日本人は何を信じてきたのか

https://www.youtube.com/watch?v=81VMJB9JwX0

https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00658/ 【日本人は何を信じてきたのか:青森の“キリストの墓”が意味するもの】より

戦前に青森のある村にキリスト渡来伝説がもたらされ、続いて“キリストの墓”が発見された。この墓にキリストが埋葬されていると信じる村人はいないが、なぜ現在も「キリスト祭」が開催されるのか。

青森には不思議な場所がある。“キリストの墓”だ。筆者は、偶然にも新郷(しんごう)村にこの墓があることを知った。八戸から十和田湖にむけて国道454号を走っていたところ、「キリストの墓」と書かれた道路標識を見つけたのだ。聖地巡礼の研究者としては、立ち寄らざるを得ない。

国道沿いの小高い丘の上にある墓の周囲はしっかりと整備され、「キリストの里公園」と名づけられていた。最も高い場所に十字架が立てられた二つの丸い塚が並んでいる。なぜ、二つあるのだろうか。

公園の説明板によると、イエス・キリストは21歳の時に来日し、神学修行を重ねた。33歳の時にユダヤに戻って伝道を行ったが受け入れられず、十字架刑に処されそうになる。だが、弟のイスキリが身代わりとなって死に、キリスト本人はシベリア経由で日本に戻り、現在は新郷村の一部となっている戸来(へらい)村で106歳まで生きた。二つの墓のうち、一つはキリストを埋葬したもので、もう一つはイスキリの遺髪を納めた墓だという。あまりにも荒唐無稽な話ではないか。

「キリストの里伝承館」という資料館もある。村でかつて使われていた農耕具や衣服と並んで、村に暮らす“キリストの末裔(まつえい)”の写真、村とユダヤのつながりを示す数々の“証拠”、日本語で書かれた“キリストの遺言書”などが展示されている。それらによれば、十字架刑を逃れたキリストは名前を十来太郎大天空(とらいたろうだいてんくう)に変え、村の女性と結婚して3人の娘を育てたというのである。

さて、どう考えてもこの墓はフェイクだ。一般的には、キリストの墓はエルサレムにある聖墳墓教会と信じられている。イスラエルにおいてさえ、考古学的にイエスの墓が特定されることは今後もないだろう。聖書によれば、イエスは十字架刑から3日後に復活して昇天したとされる。学術的にも宗教的にも、イエスの墓はそもそも存在しない。

偽書によって発見された“キリストの墓”

なぜ青森に“キリストの墓”があるのだろうか。話は戦前にさかのぼる。1934年、戸来村の村長の要請で、日本画家・鳥谷幡山(とや・ばんざん)が十和田湖周辺の調査に訪れる。当時、十和田湖周辺を国立公園に指定する動きがあり、戸来村に属する迷ヶ平(まよがたい)が十和田湖と深い関係があることを宣伝するため、いわば広告塔として鳥谷は招かれた。そしてこの頃、鳥谷が親しんでいたのが『竹内文書』と呼ばれる有名な偽書である。

竹内文書は、宗教家・竹内巨麿(きょまろ、1875~1965)の家に伝わる文書とされる。特殊な文字で著され、神武天皇以前の歴史など、一般に知られていない真の歴史が書かれているというが、おそらく巨麿の創作だ。竹内文書によれば、釈迦(しゃか)、孔子、孟子、モーセなども日本で修行したという。近代以前に日本が長く劣等感を覚えてきた中国、そして近代以後は日本が常に後塵(こうじん)を拝した欧米文明の根源が古代日本にあったと主張するのだ。

35年夏、鳥谷の要請で巨麿本人が戸来村の調査にやって来る。そして、当時「墓所舘(はかどこだて)」と呼ばれていた丘の上で“キリストの墓”を発見する。巨麿は二つの丸い塚の前で黙祷(もくとう)し、「やはりここだ、ここだ!」と叫んだという。

キリスト伝承は新郷村の中で受け継がれてきたものではない。ある村職員によると、かつて村おこしのため、キリスト伝承に関わる物品の提供を頼んで回ったが、戦前戦中を村で過ごした人の中には、「“キリストの墓”がある村の者」ということで嫌な目にあったせいか、一切関わりを持とうとしなかった人もいたという。敗戦後、この墓はしばらく忘れられた場所になる。

奇祭として脚光を浴びる「キリスト祭」

この墓が再び注目されるのは1970年代のオカルト・ブーム以降だ。オカルト雑誌や伝奇小説で、“キリストの墓”はたびたび取り上げられる。村にはキリスト教徒もおらず、その点でも、いろいろと使いやすかったのだろう。高橋克彦、斎藤栄といった著名な作家たちも創作に用いている。

