https://note.com/initier/n/ndc08bcd709ea 【うつ病とアニミズム】より
私が最初にうつを発症したのは、社会人になって5年目くらいのことでした。目標を達成できないダメ営業だった私は、部署異動によって事務職となり、「今度こそ周りの人の役に立たなくては、自分の居場所が無くなってしまう!」という強迫観念のもと、過剰な頑張り方をして心身のバランスを崩したのが原因だったのかなと思います。はじめは体調不良で会社を休みがちになり、身体が重たくて出社することもできなくなった頃に、休職して実家に戻り療養生活を送ることになりました。
1日に20時間近く寝て、1日に1食、食べるか食べないかという暮らし。眠りから覚めて意識が浮上してくると、いつも無性に悲しくなって、自分が情けなくて、ひたすらに泣いていました。
「自分のような社会不適合者が社会に出ようとしたこと自体、そもそも間違いだったんだ……自分には分不相応なことだったんだ……」
そんなことを考えては身体を震わせ涙を流していました。
そんな時期に、淡々と傍にいてくれたのが母でした。私の寝ている和室を時折訪れては「どう?ご飯食べる?」「そう、もう少し寝る?」とわずかな言葉をかけて、私が泣いていると、ただ黙って頭を繰り返し撫でてくれました。なんの生産性も無く、役に立つどころかむしろ家族の負担にさえなっていると、自分を責めていた私の頭を、何も言わずにただ繰り返し撫でていた母。その手の温かさと、何度も何度も髪をくしけずる指の感触が、あの頃の私を生き延びさせたのでした。母の手から伝わってくる何かが、何の役に立たなくても、自分がここに存在していていいのだと、教えてくれたのです。
最初のうつ病が治ってからも、自分の心の中のどこかで自己不信の種が息づいているのをずっと感じていました。自分は本来、この地上のどこにも居場所のない存在だ。だから、自分を律して周囲の期待に応えていなければ、人の社会に居ることはできない。そう思いながら、転職とうつ病を繰り返して生きていました。自分を知り、自分の精神をもっと上手に扱えるようになりたいと、NLP(神経言語プログラミング)という脳と心の取扱を学ぶ講座を受講したり、自分の心の内側を探求する内省のための対話型ワークショップに参加したりしました。
そんな風に自分の取り扱い方を模索していた頃、ある講座の合宿ワークショップに参加するため、私は山梨県を訪れました。他の参加者よりも遅れて塩山駅に到着した私は、保養施設の送迎の車に一人ちょこんと座らせてもらって、車に揺られながら日が沈んだばかりの山の稜線を窓から眺めていました。太陽はすでに山の向こう側に隠れています。でも、強い光がキラキラと山の輪郭を飾って、くっきりと浮かび上がる山なみが一段と綺麗に見えました。なぜだか涙が出ました。煌めく西日と山々が私に何かを語りかけている。それが何か、わからない。けれど、私は何かを思い出さなければ!どうしてこんなに長い間、自分はこの感覚を忘れてしまっていたんだろう?だんだんと暮れていく夕景の山を見送りながら、もどかしい焦燥感と共に私はひとつのことを理解しました。私という生きものは、山や自然に触れているという感覚を切実に必要としていたのです。
この合宿以降、私は、自分の取り扱いが少しだけ上手になったような気がします。自然に飢えている感覚がある時には、東京を離れて旅に出る。東京を離れるのが難しい時は、都立の日本庭園や神社の杜など、近くであっても大樹の気配を感じられる場所へ自ら行く。そんな風に自分が必要としているものを自覚し、自分から行動することができるようになったのでした。
うつという病の要因は、人によってそれぞれ異なるだろうと思います。それでも、そこに何らかの共通性はあるような気がします。私は自分自身のうつ病後の経験から、それは「発揮されたがっている才能が発揮されていない時に病となって現れる」という現象なのではないかと思っています。才能を発揮できない事情も人によって様々でしょう。自分に自信が無いからとか、幼いころに夢を打ち砕く言葉を刷り込まれてしまったからだとか、周囲の人間関係に配慮した結果、自分のわがままを通すべきでないと思い込んでいるとか。それでも、その人の内側にある才能が外へ出て発揮されたがっている時、抑え込みようのない力強いパワーが、その人の人生軌道を強制的に転換させようと起こすのがうつ病ではないかと感じています。
