ただ在る事のすばらしさ

Facebook黒田 香菜子さん投稿記事  固定観念

子どもは固定観念がなくて、全てをありのまま信じていて、自分の欲求に素直で、すごいなって最近思います大人になると、周りの人と共通の観念がある程度できて、それで生きやすくはあるけれど、なくてもいい観念もあるかと

この病気は治らないとか  お金持ちになるのは難しいとか

最近読んでる(正確にはオーディブルで聞いてる)本「神さまとのおしゃべりーあなたの常識は、誰かの非常識ー」という哲学エンタメ小説でまさにこのことを言っていて、面白かった

私自身、4回入院して手術して、それでも絶対再発するからと言われて しかも離婚して、私には結婚は向いてない、一人で仕事に生きよう!と思っていたのでまさかこんな育児を楽しむ日が来るなんて(相変わらず仕事も好きだけど)

先日、子が生後半年を迎えた記念に、ママ友が撮影コーナーを設けてくれたり

子連れピラティスに呼んでいただいて、家でもやってみたら、めちゃくちゃ笑ってくれたりして(次投稿から3連続紹介予定)

そんなんで、なんだか今回は、こんな投稿がしたくなりました

なんというか、自分が自然体で、幸せになるのをもっと許可できる人が増えたら、良いなあと思います 生まれた時は誰でも、固定観念がなくて、全てをありのまま信じていて、自分の欲求に素直だったはずだから

あなたの心がポカポカになれる事は何かな?


https://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12450112390.html?fbclid=IwAR1EYaBvEHOiHlQD3836JqSigPbX2B74-tJo1K3SOClGvT0FJ4xVLZhiHL0

【自分自身を深く受け容れることから、あなたは成長し始める。】より

自分自身を深く受け容れることから、あなたは成長し始める。osho

レフ・トルストイのことを思い出した。

彼は、様々な精神分析学派がほとんど1世紀もの間、解釈して来たある夢を見続けた。

その夢は非常に不思議な夢だった・・もっとも、私にとってはそうではないが。

私に言わせれば、それには精神分析など必要ない。単純な常識でたくさんだ。

その夢は何年もの間、毎夜繰り返された。

それは不思議な悪夢で、その夢に何も危険などないにもかかわらず、トルストイは毎夜汗をかいて目を覚ました。だがあなた方に、その夢の無意味さが理解出来たら・・

それこそが問題だった、それが悪夢になったのだ。その夢はほとんどあらゆる人の人生を代表している。

どの精神分析学派も、これがどういう夢なのか明確には出来なかった・・

似たような夢が存在しないからだ。それは前例のない夢だった。その夢は毎夜同じだった。

広大な砂漠、見渡す限り砂漠に次ぐ砂漠・・そしてふたつのブーツが・・

これをトルストイは自分の物だと認めたのだが・・歩き続ける。だが彼の姿はどこにもない・・ただブーツだけが砂の中で足音を立て続ける。そしてそれが続く、その砂漠に終わりがないからだ。そのブーツは決してどこにも至らない。後方を見れば何マイルもそのブーツの跡が見えるし、前方にはそのブーツが歩き続けていくのが見える。普通なら、人はこれが悪夢だとは思わないだろう。

だが少し仔細に考えてみたら・・毎日、毎晩、どこにも至らないまったくの不毛な同じ夢を見るのだ。どこに向かっているというのでもなさそうだ・・しかもブーツを履いている人間はいない、ブーツは空っぽだ。

彼は当時のロシアにおける有名な心理学者にはすべて診てもらった。それが何を意味するのか、明確に出来た者はひとりもいなかった。

これに少しでも似ていると言えるような夢を説明している本がないからだ。これは完全にユニークだ。だが私にとっては、精神分析など問題にならない。

それは、あらゆる人間の生を表している単純な夢だ。あなたが砂漠の中を歩いているのは、自分の存在の中に内在している目的地に向かって、あなたが歩いていないからだ。

あなたはどこにも至ることはない。遠くへ進めば進むほど、それだけあなたは自分から離れることになる。そして、あなたが意味を求めれば求めるほど・・まったくの空虚以外、何も見つからない。それがその意味だ。その人がいないということ、ブーツだけが歩いているということの。あなたは、あなたがしていることの中にいない。あなたは、あなたの在り方の中にいない。あなたは、あなたが装っているものの中にいない。

