蒲公英の絮たまかぎる夕べかな

絮は新しい命の根源 スサノオは海。命の根源 出雲は命のふるさと 神無月には孤独な鬼たち(鬼籍)は生まれ故郷「ほと」に帰省するのではないでしょうか?

https://jizoin.net/wisdom/%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A6%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%81%AB%E6%9A%97%E3%81%8F%E3%80%81%E6%AD%BB 【まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し】より

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めにくらく、

死に死に死に死んで死の終りにくらし。

                『秘蔵法鑰』

自分はどこから生まれ、どこへ死んでいくのか、生まれるとは何か、死とは何かと言う一大事を、人はなおざりにして何も考えずに人生をおくっている。

とても有名な空海の言葉。密教の教え「輪廻転生」とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を巡る迷いの再生である。人は迷いの世界を巡り、暗闇の中から抜け出せない学習能力の無き者。そろそろ自分の一生に、宇宙大の世界観を当てはめ、輪廻から離脱しようではないか。

http://www.daisen1300.org/column/column_list/q106/ 【ぶらり、大山】より

〜大山の不思議と素敵を語る〜

[第11回]大山のたいまつ行列あらためて見つめてみると

大山開山1300年祭を記念して、昨年に続いて今年も秋に開催されます。本来は9月30日に予定されていましたが、台風の影響で11月11日(日)の開催となりました。

大山のたいまつ行列は、本来は夏山開き祭の前夜祭として6月の第1土曜日に開催されます。戦後70年余りにわたって夏山登山の安全祈願"イベント"として継続されてきましたが、近年は大好評で観客もいれると3千人~5千人の参加者となりました。漆黒の森を流れるたいまつ2000本の炎は日常では見ることのできない幻想風景を作り出します。不思議なまでに惹きつけられる…、その魅力をすべての参加者が感じとることでしょう。大山の神と一体になれたかのような、心地よい安心感があるのかもしれません。"イベント"から"神事"への転換が無意識のうちに行われている。そんな印象です。

たいまつ行列の始まり

はじまりは戦後間もない頃、大山を愛する登山家でもあった織田収さんらが秋田県での登山大会で行われていたたいまつ行列に感動し、大山での開催を思いついたことが始まりということです。織田収さんは明治30年に米子市で生まれ、昭和63年に91歳で「鬼籍」に入るまで新聞記者や鳥取県議会議員、ラジオ山陰(現山陰放送)、大山国立公園協会会長、県スキー連盟会長など、地域の政治・経済・文化・スポーツなどをリードした方として知られています。大山の参道沿いには歌碑が残されています。

「山のエスプリは山頂にあつまる 神はここにくだり 人はここにのぼる」

大山のたいまつ行列は大山を愛した先人・織田収さんを供養し、そして称える行事なのかもしれません。

大山は火の神(カグツチ:火之迦具土神)の信仰があった

古くは、大山は火の神・カグツチを祀る山と認識されていました。約1300年前、723年に成立した「出雲風土記」では大山を次のように記述しています。(国引き神話と云われるところ)

「三穂之椅 接引綱夜見島 固堅立加志者有伯耆国火神岳是也」、わかり易く翻訳すると、「三穂之埼(美保の埼)。接(ツナ)ぎ引ける綱は夜見島。固堅(カタメ)立てし加志(杭のこと)は伯耆国に有る火神岳是なり。」

火神岳は大山のこと。この当時は大山を火の神(カグツチ)を祀る山として認識していたということです。当時から遥かな年月が過ぎましたが、「先人の信仰が熟成され、1300年の時を経て、"火の神"を称える"神事"として蘇った。」としたら、このたいまつ行列の意味するところが見えてくるようにも思います。先人たちの大山へのメッセージを共有できたような、そんな気分にもなりますね。そうなると、単なるイベント事から神(大山)が中心に坐す歴史的な"神事"へと昇華したことになります。大山の神である火の神を称える神事(すなわち大山を称えること)、大山を愛した先人(私たちの祖先)を称える神事、そして私たちの登山の安全を祈る神事という位置づけにできれば、たいまつ行列への想いはさらに強くなることと思います。

