https://kotsubu.exblog.jp/12468765/ 【ムラサキハナナの森】より
昨日の初夏の陽気とは打って変わり、今日は冷たい雨の降り続く冬のような一日でした・・・
桜も 今日の雨で、かなり散ってしまうでしょう。通勤途中の道には 雨で濡れた花びらがたくさん落ちていました・・・。今日は 六郷用水散策路を散歩中に出会った とっても綺麗な場所をお届けしたいと思います。
桜や水のある風景を撮りつつ歩いていた時、反対側の道の向こうに 一面の紫の花畑を見つけました。
道を渡って近づいてみると、ものすごい数の ムラサキハナナの群生でした・・^^
ちょっとわかりずらいかもしれませんが 家と家の間の空き地です。
中に入って撮りたかったのですが 私有地なのでしょう。 柵がしてあり、おまけに鉄線まで・・しかたなく 外から望遠で撮りました・・^^;
一般名:ムラサキハナナ(紫花菜)学名:Orychophragmus violaceus
別名:オオアラセイトウ(大紫羅欄花)、ショカツサイ(諸葛菜)、シキンソウ(紫金草)、
ヘイワノハナ(平和の花)、Peace flower(ピースフラワー)
科属名:アブラナ科オオアラセイトウ属
原産地:中国 草丈:20~50cm 開花期:3~5月 花径:2~3cm 花色:紫
ムラサキハナナ、ショカッサイ ここにはありませんが ハナダイコン はよく聞きますが 『ヘイワノハナ』なんていう別名もあるんですね~^^
私は 『ムラサキハナナ』 が可愛らしい気がして、そう呼んでいます・・^^
私が 立ったり座ったりへんな格好をして(笑) 撮ってる後ろを、みんな「綺麗だねぇ・・」言いながら通っていきました。
小さな男の子も お父さんに 「綺麗な花だよ~」 と言っています。
ほんと、そのくらい とっても綺麗だったのです・・・^^ 実際見ていただけなくて残念!
小石川植物園に行ったときも ムラサキハナナはあちこちにたくさん咲いていて 群生もたくさんあり 埋もれて撮ったりしましたがこんなに凄いのは 始めて!
ムラサキハナナ(紫花菜) は、春にアブラナ科特有の十字形をした、紫色の小さな4弁花を咲かせるアブラナ科オオアラセイトウ属の耐寒性一・ニ年草です。
花名にあるハナナ(花菜)とは、黄色い花の咲く ナノハナ(菜の花) のことで、紫花菜とは紫色の菜の花という意味になります。
花の中央に6本の雄しべと1本の雌しべがあり、雄しべの葯(ヤク、先端部)と雌しべの柱頭はいずれも黄い色をしています。
こぼれ種から芽が出て半野生化したものが土手などで咲いています。
ムラサキハナナ(紫花菜)は、別名、「平和の花」や、「ピースフラワー」と呼ばれますが、これは南京(中国)ゆかりの花であり日中戦争時の悲惨な経験を繰り返してはならないと言う願いを込めて呼ばれるようになったとのことです。
ちなみに、別名でオオアラセイトウ(大紫羅欄花)と呼ばれますが、似たような花名でアラセイトウ(紫羅欄花)と呼ばれるムラサキハナハ(紫花菜)があります。
なるほど・・・『ヘイワのハナ』 は戦争を経験した人たちの 祈りが込められた名前なんですね・・・。
ムラサキハナハ・・という花もあるのですね? ややこしい・・^^; あとで調べてみよ♪
Facebookイーハトーブ心身統合研究所 ·投稿記事
日本の神道は縄文の自然崇拝から来ている。石、岩、樹木、山、川を神の依代として自然を崇拝してきた。神社には鎮守の森があり、神の使いである蛇や鹿や動物がいた。
縄文時代、森羅万象に精霊が宿っていた。先祖の墓地がある広場を中心に同心円状に集落が形成されていた。縄文は文字や金属をもたず、富の蓄積をせず、王様を作らず、人を殺す武器を持たず、都市は存在していなかった。
集落はどこまでも開放的で城壁はなく家に鍵はかかっていなかった。縄文時代は死者と一緒に暮らし生と死は離れていなかった。
縄文と弥生の移行期になると墓地は集落の境に作られ、弥生時代になると村から離れた山の裾野などに作られた。
先祖の霊を部族の守護神として大切に祀るようになり精霊は遠い所から村に訪れるようになった。神がかりは女性から男性にかわり司祭によって組織化された宗教的行事が行なわれるようになった。
弥生時代になり大陸から金属製武器をもった父権社会の集団がやってきて戦いが頻繁にはじまると、外敵の侵入を防ぐ為にまわりに堀を幾重にもめぐらした高く厚い城壁が作られ、門は頑丈に作られた。
村落が形成されると自然崇拝の信仰対象は勢力を拡大した出雲系の祖先の霊廟に変わった。
その後、天孫族の勢力が拡大し他の部族を制圧すると出雲系の祖霊神は格下げされた。天孫族の祖霊は格上げされ国を守る最高の守護神「天照大神』として伊勢神宮に祀られるようになった。縄文の精霊信仰は神社神道に吸収された。
かつて神である樹木や動物は人間と同じく手厚く葬られていた。
江戸時代の広島藩では「木一本が首ひとつ、枝一本が腕ひとつ」といわれ木を無断で伐った久兵衛という人物は打ち首になったほど森が守られていた。
明治になると天皇を頂点とする国家神道が形成された。記紀神話以外の神々は抹殺され、明治42年までに約19万あった神社が統廃合されて神社は11万までに減らされた。消えた約8万の神社の運命と同時にそこにあった鎮守の森も消滅していった。
戦後、高度経済成長が始まるとTVが普及し情報がマスコミ経由になって村の古老の話を子供が聞かなくなった。
日本は工業技術に価値を置くようになって村から都会へ人が移るようになった。村では人が変わり家が断絶した。
深夜電力を使ったコンビニが登場し真夜中も明るくなった。かわりに妖怪が姿を消し、目に見えるものだけを信じる人が増えて、狐にだまされる人が一斉に姿を消した。
