Facebook 近藤裕子さん投稿記事☘️今だから思い出したい言葉☘️ 「水急不月流」
水急にして月流さず 水がどんなに激しく流れても、そこに映る月は流されることはない。
つまり 自分を取り巻く環境がどんなに変化しても、自分の生き方や考えがしっかりしていれば、周りに流されることはないという意味の禅語です。
時代と共に価値観や善悪の判断規準は変化しますが 流されてはいけないものがあります。
環境に順応することはとても大切です。が、自分をしっかり持っていなければ いつも心は不安定です。
どんなにまわりが変わろうとも 水に映る月のように流されない自己を゙持ちたいものです。
Facebook榎本 了壱さん投稿記事
猪瀬直樹さんの『ふるさとを作った男 ー唱歌誕生』(小学館文庫)」
この本は1990年に出版されたものを、さらに単行本化、文庫本化された5度目の出版となる。
主人公は文部省唱歌『故郷』『朧月夜』『紅葉』『春の小川』 などを作詞した高野辰之と、作曲を担当した岡野貞一、そして詩人・小説家の島崎藤村、それに西本願寺門主の大谷光瑞。
話の始まりは、猪瀬氏の故郷である長野の二人の作家、辰之と藤村の因縁から始まる。辰之は藤村が『破戒』でモデルとした真宗寺の娘(鶴枝)と結婚しているが、藤村の『破戒』の執筆によって真宗寺のイメージを傷つけられたことから、話は進展していく。
藤村は困窮しながらも、時代を代表する小説家になっていくが、辰之は唱歌の作家として多くの人に歌われてきたのにもかかわらず、文部省から、東京音楽学校、帝大と、役人、教育者研究者として淡々と生きることになり、最後には博士になって故郷に帰還している。まさに「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」である。
そして辰之の妻の姪(武子)への取材から、さらには武子が秘書として関わった大谷光瑞の超破天荒な行動が紹介されていく。明治から昭和にかけての、文芸と教育と国家の関わり時代背景が、絶妙に織り込まれた一著である。
私が住んでいる近く(代々木八幡・代々木公園)には『春の小川』の小さな史跡があるが、辰之は代々木に住んでいたという経緯があったことも知る。河骨川といって、宇田川に流れ込む川であったらしい。今は暗渠になっている。あるいは長野の小布施堂のお嬢さんが私の事務所にしばらく勤めていたことがあって、その市村家を尋ねたとき、藤村が市村家から借金をした念書がある事を知って、驚いたことも思い出した。
巻の最後、大連からの引き揚げ船に乗った武子が耳にした物は!戦慄を覚える!ぜひ、ご購読を!
Facebook相田 公弘さん投稿記事
普段話している日本語、書いている日本語、実は思考と深い関係があるようです♪
以下をどうぞ。
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それ以上に重大なのは、国語が思考そのものと深く関わっていることである。
言語は思考した結果を表現する道具にとどまらない。
言語を用いて思考するという面がある。
ものごとを考えるとき、独り言として口に出すか出さないかはともかく、頭の中では誰でも言語を用いて考えを整理している。
例えば好きな人を思うとき、「好感を抱く」「ときめく」「見初める」「ほのかに想う」「陰ながら慕う」「想いを寄せる」「好き」「惚れる」「一目惚れ」「べた惚れ」「愛する」「恋する」「片想い」「横恋慕」「相思相愛」「恋い焦がれる」「身を焦がす」「恋煩い」「初恋」「老いらくの恋」「うたかたの恋」
など様々な語彙(ごい)で思考や情緒をいったん整理し、そこから再び思考や情緒を進めている。
これらのうちの「好き」という語彙しか持ち合わせがないとしたら、情緒自身がよほどひだのない直線的なものになるだろう。
人間はその語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない、といって過言ではない。
母国語の語彙は思考であり情緒なのである。
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「祖国とは国語」藤原正彦 著新潮文庫より
http://www.dokusume.net/product/pg186455.html
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僕も、まったくもってその幅と言いますか、語彙の少なさに悩むところです(^_^;)
しかしこの幅は、拡げていく必要がありますね♪ 拡げた分、思考も情緒も拡がっていくのでしょう。
どうしたら拡がるのかというと、やはり「本」との出会い「人」との出会いではないでしょうか。
ちょっと難しいかもという本を読む方が、成長できる気がします♪
斎藤一人さんは、お弟子さんとの会話でこう言いました。
「アタマが悪いから読まない」じゃなく、「アタマが悪いから20回読みました」って、その答えができるキミが、素晴らしいんだよ!
