https://kanamankun.hatenablog.com/entry/2022/05/17/225204 【苔清水】より
自然 動物 植物
黒須田川の水の源流は、多摩丘陵からの湧き出る清水です。この水によって多くの生き物たちが棲息しています。堰は水の流れの緩急をつくり、小魚の棲家ともなっています。
青々とした苔も育っています。
石の苔千代の様を咲にけり 一茶『七番日記』
狭い石の間を流れ、そしてぶつかっては、白波を起こす。その波音は、散歩者を癒してくれます。 この苔は「ホソウリゴケ」だろう。
苔は一年中見られますが、5月から梅雨の頃が、一番緑色が美しく輝いて見えます。
川面に迫り出すように咲くのは「ブタナ」です。「ブタナ」は、ヨーロッパ原産の外来種です。フランスでは「ブタが食べるサラダ」と呼ばれることから、日本では「ブタナ」と名づけられました。もう少し可愛らしい名をつけて欲しいですね。
同じブタの名がついた「ブタの饅頭」という花があります。よく知られている「シクラメン」です。「ブタナ」は「タンポポ」によく似ているので「タンポポモドキ」とも言われます。
ブタナは群生しますが、単独でも場所を選ばず咲きます。特徴のある花ではありませんが、真っすぐに伸びた長い花茎は、私は好きです。
時には、この長い花茎が歩道を遮るように伸びて咲きます。植物は動けないので、咲く位置によって日光を求めて競り出してきます。
日光の当たらない木陰や大きな木の傍など悪い環境では、生きるために長い花茎を曲げて適応します。この花茎の一つ一つの曲がり方で生育環境の状況がよく分かります。
一度垂れた頭花を持ち上げていく、その力強い生命力には驚きます。
曲がり方は同じ場所でも微妙に違い、それぞれが美しい曲がり方をしています。遺伝子で決められていますが・・個性?があっていいですね。
また複雑に絡み合っている花茎も多く見られます。花を咲かせないまま倒れています。可憐に見える花たち同士が、日々、日光を求めてせめぎあいを繰り返しているのです。
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この日は鳥の囀りよりも、せせらぎの音の方が大きく聞こえていましたが・・
突然、頭上で「キィキィ」と鳴きながら激しく行ったり来たりする鳥がいます。ヒヨドリより小さいようです。尾を振りながら波のように飛ぶセキレイでもなく、電柱の高さのところを弾丸が飛んで行くように見えました。飛んで行く方向を追っかけ、やっと電線に止まったのを見つけました。傍にはヒヨドリがいました。
「カワセミ」でした。こんなに逃げ回るカワセミを見たのは初めてです。これまでは川面を低く飛んで木の陰に隠れるのをよく見かけました。止まった姿は親を探しているように見えます。この時期はカワセミの繁殖期でもあり、カワセミ夫婦を見かけていませんでした。このカワセミは、今年、生れた幼鳥だろうか。まだ数羽のカラスが川の上空を舞っています。無事に親元に帰れただろうか。
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カワセミには清流。その清流を求めて黒須田川に飛来するカワセミです。
青苔や膝の上まで春の虹 一茶『七番日記』
http://e2jin.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-6356.html 【はるさめのこしたにつたふしみずかな(芭蕉)】より
芭蕉に、【春雨の木下につたふ清水かな】という句があります。以下は、この句を教材にした、国語の授業のひとこまです。
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担当の教師は、黒板に、【はるさめの こしたにつたふ しみずかな】と書きました。そして、芭蕉が笈の小文の旅で詠んだこと、「苔清水」との前書きがあり、吉野山の西行庵で、西行の歌と伝えられる『とくとくと落つる岩間の苔清水くみほす程もなきすまひ哉』を念頭に詠んだこと、それは“とくとくの清水”と呼ばれていることなど、句の背景を説明しました。続いて語句の解釈に入ります。
先生:『「はるさめ」は「春」「雨」と書く。「はるあめ」じゃないよ。意味はもちろん春に降る雨のこと。次の「こした」は 「木」「下」。「きした」じゃないです。「つたふ」は現代かなづかいでは「伝う」。「しみず」はわかりますね。「清い水」ってことだね。「かな」は前にも言ったように切れ字です。情感を高めるために使う、俳句独特の言い方でした。 で、この句を通釈すると、『春雨がきれいな水となって、木の下を伝わって流れてる』となります。芭蕉はこの句を吉野で詠んでいます。なぜこの句を詠んだか。それは、自分の尊敬する西行が詠んだ歌と同じ情景・心境を、春雨降る吉野で体感したからです。『これがあのとくとくの清水だ!』と気付いたからです。芭蕉にとっては心底からの感動でした。芭蕉はその気持ちを、自分の得意とする五七五にまとめました。芭蕉が俳句を詠む理由のひとつに、昔の人とつながりたい、という欲求があります。古人の生き方考え方に共鳴して自分と重ね合わせたのです。このことは古典を学ぶ上でのポイントです。西行に感動する芭蕉がいて、芭蕉に感動するわれわれがいる。そこには綿々と続く感動の共有があります。いいですか。ここは大事なところだからテストに出るよ。しっかり頭に入れておいてください』
と、ひとりの生徒が手をあげて質問しました。
生徒:『先生、テストに出るんだったら、今日欠席している人にも教えないとだめですね』
