https://ameblo.jp/tsuredure-an/entry-12470648960.html 【「第1部」 俳句は言霊。「言霊」15句】より
敷島の大和の国は言霊の助くる国ぞ真幸(さき)くありこそ (万葉集、柿本人麻呂)
美しい我が大和の国は言霊によって守られ、幸のまことに多い国であることよ
そらみつ大和の国は皇神のいつくしき国言霊の幸はふ国と語り継ぎ・・ (万葉集、山上憶良)
偉大な大和の国は帝のご神威の高い国で言霊が幸をもたらす国だと語り継・・
=「和し」「寿ぐ」心、「俳句は言霊」=
今日で、「徒然庵の俳句日記」も1500回となりました。詠んできた俳句は、1万2千句近くになりました。全くの自己流で、この4年余の間、1日に末広の8句ずつを心掛けて詠み続けてきました。そして、今では「俳句は言霊だ」と実感しています。
俳句では原則として「感動の本体そのもの」を詠い、思いは表に出しません。従って、句の解釈は読み手の自由な発想に委ねられています。そして、その詠み手の隠された思いは、季語という「自然を愛で和する」「人事であれば寿ぐ」言霊の力によって導かれ、読み手の心に伝わっていくのだと。
(注「和す」=自然に対して、同じ命、魂を持ったものとして一体感を持って接する心です。
「寿ぐ」=感謝し喜びを分かち合う心です。場合によって癒し労う心ともなります。
現に、季語に導かれ、この「和し」「寿ぐ」心で、すなわち言霊を意識して詠むと、すらすらと句が浮かんできます。不思議なことです。これは季語を引き金にして必然的に五感をフルに使い、想像力を高めることになるからだと思っています。為に時として季語に付き過ぎることも起きてきます。
仕事柄、万葉の短歌、和歌の言霊のことはよく知っていましたが、正直、この道に入るまで、俳句に「言霊」という季語があるとは思ってもいませんでした。そこで、今日は、1500回記念として、初めて「言霊」で詠んでみることにしました。その結果、次々と浮かんできたのは、1500回と偶然の一致か、以下の15句となりました。
本来、俳句に説明を付けるのは好ましくありませんが、後の「第2部」の授業実践報告との関係もあって、敢えて今回は補足をつけさせていただきました。
=「和し」「寿ぐ」心で「言霊」15句=
① ウーの音国産み知らす言の霊 この音が、天地創造の始源の言霊となります。
② ウーの音現世の響き言の霊「 古事記」の世界では、現世はまだこの始動の段階でした。
③ オーの音魂が目覚めし言の霊 己の魂に神性が宿ると気づきかけた時、出る言霊です。
現代は後一歩の所まで来ています。
④ アーの音悟り開きし言の霊 お釈迦様など、聖者と言われる方の言霊です。
⑤ アーの音愛感動の言の霊 阿弥陀の「あ」です。魂=愛。愛=「あなたは私、私はあなた」の心です。愛の感動の、その瞬間こそ、魂と触れ合った瞬間です。「愛の心」=欠点にこだわらず、相気遣い、相補おうとする心です。
⑥ アーの音笑ひて和する言の霊 笑いの感動は「あっはあっはあー」です。お互いが笑えば、魂が響き合い通じます。
⑦ エーの音真理を尽くす言の霊 この言霊で、物事が正しいかどうか自ずとわかるようになります。知恵と真理の言霊です。
⑧ イーの音天界響く言の霊 根本創造主の意志を表す天界の言霊です。
⑨ イ・エの音万魂目覚む言の霊 この音は、万人の魂を目覚めさせ、結びつける言霊です。
魂は潜在意識下の世界で元々つながっています。孤立した魂にそれを気づかせるための言霊です。
⑩ ウオアエイ心を浄む言の霊 この5つの言霊を、声に出すことで難を避けられると昔の人は考えました。
⑪ 五七五先天三句言の霊 575の詩形は、根本創造主「先天」17神の言霊から生まれ出ました。575で「感動を起こす本体そのもの」を表します。17神は人智を超越して感情は表しません。
⑫ 一音はおのれが魂ぞ言の霊 短歌で使う言霊は、後で地上に現れた「後天」の神々の32音です。しかし短歌は31音。残り1音は自分自身の魂の言霊です。短歌はこの31の言霊から生まれ、77に「感情」を託します。おのずと「和し」「寿ぐ」心が湧き上がってきます。
