⑤ 日本に来た契約の箱と三種の神器

http://hideki816.blog.fc2.com/blog-entry-135.html  【10 日本に来た契約の箱と三種の神器 5/5】より

  ニニギノミコト

 天孫降臨、つまり邇邇芸尊(ニニギノミコト)=イスラエル=神武天皇が、天降りしようとしたときのことです。

 記紀神話では、天皇家またヤマト(ヤハウェの民)は、ニニギ命の子孫ということになっており、ニニギは天孫民族の父祖とされています。 

 一方、ヤコブはのちにイスラエルと改名したイスラエル民族の父祖です。

 そして、「高天原」が神々の住まわれる場所として重要であるように、イスラエル民族の祖カナンの地に移る前に住んでいた所は、タガーマ地方のハランという町です。 (創世 11:31) そのことから「高天原 (タカマガハラ)」と名づけました。

 アブラハムは、紀元前2000年ごろ、シュメール文化の中心地の首都ウルで生まれました。

 彼は、シュメール人のサラを妻に迎えます。

 アブラハム一家は、神の祝福が宿る富豪としてその名声はウル全体に知れわたっていました。 ある日、父テラは家族全員を連れて北方の彼方にあるタガーマ地方のハランに移住する決断をします。 繁栄と恵みの象徴である彼らが突然ウルを去ることを知って動揺したシュメール人の同胞は少なくなかったに違いありません。

 多くの民はアブラハム一家を追ってタガーマのハランへと移住し始め、その結果、短期間で大勢のシュメール人がメソポタミア南部から消え去ることになったと考えられます。

 そのタガーマのハランでアブラハムは神と出会い、神からの啓示を受けて約束の地、カナンへと旅立ちます。そこでアブラハムの孫にあたるヤコブからイスラエルの12部族となる12人の子供が誕生します。

 日本神話では、はじめ天から降りる予定だったのはオシホミミですが、彼が準備している間にニニギが生まれ、あとから生まれたニニギが天から降り天孫の父祖となりました。

 『旧約聖書』では、エサウ(ヤコブの兄)がイサクの祝福を受ける予定でしたが、弟のヤコブが祝福を受け、イスラエル民族の父祖となりました。

 ニニギは、『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(アメニギシクニニギシヒコホノニニギノミコト)、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ニニギノミコト)と書かれます。

 「邇」の中に「爾」の字があり、「契約の箱」を暗示しているとも考えられます。 (詳細参照 10 日本に来た契約の箱と三種の神器 4/5)

 ニニギは、天照大神(ヤハウェ=イエス・キリスト)の子である天忍穂耳尊と高木神の娘である萬幡豊秋津師比売命(ほかにタクチハタチヂ姫などかずかずの名前が伝わっている)の子です。

 天照大神の命令を受けた建御雷神と天鳥船神が大国主から国譲りを受けて葦原中国(日本)の統治権を確保します。

 そののちに天照大神の命により、ニニギノミコトは葦原中国を統治するため高天原から地上に降りたとされます。

 名前の「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は「天地が豊かに賑う」の意味で、地上に子孫が増え天に帰る子孫も増えるということを表しています。

 「アマツヒコ」(天津日高)は天の神のことで、「ヒコ」(日子)は男性を差し、ヘブル語(ヘブライ語)で「ビコ(VQWR)」は「渡来」の意味です。

 「ホノニニギ」は稲穂が豊かに実ることの意味で、稲は稲荷の関連し、イエス・キリストを表し稲穂はイエス・キリスト​の​福音​を​受け入れた​人であるキリストの子を表しています。

 ニニギは、美人のコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)を娶ろうと申し出ますが、コノハナサクヤヒメの父親オオヤマツミは、不美人の姉イワナガヒメとともにニニギに嫁がせました。

 コノハナノサクヤビメは、桜の花が咲くように美しい女性の意味というのが通説です。

 桜の花は、アロンの杖であるアーモンド木の花によく似ています。   

 アーモンド、桜や梅は含めてバラ科で春になって一番先に芽吹く木です。

 イワナガヒメは岩の永遠性を表すものとされ、「岩」は、堅固な土台であり支えであるイエス・キリストとその福音を象徴的に示します。

 わたしの福音であるわたしの岩の上に建てなさい。 (教義 11:24)

 見よ、まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。これがわたしの福音である。

 そして、人々はわたしを信じる信仰を持たなければならず、そうしなければ決して救われない、ということを覚えておきなさい。

 この岩の上に、わたしは、わたしの教会を建てよう。 まことに、この岩の上にあなたがたは建てられる。 そして、あなたがたが続けるならば、地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはない。 (教義 33:12-13)

  イエス・キリストを信じる信仰

  救われる信仰  生きる力 1/2~2/2

 神が人に福音を明らかにされる手段である啓示を示す言葉としても用いられます。

 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。

 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 (マタイ 16:15-18)

 日本神話ではニニギは天から降りてくると美女のコノハナサクヤヒメに恋して彼女を妻にしようとしますが、彼女の父は彼女だけでなく姉の面倒も見て欲しいと言いましたが、ニニギはこの姉を父に返しました。

 『旧約聖書』では、ヤコブは美女ラケルに恋して彼女を妻にしようとしますが、彼女の父は姉も妻にしてやってくれと頼みますが、ヤコブは姉レアを嫌いました。

 日本神話ではニニギは、妻コノハナサクヤヒメとの間に山幸彦を授かりますが、山幸彦は兄(海幸彦)に苛められ海神の国に行き、そこで山幸彦は神秘的な力を得て田畑を凶作にして兄を悩ませますが、最後は兄を赦します。

 『旧約聖書』では、ヤコブは妻ラケルとの間にヨセフを授かりますが、ヨセフは兄達に苛められエジプトに奴隷として売られてしまいます。 

 そののち、エジプトの宰相の地位まで上りつめ権力をもち、兄達が凶作に苦しみエジプトに来たときに兄たちを赦します。

 このように、ヤコブ(イスラエル)の話が、ニニギと山幸彦(神武天皇)に反映されています。つまり、ニニギ=神武天皇であり、イスラエルであると表しているのです。

 イスラエルであるニニギ=神武天皇が天降りしようとしたときに、天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいました。

 『日本書紀』では、その神の鼻長は七咫(2m10cm)、背長は七尺(約12cm)、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているとされる姿でした。

 そこで天照大神(イエス・キリスト)と高木神(高皇産霊尊=ヤハウェ)は天宇受賣命(アメノウズメノミコト)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じました。

 その神が国津神の猿田彦(サルタヒコ)で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えにきたのでした。ニニギらが無事に葦原中国に着くと、ニニギは天宇受賣命にその名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けてその名前を付けて仕えるようにといいました。

 『日本書紀』では、猿田彦が天宇受賣命に自分を送り届けるように頼んだとなっています。

 そこで天宇受賣命は「猿女君」とよばれるようになったといいます。

 猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰りました。

 「五十鈴(いすず)」は、「イエス」の古代ギリシャ語では、イエースースに似ています。

  猿田彦

 身長2m10cmで、鼻の長さ約12cmの「猿田彦(サルタヒコ)」は、日本神話に猿田彦は神武天皇の東征に協力した神として記されています。

 『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場し、『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記します。

 記紀神話のころから存在している「天狗」とも同一視される場合があります。

 猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか 旧一志郡阿坂村 現松阪市)の海で漁をしていたとき、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ溺れ死にました。

 この際、海に沈んでいるときに「底ドク(底に着く)御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇るときに「ツブタツ御魂」、泡が水面で弾けるときに「アワサク御魂」という三柱の神様が生まれました。

 神道五部書の1つ『倭姫命世記』によれば、倭姫命が天照大神をまつるのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(オオタノミコト)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされています。

 大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられました。

 阿邪訶は地名ではなく、沖縄のアザカイであるという説もあります。

 アザカイとはシャコ貝のことですから、インドネシア系の「猿がシャコ貝に手を挟まれて死んだ」という説話が沖縄経由で伊勢地方に伝わったのでしょう。

 比良夫貝については分かっていないようですが、タイラギのことではないかという説もあります。

 ユダヤ密教のカバラでは、神の教えと知り神の証がありながら自ら進んで神に逆い続ける高慢でかたくな者たちが落ちる貝殻のように閉じた世界「クリフォト」といいます。

 イエス・キリストは、貝殻のように閉じた世界「クリフォト」に落ちたユダの裏切りの影響もあり、死刑になり肉体の死を克服して復活するために死なれました。

 なぜ猿田彦の名前に「田」の文字が使われているかというと、田はこの世の象徴であり、そこで育つ稲は人々の象徴で、イエス・キリストはこの世(田)で育つ人々(稲)を見守っている存在だからです。

 「天の八衝(やちまた)」とは、「天上から降る道の、いく筋にも分かれる辻」ことで、旅の行く先を決める岐路となる重要な場所に猿田彦はいました。

 衝(ちまた)は別れ道、通り道の意味です。

 「八(8)」の数字は、ユダヤ密教(カバラ)の秘数術(ゲマトリア)では、神の御子イエス・キリストの数字です。

ゲマトリアで神会を表す3を秘数とする場合、1つの方法に乗数があります。同じ数字を3回かけるのです。天父と御子イエス・キリストと聖霊の順位をそれぞれ1、2、3とし、これを3乗します。すると、1、8、27の数字が現れます。1は天父、8はイエス・キリスト、27は聖霊の秘数となります。 

そして、猿田彦は「上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神」と表現されています。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。この人はあかしのためにきた。 光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 (ヨハネ 1:1-9)

