平和への願い

Facebook黛まどかさん投稿記事

「まんかいのさくらがみれてうれしいな」  

小学生の男の子の俳句です。一見子供らしい愛らしい句です。

この少年に出会ったのは、2011年4月、岩手県山田町の避難所でした。

山田町は地震のあとに津波、そして火災に襲われました。私が訪ねたときにはまだ町中で焦げた匂いがしていました。そんな中で桜並木が見事に花を咲かせていたのです。

桜も少年も津波を逃れ、火災を逃れてようやく繋いだ命です。背景がわかると、子供らしい愛らしい句とはとても言えません。

東北に訪れた遅い「春」。その喜びを少年と桜が分かち合っていました。少年は桜であり、桜は少年であります。

今年も3月11日がめぐってきました。

※東日本大震災の被災者が詠んだ俳句を集めました。

『まんかいのさくらがみれてうれしいな』

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※Haikus by victims of the great earthquake

『So Happy to See Cherry Blossoms』

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Facebook近藤裕子さん投稿記事  ☘️平和への願い☘️

ボブ・ディランの詩「風に吹かれて」(ノーベル文学賞)

以下は 音楽評論家・北中正和さんの新著からの転用です。

難しい言葉は出てこないが「風に吹かれて」に難しい言葉や言い回しは出てきません。むしろ単純に思えるほどです。歌は3番まであり、どの番もハウ・メニーという言葉からはじまる疑問3つと、それを受ける部分から成り立っています。

 問われているのは人間の尊厳や反戦平和の願いにまつわる重要な疑問です。たとえば最初に出てくる、どれだけの道を歩けば、彼は人間と呼ばれるようになるのだろう、という一節は、人が置かれた不条理な状況全般についての疑問です。

 あるいは、道は旅や人生や練達という意味にとることもできますから、その場合は人間の成長をめぐる一般的な感懐がうたわれているとも解釈できます。

 前者についていえば、世の中には、理念ではわかっているはずの問題なのに、どういうわけか解決しない事象がたくさんあります。たとえば貧困や戦争です。理想では、あってはならないと思っている人が多いのに、現実には、欲望や無関心のおかげで、なかなかなくならない。その理由を子供にたずねられて、説明できる大人がどれだけいるでしょう。62年6月号の『シング・アウト!』誌で21歳のボブ・ディランはこう語っていました。

「答は風の中にある。紙切れのように舞っていて、降りてくることもある。だけど困ったことに、誰も答を拾い上げようとしない。答を知る人も少ない。そのうち答はまたどこかに飛んで行ってしまうんだ」

 歌詞に出てくる言葉ブロウィン・インには浪費するという意味もあるそうです。この問答の性格は「裸の王様」の子供の疑問に連なる気がします。

 2番に出てくる、どれだけの歳月、山は存在できるのだろう、海に流されるまでに、という問いは、抗議とも社会的な事件とも縁がありません。この詩的かつ神話的な問いに答えられる人は誰もいないでしょう。しかし時空を超えたこの部分が並置されることで、どれだけの道を歩けば……をはじめ、他の問の根本的な解決の難しさや奥深さも強調されます。

ポピュラー音楽初の「鋭い問いかけ」

 この歌で注目すべきなのは、疑問の重さだけでなく、そこに他人事がひとつもないところです。自分は加害者ではないことを前提として不正を指摘したり、責任者に抗議したりすることは、それなりの勇気が必要ではありますが、ある意味では簡単です。それに対してこの歌では不条理が自分の問題として、内面の問題としてとらえられているのです。

 それを象徴するのが、人は見ないふりをするために、何度顔を背けられるのだろう、という2番の3つ目の疑問です。見て見ぬふりをしているのは実はわれわれ自身ではないのか、というのはとてつもなく鋭い問いかけです。このような歌がポピュラー音楽の歴史に登場したのは、たぶんはじめてです。「風に吹かれて」が画期的な作品と言われるゆえんです。

 この疑問からことわざの「見ざる言わざる聞かざる」や旧約聖書エゼキエル書12章の冒頭の「彼らは見る目があるが見ず、聞く耳があるが聞かず」を連想する人もいるようです。本歌取りのように過去のさまざまな作品を引用して、歴史をさかのぼる、と同時に未来に向けた別次元の視点を加える、あるいはさまざまな連想を誘ってやまない作品に仕上げる……それまで主に叙述的な歌を作ってきたボブ・ディランが最初に大きく飛躍をとげたのが「風に吹かれて」でした。(北中正和)