⑬ 言の霊今も息づく魂の中 自分の魂の神性に目覚めると、言霊を出すことができるようになります。そのためには、山川草木を愛し、人を愛する「和し」「寿ぐ」心が大切です。
「かんながら」の言霊が生きてきます。
⑭ 言の霊神がからくり見つけたり 以上が現在の私が到達した段階です。
「古事記」と「言霊」の関わりは、「歌学」の秘伝として脈々と伝えられ、江戸時代に世に出て「国学」として復活しました。現在、「言霊学」が再興されネットでも紹介されています。
⑮ 記紀万葉言霊知りし昔人 古来、人々は肌で言霊を感じて生活をしていました。
かんながら気づけばそこに時の花
この後、「第2部」が続きます。高校の教育現場で、教科書の「現代の短歌」を、高3生徒にどのように教えているのか、「言霊」と「俳句」「短歌」とをコラボさせた、子供たちの「感性」を育てる授業をご紹介します。引き続きご笑覧ください。
https://note.com/joke575/n/n0441170fe776 【五七五と言霊の正体|俳句修行日記】より
今日もまた目が覚めて、毎日おなじことの繰り返し。「こんなことに意味あるんかな?」と首を傾げると、「おまえの俳句問題はそこにある」と師匠。「前も、定型に飽きて同じことを言とったな」と。
「生活に型を持たないものは、満足を知らない。それと同じで、定型の効用を知らないものは、感情の表層を渡り歩いてさ迷う。」
「定型に意味があるんすか」聞くと、「そこにある制約は、直情の表出を抑え込み、適う言葉を見つけ出させる行程を経て、文化が育んできた感性と結びつける。」
「そこには、真っ直ぐに歩んできた人々の生きざまがある。俳句を詠むということは、そんな人々の感性をなぞり、再現する世界に、自分としての意味を持たせる…」
む、むつかしい。要はダラダラするなということか???何も言えなくなって、仕方なく営業における近況を詠む。
「提携は絵空事なり春愁」
師匠あきれて出ていった…
それにしても、やまと歌はなぜ五七にこだわるんだろか。一般的には、二音節と三音節をベースとする大和言葉を作用させる「枠」として、最適だったからだと考えられている。
師匠は、「仕事歌の延長で、太古の作業様式を反映したものじゃ」と言っていた。しかしまた、「別の理由も秘めておるがな」とも。
日本は、古くから「言霊の幸わう国」と呼ばれてきた。「言霊とは何ですか?」と問うと、「古事記にいう『別天神(ことあまつかみ)』と『神世七代(かみよななよ)』の総称じゃ」と師匠。この神々は、諸相の魁だという。
漢文を基調とする古事記において、ところどころに出現する和歌は、一字一字、漢字の音を仮借して特別に表す。これの意味するところを師匠は、「神降じゃ」と。それによると、一音に一神のとよめきを感じながら、別天神五柱、神世七代へと祈りを捧げる。「これが和歌の基本じゃ」と。(つづく)
https://etoki.art/review/1909 【鳴響するマントラとBACK宙ムーンサルト「鎌田東二『夢通分娩』土曜美術社・2019年」秋丸知貴評アバター画像秋丸知貴】より
鎌田東二 第二詩集 鎌田東二『夢通分娩』(土曜美術社・2019年)
ビビッと、ビートが効いている。宗教学の京都大学名誉教授にしてフリーランス神主である、鎌田東二氏の第二詩集である。
意味不明な単語、脈絡のない文章。疾走感ある、世界との生な出会い。文体だけを見れば、本書は1920年代のシュルレアリスム詩や、1950年代のビート詩の系譜に位置づけても良いだろう。しかし、過去の単なる焼き直しでないのは、本書が実践的宗教学者の半世紀を超える求道的営為の一つの果実だからである。
詩と聖なるものの関係は、時流とは関係なく常に古くて新しい。本書は、詩作を通じた霊性探究の試みと言って良い。安易な手すさびではなく、真摯な曼荼羅の一片なのである。
それでは、人間は一体どこで聖なるものと出会うのだろうか? それは、意味の始源でである。
本能で生きている動物は、迷いはないが自由もない。一方、人間は本能を抑えて自然から自由になることを覚えた。しかし、あまりに野生から切り離されてしまうと、心は乾き、世界は煤け、内外のあらゆる連続性は断ち切られてしまう。