猿田彦は、「天の八衝」にいたと記述されていましたが、イエス・キリストが天の父のみもとへと続く「永遠の命」への唯一の道だからです。

 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。 しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。 (ヨハネ 14:6-7)

 『日本書紀』では、猿田彦の容姿は次のように表現されています。

その神の七咫(2m10cm)、背長は七尺(約12cm)、唇の両側の端は輝き、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いている。

 「鼻長は七咫、背長は七尺」とは、「7」がカバラ(ユダヤ密教)では「完全」を表すので、完全である神を信仰していて「顔に神の面影を受けている」ことを表しています。

 また、鼻が長く高く、高身長であることを表しています。

 まことに、主はこのように言う。自分の罪を捨て、わたしのもとに来て、わたしの名を呼び、わたしの声に従い、わたしの戒めを守る者は皆、わたしの顔を見て、わたしがいることを知るであろう。

 また、わたしが世に来るすべての人を照らすまことの光であること、また、わたしが父におり、父がわたしにおられ、父とわたしが一つであることを知るであろう。 父と一つであるというのは、父がわたしに御自分の完全を与えてくださったからである。また、子であるのは、わたしが世にいて、肉体をわたしの幕屋とし、人の子らの中に住んだからである。 わたしは世にいて、父から受けた。そして、父の業は分かりやすく示された。また、ヨハネはわたしの完全な栄光を見て、証した。ヨハネのすべての記録は、この後明らかにされる。彼は証して言った。「わたしは彼の栄光を目にし、また世界が存在する前に初めに彼がおられたのを見た。

 それゆえ、初めに言葉があった。彼は言葉、すなわち救いの使者であり、世の光であり、世の贖い主であり、世に来られた真理の御霊であった。彼が世に来られたのは、世が彼によって造られたからである。また、彼の中に人の命と人の光があった。もろもろの世界は彼によって造られた。人は彼によって造られた。 万物は彼によって、彼を通じて、彼から造られた。 わたしヨハネは証する。 わたしは御父の、恵みと真理に満ちておられる独り子の栄光としての、すなわち世に来て肉体に宿り、わたしたちの中に住まわれた真理の御霊の栄光としての彼の栄光を見た。また、わたしヨハネは、彼が最初から完全は受けず、恵みに恵みを加えられたのを見た。彼は最初から完全は受けず、恵みに恵みを受け続け、ついに完全を受けられた。

このようにして、彼は神の子と呼ばれた。彼は最初から完全は受けられなかったからである。 (教義 93:1-14)

 背の高さの「尺」は、「咫」と同じです。

 唇の両側の端は輝き、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという姿は、イエス・キリストを連想させます。   

 そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。 ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。 そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。 (黙示 1:12-16)

 それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。ダニエルは、主の栄光と威厳をこう表現しています。 

 目をあげて望み見ると、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、ウパズの金の帯を腰にしめていた。そのからだは緑柱石のごとく、その顔は電光のごとく、その目は燃えるたいまつのごとく、その腕と足は、みがいた青銅のように輝き、その言葉の声は、群衆の声のようであった。 (ダニエル 10:5-6)

「足までたれた上着」とは、ギリシャ語で「ポデーレース」といい祭司が着る服です。

「金の帯」とは、金が王を象徴しているので、王であることを表しています。

イエス・キリストは、御自身のことを「人の子」とも呼ばれました。

わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。 (ダニエル 7:13) 

 「そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり」とは、神の小羊とよばれた罪がない状態で、光り輝く状態のことです。 「目は燃える炎のようであった」とは、罪がなく日の栄えの状態であることを表しています。

目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。

しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。 (マタイ 6:22-23)

 問い。それらの生き物が持っていた目と翼によって、わたしたちは何を理解すべきか。

 答え。それらの目は、光と知識の表れである。すなわち、それらは知識に満ちている。

 また、それらの翼は力の表れであり、動く力や、行動する力などを表す。 (教義 77:4) 

 わたしたちの心から幕が取り去られ、理解の目が開かれた。

 わたしたちは、主がわたしたちに面して教壇の手すりの上に立っておられるのを見た。

 その足の下には、こはくのような色の純金の床があった。

 その目は燃える炎のようであり、その頭髪は清らかな雪のように白く、その顔は太陽の輝きに勝って光り輝いていた。

 また、その声、すなわちエホバの声は大水の奔流のとどろきのようで、このように言われた。 (教義 110:1-3) 

 栄光を受けられた救い主を正確かつ完全に描写することは、不可能です。

 しかし、言葉に表せない霊的な事柄を、人に理解できる事柄にたとえることにより、主の栄光と容姿を読者に感じさせることはできます。 

 「その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり」とは、罪がなく清い日の栄えの状態であることを表しています。

 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。 (ヘブル 4:12)

 「口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており」とは、 口から出る諸刃の剣は神の言葉を意味します。

 神の言葉は生きていて、力があります。 それは生命やエネルギーの源であり、真の力の源だからです。 昔の刀剣の多くは片刃でした。 もろ刃の剣が造られたとき、その武器の威力には目を見張るものがありました。 どう振り下ろしても切れるのです。これで分かるように、神の言葉をもろ刃の剣にたとえるのは鮮明な比喩です。 鋭い剣が手足を切断し、命を奪うほどに深く切り傷を与えるように、神の言葉もそれに耳を傾けようとしない人々に霊の死をもたらすほど強力です。 神の言葉には、剣と同じように人の魂を貫き、その最も深い部分を刺し通す力があります。 見よ、わたしは神である。わたしの言葉を心に留めなさい。

 わたしの言葉は生きていて、力があり、もろ刃の剣よりも鋭くて、関節も骨髄も切り離すほどである。それゆえ、わたしの言葉を心に留めなさい。 (教義 6:2) 

 まことに、万物を貫き通してささやき、それが現れるときにわたしの骨をしばしば震わせる静かな細い声は、次のように告げられる。 (教義 85:6) 

 そして、彼らが互いに語り合っていたとき、天から発せられるような声が聞こえた。

 しかし彼らは、自分たちに聞こえたその声の告げる意味が分からなかったので、辺りを見回した。

 それは耳障りな声ではなく、大きな声でもなかったが、小さな声でありながら、聞いた人々の心の中まで貫いたので、彼らの全身はことごとくそれによって震えた。

 まったく、それは魂そのものにまで彼らを貫き、彼らの心を燃え上がらせた。 (3ニフ 11:3)

 「顔は、強く照り輝く太陽のようであった」とは、日の栄えの状態であることを表しています。 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。 (マタイ 17:1-2)

 『古事記』での「ヤマタノオロチ」の容姿の表現でも「目が八咫鏡のように、またホオズキのよう」とあります。 ヤマタノオロチは『日本書紀』で八岐大蛇、『古事記』で八俣遠呂智と表記しています。 ヤマタノオロチは「契約の箱」のことも暗示し、メノーラーの一種ハヌッキーヤー」を表しています。

 メノーラーが7枝であるのに対しハヌッキーヤーは9枝で、ヤマタノオロチは8つの叉で9つの頭です。 (詳細参照 ヤマタノオロチ)

 メノーラーは原始ユダヤ教徒だった徐福たちが日本に持ってきて、ハヌッキーヤーは原始キリスト教徒の秦氏が契約の箱とともに日本に持ってきて、旧約神道(原始ユダヤ教)から新約神道(原始キリスト教)に移行する国譲りの際に、先住民だった原始ユダヤ教徒だった物部氏、海部氏に渡したと考えられます。

 出雲大社には、メノーラーとハヌッキーヤーがあると考えられます。 (9 東へ移動した10部族 1/3~3/3)

 猿田彦の唇の両側の端は輝き、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているとは、猿田彦がイエス・キリストの面影を猿田彦の顔に受けていることを表しているのでしょう。 

 教会の同胞よ、わたしはあなたがたに尋ねる。あなたがたは霊的に神から生まれているか。

 あなたがたの顔に神の面影を受けているか。あなたがたは心の中に、この大きな変化を経験したか。』(アルマ 5:14)

 このような変化は「再び生まれ」て「改心」するときに起こります。

 私たちはキリストの弟子として自分の意志を神に従わせて、順調なときは負荷を自分で上げて強度を上げ、罪を犯したときに悔い改めるなら成長する喜びや赦される喜びを味わいます。

ᅠこの神とともに喜べる救いのための喜びが、私たちの生活の一部となり、私たちの考え方や感じ方を形作り「改心」にいたります。

 改心は過程であり、瞬間的な出来事ではなく、神に従おうとする正しい努力の結果として改心するのです。

 神の御心と和解しなさい。

 悪魔の意志と肉の思いに自らを従わせてはならない。

 また、神と和解した後にあなたがたが救われるのは、ただ神の恵みによること、また神の恵みを通じてであることを覚えておきなさい。 (2ニフ 10:24) 

 恵みとは、私たちがイエス・キリストの贖いを通じて受ける神聖な助けと力のことです。

 神の恵みにより、この世に生まれたすべての人は復活します。

 私たちの霊は再び肉体と結合して、二度と離れることがありません。

 また、主の福音に従って悔い改める者は、赦しを受けることができ、主イエス・キリストの憐れみと愛を通じて受ける、救いを可能にする力と霊的な癒しを受けることができます。

