https://kota2009.hatenablog.com/entry/20140302/1393755877 【レトリック表現のススメ】より
メールやLINEで、絵文字が無いと気持ちを伝えられない。絵文字が無い文章を読むと、気持ちが読み取れない。”(笑)”と書くと、面白いと気持ちを伝えられる。じゃ、書かないと伝えられないの?
『爆笑問題・田中、直接的な表現しかない最近の曲に苦言「幼稚な歌詞ばかり」』(世界は数字でできている)。爆笑問題・田中が言いたかったことは、こういうことだと思う。
例えば、恋するフォーチュンクッキーの出だしは
あなたのことが好きなのに 私にまるで興味ない 何度目かの失恋の準備
ひねりのない、読んだままに分かる歌詞だ。
牧原則之のHungry Spiderという曲がある。こういうのをひねりがあるという。
今日も腹を減らして一匹の蜘が 八つの青い葉に糸をかける
ある朝 露に光る巣を見つけ きれいと笑ったあの子のため
やっかいな相手を好きになった 彼はその巣で獲物を捕まえる
例えば空を美しく飛ぶ あの子のような蝶を捕まえる
何かに例えて、より正確に気持ちを伝える。レトリックとはそういうものだ。相手の話にただ笑っていては、相手だって退屈だろう。
https://kota2009.hatenablog.com/entry/2019/09/16/174044 【繰り返し読んだ「レトリック感覚」(佐藤信夫)】より
レトリックとは、“比喩”あるいは言葉の”あや“のこと。メタファーとも呼ばれる。これに似たものに例え話がある。
レトリックには様々な技法があり、これは「レトリック感覚」(佐藤信夫)によくまとまっている。ネットの情報は断片的で浅い知識で書かれていることが多いので、レトリックに興味のある人は本書あるいは著者の佐藤信夫の他の本を読むと良い。
この「レトリック感覚」を読むのは3度目。1度目ではよく分からなかったことが繰り返し読むと分かってくる。逆の言い方をすれば、繰り返し読むことに耐える本と言える。
レトリックを使用する目的は3つあると、佐藤信夫は主張している。
他人を説得するため
芸術的あるいは文学的な表現を行うため
新しい認識に表現を与えるため
3は分かりづらいので補足しておく。
言葉の数は有限であるため、無数ある感情や思ったことを表現しきれない。そのため、何か情景を見た際に新しい感情や認識が浮かんできた際には、古い言葉や表現では足りず、レトリックにて表現する。例えば、「危ないじゃない。」律子は自分の声がくさび形に時彦の背中に突き刺さっていくのを感じた。(「レトリック感覚」、第1章 直喩 より)
論理的には、声は、音だから背中に突き刺さったりしない。書き手の認識としては、「危ないじゃない。」という声が時彦の心に強いインパクトを与えた認識があったのだろう。これを表現する言葉がないため、「声がくさび形に背中に突き刺さっていく」というレトリックを使った。
ところで、このエントリを読んでいる人は、上の1の他人の説得に興味がある人も多いだろう。人を説得するには、いくつかの型がある。
現状の問題点を理解してもらう(あなたに生じる損害)
相手のメリットを理解してもらう(あなたに生じる利益)
相手の払うコストの低さを理解してもらう(簡単にできる)
これらの3点についてレトリックを交えながら話すことで、相手を説得できよう。
政治家は、この辺りをよく分かっていてレトリックを使った表現をよく使っている。例えば、“多数決の暴力を許すな”(多数決は、誰かを殴ったりしない。これを暴力と形容するのはレトリック。)、
「レトリック感覚」の中では、7種類のレトリックが取り上げられている。その夫々については、他の読者がネットに書いているのでここでは省略する。ただ直喩とそれ以外を分けて読むと、分かりやすい。
直喩とは、「海のように深い愛情」のように「○○のように××な△」という形式をとる。〇のもつ×の性質を使って△を喩えていることが(文脈ではなく)文章から分かるため、アグレッシブな表現が可能になる。
それに比べて、他の比喩の手法は理解に文脈のサポートを要する。つまり、テクニックとして難しい手法になる。
まとめ
「レトリック感覚」を読んだ、これを読むのは3度目。初めて読んだ時によくわからないことが繰り返し読むことで分かってくる、つまり繰り返し読むことに耐える本。
レトリックを使う目的は
他人を説得するため
芸術的あるいは文学的な表現を行うため
新しい認識に表現を与えるため
また、レトリックの種類は7つある。
https://kota2009.hatenablog.com/entry/20130224/1361677976 【レトリック感覚:レトリックって何だ?】より
「レトリック感覚 (講談社学術文庫)」(佐藤信夫著)は、言葉のマジックを記しただけでなく、メタファーによる発想の効果に気づかせる道しるべである。
レトリックとは何か?
