消えてゆく尿瓶の温もり今朝の冬
今朝の冬とは立冬のこと。トイレに立つこともままならず尿瓶を利用しています。尿は自分の体の分身。ほとばしる温かさが折からの寒気で急速に冷えていきます。その動作を通じて生きている実感を噛みしめている元禄武士さんでした。
○ 月天を刺す松くじけずあきらめず
月天はガッテンと読み月のこと。もともとは宗教的な意味合いの言葉でした。松の鋭い枝が、まるで月を射貫くように伸びています。松は常緑樹で寒さで枯れることがありません。この松のように、どんなときもくじけず、あきらめず……と自分自身に言い聞かすのでした。
りんご
皮のまま林檎をかじる少年期 かわのまま りんごをかじる しょうねんき
武市さんから俳句を送ってもらいました。紹介させていただきます。
「りんごをかじると歯茎から血が出ませんか?」というTVコマーシャルが1970年代に流れていました。たしか、歯磨きの宣伝だったと思います。
林檎を丸かじりできるのは若さの特権であり、若さの象徴ですね。永遠の未来があると信じて遮二無二過ごした少年期。自分もいつか年をとるなんて、考えたこともなかったなあ。いま歯ぐきから血が出る年齢になって、なつかしく思い出すのでした。
りんご
あの頃は宝石だった林檎むく あのころは ほうせきだった りんごむく
誠子さんが俳句を寄せてくださいました。これからもよろしくお願いします。
日本政府がバナナの輸入自由化を打ち出したのが1963年。それまでバナナは高嶺の花でした。今でも少し年配の人は、バナナが特別に貴重なものであるという、バナナ信仰を持っている人が多いようです。
林檎もそうでした。当時物流の事情がとても悪かったため、東北など遠い地域から運ばれてくる林檎も貴重な食べものでした。よほど重い病気にでもならない限り、口に入るチャンスはまずありませんでした。日本中が貧しかったのですね。
「私」はいま、暖房の効いた部屋で、そんなことを考えながら林檎の皮を剥いています。みんなでがんばって手に入れた豊かさと平和を、二度と手放すことのないように、という思いとともに。
秋の風景
ベルレーヌが現れそうな秋にいる ベルレーヌが あらわれそうな あきにいる
流星や点滴のこえ聞こえるか りゅうせいや てんてきのこえ きこえるか
イチロウの記録は永久に秋の風 イチロウの きろくはとわに あきのかぜ
元禄武士さんが俳句を寄せてくださいました。
○ベルレーヌが現れそうな秋にいる
ベルレーヌといえばあまりにも有名な「秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し 鐘のおとに……」という詩が浮かんできます。私の好きな秋の風景にバイオリンを合成してみました。
○流星や点滴のこえ聞こえるか
流星は初秋の季語。隕石が大気圏に突入した摩擦で、一瞬にして燃え尽きる光です。はかなくさびしい光ですが、昔から人々は流れ星にたくさんの願いを託してきました。病棟で点滴の落ちるひそかな音。それはきっと実際の音でなく、心にひびいた音なのでしょうね。流星にもこの音が届けという、祈りのような思いが伝わってきます。
○イチローの記録は永久に秋の風
イチローが大リーグ入りした年から続いていた年間200安打が、今年11年目で途切れてしまいました。超人的な記録を多くの人が望み、そして見事にその期待に応えてきたイチロー。感謝の気持ちとともにたくさんの感慨がこみあげてきます。200安打だけでないイチローが残した数々の記録。イチローよ永遠なれと思う元禄武士さんでした。
野いちご
野いちごや少年の日の湖辺かえれ のいちごや しょうねんのひの みずべかえれ
四選後は女市長夏の夢 よんせんごは おんなしちょう なつのゆめ
○野いちごや少年の日の湖辺かえれ
湖辺は〈こへん〉と読み、湖のほとりのことです。〈みずべ〉や〈うみべ〉と作者が指定している作品も多いようです。元禄武士さんは何も読み仮名をふっていませんので、私は勝手に〈みずべ〉と読ませていただきました。
いま目の前にある赤い野いちご。それを見ているとセピア色の風景の向こうに遠い記憶がよみがえってきます。まだ少年の私。だれも彼もが若く、そして元気でした。豊かで鮮烈な自然の中を駆け回った思い出。
──しかし、ふとわれに返ると、目の前にある景色は少年の日のものとは違います。「護岸」工事のコンクリートで固められた岸辺には、フナなどが産卵できる水草はもうありません。背丈よりも高かったアシや蒲の茂りもなく、整地されています。どこか人工的でよそよそしい風景が広がっているのでした。
「湖辺かえれ」と、元禄武士さんの心の叫びが聞こえてくるようです。
○四選後は女市長夏の夢
別府市議選では大変お世話になりました。野田紀子さんの落選という大きな代償を払いましたが、私と平野文活議員で協力をして三人分以上の仕事をしなくてはと決意を新たにしています。
議員の仕事は市民のみなさんの声を議会に届けること。いつまでも野党ではなく、与党として政治を担うことを目指さなければなりませんね。そんな私への応援歌と受けとりました。ありがとうございます!