お彼岸にあたり ボブディランのこの詩を思い出しました。

《みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。》 (主の祈りより)

心からの祈りを捧げたいと思います。


https://nekozakki22.exblog.jp/31122642/ 【桜咲き始め庭も世界も刻々と変化しています、ねえボブ・ディラン、世界に向けてもう一度あの歌を歌ってよ、そして妹の誕生日祝いは「フリット」で】より

今日は朝から晴れていたけれど、とても風が強い。上空を渡る風の音がゴウゴウと凄い音を轟かせています。それでも身の回りでは、日一日と春らしい変化が続いています。

家から一番近くにある桜の木でも漸く、だけど急激に花が咲き始めています。

まだ3部も咲いていない位でしょうか。今日のような強い風が、花が咲き揃った頃にはどうか吹き荒れませんように。

そして強く激しい雨が降りませんように。ましてや春の重たい雪なんか絶対に降りませんように。父の葬式の日には、4月なのに霙(みぞれ)が降って、とても寒かったそうですが。

春の強い風に遭う度、10代の頃の不安定な心で過ごした春の景色を思い出します。半世紀も前の、脳裏に焼き付いている光に満ちた景色です。

私の記憶の中の春は、常に「光」と「風」の中にありました。

そしてそれを思い出す度、不安定で不安だけど、それでも求めずにはいられなかった未来の可能性が制御不可能で混沌とした渇望と共にあったあの時の心の状態に一瞬で戻るような錯覚をします。

あの頃の混沌は、その後も決して時間や成長と共に整理されスッキリしたという事はありませんでした。むしろますます雑然とした想いがギュウギュウに詰まり、20代を通じてず~っと私の心はカオスでした。

求めていたものは明確だったはずなのに・・・。

ボブ・ディランが【Blowin' in the Wind】の中で「The answer is blowin' in the wind」と歌ったように、答はいつもからっ風の中で舞っていました。そして、どうやっても掴まえられないものが殆どだったような気がします。

掴んだつもりでも、必ず手から逃げて行く。その繰り返しが、私の若い時代でした。

ただこの30年余りの年月に、しっかりと掴んで離さずにいられるよう死ぬ気で努めたもの、言い換えてみれば「生きる目的」のようなものは、猫たちと夫との暮らしでした。

かつてアイデンティティとして自負していた仕事など、もはやその目的の為のツールでしかなくなりました。そうは言っても論真、真面目にちゃんとやりましたけどね、何たってお金を戴いてする仕事なのですから、当然の事ですが。

でも、それが私の存在意義なんかではないと気づかせてくれたのが、夫と猫たちの存在でした。

ならば、風の中に舞っていた答を、私は掴めたと言って構わないのではないかな。

そうか、それだけで充分じゃないか・・・と今更気づいたりする訳で、やっぱり書いているうちに整理されて考えが纏まって来るのかな。回路が繋がり難く、頭の働きが鈍くなったようです。

これも老化でしょうか、元々の性質でしょうか。

ああ、今こそボブ・ディランに、もう一度あの歌【風に吹かれて Blowin' in the Wind】を世界に向けて歌って欲しい。

How many times must the cannon balls fly Before they're forever banned?

戦争が永久に禁止されるまでには どれだけの弾丸が飛ばなければならないのだろう?

How many deaths will it take 'till he knows That too many people have died?

あまりにも多くの人々が死んでいる事を知るまでの間に どれだけの死がもたらされれば良いんだろう?

