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おはようございます。
二十四節氣「春分」の次候「櫻始開(さくらはじめてひらく)」(桜の花が咲き始める)という時季になりました。七十二候の第十一候です。
全国各地からサクラの開花宣言が聞こえ、サクラの初花(季語では「初桜」)が観られるころです。
サクラといえば、「ソメイヨシノ」(染井吉野)、現在のサクラの開花宣言は、このソメイヨシノの開花を標準としています。ソメイヨシノは、大島桜と江戸彼岸桜の自然交配から生まれ、明治のはじめに、東京の染井村の植木屋さんから全国に広まっていった品種です。
サクラは、遠い昔から日本人に深く愛されてきた花です。平安時代の貴族たちは、サクラを愛でるために酒宴を催し、数多くの和歌を詠みました。この時代のサクラの多くは、一重の花で赤みを帯び「山桜」でした。
現在、日本には、固有種・交配種を含めると、およそ600種のサクラがあるとのことです。
咲き満ちて桜静かに立ちにけり (望月和子 『船団』1998年11月)
人知れず仰ぐものかや初桜 (山田弘子 『円虹』 1999年6月)
きょうも笑顔で充実した一日をお過ごしください。
https://blog.goo.ne.jp/qsou/e/1cdc5e7569210eea46bd959698501720 【季語と方言】より
蓮枯れて大いなる鯉ど(注:竹冠に奴)に入りぬ 水原秋桜子
今日の「増殖する俳句歳時記」 にある句です。私は、この「ど」という言葉に興味を持った。私の手元にある歳時記(合本 俳句歳時記 新版 角川書店編)にある下記の言葉と同じものかな、と思った。
【竹瓮】 たっぺ
細い竹を筒のように簀編みにして、一端は紐で閉じ、他端の口から、小魚などが入ると、外に出られぬ仕掛けになっている。
たっぺ積み犬跳び乗れる船を押す 福田蓼汀
竹瓮舟未だ湖明けやらず 舟木紺雨
竹瓮舟蘆を乗り敷き現れし 西沢十七星
この道具を私の生まれた茨城では、「うけ」と呼んでいた。しかし、これを使って魚を捕るのは夏から秋にかけてだった。歳時記では、冬の季語になっている。
田んぼのわきの小さな川に入れておくと、ドジョウやフナが沢山捕れた。
私は昔の九想話に「はざ」と「おだ」というのを書いた。「はざ」というのは歳時記に載っているのに、なぜ「おだ」はないんだ、というわがままな九想話です。
「おだ」は茨城の方言なんです。このことから思うに、「ど」はどこかの方言で、「たっぺ」は広い地方で使われていた言葉なのですかね。
私は、「ど」も「たっぺ」も知りません。私の田舎で魚を捕ったこの道具は、「うけ」です。
亡き父の昔つかったうけ納屋に 九想
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寒土用武奈伎は旬となりにけり 白兎 かんどようむなぎはしゅんとなりにけり
寒土用(かんどよう)は晩冬の季語。
春夏秋冬それぞれに土用はあるが、普通、土用といえば夏の土用のことである。寒土用は立春前の十八日間。寒さの厳しい時期で ある。天然うなぎは10月頃からは冬眠に備えて栄養をたっぷりと蓄え、12月頃に冬眠に入る。そのため、この頃のうなぎは一番脂がのっておいしいと言われている。
奈良時代の『万葉集』に「武奈伎(むなぎ)」として見えるのが初出で、これがウナギの古称である。近畿地方の方言では「まむし」と呼ぶ。
「薬缶」と題する江戸小咄では、「鵜が飲み込むのに難儀したから鵜難儀、うなんぎ、うなぎ」といった地口が語られている。