ソメイヨシノ
成せばなる苦戦四戦さくら咲く なせばなる くせんよんせん さくらさく
これは私の四期目の当選に際して、ペンネーム「元禄武士」さんが私に贈ってくださった俳句です。
活動アルバムにも書きましたが、定数4減の25議席を、31人で争った大変厳しい選挙でした。私と平野文活さんは何とか当選できましたが、これまで一緒に働いてきた野田紀子さんが惜しくも落選しました。大変悔しく残念でなりません。
選挙期間を通じて元禄武士さんには物心両面で助けていただきました。始めてお顔を拝見し、意見を交換することもできました。本当に感謝しています。
みなさんのお力添えを得ながら、新しい議会でがんばっていきたいと思います。どうかこれからもよろしくお願いします。
岩手県山田町の中心部(しんぶん赤旗より)
一瞬にしてみな瓦礫鳥帰る いっしゅんにして みながれき とりかえる
被災地のあったかむすびあったかし ひさいちの あったかむすび あったかし
四戦苦戦久子負けるな浮いてこい よんせんくせん ひさこまけるな ういてこい
元禄武士さんが私を応援してくださっています。心あたたまるメールもいただきました。今日本中が大変なときです。別府でのがんばりが全国のがんばりにつながるように、私も4期目の議席を守れるように一生懸命働きます。
竜の玉(リュウノタマ)
歯の治療終えてそろそろ年用意 はのちりょう おえてそろそろ としようい
龍の玉どこまでころげきのすむや りゅうのたま どこまでころげ きのすむや
枯落葉川湖島の如くなり かれおちば かわ・うみ・しまの ごとくなり
元禄武士さんから新年のごあいさつとともに俳句をお預かりしていました。ご紹介するのが遅くなってすみません。
今年4月にいっせい地方選挙があります。別府市議選では、私も改選になります。平野議員、のだ議員とともに現行3議席を守りぬく覚悟です。
県知事選、県議会選も同時に行われ、福田きみ子さんが元気に駆け回っています。
どうかお力添えよろしくお願いします。
さて、 「歯の治療」の句。歯の治療にはなぜか生活感が濃くただよいますね。庶民の暮らしの中に歳末の慌ただしさと、新年を迎える晴れがましさが同時に去来します。そんな感慨が上手に表現できて好ましい一句です。
「龍の玉」の句。竜の玉とはジャノヒゲの実です。まん丸の青紫色で、冬の野山にたくさん見られます。熟れると実際にころころ転がります。国民を裏切って転落していく民主党のようでもありますね。批判を直接書かなかったことでふところの深い句になったと思います。
「枯落葉」の句。日本人の美意識は枯れ落葉の重なる様子にも世界を感じてしまいます。落葉の降り積もり方によって、作られる世界もまた変化していきます。その移ろいやすさやはかなさが詩情に触れるのですね。川や湖や島に、またある時は山や街にも変化するのでしょう。見ていて飽きない冬の景色です。
砲撃で被害を受けた韓国・延坪島の市街地
無慈悲とも言える弾雨のヨンピョン島 むじひとも いえるだんうの ヨンピョンとう
暗雲に不意をつかれし秋の虹 あんうんに ふいをつかれし あきのにじ
飛んで回る話あれこれ日向ぼこ とんでまわる はなしあれこれ ひなたぼこ
おなじみの元禄武士さんから俳句が届きました。今回は三句です。
社会のことや政治のことにも即座に関心を寄せ、それを句作に生かしている元禄武士さんは立派だと思います。私も見習いたいのですが、ついつい忙しさにかまけてしまいます。
さて、突然の北朝鮮による韓国の砲撃。こんなに身近で起こった戦争の危機に、日本中が驚きました。もちろん悪いのは撃ってきた北朝鮮ですが、北朝鮮を糾弾するだけでは事態は改善しません。李明博(イ・ミョンバク)政権になっての北朝鮮へ対する強硬政策などを冷静に分析する必要があると思います。日本は冷静な対応をしたいものです。