ジョルジュ・バタイユの「至高性」や、ヴィクター・ターナーの「コミュニタス」の議論を援用するならば、本来そうした失われた連続性を回復しようとする心の昂揚こそが、詩であり、歌であり、踊りであり、祭りである。童謡が、パンク・ロックが、阿波踊りが、踊り念仏がそうであるように(君にも、魂のビートが聴こえるかい?)。
意味のコスモスに絡み取られる前に、底なしの無意味のカオスを鷲掴みすること。意識を保ったまま、無意識の深淵にダイヴ=オーヴァードライヴすること。目覚めたまま、忘れかけた奥深い夢に超光速で転生すること。その時、人は聖なるものの臨在に触れるだろう。そっと、内なる異性と再会しつつ。
念仏という極意を秘密漏洩してくれた/金星少女
君の指通信はいつも黄昏れ/消息しぐれ/宵の明星と三密加持する
ほら/夢通分娩真っ最中/きらきら星だよ(74頁)
稀に、子供の心のまま大人になる人間がいる。コリン・ウィルソンに倣うならば、どうも右脳が関係しているらしい。このタイプは、宗教家と芸術家に多いようだ。左脳を酷使するためか学者には多くないけれど、それでもごく稀に空海や南方熊楠のような学者兼宗教家兼芸術家も世に出る。
高校生の時に投稿した詩が寺山修司に認められた経験を持つ鎌田氏もまた、そのタイプではなかっただろうか。「右脳が活性化すると、左脳も活性化するんだよ」と、以前鎌田氏に言われてポンと膝を打ったことがある。
本書の紡ぐ言語空間は、「日常」的ではないという意味で「異常」である。しかし、決して病んではいない。むしろ、「人」と「人に非ざる者」の境界を軽業のように行きつ戻りつする健康で強靭な意志と精神力を感じる。そして、読後に残るのは、明るく透徹した生の本源的な哀しみであり、佳境を迎える前の祭りの一瞬の静寂である。
夢通分娩。
世界の果てで、宇宙の創造を寿ぎ軽やかに歌い踊る神道ソングライター。
鳴響するマントラと、BACK宙ムーンサルト……!
さあ、見えないヴィジョンに触れ、聞こえないビートを体感しよう。幾千の夜を超えて、色鮮やかな朝を迎えるために。
本書は、ただの詩集ではない。一つのポータブル聖地であり、意味の極北への航海記録であり、あなたを銀河鉄道の旅へと誘うフリー・パスポートなのである。
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=5171 【ケア、エコロジー、ガバナンス、アート…現代へのヒント大国主神に学ぶ日本人の生き方(2)大国主神の「4つの現代的意味」】より
鎌田東二鎌田東二京都大学名誉教授
情報・テキスト
『悲嘆とケアの神話論ー須佐之男と大国主』(鎌田東二著、春秋社)
われわれ現代の人間は大国主神について、どのような点を学べるのだろうか。大国主神の神話を通して得られる現代的意味として、鎌田氏は、ケア、エコロジー、ガバナンス、アートという4つの観点を提示する。けっして一方的ではなく、「助け、助けられる」関係としての「ケア」。熱帯化する日本で、サステナブルなあり方を再構築する「エコロジー」。対立と格差を超えて持続可能な統治を実現する「ガバナンス」。大国主神が持つ三種の神宝……生かすものとしての太刀と弓、そして神聖楽器の琴が象徴する「アート」。それぞれどのようなことなのか。具体的に解説する。(全9話中2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
≪全文≫
●ケア…一方的ではなく「助け、助けられる」関係
―― では最初に先生にお聞きするのは、そもそも大国主神の全体的な性格はどのようなものか。その部分をぜひお聞きできればと思います。
鎌田 この『悲嘆とケアの神話論ー須佐之男と大国主』という本の中で、最後の結章の第6節「痛みとケアの神としての大国主神」において、4つの現代的な意味合いを大国主神からくみ取る、といった捉え方を提示しました。
現代的な課題としては、まず第1に「ケア論」の観点があります。コロナウイルスに苦しんできた私たちにとって、老齢者が亡くなっていくケースが非常に多かった。ですから、医療、看護、介護、ケアは非常に重要なテーマとして、より切実になってきたわけです。