先生:『そうだね。ここは大切なところだから、伝えておかないといけないね。困ったな、誰に頼もうかな。…ところで今日欠席しているのは誰だっけ』
生徒:『木下君です』
先生:『あ、そう。それなら清水君にお願いします』
あてられた清水君は大きな声で叫びました。『え~っ! 僕ですか!』
先生:『そうだよ。だって芭蕉が言ってるじゃないか。“木下に伝う清水かな”、って』
https://note.com/okadakou/n/n6e6b15277ad9 【芭蕉が見た「花の雨」】より
【御礼】#日本史がすき 応募作品の中で、「秀吉が見た「花の雨」」が先週特にスキを集めました!とのことでした。松尾芭蕉は、吉野を二回訪れている記録があります。
一回目は、一六八四(貞享元)年、九月。独りで吉野山に入ります。目的は、西行の遺跡を見ることにありました。
独よし野ゝ奥に辿りけるに、まことに山深く、白雲峯に重り、烟雨谷を埋んで、山賤の家処々に小いさく、西に木を伐音東にひゞき、院々の鐘の聲は心の底にこたふ。
「野ざらし紀行」『芭蕉紀行文集』岩波書店 1971年
烟雨とは、けむるように降る雨、霧雨のこと。雨に遭いましたが、秋の吉野山の幽邃な景色だったと思われます。
このとき、奥千本の西行の庵の跡を訪ねて、 露とくとく心みに浮世すゝがばや 同
の句を残します。
「とくとく」とは、西行庵の近くにある「とくとくの清水」のことで、西行作といわれる「とくとくと落る岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」という歌を踏まえています。
二回目は、四年後の一六八八(貞享五)年、三月十九日から三日間、杜国とともに吉野の花見に赴きます。
ここでも、西行の庵を訪れて、ふたたび「とくとくの清水」にて
苔清水
春雨のこしたをつたふ清水哉「笈の小文」『芭蕉紀行文集』岩波書店 1971年の句を残します。
とくとくの清水のまわりの木の下では、春の雨が幹を伝って垂れてきているというのです。
芭蕉が訪れた秋も春も、雨の吉野山を見ていたことになります。
西行庵のとくとくの清水については、水田 壮彦 さんが詳しく写真付きで記事にされていますので、ご紹介します。
https://blog.goo.ne.jp/shokaibo/e/63a67620a028671bd440018486f9557f 【醸楽庵だより 645号 春雨のこしたにつたふ清水哉(芭蕉) 白井一道 】より
春雨のこしたにつたふ清水哉 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「春雨のこしたにつたふ清水哉」。芭蕉45歳の時の句。『笈の小文』に載せている。「苔清水」と前詞を置いて載せている。また『芭蕉庵小文庫』の「はる雨の木下にかかる雫かな」が伝えられている。
華女 前詞の「苔清水」には、何か意味があるのかしら。
句郎 岩波文庫『芭蕉紀行文集』「笈の小文」にある注釈には、吉野の奥、西行庵の近くにある「とくとくの清水」をさすと説明している。
華女 「とくとくの清水」とは、何か特別な清水ということなの。
句郎 「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」と西行が詠んだ歌が伝えられている。「とくとくの清水」とは、西行庵の傍らにあったちょろちょろと流れ落ちる清水を指しているのだと思う。
華女 吉野の奥にある西行庵を訪ねた芭蕉と杜国は「とくとくの清水」にじっと見入り、芭蕉はこの句を詠んだということね。句郎 芭蕉はとくとくと流れ落ちる清水を見て、春雨が桜の木の幹をつたい落ち地面にしみこんだ雨水が清水となって湧きだし、「とくとくの清水」になっているのかなぁーと感慨をもったという句なのではないかと考えているんだけど。
華女 「春雨のこしたにつたふ」とは、芭蕉の想像なのね。
句郎 そうなんじゃないかな。清水となって湧きだしている水は春雨に限らず春夏秋冬一年中、山に降った雨水が地中に沁みこみ、あふれ出したものが清水だからね。そのような清水を見て、この清水は春雨が桜の木の幹を流れ落ち、地面に沁み込み、あふれ出して清水に違いないと勝手に想像したと言うことだと思う。
華女 西行もこの清水を飲んで喉の渇きを癒したんだと思うといやがうえにもその清水が美味しく飲めたのかもしれないわ。
句郎 この句は西行を偲んだ句なんだと思う。それは「苔清水」という前詞があるからだよね。「苔清水」という言葉が「とくとくの清水」という言葉を、西行の歌を思い出させるからだと思う。もし「苔清水」という前詞がなく、西行の歌が注釈になかったら、西行を偲んだ句だという解釈はできないでしょ。
華女 だから俳句にとって、前詞は大事だということを句郎君は言いたいの、それともそのような前詞がなければ作者の真意が伝わらないような句は、良くないということを言いたいわけなの。
句郎 前詞を必要とするような句は句として自立していないように感じているんだけれどね。
華女 現代にあっては、絶対そうでしようね。でも芭蕉の時代には許される状況があったのじゃないかと私は思っているわ。
句郎 関西では、ももひきのことをコシタと言ったんだ。だから最初、この句を読んだとき、春雨に降られて花見をした芭蕉は雨水がコシタにつたって流れていくのを感じたんだなと思ったんだ。
華女 笑えるわね。
句郎 笑えるでしょう。前詞と注釈によって正しい解釈ができる句が芭蕉にはあるということなんだ。
華女 三百年前の句だからね。やむを得ないという面もあるんでしようよ。
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