ひふみ歌

Facebook斉藤 一治さん投稿記事· 「阿祖に帰一せよ」と高天原の乱

『10代崇神天皇のときに高天原の乱という大変な乱が起きて、ぐちゃぐちゃになりました。

神武天皇の後、2代から8代まではよくわからない。「欠史8代」と言われていますが、ここで隠滅しているのです。

7代のときに徐福が来ました。そういう歴史をみんな消してしまっています。

崇神天皇は、阿祖山太神宮にあった宝物(三種の神器)を奈良の橿原神宮に持っていってしまいました。

次の11代垂仁天皇、倭姫(やまとひめ)が伊勢神宮を23カ所、3カ月、4カ月、2年と遷座、遷座、遷座、遷座していったけれどもおさまらない。世の中は乱れ、戦いが起き、天地はぐちゃぐちゃになりました。

「高天原の乱」といって、富士山が高天原です。

そこから持っていったので、とんでもないことをしたということで神様が怒ってしまったのです。世の中が乱れ戦いが起きる。

そして、12代景行天皇のときに日本武尊の全国征伐が始まります。 

まず、九州の筑紫の国。今は熊本ですが、益城町の朝来山(あさこやま)のあたりにいた土蜘蛛の一族を10代崇神天皇が皆殺しにしました。

朝来山と阿蘇山はつながっています。今回の地震でも益城町が相当やられました。阿蘇大橋もやられたし、阿蘇神社が崩落した。

ここは一直線に活断層が走っています。活断層というのは断層がずれるので、下に水脈が集まることになってしまう。それがだんだん広がると川になる。

益城町もそうですが、川沿いです。日本中全部が不二王朝だと思ってください。

ここに神倭朝が入りました。 崇神天皇が立ち、ここで土蜘蛛という一族を皆殺しにします。

(途中略)

ここが益城町で、ここが不二王朝の朝来山ですが、まさにここが震源地なのです。

ここが阿蘇大橋。ここが阿蘇神社。

津森神宮は神武天皇を祀り、阿蘇神社は神武天皇の孫を祀り、ここがドーンとやられてしまった。

ここは阿蘇山。「妻子ケ鼻」と書いてあるから、ここも虐殺を受けたなと。こんな名前がつくのは、要するに鼻を取られて、そこに埋められたということです。

この前、幣立神宮へ行って、春木宮司に会って話してきました。そこに石版があって、ひふみ祝詞が書かれていましたが、最後の文字の中に「阿祖に帰一せよ」というのがありました。

「大祓詞の中に、天津祝詞の欠文が見えるのは、天津日嗣の原点であった皇祖発祥の高天原日の宮が隠れ宮となったからである。そこで昭和の今日、皇祖の神教によって、表記の如く修正した。