「飛んで回る」の句。これは時事的なことを離れても言い得ていますね。噂は一人歩きするようになりますし、だから怖いのですが、ふだんはそれを意識しません。日向ぼこが批判のような、共感のような、絶妙なところにあります。うまいですね。
秋のいわし雲
暗黒から光広がるチリ春空 あんこくから ひかりひろがる ちりあおぞら
少年の時はかけ足いわし雲 しょうねんの ときはかけあし いわしぐも
虫の声優しく風にながさるる むしのこえ やさしくかぜに ながさるる
またまた元禄武士さんから俳句が届きました。
暗黒からの句。少し前のチリ鉱山事故のことでしょう。暗闇から救出された奇跡のドラマに世界中が固唾を呑みました。感動と同時に、命が粗末にされる利益第一主義の「合理化」に対し監視の目を向けなくてはいけませんね。いろいろなことを考えさせられた出来事でした。
いわし雲の句。あっという間に過去へと遠ざかった少年時代。元禄武士さんの多感な幼少時代がしのばれるような句です。秋の空は現在も過去も未来も映す不思議な鏡のようです。
そして虫の声の句。猛暑猛暑と思っていたらいつの間にか秋になり、気がつけばもう冬の気配がせまっています。
藤袴(フジバカマ)
女郎花小さき心のより所 おみなえし ちさきこころの よりどころ
吾亦紅われのたけ越し見下ろしぬ われもこう われのたけごし みおろしぬ
赤紫花はみれんのフジバカマ あかむらさき はなはみれんの ふじばかま
元禄武士さんから俳句の投稿をいただいていました。9月議会と重なりご紹介が遅れましたことをお詫びします。
オミナエシの名前の由来は諸説あるそうです。ヘシを「圧し」と捉えて「美女を圧倒する美しさ」とする説、またヘシを「飯」と捉え「女性の食べ物とされた粟(あわ)飯に姿が似ているから」とする説が有力です。事実オミナエシノ別名は粟花とも言います。
日本人の美意識を刺激する、質素であるのに気高く美しいたたずまい──秋の七草として昔から親しまれていることもうなずけます。高原に無数に群生している様をみると、「小さき心のより所」とした元禄武士さんの気持ちがわかるような気がします。
ワレモコウも高原に咲くきれいな花ですね。独特のボンボン状の穂を品種改良して、生け花用の素材としても売られています。なだらかな高原を歩いていてふと気がつけば、ワレモコウが丈越しに私を見つめていた、という内容です。ワレモコウを人間のように扱っているところに、作者の自然に対する優しい眼が感じられます。
フジバカマは河原や川岸のような湿地帯によく見られる花です。決して華やかではないのに凛とした、散房状の薄紅色の花を咲かせます。やはり秋の七草として昔から親しまれてきました。
このフジバカマの「赤紫」は未練の色だと元禄武士さんは感じています。それは元禄武士さんの心の投影のせいなのですが、そのあたりの事情は俳句だから省略されています。ドラマが感じられて面白いですね。
川原撫子(カワラナデシコ)
消費税断固反対夏に入る しょうひぜい だんこはんたい なつにいる
甲子園真夏の夢の母校かな こうしえん まなつのゆめの ぼこうかな
だるくなるどこかエンスト夏の風邪 だるくなる どこかえんすと なつのかぜ
なでしこにとうりすがりの風遊ぶ なでしこに とうりすがりの かぜあそぶ
うつせみの生まれたること略しけり うつせみの うまれたること りゃくしけり
元禄武士さんから投稿がありましたのでご紹介します。
「消費税断固反対」の句。
参議院選挙で自民党は勝った勝ったと騒いでいますが、比例票を大きく下回ったのですからとても勝利とは言えません。菅総理の消費税増税発言で始まった選挙は、二大政党のどちらもが同じ消費税増税を公約するという異常なものでした。国民は実質的に「ノー」の声を突きつけましたが、それは全国津々浦々で湧き起こった反対運動の成果でもあります。