レトリックとは、”言葉のあや”である。具体例を挙げると、『ぜんぜん「自分らしく」ないじゃん』(24時間残念営業)から、
あとこれはかなり個人的な話なんだけども、俺、音楽に「それを作った人たちの物語」が付随する状況って昔からすげえ苦手なのね。
(中略)
俺にとって音楽は「それがないとちょっとやばい」という意味で、メシ、とまではいわないけど、お菓子くらいにはあたる。で、お菓子食うときに、それにまつわる物語とか別になくていい。目の前にお菓子がある。食った。うめえ。まずい。それしかない。そのお菓子を作った人たちの匠の技とかそういうのはあくまで「食って感じる」ものであって、どこぞでうんちく仕入れてきて「ほお、なるほど」とか思いながら食うもんじゃないの。
上の文章は、”俺、音楽に「それを作った人たちの物語」が付随する状況って昔からすげえ苦手なのね。”の説明を、音楽をお菓子に例えて行っている。この部分、私はとても上手だなぁっと思った。論理的に言えば、この部分を説明する必要って無いのだけど(個人の好みを述べているだけだから)、でもここで”お菓子”を例えに出すことで、読者にもその感情を共有させようとしている。この”お菓子”の部分がレトリックだと、本書を読んで思った。本書によれば、これはレトリックの機能の一つ、”説得する表現”にあたるだろう。
別の例を、「桜の木の下には」(梶井基次郎)の出だし部分から、
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
私は、満開の桜の花を見上げたときに、ハッと息をのむような迫力を感じます。この一種異様な迫力を、梶井基次郎は、「屍体が埋まっている」と表現したのだと思います。本書によれば、これはレトリックの機能の一つ、”芸術的表現”にあたるだろう。
本書の読みどころ
著者の佐藤信夫は、上で述べたレトリックを学術的に説明しただけではなく、レトリックには”発見的認識の造形”という(一般には知られていない)機能があり、レトリックの機能に対する考え方が、他の分野(例えば映像や心理学)に応用可能かもしれないと主張している。
まずは例を。川端康成の雪国から
よく見ると、その向うの杉林の前には、数知れぬ蜻蛉の群れが流れていた。
”蜻蛉の群れが流れていた”の部分がレトリックである。本来、蜻蛉は飛ぶ物であり、流れる物ではない。しかし、蜻蛉が群れて、固まって、一つの方向に、滑らかに、飛んでいる様子を、表すのに適切な既存の言葉が無くて新たに”流れる”という言葉を新たに用いた。これを”発見的認識”と佐藤信夫は表現しているように思う。
別の例を考えよう。”背筋が凍る”という表現がある。これもレトリックである。背筋は決して凍ったりしない、恐ろしさを感じる様子を”背筋が凍る”と初めて使ったのはだれだか分からないが、読み手の共感を得る名表現であろう。優れた表現は、多くの人に伝搬し繰り返し使われて行き、やがて辞書に載る平常表現となる。少し前に若者が使っていた”ヤバい”という言葉もレトリックであるが、平常表現となるまでには至らなかったようである。
映像のあや
著者の佐藤信夫は、レトリックの考え方の応用として、映像のあやと呼ぶものに触れている。例えば、カウボーイ映画で、銃の穴が開いたテンガロンハットを写せば、その持ち主が銃で撃たれて死んだことを観客に伝えることができる。これが映像のあやである。
私は、写真とそのタイトルにおいても、レトリック的な解説ができるのではないかと思っている。例えば、穏やかな海の写真に”海”というタイトルを付けるとレトリックでも何でも無いが、これに”復興”とタイトルを付けると、東北大震災で被害を受けたの海岸であることを伝えることができる。
別エントリ「写真におけるレトリックの例:なぜ意味が分かるのか?」に、具体例を書いておく。
まとめ
本書は、「こう書けばこういう効果がありますよ」とか「こういうときはこう書けば良いですよ」といったことを教えるテクニック本ではない。「レトリックとはこういうものですよ」と説明する教養書である。そのため、面白い文章を書く方法を探している人には向かない。自分だけの個性的な表現ができるようになりたい人に向く本である。
一番印象深い内容は、「レトリックとは、従来は説得する技術そして芸術的な技術と考えられていたが、既成の言葉が無いときに忠実に感情を表現する技術でもある。」というもの。これは、言葉以外の例えば写真表現に応用することもできる。
https://kota2009.hatenablog.com/entry/20130311/1362956211 【写真におけるレトリックの例:なぜ意味が分かるのか?】より
レトリック的に映像を解釈すると面白いのではと思っていた。昨日、ピッタリの画像をみつけた。換喩(レトリックの一種)表現が使われている画像だ。画像の黄色いオブジェにはCAUTION(注意!)とだけ書かれている。何に注意すべきかは書かれていないが、一目瞭然にそれが分かる。
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