英語が専門ではないので、下手な訳詞でごめんなさい。間違いがあればどうかメールでご指摘くださると有り難いです。

改めてご紹介するまでもありませんが、とても若い頃に歌っている動画なので、聴いてみて下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=vWwgrjjIMXA

ボブ・ディラン、お願いだよ、人々の前に出て来て歌ってよ。

今、ウクライナに対してロシアがしている事、それを眺めているだけの私達、それが歌われているかのようではありませんか。

正直言えば最初は意外に感じたのですが、ボブ・ディランがノーベル文学賞を獲ったのも頷ける気がします。

確かにその詩には、深い哲学が感じられます。

実はこの事は、今日ふとしたきっかけで思い出した【ハッティ・キャロルの寂しい死 The Lonesome Death of Hattie Carroll】という歌の詞をきっかけに感じた事でした。

その曲は、私が中学2年生の時に初めて買ったボブ・ディランのアルバム(あの頃はLPと言っていました)【時代は変わる The Times They Are a-Changin'】に収録されている1曲です。

それは白人の24歳の男ウィリアム・ザンジンガーにさしたる意味もなく撲殺されたホテルのメイドの黒人女性ハッティ・キャロルの死と、その事件の顛末を歌ったもので、アメリカの山岳地帯であるアパラチア地方に存在していた「マーダー・バラッド」と呼ばれるジャンルのマウンテン・ミュージックやバラッドの影響を感じさせる歌となっています。

その歌「ハッティ・キャロルの寂しい死」の一節です。

But you who philosophize disgrace and criticize all fears

Take the rag away from your face

Now ain’t the time for your tears

しかし、あらゆる恐れを思索し不名誉と思い批判する君たち

顔からそのハンカチをのけろ

今は君たちが涙する時じゃない

これも私が今急いで訳したので、間違いがあったらご指摘下さい。一応、夫にはチェックして貰ったのですが、夫はボブ・ディランではないので(言うまでもない事ですが)、真意が正しく解釈出来ているかどうかという点では私と同様ですので。

どうしてこんな古い歌を思い出したかと言うと、それは吉田拓郎からの連想でした。ボブ・ディランの影響を大きく受けていたと自称していた吉田拓郎が、ボブ・ディランの名曲にオリジナルの歌詞をつけて歌ったものがあるのですが、その原曲がこの「ハッティ・キャロルの寂しい死」でした。

原曲の歌詞をひっくり返していて、これはただのマーダー・ソングではない、プロテスト・ソングというだけでもない、勇気の無い私達に向けられているメッセージを感じたと言ったら、穿ち過ぎでしょうか。

次に、そもそも何故、突然に吉田拓郎が頭に浮かんだのかと言うと(どんどん話が遡ります)・・・今朝、朝食の後で夫とお茶を飲んでいた時、私がふと口にした歌からでした。

突然頭に「♪汽笛がポー」と浮かんで口ずさんだのです。

それは、中学生の時に聴いていた深夜のラジオ番組のパーソナリティをしていた吉田拓郎が、最終回に当時の妻であったヨスミケイコさんと共に出て、その時に掛けた色んな歌のひとつでした。

この歌は吉田拓郎の持ち歌ではなくて元々は飯田久彦の「おいらはポー」という歌だったのですが、ある時「ポーの歌」として吉田拓郎のオリジナルであるかのように間違って喧伝された事件があったそうでして・・・(ライブで気軽に歌ったところ、そのライブがアルバムとして発売された為に、何も知らないスタッフが間違って吉田拓郎の曲だと記載してしまったのだとか何とか)。

実はちゃんと「おいらはポー」という元歌があり、浜口庫之助作曲のものです。この歌、そもそもは「田園ソング」というラジオ番組で紹介された曲だったと夫は記憶しているそうです。

私はそこまでは知らず、吉田拓郎のラジオ番組でたった1度聴いた歌でした。それでも1度聴けば誰でも覚えてしまうような、シンプルで可笑しい歌です。当時の私は、てっきりコミックソングかと思った程でしたから・・・♪ポポポーのポー♪

昔は、ちょっとおかしな歌が色々とありました。当時はそんなに可笑しいとは受け取られなかったのかも知れませんが、橋幸夫だって小林旭だって、ヘンテコな歌を歌っていましたよね。

ともあれ、吉田拓郎のお陰で今日も私達夫婦の間では楽しく話が膨らみ、ボブ・ディランの書いた詩に行き着き、その詩からウクライナへと想いを馳せる事が出来たのでした。有り難う、吉田拓郎。

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さて、我が家の小さな庭の春に話を戻します。日々、小さな、或いは突然の変化が起き続けています。

いつの間にか咲いているヒヤシンスたち。青い花・・・

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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