それは完全な空虚、純粋な偽善だ。だが、それをそうしたのは単純な方法だ。

誰にでも、そのままのお前ではまったく存在する価値もない、と言えばいいのだ。

そのままでは、お前は単なる見苦しい事故に過ぎない。在りのままの自分を、お前は恥じるべきだ。なにしろ、そのままのお前には、名誉にも尊敬にも値するところなど何もないのだから、と。

当然、あらゆる子供は尊敬されると思われることをし始める。彼はますます偽物になり、ますます作り物になり、ますますその真摯な実在、彼自身の存在から離れていく・・そして恐怖が湧き起こる。

自分自身を知りたいという憧れを感じたらいつでも、ただちに大いなる恐怖が次にやって来る。その恐怖とは、もし自分自身を発見したら、自分に対する尊敬を失くしてしまうだろうという恐れだ・・自分自身の目から見ても。

あらゆる個人にとって、社会はあまりにも重い。社会があなたをあまりにも重く条件づけようとしてあらゆる努力をする為に、あなたは自分がその条件づけだと思い込み始め、自分自身の存在に逆らって社会の一部になってしまう。

人はキリスト教徒になり、イスラム教徒になり、ヒンドゥ教徒になり、自分がどんな宗教も持たず、どんな政治も持たず、国籍も、人種も持たないただの人間として生まれて来たことをすっかり忘れる。

あなたは、まさに純粋な成長の可能性として生まれて来たのだ。

私に言わせるなら、サニヤスとは、結果が何であれ、その危険がどれほどのものであれ、あなたをあなた自身に連れ戻すということだ。あなたは自分に戻らなければならない。

あなたはそこにイエスを発見することはないかもしれない。そんな必要はない。イエスは1人でたくさんだ。あなたはゴータマ・ブッダを見つけることはないかもしれない。それでまったく申し分ない。存在の中にゴータマ・ブッダがたくさんいたところで退屈なだけだ。

存在は同じ人を繰り返すことを望まない。

それはあまりにも創造的である為に、あらゆる個人の中に常に何か新しいもの、新しい潜在能力、新しい可能性、新しい高み、新しい位相、新しい絶頂をもたらすのだ。

サニヤスとは、全社会と全文化と全文明に対する反逆だ。

その理由は単純で、それらが個人に対立するからだ。私は絶対的に、個人に味方する。

私はあらゆる社会とあらゆる宗教とあらゆる文化を、人類の全歴史を、たったひとりの個人の為に犠牲にすることが出来る。

個人こそがもっとも価値のある現象だ。個人は存在の一部だからだ。

あなたは恐怖を捨てることが必要になるだろう。それはあなたに押し付けられたもので、自然なものではない。

あらゆる幼い子供を見てごらん。彼は完全に自分を受け容れている。そこには非難もなく、他の誰かになりたいという欲望もない。

だが成長するにつれて、誰もが心をそらされてしまう。

あなたは自分に戻る勇気を持たなくてはならない。全社会があなたの邪魔をするだろう。

あなたは非難されるだろう。だが一生惨めなまま、偽物になり偽りになって他の誰かの

人生を生きるくらいなら、全世界から非難された方がはるかにましだ。

あなたは至福の人生を送ることが出来る。そしてそこには二つの道はない、ひとつの道しかない。それは自分が誰であれ、ただ自分自身でなければならないということだ。

そこから、自分自身を深く受け容れることと、自分自身への尊敬から、あなたは成長し始める。

あなたは自分自身の・・キリスト教徒でもない、仏教徒でもない、イスラム教徒でもない・・

まったくあなた自身の、存在に対する新しい貢献という自分の花をもたらすことだろう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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