Facebook東郷 清児さん投稿記事 〜(世紀の?)大発見と、発信の必要性 〜
”在宅生活における医療“
知人が、このテーマで討論会を開こうと準備してたところ、「在宅医療の問題点を話し合う以前に、一般市民のみならず、福祉や介護、はたまた医療の専門家でさえも、“『在宅医療』そのものをよく知らない“ という、そもそもの、根本的で重大な問題を発見した」
と、そのように言ってました。
で、まずは「正しい情報発信から」という結論に行き着いたそうで、、。
かくいう私も、在宅医療についての発信のため、来月、長時間のインタビューを受けることになり、前もってのインタビューシートを提出せよとのこと。
そこで、ひとつめの質問『仕事の内容/独自性、大切にしている事について』に対する私の考えをまとめてみました。
<在宅医療の特徴 >
①24時間365日体制
計画的な定期訪問に加えて、24時間365日いつでも連絡を受けつけて、依頼があれば往診します。
病気で自宅療養している方にとって、医療といつでも繋がれることが安心の第一歩だからです。
②専門性を超える
現代の細分化された医療界において、専門医としてのスキルを身につけた医者であっても、在宅主治医となれば、さまざまな病気に対応しなくてはなりません。したがって、在宅医には広い医療知識が必要になります。
ただし、医療的な対応が自分一人では困難と判断したら、抱え込むことはせず、すぐさま他の医師に相談しますし、必要な時には専門医にコンサルトします。場合によっては、入院という選択肢も出てきます。
③地域連携
病院であれば、病院の中に医師、看護師、薬剤師、介護士、栄養士など多くの職種がチームを作ります。
在宅医療では、病院だけでなく、他の組織の異なる職種と地域でチームを作ります。
在宅医療は、内向きに密かに行われるものではなく、チームの中では限りなくオープンでなくてはなりません。
④生活を支える
病院では、患者さんは病気を治すために病院の文化に自分を合わせる必要があります。
在宅では、ご家庭の文化に医療者が合わせます。
その人が生活している空間や時間、価値観を大切に考えるからです。
⑤家族を支える
在宅医療では、患者さんだけではなくご家族も支える必要があります。
介護者である場合、遺族になりつつあるとき、死別後の悲しみに打ちひしがれているとき、いずれの場面でも、ご家族は周囲の支えが必要です。
⑥死に向き合う
日本人の6割以上が自宅で最後を迎えたいと考えています。
在宅療養に携わる者は、生活の延長線上にある死に向き合い、最後まで「いのち」に寄り添います。
在宅医療における「死」は、敗北ではありません。
在宅医療では、病院等で展開されるようなエビデンスやデータに基づいた画一的な医療が最善とは限りません。よって、患者さんの心身のバランスへの配慮をもって、臨機応変に、しなやかな医療が提供できるように心がけています。
こんなんで、ちょっとは発信になるかなぁ、、
◎在宅医の覚悟
「過労死覚悟しなきゃ、こんな仕事できないよね」
今から20年ほど前、在宅医療を専門とする医師仲間のひとりが、懇親会の席でポツリと言った。
その頃の私は、死にたいなどとは微塵も思っていませんでしたが、“とても50歳までは生きられないだろうなぁ” と感じながら働いていました。
🐧🐧🐧
インタビュー用、事前アンケート(その4)
Q:あなたにとって覚悟とは(人生で最も覚悟したと思うエピソード、覚悟した事で得たもの)※250〜300字推奨
A:
現在、在宅医療は地域の多職種のネットワークの中で展開され、他の診療所や訪問看護ステーションとの連携、最近では夜間や休日の診療のサポートをしてくれる組織の参入もあって、ひとりの医師への過度の負担は無くなりました。
私が在宅医への道を決めたときには、介護保険の「か」の字もない時代でしたから、
『24時間365日、患者さんの在宅生活を自分ひとりで支える』
それが私の覚悟。
そんなわけで私は、専門の神経内科以外の医学を現場で積極的に学び、様々なタイプの老人施設や保健所でも働き、在宅では、看護、介護、リハビリ、相談などの業務もこなしました。
やがて私は、在宅医療は医療だけでは成り立たないことを確信するに至りました。
(301文字)
その昔、私の日常はこんな感じでした。
仕事が終わって、夕食の途中で往診呼び出し。その日の真夜中にまた他の患者さんから呼ばれ、フラフラで帰宅して着替えることもできずバタンキュー。すると明け方また違う患者さんから緊急コール、なんてことも。そんな一日を過ごしても、翌日はまた同じように働きました。土日祭日も往診対応していましたから、当時の私は言うなれば、閉店時間のない年中無休のコンビニドクターでした。
緊急往診依頼が三件同時にあったとき、緊急性の最も高い方に電話で対応していると、他の患者さんのご家族から「いつまで待たせるんだ!」とクレームが入ったり、、。
あ、思い出した!
