櫻本坊

https://sakuramotobou.or.jp/about/ 【櫻本坊について】より

櫻本坊の魅力

厳しい法灯を護り継承された格式ある重厚性と、時代が求める新しい考えを取り入れ、その時・その場・その人を生かすための「感謝」と「敬意」の精神性が生きづく姿勢は、古き良き伝統と新しい風とが融合した大きな魅力となっています。

そして宇宙の秩序や自然の摂理といった大いなる環境の中で、一人ひとりの魂のかけがえのなさに気づくような…静寂と優しさを観じれるのがうれしい道場。それが櫻本坊です。

また修行体験でふるまわれる精進料理は尊い「火」と「水」「地」から産まれた野菜が「地・水・火・風・空」からていねいに調理され、心も体も浄化される料理といえましょう。


https://sakuramotobou.or.jp/about/since.html 【櫻本坊縁起】より

万葉の時代 天智10年 … 天智天皇の弟、大海人皇子は吉野離宮日雄殿にてご修行されておりました。

激動の時代の中で、「野に放たれた虎」とも称された日々のこと。

夢見の桜ある冬の夜、吉野の山の中に満開の桜がみごとに咲き誇る夢をごらんになりました。

翌朝めざめられ、前方の山を見上げると、冬だというのに夢そのままに一本の桜が美しく堂々と咲いていたのです。 大海人皇子は不思議に思われ、すぐに役行者の高弟 角乗に夢判断を命じました。

角乗とは「宇宙の皇子」と称された役行者を師とし、大峰山で行を積む高徳の僧です。角乗は謹んで答えました。

「桜の花は日本の花の王です。この夢は殿下が天皇の位につかれるよい知らせでしょう」と。

翌年、壬申の乱に勝利し、大海人皇子は帝位につかれ、天武天皇として即位されました。

天皇は大変およろこびになり、夢に現れた桜をもとめ吉野の山に登られました。そして、夢に見た櫻 ( 天武天皇 「夢見の桜」 ) と出会い、そのもとに道場を建立、 「櫻本坊(さくらもとぼう)」と名づけ、角乗を住職に迎えたのです。

爾来、天武・持統天皇の勅願所となり、1300年 神仏と共に大いなるいのちのなかで 天下の泰平(世界平和)・万民の安楽(すべての魂の安らぎ)を祈りもとめる修験道の根本道場として今日に至ります。

… 夏の大峰奥駈修行をはじめ止観や沐浴行・写経写仏などの浄行、聖天さま、お釈迦さま・お地蔵さまなどの法要を通し、人格と自己を実現する「場」、それが櫻本坊 道場です。

「懺悔懺悔六根清浄」(さんげさんげろっこんしょうじょう)、お互いを通して磨き高めあいましょう。


https://sakuramotobou.or.jp/about/principal-image.html 【寺宝・ご本尊】より

ご本尊 役行者倚像 釈迦如来坐像 地蔵菩薩坐像 役行者坐像 蔵王権現像 聖天尊像

弘法大師像 秋葉大権現像 役行者母公像

ご宝号とご真言

ご宝号

神仏のお名前をご宝号といい、「南無(namas・なむ)~~~」と唱えます。

南無とは「帰命」「敬礼」などと訳され、まごころをこめて神仏を敬い、すべておまかせし、信を捧げることを意味します。

ご真言

人間は言葉や文字により、考え、表現し、伝え、残すことができます。

それらはただ単に思惟するための手段・方法としてあるだけではありません。

人はある時、言葉や音・文字は事物のありのままの姿を示していること、そしてその中に本質としての真実の力が内蔵されていることに気づきました。

それが言語をこえた「真言」(しんごん・マントラ)です。

「真言」(mantra・मन्त्र ・マントラ)は、呪(じゅ)・神呪(じんじゅ)・陀羅尼(だらに)などとも称され、思考・祈祷・讃歌・呪文などと訳されます。 起源は古く、インドのヴェーダにもみられ、“man”は「思念する」ことを,“ tra” は「器物」をさし,“mantra”とは,これによって神の徳を思念することができるもの、を意味します。

徳とそれらのはたらきを表すことば・文字なのです。そして“man”「想うもの」を “ tra”「救う」とも説かれます。

中国では呪は「祝」といい、神に告げる言葉、日本では「音霊」(おとたま)「言霊」(ことたま)として尊ばれます。

「真理言説」(しんりごんぜつ)、真理の言葉であり真実を語ること・正しい導き、聖なる言葉「まこと(真言)」なのです。

語ること、言葉、音は、現実の世界の中で具体化されます。

悪い思いや否定的な中傷や誹謗は、人を暗黒へと引き摺り下ろし、肯定的で愛に満ちた心と言葉は、世界と魂を平和や幸福へと導き輝かせてくれます。

いつも純粋で正しく、暖かい心を保ち、いい言葉で表現し、徳を行う奉仕を積み重ねていくことが、生きた”マントラ”であり、一人ひとりの存在自身が、真言として響きあい、すべてを目覚めさせていく原動力となります。


https://sakuramotobou.or.jp/about/shugendo.html 【修験道】より

修験道は、今からおよそ1350年前 飛鳥の時代、役行者(えんのぎょうじゃ)により開かれた「実修実験の道」です。

あらゆる生命(魂)を尊ぶこと…つまり大宇宙 大自然の恵みの中で生かされていることに感謝する素朴で純粋な想いから生まれました。「一宗一法に執せず」諸宗融通・神仏習合の道としてあります。