 主の福音に従う私たちは日々、神の恵みの助けを受けています。

 神の恵みのおかげで力が増し加えられ強くなり、自分の力ではできないようなことができるようになるのです。

 私たちは自力で救いを得ることができず、または救いを受けるに値するようにもなれません。

 救い主は罪のない、すべての力をもっておられる御方であり、私たちが救われるのは、主の功徳(慈しみまたは卓越性)によってのみです。

 恵みと憐れみは似ており、関連していますが、重要な点で異なります。

 憐れみを受けるということは、当然の報い(罰)を受けないということです。

 恵みを受けるということは、本来なら受けれないもの(祝福)を受けるということです。

 このように、救い主の犠牲によって、私たちが受けるべき罪の罰を逃れ、受けられない賜物を受けることができるのです。

 神は私たちに、信仰、悔い改め、バプテスマの儀式で聖約を交わし守ること、聖霊の賜物を受ける儀式を受けること、そして改心して従順に最後まで堪え忍ぶことを命じられました。

 私たちが主イエス・キリストの贖いを通じて受ける神聖な助けと力のキリストの恵みは、私たちを変えるのに十分であり、その変化の過程が私たちとイエス・キリストの助けによって遂行されるかぎり、私たちを助けるには十分です。

  神のように成長する改心 1/3~3/3

 咫(アタ)は、古代の長さの単位で、親指と中指を開いた間の約20cm程度です。

 アタについては、ほかに吾田もあります。

 「咫」の「アタ」は、「吾田」であり「自分の田」の意味です。

 末日聖徒の学者で、古典、古代史、モルモンの歴史、古代キリスト教史、モルモン書の研究、古代エジプトの研究に貢献したヒュー・ウィンダー・ニブリーによれば、ニーファイ人の子孫のホピ族の儀式はエンダウメントの儀式といくつかの点で似ていて、エンダウメントがフリーメイソンリーの儀式に似ているよりもホピ族の儀式がエンダウメントに近いといいます。

 ニーファイ人の子孫であるホピ族の地球のシンボルは、コンパスと直角定規を示します。 (詳細参照 ホピ族)

                 hppi chikyuu

 ジョセフ・スミスの著書『エジプト文字と文法』において、地球に割り当てられた文字も同様の形です。

                 JaOhEh

 大工が使用していた尺は長い間たってもほとんど変化しないで使用された直角定規でです。

 イエス・キリストの育ての父親は義人ヨセフです。

 ヨセフの職業は、大工です。

 イエスは、ヨセフを手伝い大工をしました。

 この人は大工ではないか。

 マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。

 またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。

 こうして彼らはイエスにつまずいた。 (マルコ 6:3) 

 コンパスは円形で「天」を表し、直角定規は四角形で「地」を表し、ユダヤ密教(カバラ)が基の道教の世界観の天円地方(てんえんちほう)にもあります。

 初めのころの日本の国旗は、正方形いっぱいに赤い円が描かれました。

 この正式な日本国旗は、コンパスでの円形「天」と、直角定規での四角形「地」を表しているのです。

 「日の丸」の旗の起源は古く『続日本紀』には、紀元701年の文武天皇の時代の正月元旦の儀式会場の飾りに太陽の像の旗を掲げたとあり、これが「日の丸」の原型で最も古い物といわれています。

 現存する最古の日の丸の旗としては、後冷泉天皇(1025年‐1068年)より源義光へ与えた旗があり、甲斐源氏の宗家の甲斐武田氏に家宝として伝えられました。         

 現存最古の日の丸の旗である甲斐武田家家宝 山梨県、雲峰寺所蔵    

 観測衛星の最新データによると、太陽は自然界で最も丸い物体でほぼ真球であると分かりました。           

 フリーメイソンリーのシンボルの1つも、コンパスと直角定規です。

 コンパスで上向き三角形と直角定規で下向き三角形を表して、ダビデの星、ウリムとトンミムを形成します。 中央の「G」とは、ヘブル文字の「 ג 」(ギーメル)のラテン文字に変換した「G」で、ユダヤ密教(カバラ)の文字を数に置き換える数秘術ゲマトリアでは、3を意味し、3神の神会を象徴しています。

 田は、穀物を栽培するための農地であり、日本では主に米が栽培されます。

 「米」を「八十八」と書きますが、「八」はユダヤ密教カバラの秘数術(ゲマトリア)でイエス・キリストの数字です。

 ヤハウェは「マナ」を与えます。  

 さらに「米」の「八十八」の実態は、十字(磔刑)を中心とした上下合わせ鏡の区分けです。 傑刑の対称位置には「八八」があり、八が鏡に写った構造になリ、旧約の神ヤハウェと新約の神イエス・キリストが 同一と示しています。

 猿田彦の目が八咫鏡のようなのは、「十戒石板」が「金版」から「八咫鏡」になったように、猿田彦が神の言葉を常に見ていて従順であるという意味でしょう。 (詳細参照 16 三種の神器が証する『モルモン書』)

  天狗と山伏

 天狗は、山伏姿です。 仏教が紀元7世紀に日本へ輸入される前に山伏は存在しました。

 山伏とは、山で修行をする修験道の行者のことであり「修験者(しゅげんじゃ)」ともいいます。 修験道は山岳仏教といわれ仏教の密教と神道が混合したものですが、実態はユダヤ密教(カバラ)が基です。 もちろん仏教が入り込んでいますが、それは仏教の密教であり仏教の密教もユダヤ密教が基です。

 密教は、すでに中国においてユダヤ密教(カバラ)が基である道教の影響を受けており、陰陽道と通じる部分が多いです。 密教の源流であるインドのタントラ思想には、ユダヤ密教が存在しているのです。 (参照)

 森羅万象を陰と陽で読み解く思想を「陰陽思想」といいます。

 歴史的には古代中国で発祥した思想とされますが、その起源は神の教えでありアダムのときから地上にあります。

  救いの計画

  福音 

  イエス・キリストの福音 L・トム・ペリー長老 十二使徒定員会

 天の御父は私たちが御自身のようになれるように、計画を備えてくださいました。

 この計画のおかげで、私たちは贖いを通して完全な者となって、満ちみちる喜びを得、永遠に生きることができるようになりました。

 リーハイは「アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである」と宣言しました。(2ニフ 2:25)

 最も偉大な喜びは、永遠の命です。

 主は「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である(モーセ 1:39)」と宣言されました。

 ブリガム・ヤング大管長は、こう説いています。

 「現世に私たちが存在しているのは、父なる神のもとに戻って昇栄するという唯一の目的のためだけである。」 (『ブリガム・ヤング説教集』 p.37)

 預言者ジョセフ・スミスは、次のように述べています。「幸福は、私たちが存在する目的であり、計画である。 また、そこへと続く道を歩み続けるならば、私たちの存在理由となる。

 この道は、徳、高潔さ、忠実さ、神聖さ、そして神のすべての戒めを守ることである。」 (Teachings of the Prophet Joseph Smith p.255-256)

https://www.youtube.com/watch?v=W9Bj_n8fgx4

人は善悪をわきまえることを十分に教えられている。 また、人には律法が与えられている。

しかし、この律法によって義とされる者はだれもいない。すなわち、この律法によって人は絶たれるのである。まことに、現世にかかわる律法によって人は絶たれ、また霊にかかわる律法によっても人は良いものから絶たれて、とこしえに惨めな状態になる。

 したがって、贖いは聖なるメシヤによって、またメシヤを通じてもたらされる。 それは、メシヤが恵み真理に満ちておられるからである。

見よ、メシヤは律法の目的を達するため、打ち砕かれた心と悔いる霊を持つすべての人のために、罪に対する犠牲として御自身をささげられる。このような人々のためにしか、律法の目的は達せられないのである。

 したがって、これらのことを地に住む者に知らせて、聖なるメシヤの功徳と憐れみと恵みによらなければ、だれも神の御前に住める者がいないことに気づかせるのは、何と大切なことであろうか。聖なるメシヤは、肉において御自分の命を一度捨て、そして、死者の復活をもたらすために御霊の力〔the power of the Spirit〕によって再びそれを得て、最初によみがえる者となられる。したがって、メシヤは神にとって初穂となられるので、すべての人の子らのために執り成しをしてくださる。だから、メシヤを信じる者は救われるのである。

 また、すべての人への執り成しがあるので、人は皆、神のみもとに来る。そのため、彼らは神の御前に立ち、神の内にある真理と聖さによって裁かれる。 したがって、聖者が授けられた律法の目的は、定められた罰の執行にあり、贖罪の目的を達するために定められた罰を科することは、同じ目的で定められている幸福を与えることと相対している。 それは、すべての事物には反対のものがなければならないからである。

 荒れ野で最初に生まれた息子よ、もし事物に反対のものがなければ、義は生じ得ないし、邪悪も、聖さも惨めな状態も、善も悪も生じ得ない。

 そうすると、すべての事物は混じり合って一つとならざるを得ない。

 したがって、事物が一体となるならば、生も死も、朽ちる状態も朽ちない状態もなく、幸不幸も、意識も無意識もなく、死んだ状態で続かなければならない。

 そうすると、すべての事物は無用に造られたということになり、したがって、創造には何も目的がなかったことになる。

 そのため、この一体となった事物は神の知恵とその永遠の目的、また神の力と憐れみと公正を滅ぼしてしまうに違いない。

 もし律法がないと言うならば、罪もないと言わなければならない。 もし罪がないと言うならば、義もないと言わなければならない。 そして、もし義がなければ、幸福はない。

 そして、義も幸福もなければ、罰も不幸もない。 そしてこれらのものがなければ、神は実在しない。 神が実在しなければ、わたしたちは存在せず、大地もない。

 なぜならば、作用するものも作用されるものもなく、事物の創造はあり得なかったからである。 そこで、すべての事物は消えうせていたに違いない。 (2ニフ 2:5-13)

 役小角(えんのおづの 紀元634年伝‐706年伝)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者です。