「夏に入る」という季語に、運動を担ってきた者の誇りが感じられます。
「甲子園」の句。
「真夏の夢の母校」は、甲子園出場という夢を果たした母校、とも解釈できます。また、甲子園で切ると、真夏の夢に出てくる母校ともとれます。つまり、物理的、精神的に遠くなった母校があります。廃校かも知れませんし、二度と帰ることのない遠い母校ということかも知れません。その母校がかつて甲子園を目指したことがありました。結局実現できなかった目標ですが、現在の甲子園大会をみていると、そんな昔の母校のことを思い出すよ、という意味です。
いずれにしても、春愁、秋思という季語があるように、物思いは春か秋というのが一般的です。そんな既成概念にとらわれず真夏の思いを詠んだところに感心しました。
「だるくなる」の句。
夏風邪の雰囲気をうまく言い当てていると思います。寝込むほどではないのに、すぐれない気分。「どこかエンスト」といわれると、なるほどと思ってしまいます。
「なでしこ」の句。
秋の七草の一つ撫子は万葉の昔から日本人に愛されてきたようです。西洋種に対し川原撫子(カワラナデシコ)などは大和撫子と呼ばれ、特別な花とされてきました。また、控えめなのに凛としたたたずまいから、大和撫子は日本人女性の賛辞にもなりました。
この句は撫子を揺らしている風を「通りすがりの風が遊んでいる」と捉えたところが素敵だと思います。
「うつせみ」の句。
この句はちょっと難しいですね。「うつせみの」の「の」は主格の格助詞でしょうか。そうすると「空蝉は」という意味になります。「たる」は完了を表す助動詞「たり」の連体形。全体としては、「空蝉は自分が生まれたことを略しているよ」ということでしょう。
空蝉は蝉の脱けがら。空蝉には空蝉のルーツがあり、人間には人間のルーツがあります。この世でのひととき人間も空蝉もそのルーツを忘れて生きているよ、という句意だと理解しました。
山紫陽花(ヤマアジサイ)
梅雨空や基地反対の島「怒り」 つゆぞらや きちはんたいの しま「いかり」
菜の花や牛、豚、人も目に涙 なのはなや うし、ぶた、ひとも めになみだ
紫陽花や夢いろいろの中に居る あじさいや ゆめいろいろの なかにいる
紫は影に映らず花桔梗 むらさきは かげにうつらず はなききょう
賛美歌の声の高きや梅をもぐ さんびかの こえのたかきや うめをもぐ
6月末に元禄武士さんから投句をいただいていたのですが、選挙戦になってしまいご紹介が遅くなってしまいました。元禄武士さん、すみません。そしてご投句ありがとうございました。
一句目、本当に共感です。沖縄県民の願いよりアメリカの都合を優先したことで、鳩山政権は日本中の怒りを買いました。菅総理に変わり選挙戦に突入してからは、政府もマスコミも、沖縄問題は解決済みと言わんばかりの態度です。まったくひどいですよね。しかし、沖縄の人はもちろん、私たちも、この問題が何一つ解決していないことをよく知っています。梅雨空を振り切り県民の怒りがうずまいています。
二句目は口蹄疫の句でしょうか。牛、豚、そして人の目にも涙という、元禄武士さんのやさしさ、鋭さがよく現れた句です。時事問題に対し表層からでなく、本質的なところからアプローチを試みた秀句だと思います。
紫陽花はもともと日本が原産です。それが外国に渡り、品種改良されたものが再び輸入されて日本中に広まりました。どんなに鮮やかに、どんなに大輪になっても、根底に日本原産というDNAがあるからでしょうか。日本人に愛され、多くの俳句が詠まれています。
紫陽花をみていると「夢いろいろの中に居る」という気分がよくわかります。