1964年からは毎年初夏に「キリスト祭」が開催されている。当初は村の商工会、その後は観光協会を中心に運営されている。祭りは神道式で行われる。神主が墓に向かって祝詞をあげ、来賓が玉串奉奠(ほうてん)を行う。与野党の政治家も参列する。地元の民俗芸能である田中獅子舞が、そして墓を囲んで村に伝わる盆踊り「ナニャドヤラ」が奉納され、祭りはクライマックスに達する。

大きな十字架の周りで着物姿の女性たちが盆踊りを踊るのは、かなりインパクトがある。キリスト祭はテレビ番組やガイドブックで日本有数の奇祭として取り上げられ、特に2000年代以降はSNSで拡散されて、新郷村はB級観光地として全国的に知られるようになった。祭りには毎年数百人の観光客がつめかける。人口2500人程度の村にとってはかなりの数である。

墓を受け継いできた祖先を信じる村人たち

筆者が調べた限り、この墓を本物だと信じる村人はいない。むしろ、外からやってくる観光客の中に少数ながら墓を本物だと信じている人がいる。それでは、村人にとってこの墓は、年に1度のイベントを行うための観光資源に過ぎないのだろうか。

キリスト祭を司式する神主によれば、「埋葬されているのが誰であれ慰霊は大切だ。そして万が一、墓の主がキリストであっても、八百万(やおろず)の神を祀(まつ)る神道にとって何ら問題ない」という。祭りのスタッフとして働く村職員も、葬られている人は村の先祖であり、古くからある墓の供養を絶えさせてはならないと語る。

村人たちは“キリストの墓”ではなく、墓を受け継いできた自分たちの先祖を信じている。巨麿の発見以前にこの墓がある場所が墓所舘と呼ばれていたことも、二つの塚が元々は誰か村に関わりの深い人の墓であることを示唆している。現在の村人たちは、墓の保存と供養を続けてきた祖先の営みを大切に感じているのである。墓の中身は問題ではない。教義や信仰ではなく、自分たちが所属するコミュニティーと、そのコミュニティーが続けてきた実践が大切にされているのだ。

信じるよりも実践する日本の宗教文化

こうした状況は、実は日本の宗教全般にもあてはまる。初詣に神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式は仏式で行う。家には仏壇も神棚もある。日本に広く見られる宗教の混交は、しばしば日本人の宗教的な無節操や実質的な無神論として語られる。とりわけ葬式は、信仰に基づかない形骸化したイベントとして批判される。

しかし、そもそも宗教は「信じるもの」なのか。実は「体系化された教義を信じる」という宗教イメージは、欧米のプロテスタントをモデルにしたものである。神道の教義といっても曖昧だし、日本仏教は釈迦が説いた仏教とは異なる。世俗との交わりを絶って解脱を目指す釈迦の教えに、先祖や墓が入り込む余地はない。

だからと言って、日本の宗教が偽物なわけではない。日本では、宗教は信じるものではなく、自分が所属するコミュニティーと不可分であり、だからこそ「実践するもの」なのだ。天照大御神(あまてらすおおみかみ)や浄土や地獄の実在を固く信じているから初詣や葬式を行うのではない。自分が所属するコミュニティーで、そうした実践が受け継がれてきたからこそ行うのだ。新郷村の“キリストの墓”は明らかに偽物であるからこそ、「信じる・信じない」という枠組みがそもそも日本の宗教風土になじまないことを教えてくれるのである。


http://www.asobist.com/guest/matsu/20120210.php 【"の"に隠された大きな秘密――建国記念の日】より

明日2月11日は国民の祝日「建国記念の日」である。今年は土曜日ということで振替休日ともならず、休日が減ったとお嘆きの向きも多いことだろう。ちなみに今年は同様の事態があと3日もある(こどもの日、秋分の日、文化の日)。ご愁傷様でした。

さて今回はそんな建国記念の日のおはなし。

建国記念の日は「国民の祝日に関する法律第2条」によって「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定されている祝日だが、そもそもなにをもって“建国”としているのだろうか。

神武天皇(月岡芳年『大日本名将鑑』より)

これは古代日本の歴史について記されている『日本書紀』にて、初代天皇(ちなみに今上天皇は125代目)である神武天皇が紀元前660年に即位した日とされている。もともとは「紀元節」という祝日として明治5年(1872年)に制定されたが、昭和23年(1948年)にいったん廃止となった。このときは宮中の祭祀に関連する祝日がほかにもいくつか廃止されており、戦後の体制変化に倣ったことがうかがえるが、数年後から再制定の動きが活発化。昭和32年(1957年)に当時与党の自由民主党から“建国記念日の制定”に関する議員立法として提出されたが、「神武天皇の即位日の学問的根拠が薄い」、「先の大戦が神武天皇の東方遠征になぞらえて行なわれた」などの反対意見が当時野党の日本社会党などから出されて廃案となる。