そしてその際に、「助ける・助けられる」「ケアする・ケアされる」という行為は、決して一方的ではない。
―― 一方向ではないのですか。
鎌田 ケアする側が相手のレスポンスや対応によって、ケアされることもある。例えば優れた教師は生徒から多くを学びます。
つまり、生徒に教えるという一方的、一方向的なことで終わるわけではなく、生徒からのレスポンスによってどれだけ深いことを学び取り、またさらにその生徒にフィードバックできるかということが、優れた教師の有り様の典型だと思います。
まさに大国主はそのような神様で、「ケアする・ケアされる」という授受関係、応答関係をうまく循環させているのです。このケア循環といったものの形成は、非常に大きな意味があります。
●エコロジー…熱帯化する日本?サステナブルなあり方の再構築
鎌田 第2番目として、現代の自然災害の頻発を見ても、人間が作り上げていった文明の負の遺産によって、地球環境はここまで異様な形で歪んできています。「ホメオスタシス(生体恒常性)」のようなものはほぼないといえるような状態です。
私は今日(収録日:2023年8月8日)、京都から新宿に来ましたが、東京駅に降り立って新宿まで来る間に「もう日本は熱帯になったな」と思いました。
―― そうですね。
鎌田 本当に熱帯雨林の中を歩いているかのようです。タイや沖縄のほうが乾燥しているので、まだ過ごしやすいのではないか。この湿気の中でこれだけの暑さがある。この湿度と暑さは、やはり異様な状態です。こういった状態が、これで止むわけではなく、これからいっそう各地で起こってくる可能性が高い。
こういった状態になっているときに、現代の最大の課題の1つとして、地球環境をどのように維持できるのか。保全が難しいとしても、どれだけ負荷を減らすことができるか。
そういう意味でのエコロジカルな関係性を再構築することは、大きな課題の1つになっていると思います。
サステナブルというものがどういう意味を持つのか。いろいろな含みがあるので、考えなければいけませんが、ホメオスタシス的な、サステナブルな国のあり方、地域のあり方、地球環境のあり方など、そういうものをもう一度、見直すときにきている。その際に、大国主の国作りは大きな意味を持っているだろう。これが2点目です。
●ガバナンス…対立と格差を超えた持続可能な統治とは?
3番目が統治に関わります。ガバナンスというものが今、いろいろなところで問われていると思うのです。
国と国の争い、集団と集団の争いなど、対立と溝が非常に深まってきています。深刻になってきています。
会社のことを「コーポレーション(corporation)」といいます。コ(co)とは「ともに」とか「共同・共通・相互」を意味します。一緒になるという「together」「with」と同じです。地球の中で人間が生きていくために、その「together」「with」といったものの有り様をもう1度、考え直さなければいけない。
要するに、権力的に、独裁的に統治する、一部の者たちだけが富を得る、格差は巨大に拡大するなどということがあってはならない。もう少し分配と循環をうまくしていかなければいけない。
そういった中で、ガバナンス論という観点から、持続可能な統治と文分治が大きな課題になってきている。これに対しても、大国主神の神話はメッセージを発しています。これが3つ目です。
●アート…生かすための太刀と弓、そして神聖楽器の琴
鎌田 最後に4つ目として、大国主は琴を弾きながら歌(言霊)を引く。出雲の風土記の中には「琴引山」の伝承に琴をモチーフにした「石神」が出てきます。
『古事記』の中では、大国主がスサノオから譲られた、三種の神器に匹敵する「三種の神宝」があります。生太刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天詔琴(あめののりごと)の3つです。その「琴」は、言霊を引き出します。...
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