四句目は桔梗の句です。モノクロームの写真を思いうかべると情景がよく分かります。影も白黒写真と同じように「彩」はありません。しかし桔梗の背筋の伸びた気品は影からもうかがい知ることはできます。いやむしろ、その影にこそ花桔梗の本質が映し出されているのかも知れません。
梅の花は春の代表的な季語ですが、梅の実は夏の季語です。梅をもぐ作業と賛美歌との響き合い。背後にある真っ青な夏空が目に浮かぶようです。
しだれ桜
囀りやチルチルミチルどこかいる さえずりや ちるちるみちる どこかいる
師の居るや枝垂桜の安楽寺 しのいるや しだれざくらの あんらくじ
猫柳徐々に正体現しぬ ねこやなぎ じょじょにしょうたい あらわしぬ
青蛙松の落ち葉を泳ぎきる あおがえる まつのおちばを およぎきる
庭隅のみどりのさくらもみじかな にわすみの みどりのさくら もみじかな
またまた俳句作品の投稿がありました。お名前はペンネームで元禄武士さまとあります。これからもよろしくお願いしますね。メールアドレスがなかったのでお礼のメールを差し上げられませんでした。もしよければ、教えてください。もしかしたら前回の方と同じなのでしょうか?
力作の5句をお寄せくださいましたので、ご紹介します。
チルチルとミチルはメーテルリンクの「青い鳥」に出てくる主人公の二人兄妹。幸福の青い鳥を探しに旅に出ますが、結局青い鳥は自分たちのもっとも身近にいたのだということを悟るというものがたり。さえずりの中にいると、その気分が分かってきますね。
しだれ桜は荘厳な美しさがあり、思わず背筋を伸ばしてしまいます。安楽寺は別府市城島のお寺。鶴見山を背景にしたしだれ桜を見に、毎年多くの人が訪れます。元禄武士さまによると安光先生の実家だそうです。先生に対する尊敬の気持ちが伝わってきます。
猫柳には光りがよく似合いますね。だんだんと輪郭をはっきりさせてきた猫柳。それを正体を現してきたと捉えたところがさすがです。
小さな青蛙にとって一面の落葉はまるで海のように広いのです。「泳ぎきる」と青蛙に感情移入したところが共感できます。
紅葉の中でも桜紅葉は代表的なものの一つです。しかし元禄武士さんは赤い紅葉でなく、まだ緑の部分に注目しその美しさに感動しました。鋭い感覚だと思います。
牡丹の芽
牡丹の芽海の珊瑚のごとくあり ぼたんのめ うみのさんごの ごとくあり
冬眠の番の蜥蜴おこしたる とうみんの つがいのとかげ おこしたる
いさぎよく確定申告二月尽 いさぎよく かくていしんこく にがつじん
しゅんこうや田舎暮らしのイロハに惚れ しゅんこうや いなかぐらしの いろはにほれ
手を振れば笑顔が返る十二月 てをふれば えがおがかえる じゅうにがつ
匿名でメールをいただきました。「一句一景」ページに「俳句をお寄せてください」とあるの投句してくださったのでしょう。ありがとうございます。さっそく力作の5句をご紹介します。匿名さん、雅号でも、ペンネームでも教えてくだされば嬉しいのですが……。ご連絡をお待ちしています。
一句目は、牡丹の花でなく芽が珊瑚のようだと、うーん納得です。
二句目の『冬眠の番の蜥蜴』はトカゲが二匹出てきたのですね。それでトカゲの夫婦と思ったと。匿名さんのやさしさがにじみ出ていますね。
三句目、確定申告は庶民の気持ちですね。どこかの政治家みたいにごまかさず、ありのままをという潔さがこめられています。
四句目の『しゅんこうや』は春光でしょうか、春耕でしょうか。田舎暮らしのイロハ、つまり最初の一歩に惚れ込んでいるということでしょうね。
最後の句は忙しい十二月にあっても、手を振って声をかければ笑顔でふり返ってくれるというのでしょうか。それとも『手を振る』のだから、お別れの光景でしょうか。いずれにしても健全な庶民感覚がさわやかですね。ありがとうございました。
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