主に聖地の山々に入峰し、何千年何万年も繰り返されてきた『創造・維持・破壊』のドラマの唯中で…自身の魂の浄化と活性を導く道と言えましょう。

自己本来の生命(魂)は平和で愛に満ちたものです。

私(魂)と神(至高なる魂)との繋がりを想い出すことで、自身の心と体のハーモニーを崇高にコントロールすることに深い意義があります。

その素晴らしい徳性の力を奉仕実践する道でもあります。

この道を歩む者は、「山に伏し野に伏し山林抖擻 (とそう:心身を浄化し雑念を払い心を集中する行)するもの」として、山伏(山臥・やまぶし)とよばれ、或いは修験者・行者とも称されました。

歴史

修験道は、平安の時代を迎え、より盛んとなりました。

仏教伝来以前からの日本古来の古神道と仏教が習合し、神社の境内に神宮寺が、寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社がそれぞれ祀られ、この神仏習合の動きと、密教、道教、儒教と、さらに山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の修行の道が成立したといえましょう。


https://sakuramotobou.or.jp/about/faith.html 【信仰とは】より

私たちの母なる大地、地球に生命が芽生えて幾星霜、数えきれない命が分化と進化を積み重ね調和の中、『いま』を生きています。

私たち人類もその一員として、自然の恵みを享受し、その生を全うすべく歩み続けています。

古来民族や言語・文化や歴史が違っていても、時代や洋の東西を問わず、人々は人智を超えた何か『偉大な存在』を観じ、心からの敬意と感謝を捧げ共に歩んできました。

日本でも縄文時代以来、『大いなる存在』を神々として敬い、感謝の念をささげ讃えてきました。

そして飛鳥の世、大陸より仏道が伝わりその教えが受容され、畏敬の想いと共に津々浦々へと拡がりました。

良き伝統と新しい風との融合、人々は縄文以来の古神道に、新しき仏の教えを積み重ね、より深く大きく魂の礎として『信』を捧げ続けたといえます。

それから百年、7世紀の中頃、役行者が大峯山にご登拝、世界の平和と生きとし生けるものの安心の為に祈りを捧げ修行を積み修験道を開創されました。

古神道と仏道の上に密教・五行陰陽などが融け込み渾然一体となった修験の道です。

すべてを信じ、調和を敬い、自然の恵みに感謝、多様性と重層性を受容するゆたかな『こころ』を支え育んだのは、『信じ』『仰ぎ敬う』という揺るぎなき決意と情熱があったからだと言えます。

自分を信じること、社会や隣人を信頼し合うこと、そして大自然に委ねられる生きざまこそが信を仰ぐあり方だといえるのでしょう。


https://sakuramotobou.or.jp/about/message.html 【櫻本坊からのメッセージ】より

万葉の時代、役行者68年の生涯は今だから着目したい“自然人”の生き方があります。これは膨大な経本や数知れない戒律に縛られるものではなく、ごく純朴に自然の中で真理を求められるものでした。

役行者への“あこがれ”にも似た懐古の念は“…ともにある”という幸福感を増幅させ、人間的また超人的(宇宙的)である、実にその絶妙なバランスが我々の心をとらえて止まぬところでもあります。

「神童」から「宇宙の皇子」へ…仏法を学び 古来の神々の道も極められ…大峰山上ヶ岳においては金剛蔵王大権現を祈りだされた…まさに現代へのメッセージ(真理の宝)を記されていると言えるのでしょう。

まさしくその時、櫻本坊は、何ものにもとらわれることなくすべてに開かれた道場、一人一人が幅広い精神性に目覚め共に磨き合い成長できる空間として、天武天皇により神仏習合の修験道場として開創されました。

大自然に身を投じ大宇宙へと回帰・融合するところから始まる、あらゆる生命(魂)を尊び自然の恵みの中で生かされていることに感謝する素朴で純粋な想いから生まれた修験の道。

それは何千年何万年も繰り返されてきた『創造・維持・破壊』の輪の中で、自身の魂の浄化と活性を導き、社会に活かしていく道と言えましょう。

本来すべての魂は平和で愛に満ちたものです。

私(魂)と神(至高なる魂)との繋がりを想い出すことで自身の心と体の調和を崇高に保ち、そしてそこから生まれる素晴らしい’徳性の力’を社会に奉仕還元することは意義深いものです。

人として生を受けた者の義務といっても過言ではありません。

‘奉仕’とは何も見返りを求めない無償の愛の実践です。

この世における性別・年齢・職業・地位・名誉などを離れ、ひとりの人間としてすべてを尊び敬う謙虚な行いです。

それは私だけではなく世界を変革するほどの力の基となります。

私たちは幸せになる為に、誰かに幸福をもたらす為にこの世に生を受けたことを認識しましょう。

櫻本坊道場では夏の大峰修行をはじめ各地の聖地を巡礼し、本来の大自然の調和の中に還ります。

大護摩供やいろいろな法要神事を通し、世界の平和とすべての生命の幸福を心から祈ります。

また瞑想や沐浴行・写経などの浄行を修し、心身を純化し正しく内観し、生きた智慧を学び、ともに分かち合います。

一人一人の魂が輝くステージに昇華され、人格と自己を実現する「場」がこの道場です。

「懺悔懺悔六根清浄」(さんげさんげろっこんしょうじょう)

お互いを通して磨き高めあう場となれば幸甚です。

合掌

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000