 実在の人物ですが、伝えられる人物像はのちの伝説によります。

 通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれ修験道の開祖とされています。

 役小角は賀茂氏です。

 役小角は「賀茂役君小角(かもえんのきみおづぬ)」ともいい、奈良の葛城山系の賀茂氏で系譜によれば、この賀茂氏はのちに「高賀茂氏」を名乗ります。

 役小角が歴史的に初めて現れるのは、平安初期の歴史書『続日本紀』です。

 役小角は優秀な修験者で陰陽師である賀茂氏、つまり大祭司なのです。

  神道管理組織「八咫烏」

 八咫烏(やたがらす)は、日本神話において神武東征の際、神武天皇を熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏です。 (参照)

 一般的に三本足のカラスとして知られています。

 『古事記』では、八咫烏を遣わしたのは、高御産巣日神です。

 『日本書紀』では、八咫烏を遣わしたのは、天照大神です。

 高御産巣日神はヤハウェであり、天照大神はイエス・キリストです。

 日本における「八咫烏」とは、神道の祭司を指導する指導者組織です。

 紀元3世紀末にイスラエル10部族と原始キリスト教徒たちが日本に来て、旧約の神道を新約の神道に更新しました。

 すでに日本には、ユダヤ人の徐福たちの子孫である海部氏、物部氏のユダヤ教である旧約神道がありました。

 つまりニギハヤヒ命は物部氏であり、物部氏、海部氏の神道指導者組織が神話での八咫烏なのです。

 そして、原始キリスト教徒である秦氏の長の神武天皇に王権を譲った物部氏、海部氏は裏側で神道と天皇陛下を支えました。

 なぜ原始キリスト教徒の指導者組織の八咫烏は、秦の始皇帝や徐福のトーテムの烏と同じトーテムにしたのでしょうか。 (参照)

 原始キリスト教徒の秦氏は、秦の始皇帝や徐福集団の子孫たちと同族になったのです。 

 「八咫烏」の起源は徐福集団(のちの海部氏)のレビ族の大祭司、祭司たちの指導者組織です。

 そして、原始キリスト教徒の神武天皇や秦氏が渡来したときに、原始キリスト教徒の祭司たちの指導者組織の形態に変更され、のちに聖徳太子がを指導者組織を陰陽師集団「八咫烏」とし、現在まで続いているといわれています。

 陰陽道には、表の陰陽道と裏の陰陽道があります。

 裏の陰陽道のことを迦波羅(伽波羅 カバラ)といい、裏の陰陽師のことを漢波羅(カンバラ)とよびます。

 迦波羅とはユダヤ密教「カバラ」のことで、漢波羅とはカバラを理解した者「カバリスト」を意味します。

 徐福のころから原始キリスト教徒と同化した当時も、ユダヤ教である旧約神道と原始キリスト教である新約神道の指導者組織はありました。

 ユダヤ教である旧約神道が原始キリスト教である新約神道に移行したのちも、指導者の多くは海部氏、物部氏でした。

 これは先住民の海部氏、物部氏を統率するには、同じ海部氏や物部氏のほうが効果的だったからと思われます。

 旧約時代は、神権はレビ族の血統により継承されてきましたが、新約時代になり血統にこだわらずふさわしい男性が神権をもてるようになりました。 (参照)

 ユダヤ教の物部系の神社は、イエス・キリストの贖罪の犠牲の象徴として動物の犠牲の儀式を行っていて、牛などをささげていました。 

 しかし、イエス・キリストが神会の管理する宇宙の全人類の罪を背負って十字架上で最後の生け贄となって死なれたので、動物の犠牲をささげることは行わなくなり、秦氏は動物の犠牲の儀式をやめるように全国の神社に指示されました。

 「鴨が葱を背負ってくる」の言葉がありますが、「鴨」は賀茂氏のことであり「葱」は禰宜で神社の宮司や神官のもとで働く神職を意味します。

 賀茂氏が禰宜を背負ってくるというのは、「賀茂氏が禰宜を派遣する」という意味なのです。

 物部系神社は秦氏系より古く、諏訪大社、出雲大社、大神神社などで本部は籠神社です。

 秦氏系は、稲荷神社が一番多くあり多くの八幡神社、そして本部は伊勢神宮があります。 (イナリ 参照)

 旧約式の神社は、秦氏の伝道とともに新約式に移行しましたが、改宗しない祭司は隠れて、動物の犠牲の儀式を続けていました。

 近年まで物部系の諏訪大社では、動物の犠牲の儀式を行っていました。

 そして、後世に仏教が日本に導入されてからは動物の殺生を禁じる仏教の教えから、動物の犠牲の儀式はより隠されました。 (仏教解明 参照)

 イエス・キリストに従う大祭司であるアロンの子孫は、イスラエル人に対して、次のように思っているはずです。

 主はまたモーセに言われた、「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』 彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」 (民数 6:22-27)

兵庫県の赤穂の大避神社の境内には古い井戸が1つあり、井戸の壁面が12本の石柱となっています。 井戸の名前は「いさら井」といいます。

同じ「いさら井」の名前をもつ井戸が、秦河勝が建立した京都の太秦の広隆寺にもあります。 

「いさら井」とは、イスラエルのことです。『聖書』には「ヤコブの井戸」が登場します。

そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。 この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。 時は昼の十二時ごろであった。

 ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。 弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。

 すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。

 イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。

 あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。

 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。 (ヨハネ 4:5-14)

この聖句で言われている「生ける水」は、主イエス・キリストとその教えのことです。水は肉体の命を維持するために必要ですが、救い主とその教えは、永遠の命を得るために不可欠です。 秦氏は、イエス・キリストが「永遠の命」を説いた場所を再現したのです。 

 ヤコブはイスラエルと改名し、イスラエルの子孫からイスラエル12部族が誕生しました。

つまり「いさら井」がイスラエルの井戸であれば、それに使用された12本の石柱はイスラエル12部族を象徴しています。秦河勝が坂越に来たとき、一緒に来た家来が12人おり、その子孫12家が大避神社の筆頭氏子になったといいます。秦河勝が率いて来た家来の12人は、十二使徒です。

 広隆寺の近くに大酒神社があります。 大酒神社は古くは「大辟(おおさけ)神社」と表記しました。 「辟」は、重い刑罰、死刑を意味します。

 そして、唐の景教(ネストリウス派)では「大辟」の字に似ている「大闢(だいびゃく)」とは、ダビデのことです。 イエス・キリストは血統は、「ダビデの子孫」として生まれ「ダビデの子」と人々によばれていました。

 ナタンは、ダビデにこのように神の約束の言葉を告げました。

 あなたが日が満ちて、先祖たちと共に眠る時、わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。 わたしは長くその国の位を堅くしよう。 (サムエル下 7;12-13)

それを受けてイザヤものちにこう預言しています。ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

 そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。 (イザヤ 9:6-7)

 「大辟神社」とは、「ダビデの子、イエス・キリスト神社」の意味なのです。

秦河勝(聖徳太子)は暗殺されている可能性が高いです。

日本の歴史の中で、聖徳太子、孝徳、称徳、文徳、崇徳、安徳、順徳天皇などの名に「徳」の字が付くのは、不遇な死を迎えている場合が多いです。

預言者の秦河勝(聖徳太子)が暗殺されてしまったので、地上での神権の行使を指示するために、天の御父が神権指導者に授けられた「神権の鍵」が失われ、教会が存続できなったのでしょう。

 現在の神道の管理組織「八咫烏」は、イエス・キリスト教会の組織ではなく、真の神道と神器を守るために存続しています。

 そして、イエス・キリストの再臨の直前に、末日聖徒イエス・キリスト教会と合流します。

  聖徳太子  

 聖徳太子は称号です。

 聖徳太子とは、女帝の推古天皇の裏に回った摂政であり秦氏の長、神道の長である秦河勝が太子の正体です。 聖徳太子とは後世の呼称で、生前は聖徳太子の母親の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)が馬小屋の前にさしかかったときに生れたので、厩戸皇子とよばれていました。

 当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通で、育った土地の名前を付ける慣習がありました。 穴穂部間人皇女の「穴穂」も地名に由来することになります。

 大和周辺に「穴穂」の地名は河内と奈良の石上にあり、どちらも物部氏の領地です。

 穴穂部間人皇后は、海部氏です。 海部氏がいた京都府京丹後市には、「間人(たいざ)」という地名が現在も残っています。 また、「間人(はしひと)」の字は、同音のペルシャを意味する「波斯(はし)」で「波斯人(はしひと)」とは「ペルシャ人」です。

 物部氏の祖先はアケメネス朝ペルシャから東の秦朝へ移動したユダヤ人の子孫です。 (参照)聖徳太子の母親の穴穂部間人皇女は海部氏のユダヤ人で、父親の第31代用明天皇はレビ族なのです。 

 天皇の系譜で、第25代武烈天皇と第26代継体天皇の間に血統が断絶しているので、そのときにガド族からレビ族に代わりました。

 そして、ガド族の天皇家が血統が断絶したのち、10部族はどの部族が天皇陛下になるかで争いになりました。

 聖徳太子が「10人の言葉が聞き分けれた」という逸話は、この10部族の間の混乱を収めたことを表すと解釈することができます。

 物部氏の歴史が記されている『先代旧事本紀大成経』は偽書とされていますが、多くの真理を含んでいて正しい内容も多いです。

 『先代旧事本紀大成経』では、聖徳太子は「身長七咫二寸」で「咫」は親指から中指の先端までの長さです。 (詳細参照)