そして、自然界のものを観察することは、うつの精神状態にとっての救いや癒しとなりえると思っています。少なくとも、私にとっては癒しそのものでした。なぜかというと、自然界のものはみな、自然体の姿でそこに在るからです。彼らは不自然なことをしない。言葉遊びのようですが、本当にそうとしか言いようがないのです。そういう姿や生態を観察していると、自分自身や人間社会の中にある不自然を嗅ぎ分けるセンサーが育ってきます。自分の中の不自然を少しずつ解消していくと、自然と才能が発揮されてくる。私の人生に起こったのは、そんな流れなのだと思います。
なにより、自然界のものは私に何も期待しません(笑)。病的なまでに他者の期待に応えようとしてしまっていた私でも、無い期待に応えることはできない。そうすると私なりの自然体でそこに居る他、できることはないのです。そうして過ごしていくうちに、身体も心もラクになっていきました。自分ではない何者かに頑張ってなろうとする必要が無いので、当たり前といえば当たり前です。さらに、山の静けさを通って響いてくる鳥の声や、風が木々の葉を揺らす音、遠く上空を通り過ぎていく飛行機の音などと共に、世界に耳を澄ませていると、自分の周りにある存在たちがありのままの私を受け容れてくれているかのような、私がありのままでいられることを喜んでくれているかのような、そんな気がしてくるのです。それはうつ病のどん底の日々に私の髪を撫でてくれた母の手から感じたものと、同じ感覚。私がただ私であるだけで、存在を全肯定されているような安心感でした。
私の自然を信じるという道は、こんな風にスタートしたのでした。そして、自然の力強さを感じられる場所をあちこち旅するうちに、「自然信仰=アニミズム」と呼ばれる考え方と出会い、自分の体験や感覚と本で学ぶ知識をすり合わせながら、今こうして皆さんに探求の旅にお付き合いいただいているわけなのです。
https://note.com/initier/n/ncb563361526a 【うつ病とアニミズム2】より
アニミズムはうつ病の癒しになりえるのか?そこに、もうひとつ観点を加えてみるならば、存在を感じる、という言葉になるでしょうか。まずは、私自身の経験から、お伝えしてみましょう。
私のうつ病の種となったものは、おそらく他者の存在を感じることへの疲れだったろうと思います。他人の目に自分がどう映っているのか。ちゃんと役に立つ人材だと思ってもらえているだろうか。いつかお前など不要だと言われてしまったらどうしよう……。そんなことが気になって気になって仕方がなかったのです。そうして、夜遅くまで働いたり、能力的に処理困難な仕事を自ら引き受けたりするうちに、身体も心もどんどん不健康になりました。寝不足で重たい身体。ぼーっとする頭を無理やり稼働させるため、一瞬もきらすことができないコーヒーの苦さ。不安から起こるミスと、ミスを起こさないように何十回も確認作業をしてもまだ収まらない不安。おなかがすいても、もうひと仕事を終えるまではと夕食のタイミングを逃し、終電で帰宅してドカ食いするコンビニご飯。翌日の仕事のことで頭がいっぱいで眠れない夜と重たい朝の無限ループ。精神的に落ち着いている今は、思い出してみても多忙な日々がただ懐かしいだけなのですが、当時はとても苦しくて、苦しさを感じるセンサーを切ってしまいたい、この苦しい現実世界とは違うところへ行きたいと、むさぼるように漫画や深夜アニメなどの架空のストーリーを消費していました。
そうなってくると、私自身のものの考え方も極端に歪んでくるのです。私、あの人に無能で邪魔だと思われている……自分はこの部署のお荷物だ……そもそも、本来この世に私は必要ないんじゃないだろうか……。ネガティブ誇大妄想は、どんどん重くなっていきます。そして、だんだんと他人の目そのものが恐ろしくなっていたのです。私を見る人すべての目が「なぜお前がここにいるんだ?」「役立たずは早く居なくなればいいのに」と言っているかのように。もちろん、そうした考えは私の妄想であって、周囲の人が実際に思っていたこととは全く無関係です。でも、一度そういうネガティブ思考の渦にはまってしまうと、他の人から「そんなことないよ」と否定してもらっても、もう素直には受け取れないのですね。他者の存在がただひたすらに恐ろしいだけ。そして、この世のあらゆるものごとから自分を遮断してしまいたいという無意識の思いが、眠気と身体のだるさとなって私を社会的に機能停止させたのでした。
こうしたどん底の精神状態の私を支えてくれたのは、前述のとおり母をはじめとする家族でした。私を愛し庇護してくれる家族がいたことは、本当に私の幸運だったと思います。そして、被害妄想気味で他者が恐ろしくて仕方がない状態の私でも、血がつながり気持ちの通った家族だけは、怖くはなかったのです。申し訳ない、情けないと涙を流すことはあっても、恐ろしくはなかった。家族がそばにいてくれるこの空間では安心していいのだと、心の奥底で信じていたのでしょう。ただそばにいてくれる人の存在を感じていること、それ自体がうつから抜け出す癒しの最初の一歩だったように思います。
