https://nozomich.exblog.jp/13128432/ 【「空の鳥を見よ、野の花を見よ」 マタイ福音書6:25-34】より
私たちが生活し、生きるということは「思い悩み」の連続と言える。それこそ食べること、着ることなどの衣食住に始まり、仕事のこと、学校のこと、人間関係、将来のこと、健康のことなど、色々な不安や心配、思い悩みと直面させられることだ。イエス様が繰り返し「思い悩むな」と「思い悩み」について語られたのは、それだけ私たちが生きていく上で、信仰者として歩んでいく中で大きな問題だと考えられたからに違いない。
「思い悩むな」(心が虜になるという意味)。思い悩みの中にある時に、その言葉を素直に聞くことは難しい。ナイフを突き付けられるよう感じるかもしれない。しかし、イエス様が「思い悩むな」と言われるのは、「心配したってしょうがないからクヨクヨするなよ」といったようなありきたりの人生論を語っておられるのではない。そうではなく、イエス様は私たちと人生の間にこれまでとは全く違った新しい事態を示されているのだ。「思い悩むな」という主の呼びかけは、虜になっている心を解放する福音の知らせなのだ。
イエス様は「空の鳥をよく見なさい」、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と呼びかけられる。空の鳥はルカ福音書ではカラスと描かれている。注目される鳥というよりは、誰からも目にとめられないような鳥であるし、レビ記では汚れた鳥として数えられている。野の花も文語訳では「野の百合」と訳されているが原語ではただの「草花」である。しかも「明日は炉に投げ込まれる野の草」(30節)であるのだ。だから鑑賞に特別に選ばれている草花というより燃料として燃やされるにすぎない野の草花である。そのような誰の目からも注目されないような鳥や野の花をよく見よ! 空の鳥は、「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」。野の草は「働きもせず、紡ぎもしない」。にもかかわらず、そこには神の養いと配慮が行き届いていることが分かるではないか。それならばまして、日々種を蒔き、刈り入れながら労苦しているあなたがたを神の養いの中から漏れているはずがないではないか! そうイエス様は語られているのである。
山上の説教を聞いていた聴衆たちは「いろいろな病気や苦しみに悩む者」(5:24)たちであった。イエス様は彼ら/彼女らが「苦労」を抱えながら、一所懸命に生きていることをご存じであったに違いない。天の父が、鳥を養われるならば、ましてそれよりも大切なあなたがたを養われないはずがないでしょ? とイエス様は語りかけられた。そして目の前にいる一人一人の存在をソロモンの栄華よりも尊いものとして受け止められている。それが神様にとってのあなたたちの存在だ、とイエス様は語りかけられたのである。
思い悩み、心が虜になるとき、私たちの心は石のように硬くなる。そして色々なものを受け入れられなくなり、孤独を深める。ついには、自暴自棄になり、明日を生きる力を失ってしまうような、そんな絶望感にとらわれてしまう。しかし、独り子イエス・キリストを与えてくださった、その命までかけてあなたを救おうとされた神が、あなたに最善を与えないはずがない。だから、「思い悩むな!」。そこには「神があなたと共にいる」という約束に裏付けられたよき知らせの言葉に他ならないのである。「空の鳥を見よ、野の花を見よ」。その時に神の愛があなたに届けられていることを覚えよう!
Facebook一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)さん投稿記事
今ここで起こっているすべてを無心に眺める練習をしてみましょう。
欲も恐怖もなく無心に先入観なしに観察する心には、エネルギーを動かす強い力があります。
そんな心を下腹にある丹田に集中して丹田が熱くなるとイメージすると、丹田が熱くなります。この心を胸に集中し、万物を包み込むやさしく親切な慈悲のエネルギーを呼ぶと、胸はそのようなエネルギーに満ちます。
この心を脳に送り、脳に冷たい滝が降り注ぐと想像すると脳がひんやりします。
この心で自分の達成したいことに集中すれば、素晴らしい創造力や推進力を発揮できます。
Facebook加藤隆行さん投稿記事【器を広げる方法】
毎朝、スマフォに入っている音声を聴きながらストレッチをしています。
で、このストレッチの先生がこーいうことを言う。
「イタ気持ちいいところを探してください」「イタいのをムリにやっても 効果はありません」「イタくって気持ちいい ちょうど中間があります」毎朝、なるほど、と思いながら
「イタ気持ちいい」場所を探しています。
で、ココロの話なんですが、ココロの場合は、「コワ面白い」を探すのがいいんです。
ココロのことを学んで自分のことがわかってくると結局は自分が「怖い」ことを避けて逃げたり嫌悪して戦ったりして来たことが今の悩みを生み出していて、その「怖い」にチャレンジしていくことが自分自身の思い込みをはずして自分の枠を広げていくことだとわかってくる。
例えば一見デキる人なんだけど、実は「強がってばかりでまったく弱みを見せられない」という人がいたら「弱みを開示して、 受け入れてもらう」という体験をしていく必要がある。
「お金がなくなるのが怖くて貯金ばかりして使えない」という人がいたらお金を稼ぐことも貯金も実は怖さからの逃げなので「お金をムダだと 思うことに使ってみる」というような体験をしていく必要がある。
これら全部、「怖い」ワケですがその「怖い」方をやってかないと怖さから逃げ続けてばかりで自分の器が広がっていかないし人生は八方塞がりになっていきます。
(まあその前に、自分が何が怖くて何から逃げてるかにも気づいてない場合が 多いのですが・・・)でね、ものすごく「怖い」ことにチャレンジするのもいいんだけど
それだとだいぶキツイし苦しいじゃん。なので自分のレベルに合わせた「コワ面白い」と思えるものにコツコツチャレンジしていくのがよいのです。
「コワ面白いところを探してください」「こわいのをムリにやっても 効果はありません」
(こわいの場合、は効果あると思うけど反動も大きいかもしれん)
「こわくって面白いちょうど中間があります」つまり「こえ~(笑)」って思うぐらいのものにチャレンジしていく。
「強がってばかりでまったく弱みを見せられない」人なら絶対に信頼できる大切な友人ひとりにだけちょっとだけ弱音をはいてみる。しかもLINEで。みたいな。
「お金使えない」人なら神社のお賽銭、いつもは5円なんだけど今日は、ご利益があるからと
500円玉を入れてみる。みたいなこと。
それでもその人にとっては結構怖いと思うんだけどそーいう自分がちょっとの勇気を出すことでやってみたいなできたら嬉しいなと思う「コワ面白い」「コワ楽しい」「コワ嬉しい」
レベルのことを、ちょいちょいやっていく。「自分が怖くて やってないことってなんだろう」日々そんなことを意識して少しずつでもチャレンジを続けていったら
1年後にめちゃめちゃ人生が変わってくる。怖さにも慣れていってさらに器を広げていけるようになっていく。今日も朝から「イタ気持ちいい」ストレッチをしながらそんなことを考えてました。
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