在宅医療を始めたばかりの頃のこと。かかってきた往診依頼の電話に「車ですぐに向かいます。踏切もありますので、20分くらいかかると思います」と答えたところ、コワモテのご主人、「ふざけんな!家内は苦しんでるんだ、3分以内に来い!!」
1980年代から、知識人の間では在宅医療の必要性が声高に叫ばれるようになっていましたが、在宅医療はなかなか普及しませんでした。なぜ在宅医療をためらうかという医師向けのアンケートで、「24時間365日の対応は無理」が75.3%に上りました。
2000年に介護保険が創設されましたが、制度がある程度まで社会に定着するのに10年以上はかかった感が私にはあります。
ですから、それまでの私は、往診して浣腸や摘便は当たり前。夜中に転んだとあれば行って抱き起こし、尿でびしょ濡れと言われれば駆けつけて着替えや清拭もしました。患者さんを車椅子に乗せて散歩に行ったり、自宅での歩行訓練も行いました。高齢のご家族の代わりに、薬局に薬を取りに行ったり、買い物の手伝いをしたこともあります。患者さんから困り事を相談されれば、病院、施設、市役所と、どこでも出向いたものです。
このように、色々な角度から患者さんに接し続けたことで、私は、在宅療養を支援する社会システムの全体像と、そこに内在する問題が、少しずつではありますが把握できるようになっていきました。
オン・オフの切り換えなく延々と続く24時間365日。。。
私のこんな生活は結局28年間続きました。1日3人の新患依頼があっても断らず、私ひとりの受け持ちが160名を超えてしまった頃、電話越しに名乗られても患者さんの顔が全く浮かばずに、話を合わせるのが大変だったことを思い出します。
と、ここまでは過去の話。
当院の優秀なスタッフたち(自画自賛^^)が頑張ってくれて、夜間・休日の当直体制も整い、「ゆとり」という名の幸せの鳥(?)を手にした今の私の覚悟は、
『超高齢社会がより豊かなものになるように、在宅医療の本質とその素晴らしさを広く伝えていく。そのために100歳まで生きる!』
と相成りました。
◯地域包括ケアシステムのこと
🔸🔸🔸
厚生労働省のホームページには、以下のように記載されています。
「2025年(令和7年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を積極的に推進しています。」
今から10数年前、都心のホテルで開催された「地域包括ケアシステム」についての説明会で、厚生労働省のお役人さんは、壇上を所狭しと動き回りながら、意気揚々と聴衆に向けて力説されました。
「過去50年、日本の福祉政策は残念ながらほとんど失敗してきました。それは認めます。介護保険だけでは高齢者対策は不十分、それも認めます。でも、安心してください。ついに日本を救う政策ができたんです。これまでの失敗を取り返すにあまりある政策です! 近いうちに日本中に広まるでしょう!!」
最前列の席を陣取って、大きなスクリーンに次々と映し出されるカラフルな色調の絵や文字で構成された『地域包括ケアシステム』についての説明スライドを食い入るように見つめていた私は、生意気ながら、この政策に対して最終的にこのような感想を持ちました。
「医療がうまく絡まなければ机上の空論。中途半端なシステムで終わってしまうだろう。」
それから数年間、「地域包括ケアシステム」は医療や福祉、介護に関する地域の会議や勉強会の主題を独占しました。
「このシステムで全てが解決するなんて私自身は到底思えないのですが、上からの命令ですので、、」
と、市の担当の人は戸惑いを隠すことなく苦笑いしながら、我々に配布した分厚い資料の説明を始めるのでした。数千円から1万円を超えるような高価な「地域包括ケアシステム」に関する本も数多く出版され、購読を勧められたりもしました。
「“地域包括ケアシステム“という言葉、最近耳にしなくなったなぁ、、」と、ここ数年、政策の行く末を案じていた私は、厚労省でこのシステム作りに携わっておられた方の著書を拝読する機会を得ました。
在宅医療に関連した問題の解決方法に頭を悩ませ続けてきた私にとっては、救いの一冊とも言える本との出会いでした。
「もっと勉強して、野村晋さんに会いに行こう!」
希望を得た私の、独りよがりな目標ができました。
最後まで“支える”ということ
🔸🔸
我が国では、医学生や病院の医師が、「在宅医療」について学ぶことも、患者さんの人生ストーリーを深く考える機会も、ほとんどありません。