 『日本書紀』では「咫」、『古事記』では「尺」の字を用いています。

 「尺」の本義と同じです、当時の尺とは長さが違いすぎたために『日本書紀』では、それより短い「咫」の字をあてたものと思われています。 (坂井 希美子「身体尺"咫""尋"を扱う教材の研究 : 教科書等で取り上げられている算数的活動を通して」 『教材学研究』 第28巻 p.159-166)

 聖徳太子の身長は180cm、78kgと推定されています。

 平均身長が160cmの飛鳥時代では大柄で、根拠となったのは聖徳太子の等身大とされる法隆寺の夢殿に保存されていた救世観音です。

 そして、『先代旧事本紀大成経』では瞳は紫色と記述されています。

 ユダヤ密教(カバラ)が基の道教の五色では紫が黒です。

 聖徳太子の母親の穴穂部間人皇女は、ペルシャ人の血が濃かったかもしれません。

 『日本書紀』の記述では、次のようにあります。

 崇峻元年春(紀元588年)に、寺院の建築士であるダラミタ(太良未太)、モンケコシ。

 露盤(ろばん=露盤は塔の屋根頂部に置いて雨仕舞の役割を果たす建築部材)博士であるショウトクハクマイジュン。

 瓦博士のマナモンヌ、ヨウオキモン、リョウキモン、シャクマタイミ。

 画工のビャッカが来た。

 京都大学名誉教授のペルシャ学の権威である伊藤義教はこれらの名称を考察し、中世ペルシャ語でダラミタは寺工を意味しコンケコシはテント型のお堂、ショウトクハクマイジュンは露盤、マナモンヌは屋根ぶき、ヨウキモンは丸瓦、シャクマタイミは鬼瓦、ビャッカは彫刻を意味すると判明しました。

 奈良県の飛鳥寺が彼らの技術で造営されました。

発掘調査により、飛鳥寺の伽藍配置は高句麗や百済の寺院の例に類似することが分かっています。 (参照)

百済から来た職人はペルシャ人か、またはペルシャ語が百済に伝わり、職人の名称を直接ペルシャ語から使用したかでしょう。

聖徳太子の伝説は、イエス・キリストに起こった出来事を基にしています。

『上宮聖徳法王帝説』には、こう記されています。

 あるとき、間人皇后の夢の中に金色に光り輝く僧侶が現れ、自らは西方から来た「救世観音菩薩」であると称し、「我に救世の願あり。しばらく皇女の胎に宿る」と告げました。 (参照) 

 間人皇后は辞退しましたが、「これは宿世の縁なり。これによって国本立ち、多くの民の救われることを思い、心安らけくおわすべし」と告げ、一筋の金色の光と化して間人皇后の口から胎内に入り、間人皇后は懐妊しました。 

 『日本書紀』22巻、推古天皇条には、こうあります。

 穴穂部間人皇女は、ご出産予定日に禁中(皇居)を巡察されて、馬司(うまのつかさ)のところにおいでになった際に、厩(うまや、馬小屋)の戸に当たられた拍子に難なく出産されました。

 聖徳太子の誕生の説話は、イエス・キリストの誕生の説話と似ています。 

 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。 (ルカ 1:26-35)

 『新約聖書』では、マリヤに天使のガブリエルが現れて、救世主の受胎を告げられ、聖霊の力によって懐妊し、馬もいた家畜小屋(洞窟)で、イエスは生まれました。 

 そして、蘇我馬子を漢字を分解すると、「我、蘇りし、馬小屋の子」となります。

 「聖徳太子」漢字破字法で読み解くと、次のようになります。

 「聖」の意味は最上級の清さで、は「耳・口・王」となるように、「王(神)の声(口)をよく聞く(耳)ことができる」の意味で「預言者」のことです。

「徳」、原字は「彳悳」で、漢字分解すると「彳・直・心」。「彳」は漢和辞典では「十字路」で、意味は「小またで歩く」。 「直」は「真っ直ぐに正す目」の意味で、「目の上に十字が立った象形文字」。「心」は心臓の象形で、意味は「精神の中心」。

 つまり、十字架上で磔刑にされたイエス・キリストを見て、心に留めるということです。

「太」は「大と大を重ね非常に偉大」で、際上級の偉大さです。「子」は、そのまま「親に対する子」の意味です。したがって、「聖徳太子」の意味は「預言者、キリストの子」です。

 キリストの子とは、イエス・キリストの福音を受け入れ従う人です。

 「冠位十二階」や身分をなくす実力本位の人材当用は、イエス・キリストの十二使徒の選抜方法です。イエスはサンヒドリンの高慢な祭司や律法学者ではなく、信仰があり謙遜な漁夫や取税人という一般の人材から選んでいます。

          伊賀忍者

 そして、秦河勝のころに、八咫烏と対して置かれたのが「忍(しのび)」です。

 甲賀や伊賀の忍者の里は、八咫烏の領域の中央辺りに置かれています。 日本の表記「伽耶」は、中国の表記では「加羅」です。

 「カラス」の名は秦氏の大集団が日本海を渡る前に朝鮮半島の南に建国した「加羅に巣」を置いたことに由来するともいわれます。八咫烏は裏で神道とこの国を支えています。

 八咫烏は皇室と同じく戸籍をもっていなく、皇室と同じように国民ではありませんん。

 そして、公務で忙しい表の天皇陛下が行えない神道の儀式は八咫烏が代行します。

 八咫烏は、原始キリスト教会と同じく70人の指導者がいて、12人の上位組織があり「大鳥」とよばれます。

 12人の大鳥のうち上位の3人でグループになり、天照大神と思いや望み、目的において、一致しているので、天照大神を表す「金鵄(きんし)」とも呼ばれ、裏天皇ともよばれます。

 八咫烏は、イエス・キリストが地上にいたときの大管長会や十二使徒、七十人、弟子たちの子孫なのです。現在この地上で唯一真のイエス・キリストの教会では、十二使徒と加えて3人の大管長会があります。

  教会の管理

  十二使徒と七十人、第1部―七十人に関する啓示と役割

  十二使徒と七十人、第2部― 一つとなって働く

  十二使徒と七十人、第3部―世界への証

 初代の十二使徒のうち、ペテロとヤコブとヨハネの3人は大管長会としてイエスから選任されていましたが、これが今日の「金鵄」なのです。

 「金鵄」の呼び名を付けたのは、イエス・キリストを象徴していて、思いや望み、目的においてイエス・キリストと一致していることを示しています。金鵄は表には出てきません。

神道には、神に従う人向けの裏の真の教えと神に従わない人向けの表の教えがあります。教えに裏があるということは、天皇にも表と裏があることを意味します。この世的な神に従わない人々が目にする天皇は、表の天皇陛下です。天皇陛下とは神道儀式を行う中心的存在で、祭司です。明治時代になって天皇陛下は国家の元首となり、日本が戦後に民主主義になった現在は天皇陛下は外交行事や民行事などにかかわり古来の儀式を十分に行う時間がなくなってしまいました。今の天皇陛下に儀式のすべて負わせるのは不可能で、儀式の中でもに秘儀の多くは裏天皇の儀式として行われることになりました。

 八咫烏には、賀茂氏もいます。

 奈良盆地の南西部の地域である葛城(かつらぎ)の賀茂氏は高賀茂を称しますが「鷹賀茂」のことです。賀茂氏の祖である「賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)」(鴨建角身命)は、新約時代の「八咫烏」1人です。

 平安時代編纂の氏族の由来を記した『新選姓氏録』には加茂氏の祖神である初代八咫烏の賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)が大烏に変化した記述があります。

 つまり、十二使徒の賀茂建角身命が大烏(十二使徒)に入ったのです。 同じく名に「角」の文字をもつ「賀茂役小角」がいます。

 役小角の「役」とは「燕(つばめ)」のことで、実際は「燕小角」です。このほか、賀茂氏は多くの鳥を名に選んでいて、鳥の名は1つの暗号です。

 しばしば賀茂建角身命と同一視される阿治須岐高日子根命(アジスキタカヒコネノミコト)の阿治は「アジ 」(トモエガモ)のことで、同じく賀茂氏である三島溝咋(ミシマミゾクイ)のミゾゴイ(ミゾクイ)も鳥です。

 上賀茂神社、下鴨神社とともに秦氏三所明神とよばれた松尾大社の創建者である秦都理(ハタノトリ)も、その名の「都理」は「鳥」を意味しており、賀茂氏と同族であった証として賀茂都理の名前も伝えられています。卜部氏(うらべし)が支配していた対馬を代表する祭祀氏族「阿比留(あひる)氏」は、家鴨(あひる)です 忌部氏は、秦氏の中の祭司のレビ族です。忌部氏の祖先は、布刀玉命(フトダマノミコト)といい、その息子は天日鷲神(アメノヒワシノカミ)で「鷲」の名をもちます。

 天日鷲命は四国阿波国の忌部氏の祖となりましたが、忌部神社の伝承によると正式には天日鷲翔矢命(アメノヒワシカケルヤノミコト)といい、金鵄と同一神であるといいます。

 長髄彦との戦いにおいて神武天皇の弓矢の先に止まり、その神々しいまでの輝きで敵軍を圧倒した金色の鵄(とび)は、その場に降臨したイエス・キリストを表しています。

 象徴としての金鵄は使ったのは、徐福が用いていた神の教えが起源の中国のユダヤ密教が基である道教における「金烏(きんう)」からです。

ユダヤの古文書には、預言者を鳥として描いた文書があります。このように、神道祭祀にかかわる者は鳥の名をもっています。

 上賀茂神社、下鴨神社の大祭司である賀茂氏が、神道の総元締めとして代々天皇陛下の祭祀儀式を取り仕切ってきました。 伊勢神宮と賀茂神社が表裏一体の関係にあり、全国の神社の頂点に立つのは伊勢神宮ですが、八咫烏の本窮地であり、実質的な権限を握っているのは賀茂神社です。