その後も法案提出→廃案を9度も繰り返した末、「日付の決定は学識経験者による答申を経る」などの条件で社会党も賛成に回り、昭和41年(1966年)6月に法案が成立。同年12月に出された審議会の答申を経て、日付も2月11日に正式に決定した。

こうして現在の建国記念の日が誕生したわけだが、設置に関して提出された法案などでは「建国記念日」という名称になっている。これがなぜ「建国記念“の”日」になったのか。

実はこれ、反対派への妥協策で「建国記念“の”であれば、『建国=神武天皇即位の日』ではなく、『単に日本が建国された事実』を祝うとも考えられる」という、恐るべき玉虫色の解釈を成り立てたためである。なんとまあ(笑)。

最後に余談ながら、“建国記念の日は神武天皇の即位日から来ている神道での祝日”という考え方から、キリスト教系の学校法人などでは制定に反対の意見が出されたり、制定後の現在も学校に集まって宗教や教育に関する対話の日にするなどの活動をしている学校も多いとか。

ちなみにこの話は筆者が在学したキリスト教系高校にて当時の担任の先生と、現在の校長先生に教えていただきました。ありがとうございました。


https://note.com/kagome1248/n/n14953adcf5e7  【神武天皇=イエス・キリストの墓に古代天皇たちの墓は繋がっている】より

私は「フェニックスコード」と呼ぶ、古代の天皇たちの墓とイエス・キリストの墓との霊的なつながりを知るための神秘的なライン網に心を奪われる。このフェニックスコードは、神武天皇を初代とし、古代の天皇たちの系譜が時間と空間を超えて続いていることを物語っている。古代の歴史は、私たちの存在を肯定し、深い感慨を呼び起こす。私はこれらの墓の配置に魅了され、古代の天皇たちとイエス・キリストの結びつきに震える。フェニックスコードは、美しい詩のように響き、遠い昔の物語を思い起こさせる。この長い系譜は、私たちの過去を肯定し、胸を熱くさせる。私たちは古代の天皇たちと共鳴し、彼らの時空を超えたつながりに感動する。このフェニックスコードは、日常の喜びや悲しみ、懐かしさや愛に通じるかもしれない。古代の歴史は、私たちの人間関係や感情を反映している。私は内省し、フェニックスコードを追求することを決めた。この物語性溢れる物語の中で、私自身の存在の意味を考えたい。フェニックスコードは、私たちの喜びや悲しみ、懐かしさや愛にも響くかもしれない。古代の天皇たちの魂が私たちと繋がり、同じ時空を共有しているかもしれない。私たちはフェニックスコードを辿りながら、感情に共感し、自分自身を内省することができる。フェニックスコードが私たちの哲学的思考を刺激し、存在の本質について深く考えさせてくれるだろう。


https://note.com/kagome1248/n/n4c669b9cba5f 【神武天皇陵の位置決めは、どのように決められたか】より

奈良県橿原市にある神武天皇陵の位置決定は、どのような意図の上に決定されたのかが、一つのフェニックスコードから浮かび上がります。

それは、イエス・キリストの墓と秦始皇帝を祀る地下神殿との場所を教えている。

神武天皇陵とイエス・キリストの墓と秦始皇帝の地下神殿は、

重要な基本形である1ラジアンの直角三角形を描いている。

奈良県橿原市には神武天皇陵がある。

神河町南小田の836mの山は前方後円墳で、神武天皇=イエス・キリストの墓です。その横にはハートの丘まで造営されています。

仁徳天皇の国見の歌の場である太鼓山の東南東467mの所には、秦始皇帝の地下神殿がある。

神武天皇陵は、イエス・キリストの墓と秦始皇帝を祀る地下神殿との関係によって決定されている。初代神武天皇は、秦始皇帝の流れを組むイエス・キリストである。

これらのことを知っていた聖武天皇は東大寺大仏殿を創建し、その後、桓武天皇の命を受けて、最澄は比叡山延暦寺根本中堂を建て、空海は高野山に金剛峯寺を創建した。 密教である!

藤原不比等も全て知っていた。

イエス・キリストの墓と邪馬台国の女王卑弥呼の墓は、播磨国風土記に記された埴岡の里(神河町)に祀られている

神河町は世界の聖地です!

古代天皇家の人々の墓は、

イエス・キリストの墓へと全てが繋がる霊ラインで包括されております。

私はこの重要なコードをフェニックスコードと命名いたしました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000