こんな見方も~火の神は日(太陽)の神~

風土記が書かれた1300年前の出雲国府から見ると大山は東にあり、まさに日(太陽)が昇る山という存在でした。火の神は"日の神"のことで、太陽神(天照大神)を重ねていたのではとの説もあるようです。大山の西麓には日下(くさか)という地名もありますが、これは太陽(日)が昇る山の下(ふもと)という意味です。このあたりに、火と日のつながりを感じとることができます。

この説を受けて、ストーリーを展開すると・・・

大山の真西に母塚山(はつかさん)が鳥取(伯耆国)、島根県(出雲国)境にありますが、この山は火の神・カグツチの母親であるイザナミを祀るお墓・比婆山とされています。母・イザナミ(母塚山)は子・カグツチ(大山)を見守るように、カグツチ(大山)はイザナミ(母塚山)に頑張っている姿を見せるように、東西で母子が向きあっているようです。

その位置関係もあって、春分と秋分の年に二日だけ母であるイザナミは山頂から昇る子のカグツチ(日・太陽=火)に出会うことができます。大山の神とされていた"火"と"太陽"、私たちにとっては欠くことのできない根源的な存在。そう考えると"たいまつ行列"が大山の最高の神事に思えてきますね。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BB%E3%81%A8 【ほと】より

ほとは古い日本語で女性器の外陰部を意味する単語。御陰、陰所、女陰の字を宛てることが多い。

現在ではほぼ死語になっているが、転じて女性器の外陰部のような形状、形質(湿地帯など)、陰になる場所の地形をさすための地名として残っている。

古事記に見られる記述

古典として最初にホトが登場する文献としては、古事記上巻の一節に、イザナミ(伊耶那美)が神々を創生する文脈で以下の記述が見られる。

次生火之夜藝速男神

(イザナミは)次に ヒノヤギハヤヲノカミ を生みました。

亦名謂火之炫毘古神

またの名を ヒノカガビキコノカミ と謂う。

亦名謂火之迦具土神因生此子

またの名を カグツチノカミ と謂う子でしたが、この(火の神の)子を生んだことによって、

美蕃登見炙而病臥在

(イザナミの)ミホト(=美しい女性器)は火傷してしまい、病気になって伏せてしまいました。

ここでのホトの表記は蕃登となっているが、その後の文献では前述の女性器が焼かれる展開から火門と書いたり、その他、含処、陰、火陰、火戸など様々な表記が見られる。またホトには敵対する勢力(客人神など)を弱める力があるとも考えられていた。 これは、古語は漢字の字面よりもその発音が優先されたためである。

地名

日本各地に「ホト」「ホド」の音を持つ様々な表記の地名が残っているが、民俗学者の柳田國男の主張する説によれば、これらは女性器に似た形の地形だったり、女性器に似た特質(湿地帯)を持っていたり、陰ができる土地(「陰」部から)などの特徴から名付けられたとされる。アイヌ語で川や河口を生殖器になぞらえるのと類似している。

「ホト」「ホド」の音を持つ地名は、安寧天皇陵の名前の由来となった地名「美保登」(みほと:奈良県)などがあったが、更に和銅6年(西暦713年)に発令された諸国郡郷名著好字令(全国の地名を好ましい意味の漢字で書きなさいという命令)などを経ることで表記が変わっていき、例を示すと

保戸

保戸沢(ほどさわ:青森県[1])、保戸野(ほどの:秋田県)、保戸島(ほとじま:岐阜県、大分県)

保土

保土塚(ほどづか:宮城県)、保土沢(ほどさわ:岩手県、静岡県)、保土原(ほどはら:福島県)、保土ヶ谷(ほどがや:神奈川県、程ヶ谷駅として開業した駅がこの名に変更されたため区名などがこちらで定着)

程森(ほどもり:青森県)、程田(ほどた:福島県[2])、程島(ほどじま:新潟県、栃木県)、程原(ほどわら:島根県、山口県)、程ヶ谷(ほどがや:神奈川県(≒保土ヶ谷))

のような形で全国に散見する。

その他

保戸田 - 保戸田氏

小保戸遺跡

有名な事例

畝傍西南御陰井上陵(うねびやまひつじさる「みほと」のいのうえのみささぎ): 安寧天皇陵

美保登(みほと): 安寧天皇陵の名前の由来となった地名

御陰井(ほとのい): 同上

保土ヶ谷: 横浜市の地名。柳田國男が「ほどがや」の「ほど」は「ホト」に由来するという説をとった際の有名な例。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

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