                    河合神社

 伊勢神宮の皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)を裏で支えているのは「伊雑宮(いざわのみや)」という物部系の伊勢神宮であり、下鴨神社と上賀茂神社を支えているのは下鴨神社境内にある物部系の河合神社です。

 下鴨神社の境内は「糺の森(ただすのもり)」があり、「糺す」は罪の有無を追及することで池で罪が赦されるバプテスマの儀式が行われていました。

 八咫烏の本拠地は、下鴨神社です。

 モーセの律法のもとでは、イスラエル12部族からは聖別され、神の儀式を執り行う役目が担ったのがレビ族です。

 レビ族の男性はレビ人とよばれ、レビ族の中からアロンの家系の者が祭司の職にあり、アロンの子孫の中の長男は大祭司の職になりました。

 イスラエルが北イスラエル王国と南ユダ王国に国が分裂したときも、両方の王国にレビ族はいました。

 レビ族、祭司、大祭司がいなくて儀式が行えないのです。 

 秦氏の中でも、レビ族は表立って秦氏と名乗りませんでした。

 レビ族はイスラエル12部族には含まれない特別な部族で、それが意識された結果でしょう。 賀茂氏は秦氏と密接な関係にありながら、秦氏とは称していないのです。

 レビ族には、レビ人、祭司、大祭司の階級があり、役割が違っていました。

 モーセの律法のもとでは、血統的に預言者モーセの兄アロンの家系の長男だけが大祭司になれましたが、キリストの降誕によって世襲の誓約が取り除かれ、部族を問わずすべてのふさわしい男性が大祭司の職に就くこともできました。 (参照)

 レビ族は物部氏、海部氏のほか、中臣氏(なかとみし)やト部氏(うらべし)などがいますが最も古いのが忌部氏です。 レビ人である忌部氏はユダヤ教の祭礼や儀式に必要なものを用意します。 大嘗祭で天皇が着る麁服(あらたえ)の麻は、四国の忌部氏である三木家が代々作り続けていて、神道の儀式は、忌部氏が中心で忌部氏の中でも、さらに天皇陛下の祭祀を直接行うことができるのが「賀茂氏」なのです。

 三木は三本の木の意味で、命の木の象徴図形から分かるように神会を表しています。

 中臣の「中」とは「間」で神と人の間にあって、啓示を伝える氏族であることを表しています。日本に限らずアジアでは、動物の骨を焼き、そこに現れ出るひび割れによって吉凶を占いました。中でも、鹿の骨で行う「鹿卜(しかうら)」や亀の甲羅で行う「亀卜(きぼく)」が最も多いです。こうした占いはいませんが、神の意思をしるために務めていたのが「卜部(うらべ)」です。

 卜部と中臣氏は同族で、ともに表の儀式である宮中祭祀を担っています。 平安時代になると、中臣氏の勢力が大きくなり、神祇官(じんぎかん)の長官には「白川伯王家(しらかわはくおうけ)」、次官には藤波家(おおふじなみけ)と吉田家が世襲するようになります。

 彼らが台頭してきたきっかけは、紀元645年の「大化の改新」です。 このとき「中大兄皇子(のちの天智天皇)」と組んで中臣鎌足が蘇我入鹿を討ち、政治改革を実行し、この功績によって、中臣鎌足は「藤原姓」を賜り、ここに日本の政治を動かす天下の名門が誕生します。

 とくに藤原鎌足の息子「藤原不比等(ふじわらのふひと)」は記紀編纂に深くかかわり、律令政治の下、全国の神社に介入し記紀神話の神々をまつるように強行し、各地に伝わる古文献を没収してしまいました。 (参照)

 天皇の親戚で最も多いのは、藤原氏で藤原氏が繁栄したゆえに、同族である中臣氏やト部氏も勢力を拡大しました。本当の儀式ともいえる裏の儀式を担当するのは、賀茂氏です。

 神道祭祀を一手に握る賀茂氏は「鴨族」ともよばれ、全国の神社を支配しています。

 中でも京都の下鴨神社と上賀茂神社の鴨族「賀茂氏」は事実上、神道の元締めです。

 徐福とともに渡来した東ユダヤ人の海部氏もレビ族で鴨族です。

 レビ族は北イスラエル王国と南ユダ王国の両方に存在しいたので、ユダヤ人原始キリスト教徒たちのほか、10部族や東ユダヤ人の中にも存在しました。

 ユダヤ人原始キリスト教徒と東ユダヤ人はともに南ユダ王国の住民であり、同じユダヤ人でユダヤ人ユダヤ教徒である海部氏と物部氏が原始キリスト教に改宗すれば、血統的にも海部氏や物部氏は秦氏と同じユダヤ人原始キリスト教徒になります。

 海部氏や物部氏は改宗して秦氏になって、八咫烏になった者います。

  太陽にいむ金島

 北欧神話では、主神であり戦争と死を司る神、オーディンの斥候として、2羽のワタリガラス「フギン(思考)とムニン(記憶)」が登場します。このワタリガラスは世界中を飛び回り、オーディンにさまざまな情報を伝えているとされます。

 烏(カラス)は、古代エジプトでは太陽の鳥とされ、ギリシャ神話では太陽神アポローンに仕えていました。

 烏座の烏はこの烏とされ、古い星座絵図の中には3本足で描かれている物もあります。

 ローマ人は、紀元前6世紀ごろから ギリシャの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシャ神話の神々と同一視ました。

 三本足の烏、八咫烏(やたがらす)は、古代中国の神話に直接的ルーツをもち太陽の中にいる伝説の烏です。

               金烏

 三本足の烏の神話は、アジア、アナトリア半島、北アフリカなどに広がっており太陽と関連づられている場合が多いです。

 黒い烏は太陽黒点を表しているという説もあります。

 アブラハムの民がいた殷(いん 紀元前17世紀ごろ)の時代から太陽の中にいる三本足の烏のことを「金烏(きんう)」と呼びます。

 太陽の三本足の烏は、高句麗の古墳壁画によく見られ、太陽とカラスとの関連については、高麗の文人である李奎報(イ・ギュボ 1168年‐1241年)の詩文集『東国李相国集』の「東明王篇」で、太陽の化身とされ高句麗の建国神話では天帝の子の解慕漱(ヘモス)で、東明聖王(朱蒙)の父とされる)が頭に烏の羽で作った「烏羽冠」をかぶっている点を挙げています。 

 平壌(ピョンヤン)にある高句麗の始祖王、東明聖王陵の後方の真坡里古墳群の一角、7号墳から発見された『日像透彫金銅製装飾』は王冠の装飾品と推測されていますが、この中央にも三本足の烏が彫られていました。 (参照)

 太陽の三本足の烏は、ローマ → 中国 → 高句麗(北朝鮮) → 日本の八咫烏と伝わったのです。 

 この流れは、ローマにいた原始キリスト教徒のエルサレム教団の流れと同じです。

  烏と預言者エリヤ

 エリヤは『旧約聖書』に登場する預言者です。エリヤはこの世にいたとき、イスラエルの北王国で務めを果たしました。 彼は主に対して大いなる信仰をもち、多くの奇跡をなした人として知られています。3年半にわたって雨が降らないようにし、死んだ少年を生き返らせ、天から火を降らせました。 (列王上 17‐18章)

 ユダヤ教の人々は、マラキが預言したようにエリヤが戻ってくるのを、今も待ち聖んでいます。 (マラキ 4:5)

 預言者ジョセフ・スミスは、エリヤはメルキゼデク神権の結び固めの力をもつ預言者であり、またイエス・キリスト以前の時代にこの力をもっていた最後の預言者であると語っています。

 エリヤは変貌の山にモーセとともに現れ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネに地上での神権の行使を指示するために、天の御父が神権指導者に授ける神権の鍵を授けました。 (マタイ 17:3)

 エリヤは1836年4月3日にも、モーセなどとともにオハイオ州のカートランド神殿に現れ、同じ鍵をジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに授けました。

 この示現が閉じた後、もう一つの大いなる栄えある示現が突如わたしたちに開かれた。

 死を味わうことなく天に取り去られた預言者エリヤが、わたしたちの前に立って言った。

 「見よ、マラキの口を通して語られた時がまさに来た。」

 マラキとは、主の大いなる恐るべき日が来る前に彼(エリヤ)が遣わされ、先祖の心を子孫に、子孫の心を先祖に向けさせ、全地がのろいをもって打たれることのないようにする、と証した人である。

 「それゆえ、この神権時代の鍵はあなたがたの手にゆだねられている。

 これによってあなたがたは、主の大いなる恐るべき日が近く、まさに戸口にあるのを知ることができる。」 (教義 110:13-16)

 これはすべて、マラキ4章5~6節に述べられているように、主の再臨への備えとしてなされました。

 エリヤがもっていた力は、神権の結び固めの力であり、これによって地上でつながれ、解かれることは、天においてもつながれ、解かれるのです。(教義 128:8-18参照)

 今日この世で主に選ばれた僕もこの結び固めの力をもち、生者と死者のために福音の救いの儀式を執行することができます。

 ジョセフ・フィールディング・スミスは、こう述べています。

 「約束の聖なる御霊とは、すべての儀式、すなわちバプテスマ、確認、聖任、結婚などに承認の印を押す聖霊である。

 この約束とは、忠実であればかずかずの祝福が得られるというものである。

 人が聖約を破るなら、それがバプテスマであろうと、聖任、結婚あるいはそのほかの儀式であろうと、御霊は承認の印を取り下げ、祝福は得られない。

 すべての儀式は、忠実さを条件に報いが与えられるという約束をもって結び固められる。

 しかし聖約が破られた場合、聖なる御霊は承認の印を取り下げる。」 (『救いの教義』 1:45) 