🔹🔹🔹
レイコさん
入院中のレイコさんのケアマネージャーからの申し訳なさそうな電話。
「レイコさん、自宅へは戻らず療養型の病院へ転院することは確定しているのですが、私やお嬢さんが説明を聞いても理解が難しいかもしれないと思いまして、、。」
もともと在宅主治医だった私は「もちろん同席しますよ」と答えました。
レイコさんは、自宅療養中に肺炎を発症し、地域の総合病院に緊急入院しました。退院間近となったときに脳梗塞を併発したため、今回は病状説明と転院に向けての話し合いということでした。
私、ケアマネージャー、娘さんの3名は同世代、一方、病院の主治医、病棟の看護師、病院の相談員の3名は皆若々しく私たちの子供くらいの年齢に見えました。この6名で、92歳のレイコさんの未来について話し合いました。
パソコンの画面に映し出されたCTスキャンの画像を指し示しながら、主治医が解説しました。
「見ていただければ分かりますように、肺炎はすっかり良くなっています。」
(一般の人には絶対にわかりませんよ!)心の中で私は突っ込みました。
次の頭部のCTスキャンの説明が始まりました。
「右脳の広範囲に脳梗塞の陰影があります。左半身麻痺の原因はこれがです。脳梗塞の中に数ヶ所出血も見られて、硬膜下血腫も併発していたため脳梗塞の治療はできませんでした。」
次々に切り替わるCTの画像を指しながら、専門的な説明は続きました。
「少しずつ脳がむくんできているのがわかると思います。CTは平面の画像ですが、立体的に見れば上下にもむくみはあるわけで、脳幹と呼ばれる生命維持に関与している中枢も圧迫を受けて、意識障害や不可逆性の嚥下や摂食の障害を起こしているわけです。」
「それって、、もう助からないということでしょうか?」
涙声で尋ねる娘さんに、若い主治医は答えました。
「残念ながらその通りです。病状が改善することはありません。」
「自宅に連れては帰れないでしょうか?」
「自宅では迅速な医療対応はできませんから無理ですね。こちらで転院可能な病院をいくつか選定しています。ご紹介させていただきますので、安心してください。」
(この先生、在宅医療についてはあまり詳しくなさそうだなぁ)
私は心の中でそう思いました。
相談員の女性が口を開きました。
「それでは、転院先の病院のご希望を確認させていただきますね。最近また新型コロナ感染症の患者さんが増えてきていますので、今はどこの病院も面会は週に1回の15分以内に制限されています。」
病院のパンフレット類を相談員がテーブルの上に広げ始めたときに、私がストップをかけました。
「申し訳ありませんが、少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?ご家族とお話したいのです。」
別室で話し合う許可を得た私は、病棟の看護師長にお願いし、まずレイコさんの病室に案内してもらいました。
ベッド上のレイコさんは、しっかりと覚醒していました。
「僕のこと、わかりますか?」私の声かけにうなづくレイコさん。
「病院での治療、もう少し頑張りますか?」と尋ねると、私を見つめたまま微動だにしません。「自宅に帰りたいですか?」次にそう尋ねたとき、レイコさんは、私の目を見据え強くうなづきました。私は決意を固めました。
娘さんに私は、在宅医療が可能であることを伝え、そのための体制作りや準備について詳しく説明しました。ケアマネージャーもまた、娘さんの疑問や不安に的確に答えてくれました。そして、自宅に帰ることがレイコさんにとってどのような意味があるのかを3人で考えました。
1時間くらい話し合ったあと、しばらくうつむいていた娘さんが、顔を上げて仰いました。
「私、母を自宅に連れて帰って、自宅で看取ろうと思います。」
しかし、数日後、病状が急変して、レイコさんは退院できないまま病院で亡くなりました。
後日、娘さんから連絡がありました。
「病院までいらしてくださってありがとうございました。最終的に希望は叶いませんでしたが、最後の最後に『お家に帰ろうね』と母に伝えることができてよかったです。母は希望の中で最期を迎えることができました。」
“この人はご自身の人生のストーリーをどう締めくくりたいのだろう?”
支援者の私たちは、そのことにも心を砕く必要があります。
『終わりよければ全てよし』と言いますから。
0コメント