「胸黄」は天然ウナギの胸の辺りが黄色いために「むなき」、「むねぎ」がウナギになったとされる。
https://blog.goo.ne.jp/kanekuti3515/e/900d37313cfd56a1d5c6f966ecc43847 【俳句に「方言」を使うのは?】より
今日も概ね晴れて、まだまだ30度を超すような残暑ですが、日陰に入るとスーッと涼しくなって…、これはやはり湿度の違いのようです。同じ温度でもあの肌にまとわりつくようなねちっこさがないからでしょうね。
月曜日が祝日で病院が休みでしたので、今日は午後からリハビリへ行きました。だんだん体力がなくなっているのがよく分かります。以前は楽にこなしていたメニューが…途中でひと休みしないと続けられなくなりました。メニューを減らしてしまうと元に戻すのがえらくて…エエッ、〝えらくて〟が分からないですって!じゃあこれは方言なんですかね~。
普通漢字で「偉い」と書くと、〝社会的な地位、身分が高い〟とか〝行動や識見がすぐれて、立派だ〟という意味にとられやすいですね。しかし、「えらいことになった」とか「えらい騒ぎだ」とか言うことありません? この時の「えらい」は〝とんでもない〟や〝ひどい〟という意味で使っています。私が使った「えらい」は、〝しんどい・苦しい〟という意味なんです。
みなさんはこういう時どういう言い方をされますか? 広辞苑で「しんどい」を引くと、〝京阪で言う。「心労」の転か〟とあって〝くたびれている。つらい。くるしい〟の意味。ということは「しんどい」の方が方言ということになるんでしょうか。ヘンなの…
しかし、ちょっと調べてみますとやはり〝しんどい〟と同じ意味での「えらい」は方言のようです。私のふるさと大分では、〝よだきい〟ということばもあります。初めて他県に行ってこれを使いましたら笑われてしまいました。〝どういう意味?〟と。
でも、今では広辞苑にも載っているんですよ。〝(大分・宮崎県で)億劫だ。面倒くさい〟という意味が。だからいつか東京で宮崎出身の友人に会って、つい〝よだきいね~〟と言ったら、〝わあ~懐かしい!〟と大笑いになりました。
でも、この言葉は由緒あるものなんですよ。国会図書館の資料によると、平安時代にまで遡ることができ、古語の「よだけし(弥猛し)」(大儀だ、ものうい。おっくうだ)を今に引き継いだものとあります。ね~ビックリでしょう! だから方言だといってバカにしちゃいけないんですよ。
そこで、方言を使った俳句があるのかしらと、ネットで調べてみましたが殆どありませんでした。中に一つほど…『増殖する俳句歳時記』より。
秋風や鼠のこかす杖の音 稲津祇空
作者は江戸期大阪の人。談林系から蕉門へ近づき、江戸に出て基角に師事した。「こかす」は、今でも方言として生きている地方もあるが、「たおす、ひっくりかえす」の意。私が子供だったころにも、寒い日の夜ともなれば、鼠どもが天井裏などを走り回っていた。人間が寝てしまうと、土間にも出没して、こういうこともやらかしてくれる。杖の倒れた音に作者は一瞬驚くのだが、いたずらをした犯人もまた一瞬にして見当がつく。耳をすますと、表ではひゅうひゅうと風の吹き渡る音。心ぼそい秋の夜、いたずら鼠にむしろ親愛の情すら感じてしまう。淋しかったでしょうね、大昔の秋の夜は。(清水哲男)
ところで、毎日新聞の大分版で「大分弁俳句」の募集が平成24年4月より始まったんですって。これは毎日新聞が主催している「別府大分毎日マラソン」の応援企画として、平成20年からその時期だけ募集していたのを、好評につき定例化することにしたということらしいです。調べてみると、今年で350回を突破することができたんだそうですよ。スゴイ!