 「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケレテ川のほとりに身を隠しなさい。

そしてその川水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう。」 (列王上 17:3-4)

 ケリテ川がヨルダン川のいずれの支流なのかは明確になっていません。

 この節から考えられることは、エリヤが安全に身を隠すことのできる、兵隊や羊飼い、旅人などに出会うことのない人里からかなり離れた場所であることです。

 また、そこは動物が生息していない荒れ地であったので、エリヤの生活は完全に神に頼ったものとなりました。

 筆者の語調からはエリヤとほかの人との通常の接触ではなく、奇跡的な方法によって養われたことがうかがえます。烏は神に従い預言者を助けるのです。

 神道の管理組織「八咫烏」も、預言者を助けるために組織されました。

 カラスの知能は、チンパンジーなどの類人猿にも匹敵する可能性が高いと慶応大学の伊澤栄一准教授(比較認知脳科学)ら研究グループは発表しました。

 以前から餌を隠し保存したり、道路に殻つきの木の実を置き車に割らせたり、近年ではレールの上に木の実や石を置いて割らせたりするなど、その行動は知能的で学習能力があると見られてきました。

 同研究グループは、ハシブトガラスを使い、脳の断面を1mmずつ約50枚採取し、さまざまな役割をもつ領域が脳内でどのように位置しているかを示す「脳地図」を描き出しました。

 その結果、ほかの鳥類は視聴覚などをつかさどる中脳が比較的発達しているのに対し、カラスは思考力や学習能力、感情などを司る大脳が中脳をおおう形で発達していることが分かりました。

 また高度な情報処理を行う人間の「連合野」にあたる領域が、ハトなどに比べ多くを占めていました。

 実際に烏が食べ物を運ぶ例があります。

 紀元3世紀ごろ、エジプトのアントニウスは修道生活をするために、ナイル河を渡り紅海に近い荒野に居を定めましたが、そこでパウロという名の年老いた隠者に出会います。

 そのパウロは1羽の烏を飼っていて、毎日半切れのパンを彼のもとに運んだそうですが、アントニウスが来ると、烏は毎日1個のパンを持ってくるようになったといいます。

 修験道の実践者である山伏は「頭襟(ときん)」とよばれる黒い小さな円形の箱を額の上部に紐で結びつけます。

 ユダヤ人は、同様「テフィリン(フィラクテリー)」とよばれる黒い小さな箱を、額の上部に紐で結びつけます。 (参照) 

 現代のユダヤ教徒のテフィリンが四角い形なのに対し、山伏の兜巾は丸いですが、2000年以上前のユダヤには、「丸いテフィリン」がありました。

 当時のユダヤでは、それは正式なものとは見られていなく、古代ユダヤの『ミシュナ』と呼ばれる教典は「丸いテフィリン」に言及しており、その使用を禁じています。 (メギラー 4:8)

 当時のユダヤ教で最も重要で基本的な戒めであると認められていたのは、申命記6章4~5節の「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。」という戒めです。

 この文は4節の「聞け シェマー」という語から「シェマ」とよばれて、ユダヤ人の考えでは、神が唯一であることの最高の確認であり、日の栄えの王国の戒めを受け入れることとよばれています。

 そののち「シェマ」の文言は6章4~9節に拡大され、さらにそれを守る者への祝福と違反する者への災いを語る申命記 1章13~21節、および着物の房のことを定めた民数記15章39~41節が加えられて、ユダヤ教徒の成人男子は少なくとも毎日朝と夕べの二回は唱えなければならないとされました。

 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。 (申命 6:4-9)

 もし、きょう、あなたがたに命じるわたしの命令によく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心をつくし、精神をつくして仕えるならば、

 主はあなたがたの地に雨を、秋の雨、春の雨ともに、時にしたがって降らせ、穀物と、ぶどう酒と、油を取り入れさせ、

 また家畜のために野に草を生えさせられるであろう。

 あなたは飽きるほど食べることができるであろう。

 あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。

 おそらく主はあなたがたにむかい怒りを発して、天を閉ざされるであろう。そのため雨は降らず、地は産物を出さず、あなたがたは主が賜わる良い地から、すみやかに滅びうせるであろう。

 それゆえ、これらのわたしの言葉を心と魂におさめ、またそれを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとし、

 これを子供たちに教え、家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、それについて語り、

 また家の入口の柱と、門にそれを書きしるさなければならない。

 そうすれば、主が先祖たちに与えようと誓われた地に、あなたがたの住む日数およびあなたがたの子供たちの住む日数は、天が地をおおう日数のように多いであろう。 (申命 11:13-21)

 主はまたモーセに言われた、

 「イスラエルの人々に命じて、代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつけさせなさい。

 あなたがたが、そのふさを見て、主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。

 こうして、あなたがたは、わたしのもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたの神に聖なる者とならなければならない。

 わたしはあなたがたの神、主であって、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの国から導き出した者である。わたしはあなたがたの神、主である」。 (民数 15:37-41)

 死を前にしたユダヤ人の殉教者がシェマを唱えるのは伝統になっています。

 実際、ユダヤ教の祈りの手引きによれば、礼拝する者はシェマを唱えている間に、もし神の名を聖めるために殉教しなければならないときには自主的に喜んで殉教することを念頭に置いておかなければならないと勧告されています。

 申命記6章にあるシェマの聖文は、キリスト教徒にとっても興味あります。

 イエスが、5節は律法の中で一番大いなる戒めであるといわれています。

 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。

 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 (マタイ 22:36-37)

 これは、ほかのあらゆる戒めの総和であり本質なのです。

 もし人々が、心と勢力と思いと力を尽くして神を愛するなら、人生のあらゆる面が義と聖のためにささげられるはずだからです。

 そして、もしこの言葉を絶えず心に留め、可能なかぎりあらゆる方法で、生活のあらゆる面で言葉によっても模範によっても、夜も昼も家庭にあってもどこにあっても子供たちにそれを教えようと努力するならば、社会全体が劇的に変わっていくことでしょう。

 この点において、ユダヤ人がそう信じることは正しいです。

 シェマがもし本当に信仰を確認するものであって言葉だけのものでないのなら、人の心にあって最高の思いとならなければなりません。

 そして、生きていることによってその確信を否定するようなことになったら、死もまた価値のあることです。

 末日の啓示の中で、主は同じような忠誠の原則を教えて、次のように言われました。

 わたしの名のために迫害を受け、信仰をもって堪え忍ぶ者は皆、たとえ召されてわたしのために命を捨てるとしても,なお彼らはこのすべての栄光にあずかるであろう。

 それゆえ、死に至るまでも恐れてはならない。

 この世ではあなたがたの喜びは満たされないが、わたしにあってあなたがたの喜びは満たされるからである。

 それゆえ、体も体の命も心にかけてはならない。

 霊と霊の命とを心にかけなさい。

 また、あなたがたは忍耐することによって自分の霊を保つために、常に主の顔を求めなさい。

 そうすれば、あなたがたは永遠の命を得るであろう。 (教義 101:35-38)

 主は、この命令が重要であると強調されました。

 そして、象徴的な表現を用いて、民にこの言葉を額と手に結びつけ、また各家庭の戸口に取り付けるよう命じられました。

 この聖句により、ユダヤ人は経札、そしてメズーザー(「戸口」の意味のヘブル語)とよばれるものを使うことを習慣とするようにりました。

 命令を文字どおりに受け取ったユダヤ人は、聖句の言葉を、羊皮紙の小片に書き込み、それを折り畳んで4cm四方の小さな皮の箱の中に入れました。

 それからこの箱は、額の所にくるように頭に結びつけられるか、あるいは左腕に結びつけれられるかされました。

 それを身につける者が、頭と心で律法を実践しているということを表していたのです。

 日本の神道でも同様のお守りを家の戸口に取り付けました。

 のちにイスラエル人の背教者の中には、この額飾りを悪霊を避けるための魔避けだと考える者もいました。 そのためギリシャ人はこれを「経札」とよびましたが、それは「守ってくれるもの」という意味です。 メズーザーも経札と似たようなものでした。

 それは聖句を書き込んだ羊皮紙を入れた小さな円筒型の箱です。

 メズーザーは出入り口の外枠に取り付けられましたが、家の出入りの度にメズーザーに触れるか接吻することがユダヤ人の習慣となりました。 

 戒めを象徴の言葉で包んだ教えは美しく、戸口とは人が同胞と交わるときに出入りする際に通る門の象徴です。人は家の出入りのたびに神の御心を行おうとする心の望みが生まれるのです。山伏は法螺貝(ほらがい)を吹き、ユダヤ人は羊や山羊の角で作った角笛(ショーファール)を吹きます。山伏独特の合図や戦国時代の合戦に、法螺貝が使用されてきました。

 角笛は古代からイスラエルで戦争、祝祭の合図伝達手段として重要な役割を果たしてきました。たとえば、遠距離にいる友軍に対しての合図の伝達、あるいはヨベルの年や安息日の到来を告知するために、そしてのちには新年祭における吹奏に用いられました。

 「頭襟」とは「フィラクテリー」であり、「法螺貝」とは「ショーファール」です。

 材質が貝と角なので別物のように思われるかもしれませんが、山羊の角はカールしています。大きなものになると、らせん状に巻き上がり、まさに巻き貝のような形状になるのです。