何回か読んでいるうちに、少しずつ読めるようになっていきますね♪
僕も、18歳までは1冊も本を読み切ったことがなく、読書感想文に「あらすじ」を書いていた強者です(笑)少しずつでも、語彙を増やしていければと思いました(*^_^*)
※魂が震える話より
https://www.chichi.co.jp/web/20220705_hujiwara_masahiko/ 【国語を忘れた民族は滅びる——数学者・藤原正彦が説く国語教育の大切さ】より
数学者として知られる藤原正彦さんは長年、日本の国語教育のあり方に警鐘を鳴らし続けてきました。読書力の低下で、文学や詩歌など美しい国語に触れない日本人が増え、同時に人間としての大切な情緒が失われつつある現状もその一つです。
そうなった背景は何なのか、失われた日本語をこれからどのように取り戻していけばいいのか。大局的な視点から藤原さんにお話しいただきました。
国語がすべての土台になる
――藤原先生は数学者という立場から日本の国語教育のあり方について長年、警鐘を鳴らし続けていらっしゃいます。
〈藤原〉
私が国語教育を問題視するようになったのは20年以上前からです。ちょうど2000年を迎えたあたりから小学校で英語教育が始まったのですね。
だけど、私に言わせたら、国語教育を蔑ろにしたまま小学校教育に英語を導入するなど亡国以外の何物でもありません。国家が率先して、よくぞこのような教育をやるものだと言葉を失いました。
しかも、教育学者のほぼ全員が英語教育の導入に賛成していました。当時盛んに叫ばれていたグローバル化、地球市民という考え方に英語教育は合致するというわけです。でも、考えてみてください。世界の人々は皆、どこかの国の国民であって地球市民と呼ばれる人など一人もいません。
オーケストラにおいてヴァイオリンはヴァイオリンのように鳴って初めて認められるように、日本人は日本人のように考え、行動してこそ世界で本当の価値を発揮できるのです。
――その頃から、今日に至るまで国語教育は蔑ろにされてきたのですか。
〈藤原〉
小学校の国語の時間なんてどんどん減らされていますよ。大正時代、4年生で週14~15時間が充あてられていたのがいま4~5時間でしょう? そこに習字が組み込まれる場合がありますし、運動会、学芸会となると練習のために国語の授業が最初に削られる。国語は毎日話しているから削ってもいいという理屈です。
私も文科省や文化庁の国語教育に関する審議会の委員などを務めてきましたが、正常化の難しさを痛感してきました。
委員の半数以上が官僚にお墨付きを与えるための御用学者です。2~3割は文化人や芸能人やスポーツ選手で、残りの1~2割がいわゆる〝ガス抜き〟のための変人。私はいつもその変人の枠で選ばれていて(笑)、自分の主張を激しくぶつけてきました。
すると、国語教育絶対論者の藤原正彦が入って一応公平な審査が行われたという建前になるわけですね。
ウンザリしたのは、委員に選ばれる小中高の国語の先生も大学の国語の教授も考えが本質から乖離しているということでした。例えば、小学校の国語は「読む」「書く」「話す」「聞く」の技能がすべて平等でなくてはいけないという主張なのです。
これが人権思想の影響なのかどうかは分かりませんが、私ははっきり言いました。「小学校の国語において、比重は読みが20、書くが5、話すと聞くはそれぞれ1です。初等教育の目的は、子供たちが自ら本に手を伸ばすように育てること、それだけです」と。
さらに「学科で言えば、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と語気を強めて訴えました。
――初等教育では、そのくらい国語教育が重要ということですね。
〈藤原〉
しかし、先生たちは国語も理科も算数も社会も図画工作も音楽も体育も家庭科も皆平等に重要という捉え方なのです。確かにこれは民主主義的で理想のように思えるかもしれませんが、私は命懸けで教育の問題を考えているのだろうかと疑問を感じずにはいられませんね。
子供たちが弱い者いじめなど卑怯なことをやったら、いくら人権や平等などと言ったところで全く埒が明かない。「ならぬことはならぬ」とビシッと叩き込むしかないのです。これは理屈ではありません。幼児期から多くの優れた詩や小説に触れることによって、そういう人として持つべき卑怯を憎む心や惻隠の情などの情緒が培われるのです。
(本記事は月刊『致知』2022年7月号 特集「これでいいのか」より一部を抜粋・編集したものです)
《対談10P》藤原正彦さんが語る、豊かな国づくりへの具体的方策
藤原正彦(お茶の水女子大学名誉教授)& 櫻井よしこ(国家基本問題研究所理事長)
◉『致知』2023年2月号【対談】何が国を豊かにするのか◉
いま我が国は様々な内憂外患を抱えています。かつて吉田松陰は「天下の大患は其の大患たる所以を知らざるにあり」とも言っていました。
私たちが直面している問題の本質とは何か。どこにその根本原因があり、いかなる手を打っていけばよいのでしょうか。大ベストセラー『国家の品格』で知られる数学者の藤原正彦さんと、鋭く本質を突いた言論活動を展開するジャーナリストの櫻井よしこさんが口を揃えて力説するのは、読書を通じて自国の歴史や古典に学ぶことの大切さです。豊かで徳の溢れる国づくりへの道筋を大所高所から論じていただきました。
▲記事詳細はバナーから 何が国を豊かにするのか|
対談内容はこちら▼
初等教育は国語と読書に尽きる
歴史や古典に学ぶことを蔑ろにしてはいけない
罪意識扶植計画とアメリカニズムの蔓延
明治時代の後半から既に綻びが生じていた
武士道精神の中心にある「惻隠の情」
「十七条憲法」の原点は縄文時代にあった
スマホの禁止なくして活字文化の復興なし
家にある本の数と子供の学力との関係
「積善の家に余慶あり」から「積善の国に余慶あり」へ
◎各界一流の方々の珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数NO.1(約11万8000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。
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