私にとって難しかったのは、ここから先でした。家から一歩でも外に出れば、いたるところにあの、私を精神攻撃する「他人の目」というやつがあるのですから。はじめのうちは、心療内科へ通う月1回の外出でも、気持ちが沈みました。精一杯に心を鎧って、他の人のことを見ないように気にしないようにと念じながら、誰にも気づかれませんようにと祈りながら、自分の存在の気配を殺すように歩いていました。それでも何度か外出を繰り返せば、その恐ろしさには少しずつ慣れるものなのです。自分なりにちょっとした工夫をするようにもなりました。イヤホンで音楽を聴いていると、見えている世界とは違う場所、音楽が連れ出してくれる異世界に自分が居るような気がして、無防備な聴覚を外界にさらしている時よりも安心することに気づいたのです。イヤホンをすれば実家周辺くらいは散歩できるようになり、このエリアなら前職の会社の人などは居るはずが無いから大丈夫だと少し遠出できるようになり、習い事ならば利害関係は発生しないだろうから大丈夫だと中国語教室に通えるようになり。条件付きで、少しずつ少しずつ、人間社会への復帰を果たそうとしたのでした。
そこからは、順調に回復していったように表面的には思われていたでしょう。しかし、本当のところでは「他人の目が怖い」「人間は恐ろしい」「精神的に鎧を着ることなく、この恐ろしい世界を歩くことなどできない」という思いが常に付き纏い、ふとした時にやはり、不安の波、うつの波が押し寄せてきました。いったいいつになったら私はこの不安から完全に立ち直れるんだろう?そんな風に思っていました。そんな恐ろしい世界ではないところへ私を連れ出してくれたのが、自然界の存在たちでした。
念のためお伝えしておくと、私は、妖精も神さまも幽霊も見えません(笑)。そういうお話ではないのです。それでも、夕日の沈む山を見て、涙が出ました。風に揺れる木々の葉っぱを見て、胸がじーんと温かくなりました。岩に座ってうたいながら上空の雲を見れば、身体から自然と力が抜けて普段よりもよく通る声が出てきました。山や、風や、木や、雲の、存在を感じるということ。そこに誰かがいる、何かが宿っていると信じること。それ自体が、私を励まし、感動させ、元気にしてくれるならば、それが本当かどうかなんて関係ない、そう信じてみよう。そう思えた時にやっと、私にとってこの世界は恐ろしいだけのものではなくなったのでした。風で葉っぱが揺れていたら「誰かが私に手を振っているんだな」と思うことにする。アスファルトの道路で朝日をキラキラ反射する光の粒を見つけたら「誰かが私に素敵な信号を送ってきてくれた!」と思うことにする。そういう世界観で生きていこうと勝手に決めたのです。そんな風に世界を観ると決めてから、私はようやくわかりはじめました。何の利害も思惑も無く、ただそばに居てくれる存在を感じていることが、どれほど心強いのかということを。生きていていいんだ。私は望まれてここに居るんだ。そう思えることが、どれだけ私の生命を強くするのかを。そして、生まれ変わったかのように、私の人生はそれまでと違う方向へと進み始めたのでした。
思うに、うつ病を発症した方々に共通するのは、この「存在を感じる」という能力なのではないでしょうか。感じる力ゆえにうつ病になるわけですが、その人本来の姿に向いている使い方をすれば、そのまま才能として現れる力です。うつという病は天性のギフトの顕れであって、「その力、使う方向が違ってるよー」というお知らせのようなものだと思うのですね。そして、人との関係の中で精神的な疲れを負ってしまった方には、その力を自然界のものへ向けてみることを、ぜひともお勧めしたいのです。
私の経験上、自然から与えられるものには過不足がありません。人はよく、余計なお世話を焼いてしまいます。私も、ありがた迷惑なアドバイスを友人たちにしょっちゅうしてしまいます。ひょっとしたら、この文章もその一部かもしれません。でも、自然というのはよくできたもので、なぜだかそういうことが起こらないのです。必要なものごとを必要な分量で送ってきてくれます。私のご紹介する旅のストーリーは、そんな風に自然の世界から私へと贈られてきたものたちなのです。
https://note.com/initier/n/ndc08bcd709ea 【】
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