 ユダヤ教徒が法螺貝を手にしたら、躊躇もせずに祭礼において吹くに違いないです。

 全世界でこのような宗教的な黒い箱を額に着ける民族は、日本人とユダヤ人しかいません。

 ニーファイ人も法螺貝を吹きました。

 テオティワカンのジャガーの宮殿の壁画に残されたジャガーは、頭が羽根で背中や尾が巻き貝で装飾されていて大きな法螺貝を吹く様子が描かれています。

 猿田彦を天狗、八咫烏を烏として、両者1つに重ねると「烏天狗」が誕生します。

 天狗は「虎の巻」を手に持っていますが、シナイ山に登った預言者モーセは、神から奥義を授かり、それがやがて「トーラー」という巻物になって伝わっています。

 それが「虎(トーラー)の巻き」の語源です。

 トーラー(モーセ五書)は、旧約聖書の最初の5つの書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。 天狗は必ず「扇」を手に持っています。 扇には要(かなめ)がないとすぐにばらばらになってしまいます。 実際、扇の漢字は「戸と羽とで、翼のように開閉する扉」の意味をもっています。その意味は、真理の扉を開けた場所にある奥義と同様の意味です。奥義(おうぎ)と扇(おうぎ)は同じ読みです。そして、天狗の顔はモンゴロイドではありません。 高い鼻は白人的で、赤ら顔も白人特有の物で、ペルシャ人は白人(ヤペテ)系です。 ユダヤ人は、バビロン捕囚後アケメネス朝ペルシャで繁栄して、ユダヤ教徒のペルシャ人もいたでしょうし、白人との結婚によって白人のような外見のユダヤ教徒もいたのです。

 赤ら顔、大きな鼻、日本人に比べて大きな体高く、大きな鼻は、日本人が白人を見た印象を表現しています。 (参照)

 天狗の原形といわれる猿田彦の外見は、東ユダヤ人徐福集団の末裔の海部氏がモデルになったのでしょう。

 キルギスなどの中央アジアの言葉では、ハンは族長の称号であり、テングリ(テングル)は、天神を示します。 (参照) 

 「猿田毘古神」の名前は、本来は「神田毘古神」であったと思われます。

 なぜなら「猿(さる)」を「申(さる)」に変換して、さらに「しめすへん」を付けると「神」になるからです。

 単なる言葉遊びにすぎないように思われるかもしれませんが、実際にこの方法で名前が変更されたものがあります。

 神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞の「猿楽(さるがく)」です。

 猿楽は、平安時代(紀元794年‐1185年/1192年ごろ)に成立し、猿楽から発展し明治以降に笑劇である「狂言」と芸能である「能」はともに「能楽(のうがく)」と総称されるようになりました。

 世阿弥(ぜあみ)が書いた『風姿花伝』には、次のようにあります。

 「上宮太子(聖徳太子)は、末代のため、もともとは「神楽(かぐら)」であったのを「神」の字の偏を除いて、旁(つくり)を残された。

 これが日暦(ひごよみ)(十二支)の申(さる)の字だから、申楽と名づけた。

 すなわち、『楽しみ申す』の義である。

 または、神楽から分かれたことに生じたものだ。 」

 つまり、申楽の名称は、もともとは神楽だったのの偏を除いた名称で、それを名づけたのは原始キリスト教徒の秦氏の長である聖徳太子なのです。

  塩土老翁

 申楽とも書く猿楽に端を発する能楽の演目の1つで、別格に扱われる祝言曲である「翁(おきな)」とは塩土翁で、猿田彦のことも表しています。

 能楽の始祖は、秦氏の観阿弥(かんあみ)と世阿弥です。

 そもそも能楽は申楽に端を発し、始祖は原始キリスト教徒の秦氏の長である「秦河勝」です。翁こそ能の中の能で、本来、能は必ず「翁」に始まります。 一般にはなぜ翁なのかを理解していません。 能自体が、ユダヤ密教(カバラ)による日本神話の具現化なのです。

 日本神話には、「塩土老翁(シオツチノオジ)」という翁が登場します。

 塩土老翁は、『古事記』では塩椎神(シオツチノカミ)、『日本書紀』では塩土老翁・塩筒老翁、『先代旧事本紀』では塩土老翁と表記します。

 住吉三神を1つにして神徳を現した神は、「塩土老翁(塩筒老翁)」です。

 つまり、住吉神=塩土老翁(塩筒老翁)です。

 塩土老翁は、物知りで困った人を見ると救いの手を差し延べます。

 海に関する神が知恵を授ける説話には、ギリシャ神話に登場する「海の老人」との類似が見られます。

 記紀には浦島太郎の話のルーツの一部である「海幸彦・山幸彦神話」には、天皇陛下の祖神、山幸彦(別名 火遠理命、ホホデミ命=神武天皇)が、兄の海幸彦の釣り竿と弓矢を取り替えて魚を釣りに出ましたが釣針を失い途方にくれたときに、どこからともなく現れたのが塩土老翁です。

 塩土老翁は、海神の国へ行けば良いことがあると、無目籠(まなしかたま)という籠船を編んで、山幸彦を乗せました。

 そして、海神の宮(わたつみのみや)に導かれ、海神の娘、豊玉姫と結婚して3年間暮らし、釣針と潮満珠と潮干珠を得て生まれ故郷に戻り、兄を屈服させるというのが粗筋です。

 海神(ワタツミ)の「ワタ」は日本語では「海」を意味して、ヘブル語では「海水」です。

 塩土老翁の籠船は浦島太郎(浦嶋子)が助けた亀と同じことを表現しています。

 「籠」とは、祭神である彦火明命が竹で編んだ籠船で竜宮へ行った故事からです。

 この籠船が亀に変わったのは、籠目と亀の甲羅のどちらもレビ族の紋章でウリムとトンミムの六芒星だからです。 (参照)

 アメリカからニーファイ人が移住したミクロネシアやポリネシア、ハワイ、沖縄諸島では、亀は神の使いとされています。

 次に神話上で塩土翁が登場するのは、神武天皇のころです。

 当時、九州の日向にいた神武天皇の前に現れ、東には美しい土地があると教え進出するべきだと進言します。 これがきっかけで神武天皇の東征が開始されます。

 記紀を読むと塩土翁に代わって神武天皇の前に現れたのは、また亀に乗って釣りをする「珍彦(ウズヒコ)」で、別名を「倭宿祢命(ヤマトノスクネノミコト)」「椎根津彦(シイネツヒコ)」という神武天皇たち、原始キリスト教徒の秦氏の渡来前に日本にいた国津神です。

 「倭」と書いて「ヤマトと読ませています。「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。

 旧約の時代『モルモン書』の預言者ゼノスは、ヤハウェであるイエス・キリストがぶどう園の主人で、オリーブの木の枝をイスラエルの民や異邦人の人々にたとえ、イスラエルの民の背教と集合のたとえ話をしました。 (オリーブの木のたとえ話)

 したがって「ヤマト」とは「ヤハウェの民(分家)」です。倭宿弥命はヤマト族であるイスラエルです。アブラハムの孫でイスラエルと改名したヤコブの12人の息子らの子孫は、イスラエルの12部族、あるいはイスラエルの子らとよばれます。

 イスラエルの子らの国はイスラエルとよばれました。そして、イスラエルとは、先祖の血統が何であろうと、キリストを心から信じる者を指します。

「宿祢」の「宿」は「宿営」で「祢」は「形代」となり、「移動する幕屋」の意味になります。つまり、幕屋を管理していたレビ族の特徴を示しています。

  6 徐福渡来と神道解明 1/6~6/6

 山幸彦=神武天皇なので、山幸彦を導いた塩土老翁と神武天皇を導いた珍彦は、同一人物です。珍彦は海部氏であり、神武東征の際に亀に乗って神武天皇の前に現れ、明石海峡に亀に乗って現れ、神武天皇を浪速や河内国、大和国へ先導しました。

 珍彦は、亀の甲に乗りて、釣りしつつ打ち「羽ぶき」来たといいます。

 「羽ぶき」とは、長い羽状の飾りをつける風習です。 (参照)

 奈良時代(紀元710年‐794年)に成立したとされる『丹後国風土記』で伊余部馬飼(いよべのうまかい)は、海幸彦・山幸彦の神話や、海部氏の先祖である亀に乗った倭宿禰命をモデルに、雄略紀に起きた事件になぞらえて、水の江の浦島子の物語を創作したと思われます。

 そして、珍彦の名前は、天宇受賣命(アマノウズメ)を連想させ「ウズ彦とウズ女」は夫婦神です。ウズ彦は天宇受賣命の夫で、天宇受賣命の夫は猿田彦です。

 したがって、猿田彦とウズ彦は同一人物で、ウズ彦の妻のアマノウズメはイエス・キリストの妻なので、ウズ彦はイエス・キリストも表しています。当時ユダヤで使用されていたアラム語でイエス・キリストは「イシュ・メシャ」と発音します。ところが、アラム語はメソポタミアからオリエント一帯に広く使われていた言葉であるため、地方による訛りが強いです。 東へ行くと「イズ・マシ」、「イザ・マサ」などと発音されます。さらに東へ移動して、インド北部辺りまで来ると、「ユズ・マサ」などと発音されるようになります。

 原始キリスト教徒のエルサレム教団が東へと移動して行ったなら、その過程で言語が訛って行ったはずで、「イエス・キリスト」「イシュ・メシャ」も「ユズ・マサ」「ウズ・マサ」と転訛して行ったのです。

 「ウズ・マサ」=「イエス・キリスト」

 「ウズ=イエス」であり、「ウズメ=イエスの女」なのです。

 イエスの女とは、イエスの妻です。 (詳細参照 8 天照大神の正体 1/2)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000