なお国津教の神教で、これに『アセヱホレケ』の、お題目を追加しておく。アセヱホレケは神代文字で、現語では『阿祖に帰一せよ』の意である」と書いてあります。

この「阿祖」とは何か。阿蘇山とは違うし、何だろう。高天原というのは、ここ(富士山の阿祖山太神宮)以外にないのです。』

〈「世界最古不二阿祖山太神宮」ヒカルランド 不二阿祖山太神宮大宮司 渡邉聖主著〉より


https://ameblo.jp/matsu100kaze/entry-12682514354.html 【ひふみ歌~石上神宮の教え~】より

こんにちは!じゅんじゅんです。先日訪れた石上神宮の教えに「一二三四五六七八九十と唱えて、これに玉を結べ」というのがあるそうだ。

玉とは言霊のこと。言霊と数霊とで事物の内容を把握することが最良の理法であることの教え。古事記に登場する百神。

その最初の五十神五十音言霊を祭る宮を伊勢神宮  五十の操作法を祭る宮が石上神宮。

伊勢の内宮は言霊五十音をもって人類文明創造の為の理想の精神構造【天照大神】を表徴しり器物である

八咫鏡をお祭りする宮伊勢の外宮は世界各国の精神的産物の一切を八咫鏡に照らし合わせ、

人類文明の内容として時処位を決定し、抱擁摂取して行く働き【豊受姫神】をお祭りする宮

そして、石上神宮は伊勢内宮の五十音言霊を活用して人類文明を創造して行く、

その活用法【布留の御魂】をお祭りする宮。伊勢神宮の内・外宮と共に石上神宮は天照大神の岩戸開きの確認に最も関係深いお社ということが出来る。

石上神宮に三千年も前の太古から伝わる「布留の言本」日文(ヒフミ)四十七文字は

言霊47音を重複することなく用いて五十音麻邇の操作法を教えている。

ひふみ歌

ヒフミヨイムナヤコトモチ ロラネシキル ユヰツワヌ ソヲタハクメ カ

ウオエニサリヘテノマス アセヱホレケ

どういう意味かというと 浮かび上がってきた言葉の内容を相手の心の状態に応じて

ウオエの三次元に分け慈愛の心から言葉の運びが相手に良く理解できるよう伝えよ

ウオエの三次元とは人の精神の進化具合の事をいい ウの次元は欲望

オの次元は宗教・学問 アの次元は感情・芸術 頭ごなしに言いつけるのではなく

その人の心の次元に合わせて 相手によく理解できるように伝えよ。というもの。

コトダマ学の先師である 小笠原孝次氏により コトダマ学の原理に基づいて

百パーセント謎が解かれその大いなる意味が全て明らかになりました。1970年頃の言だそうです。

https://www.isonokami.jp/shinwa/shinwa2.html 【神話にみる 石上神宮の神様】より

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)表紙へ布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)

天津神が饒速日命に神宝を授ける

物部氏の遠祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)が、高天原より天降られる時、天津神から「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」を授けられました。この時「もし痛むところあれば、この十種瑞宝(とくさのみづのたから)を、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)と言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。そうすれば死(まか)りし人も生き反(かえ)らん」とお教えになりました。この天璽十種瑞宝は「十種神宝(とくさのかんだから)」とも称えられる、十種類の神宝です。「瀛津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死返玉(まかるがへしのたま)、道返玉(ちがへしのたま)、蛇比礼(へみのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのもののひれ)」の十種で、「亡くなられた人をも蘇らす」霊力を秘めています。

天磐船で降臨

饒速日命は天璽十種瑞宝を携えて、多くの供(とも)を従え、天磐船(あめのいわふね)に乗って豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に降臨されます。最初に降臨されたところは「河内の国の河上の哮(いかるが)峯」と伝えられ、その後、饒速日命は大和国山辺郡布留の高庭(現・石上神宮の地)に遷し鎮められました。磐船に乗って上空から眺め、「虚空見(そらみ)つ日本(やまと)の国」と言われ、これが「日本」の名称の初めになったと、『日本書紀』に記されています。

神武天皇の鎮魂

饒速日命の御子様に宇摩志麻治命(うましまじのみこと)がおられました。宇摩志麻治命は、初代の天皇である神武天皇と皇后の聖寿の長久を祈られる時、天璽十種瑞宝を用いて鎮魂祭(みたまふりのみまつり)を斎行されました。これが鎮魂祭の初めとなったことが『先代旧事本紀』に記されています。この物部氏の鎮魂は、御魂を振動させる「御魂振り(みたまふり)」と「玉の緒」を結ぶことが中心です。「玉の緒」とは玉を貫きとめる緒(ひも)のことで、玉(たま)と同音の「魂(たま)・命」を結び留めることを表しています。現在も石上神宮では11月22日夜に「鎮魂祭(ちんこんさい)」を、また節分前夜に「玉の緒祭(たまのおさい)」を斎行しています。


https://imakoko.seesaa.net/article/437510428.html 【言霊 言霊学随想・日文】より

日文「ヒフミヨイムナヤコトモチ ロラネシキルユヰツワヌ ソヲタハクメ カ ウオエニサリヘテノマス アセヱホレケ」の四十七文字、何故、布瑠の言本(フルノコトモト)というのか。

日文のある石上神宮の場所は奈良県の布瑠(フル)と申します。フルは活用するという意味。言葉を降ること。言葉を言うことを「鈴を振る」と申します。天津太祝詞音図を平面なら高山五十音、短山(ひきやま)五十音の百音図を上に引き上げますとビラミットの立体になる。

その立体の天津太祝詞音図である高千穂の奇振嶽の五次元を行き来しながら、世界の政治を執ったア段の邇々芸命(ニニギノミコト)の仕事の原点を表している。(フルでユラユラ)

布瑠の言本の唱え事の意味は…

先天が活動し三十二の現象子音(タトヨツテヤユエケメ クムスルソセホヘ フモハヌ ラサロレノネカマナコ)が出てくる。先天から何かが考えだされた、それが何のアイデアなのかをまとめる(タトヨツテヤユエケメ)。それをどういう言葉に表したら相手によく伝わるだろうか、考えと言葉を結びつける(クムスルソセホヘ)。口(=音or電波)に出して相手に伝える(フモハヌ)。相手の耳に入ると「何を言っているのか、こういう意味か」了解するまで(ラサロレノネカマナコ)。後天が終わると先天に返る。

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