選者は、大分県臼杵市出身で、方言を活かしたコピーライター・タレントとして活躍する吉田 寛(よしだ・かん)さん。毎週火曜日に優秀作5句、最優秀作=「大賞」1句を掲載。最優秀作には選者による「評」が加えられ、毎月「月間大賞」も選ばれて翌月の初めに発表されます。ちなみに、4月の初めての「月間大賞」に選ばれたのは、次の句だったんですと。
見ちくりい男言葉の春ショール
【評】おしゃれでかわいいショールを披露する際、つい「見ちくりい」と口走るおばさんの顔が浮びます。
この「見ちくりい」というのは、〝見てくれ〟という意味で、ちょっと乱暴な言葉なので私たちは使いませんでしたね。やはりこの句のように方言を使うと滑稽が勝ちすぎて、川柳(川柳の方には失礼かも)に近いものになってしまうような気がします。
詰るところ、私たちの学んでいる伝統俳句は、韻文であり文語を主体として抒情を求めるものとするならば、どこかに俳句としての〝品格〟が必要なのではと私は思っています。駄洒落やことば遊びとは違った分野の文芸ですが、その表現手段の一つとして方言を使う俳句があってもいいと思います。しかし、余程上手く使いこなさない限り納得してもらえるようないい俳句は詠めないのではないかしら。ウウ~ン、難しいですよね。明日は定例の吟行会ですので、今日はこれでオシマイ。
写真は、〝韮の花〟(にらのはな)で、晩夏の季語ですが、今真っ盛りです。よく見ればカワイイ花ですよね。毎年勝手に生えてきます。
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『季語として詠まれた植物・続編』での3月の季語「羊蹄」を描きます。
羊蹄(ぎしぎし)に 石摺(す)り上る 湖舟かな
(杉田久女:高浜虚子に師事した俳人)
おしべが、花後に小さな牛の舌に似ていて、関西・京都辺りの方言で“牛の舌”を“ギシギシ”というので、この名前がついたという説があります。
しかし、ギシギシの名の由来は伸びた花穂(かすい)をしごいて取るとギシギシと音がするとか、鈴のように付いた果実を振るとギシギシと音がするとか、擬宝珠(ぎぼうし)から来たとする説等いろいろあるようですが、牧野富太郎博士によると名の由来ははっきりしないとの事です。
なお、漢字“蹄”は“シ”と読みます。
(「羊蹄」は北海道の山にもあり、“ようてい”という呼び方と、“べし”と呼ばれ、牧野博士もこのことに触れておられます。「後方羊蹄山」は“しりべしやま”と読みます)
挿絵としては、スイバと良く似ており、ギシギシの葉に注目してください。スイバの葉は矢じり型です。
食べれますが、ウサギの餌にするくらいでしょうか。
なお、シュウ酸という成分があり、食べ過ぎると結石の原因になります。
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先日FBで、「妖精は高きを翔ばずひよんの笛」 中島 雅幸氏の句を見た。
私には「ひょんの笛」が何のことか分からなかった。
調べてみると歳時記にもあり、広辞苑でも「柞(いすのき)の葉に虫が穴を開け、吹くと笛のように鳴る」と解説があった。だが、俳人でもこの季語を知らない人もおられるだろうし、一般の人で知っている人はごく少ないだろうと思った。
俳句を読んでいるとこのような聞きなれない/難解な言葉によく出会う。歳時記の端っこにあったり、歴史古語/方言に類する言葉だ。
これらの言葉は、一面では美しい日本語として継承する意味が有ることは事実だ。
問題は、読者・鑑賞者が知らないので、素直に句の鑑賞に入れず、まず歳時記/辞書/ネットなどで調べる必要があること。
つまり『句は17音だけで独立する』とは言えないことだ。
作者の気持ちを忖度すると、
① 難しい言葉だが、歳時記にあり後世に残す意義は大きい。(大義名分、使命感)
② 同じ俳仲間であれば知っていて当然、そうでないなら勉強しなさい。
(俳句仲間以外は相手にしない)(上から目線)
③ あまり使われない言葉だから、新味を出せて句も目立つだろう。(鼻が高い)
夏井いつき氏が著書で『古いものも新しいものもごちゃまぜに出てくるオモチャ箱みたいなところが、歳時記の面白さなのになあ』と書いている。私も歳時記の古い言葉を否定する気はない。
ただ、句を他人に見せる目的は第1に、「読者と共感する」ことだと思うので、難しい言葉があるならそれを読者に分かってもらえる何らかの工夫があってしかるべきだと思っている。
鑑賞の前に難解な言葉が立ちはだかるようでは、せっかくの句が泣くというものだ。
《難語見つけ悦に入ってる生半熟》 にはなりたくない。
「生半熟」:②未熟なさま。尾崎紅葉、紫「何に成らうと、生半熟なことぢゃ行きませんねえ」
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