大切に保護されてきた神話時代の森はお金の時代になると神聖さを失い単なる商品価値におとしめられた。
経済とお金が新しい神となった。森林は欲望の対象になり土地は売り渡された。森林は伐採され、自然は崩壊していった。
自然と村人を包んでいた神々の世界は姿を消した。昭和30年代の後半(1960年)を境に1万年の間、森を維持してきた村落共同体は急速に崩壊した。
それと同時に縄文時代から続いてきた自然を畏怖するという野生の思考も失いつつある。
動物も人間も生きている地球の大きな網の結び目の一部にすぎない。
すべての生き物はそれから離れて生きる事は出来ない。それでも人間は地球規模で自然を食いつぶそうとしている。
自分が誰なのか忘れてしまったのだ。
Facebookいと きょうさん投稿記事 「タカマノハラカードが生まれた背景」
(その1)
私が神がかった訳ではなく、誰もがそうなります。それがホツマツタヱを含むヲシテ文献を学ぶということです。それは芸術家の世界と共通した世界でもあります。
私はこれまでヲシテ文献を多角的に研究し、神社のご祭神を訪ねる旅をしてきました。
こうした行為を続けて行くうちに、先祖の気持ちが理解できるようになってきました。
そして次第に、先祖の言葉をいただくことが増えてきました。
こう表現すると、「それは単なるあなたの思いではないか?」とか、「あなたの意識がそうさせたのではないか」、と言われるかもしれません。
でも私は大真面目で、「これは先祖からいただいたお言葉です」、と答えます。
何故ならヲシテ文献を読むと、自分と祖先とが一体化するようになるからです。
(その2)
これまで私たちは、国や組織に奉仕するための従属的な立場に置かれていました。
そこから脱却することがこれからの未来を生きることになります。それを意識の変容とか、次元が変わると表現したりしています。これからは自分への奉仕の時代となります。
私たちは、それを自己中心という表現で卑下してきました。それはある権力者にとって都合が悪かったからです。でもその時代は終わりました。
自らがヲシテ文献から真実の歴史を学び、それを基本として生きる時代に入りました。
もう何も心配することはないのです。自分への奉仕が、新たな宇宙を創ります。タカマノハラカードには吉凶はありません。自分に奉仕するための答えが卦として現れてきます。
それを基にその日その時を過ごせば良いのです。すべてはタカマノハラ(白い光の世界)から用意されます。タカマノハラにつながるという意識が、あなたを幸せにします。
(その3)
これからの時代は、縄文人の宇宙観が何よりも大切な時代となります。これは科学が生まれる以前の宇宙観です。科学は、分離を生み、人間を自己と他人を分け、肉体の外側は、自己ではないと思わせてきました。これからの時代は、自己=タカマノハラ宇宙と認識する時代です。
タカマノハラ宇宙は自分そのものです。すべてが一体の世界です。
星は先祖であり、先祖はあなたの体の中に宿っていてあなたを応援してくれます。
月は体の中にあって、太陽を求めます。太陽は体の中にあって、月を照らします。
太陽は、体に気力をもたらします。月は、体の中にあって休息をもたらします。
月を愛でることは、自分を愛でることになります。太陽を浴びることは、自分が輝くことを意味します。タカマノハラ宇宙は、自分そのものです。
Facebook石川 真樹夫さん投稿記事 ヒューレン博士からのメッセージ
「新しいことなんて何一つない」このようにシェークスピアは言っています。
私たちの問題、悲しみ、悲劇は抵抗による力であり、私たちの魂にある悲しみや呻き、不満です。解決法は、恩寵を求めることです。
クリーニング、それは、”アイスブルー””ブルーソーラーウォーター””ありがとう””愛しています”であり(顕在意識による浄化)、
私たちの中のディヴィニティーを通して行われる浄化であり(恩寵による浄化)、インナーチャイルドが繰り返し再演するメモリーから自由になること(ウニヒピリの回復と浄化)を求めることです。
「わからない」ということがどれだけ素晴らしいことであるか、わからないということに振り回されないために。私たちが存在する唯一の意味は「クリーン、イレース、イレース、(クリーニングして消去すること)」
わたしの平和 イハレアカラ
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"there is nothing new," says shakespeare. our problems, sorrows, tragedies
are rebel powers, fore-bemoan moan and grievances in our souls. solution:
seek grace.
cleaning -- ice blue / blue solar water / thank you / i love you /
whatever -- seeks freedom through divinity for whatever20memories are
replaying in our inner child.
how wonderful to be clueless, to not be troubled by not knowing. the only
purpose for existence is: "CLEAN, ERASE, ERASE."
peace of i,
イハレアカラ・ヒューレン
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