風の七耀

Facebook詩人 木村浩欣 さん投稿記事  「風の七耀」

 さみだれや天河を前に家二軒  ( 蕪村 )

和歌三首

 輝ける五月の鏡に額ずきて 天法満つる世を祈りたり

 この夏に秘すべきモノ明むるモノ数えたり 風の七耀あが身に浴びては

 御仏の父母をおろがみ夜が明ける  直き心に座するよろこび

俳句七句

 夏の雲洋食店の窓の外                    月涼し数えきれない想いに降る

 吾は誰ぞ問えば名のある夏の風      南風に問えば無名の吾も遊びたり

 五月雨や天地ころがす一滴ぞ       片蔭にスズメの歌のかろやかさ

 うすものに風のあたりて歩道行く

( 以上、「風の七耀」、)


https://www.youtube.com/watch?v=6piIalt4nJA

BGMとしてお楽しみ下さい。

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https://www.jlogos.com/d012/5040041.html 【七曜の起源と意味【しちようのきげんといみ】】より

◆七曜暦は昔の天体暦

 七日の週日に太陽・月と五惑星、すなわち日・月・火・水・木・金・土を配当したものを七曜という。一か月の日付をこの七曜によって配列したのが、七曜表いわゆるカレンダーである。西洋式のカレンダーが一般に使われだしたのは明治改暦以降だが、それ以前の日本では七曜暦というものが存在した。

 七曜暦とは七曜すなわち太陽・月・五惑星の毎日の位置を記載した天体暦(アルマナック)である。五世紀頃の中国ですでに成立していて、日本の文献では『続日本紀』の聖武天皇の天平二年(七三〇年)の記事に初めて登場する。中世の一時期(足利時代)に中絶したが、江戸時代の渋川春海(貞享暦の作者)によって復興されて明治初年まで作成されつづけた。今日の『天体位置表』の前身にあたる。

 運勢判断における七曜は、天体暦の七曜暦とは別物である。この七曜はインド天文学と中国天文学が合体した占星術書『宿曜経』に由来する。

 『宿曜経』は八世紀に空海(弘法大師)が中国からもち帰ったため、真言密教と習合した宿曜道(星占い)が平安時代の宮廷人の間で流行した。『源氏物語』において、光源氏の運命を占った人相見というのは宿曜師であり、紫式部のパトロンであった藤原道長の日記『御堂関白記』にも、七曜が記載されている(日曜は蜜と表わされた)。

日本最古の「富本銭」の七曜の意味

 ややこしい話だが、中国では七曜は日月五惑星とともに北斗七星をも意味した。

 一九九八年、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から、従来、わが国最古の貨幣といわれた和同開珎よりも古い大量の富本銭(銅銭)が出土した。『日本書紀』において天武天皇一二年(六八三年)四月に、「今より以後、必ず銅銭を用いよ」とある銅銭はこの富本銭のこととみられている。この銅銭には富本の文字の左右に七曜がデザインされているが、これは宿曜道の七曜ではなく北斗七星の七曜である。

 天皇という称号が使われたのは天武天皇が始まりともいわれる。天皇という称号は北極星や北斗七星を神格化させた北斗信仰とかかわりがあり(讖緯説における最高神「天皇大帝」に由来するという)、富本銭の七曜のデザインはそれを裏づけるものだ。

 中世以降の日本では、北斗信仰は仏教と結びついて妙見信仰となり、妙見菩薩が武士の守護神とされるようになった。とりわけ房総の千葉氏は妙見信仰にあつく、一族は九曜などの星を家紋とした。九曜は七曜に白道と黄道の二交点を加えたもので、インド占星術と関係している。このように七曜にもさまざまな起源と意味がある。

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