https://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-ronyu/seigo/post-63.html 【空海の夢 空海のアルスマグナ】より
1200年前の平安時代に、この国で、空海はいったい何を考え何を意図し何を構想していたのか、中国から帰ってからの空海は独自の密教の創出にかけてい ました。空海がその目で見た密教その耳で学んだ密教その手でつかんだ密教とは、空海が想像力を駆使して構想するに足る国家プロジェクトとしてのオペレー ションシステムだったのでしょう。
現代日本の「知」を代表する編集工学の松岡正剛氏は、その著書『空海の夢』のなかで「空海のアルスマグナ」として空海の密教の構想を 再構成しています。ここにご本人と出版社のご理解を得て、そのガイドラインを紹介したいと思います。詳しくは『空海の夢』P.145〜152をお読みくだ さい。
I 絶対の神秘−神仏の共鳴から
1.絶対者の設定
a.大日如来に始まる b.法身による説法 c.即身成仏の可能性
2.諸神諸仏の統合
a.よみがえるヒンドゥ神 b.如来と菩薩の蝟集 c.神仏習合の妙
3.意識の神秘主義
a.意識は進化する b.顕教から密教におよぶ c.三密加持のバランス
4.流伝と付法
a.ヨーガ・ルネッサンス b.タントリズムの系譜 c.真言八祖となる
II 象徴の提示−イメージのコミュニケーション
1.声字と言語
a.真言(マントラ)における霊性 b.呼吸宇宙観と声の現象学 c.阿字と吽字にきわまる
2.象徴的伝達
a.大日経と金剛頂経の典拠力 b.果分可説の自信 c.経典に博物学を見る
3.マンダラ・シンボリズム
a.金胎両部の海会 b.極大と極小の対同性 a.図像と場面による凱歌
4.メタファーの自由
a.魅力的引用の駆使 b.偈と頌の創造性 c.連想と同定の冒険
III 儀礼の充実−華麗なるパフォーマンス
1.修行と戒律
a.山林密教の記憶 b.入山と結界の場所論 c.浄化のための階梯
2.事相と教相
a.伝授と講法の様式 b.得度と加行の絶対化 c.三昧耶戒から潅頂への順序
3.宇宙大の空海へ
a.密教的荘厳と声明の活用 b.十八道次第による道場の宇宙化
c.法会における真言神秘性の確保
4.生きている密呪
a.身体重視の瞑想観 b.神変加持祈祷の体系化 c.連続する印契
IV 総合と包摂−普遍世界を求めて
1.対の思想
a.三教指帰の出発点 b.陰陽二元性を応用する c.ホロニック・システム
2.華厳から密教へ
a.流砂の華厳と南海の密教 b.ビルシャナの変更 c.重重帝網のネットワーク
3.十住心論の構想
a.法蔵と澄観に学ぶ b.全仏教史の包摂を成就する c.九顕十密と九顕一密
4.観念技術と方法論
a.鄭玄の方法論的活用 b.梵語・漢語・和語の相似律 c.コトとモノの共振へ
V 活動の飛躍−アクティビィティの深化
1.生命の海
a.生死の哲学を越える b.「即身」の拡大 c.全生命史の上に立つ
2.仏法と王法の橋梁
a.不空と恵果に学ぶ b.真言院の設定 c.密教ナショナリズムの超克
3.社会観と教育観の統合
a.社会事業への投企 b.宗教的教育機関の設立 c.遊行の可能性へ
4.文化の形成
a.芸術の肯定 b.宗教言語の一般普及 c.全対応主義の展開
このように空海が構想した密教の特色を配当しておちつかせてみると、あらためて密教がほかの宗教にくらべてどのような相違点を もつかということもはっきりしてこよう。部分的には華厳や禅にひじょうに近い性格を共有しているし、ブッダに開闢する仏教であるかぎりは、そのほかのどの 仏教宗派の特色にも通ずる立場がふくまれている。けれども「絶対の神秘」を探査する密教が、一方では「総合と包摂」というはなはだ大胆な構想をもっている というようなことは、ほかにはほとんどみられない。芸術宗教であることも珍しい。すくなくとも空海の時代にはそんな破天荒な計画が実現できようとは誰も考 えられなかった。一見すると、あまりに矛盾に勝ちすぎているようにみえるからである。
空海の密教思想が矛盾をもっているということは、同時代の徳一や円珍も批判的に感じていたことだし、その後も今日にいたるまで指摘さ れつづけている。いったい空海を思想的宗教者として評価する動きすら、近代にいたってなおほとんどなかったほどである。内藤湖南や幸田露伴が空海に着目し たのは例外中の例外であり、つねに大日を念じていた南方熊楠などは、密教の興隆にこそ日本の宗教の未来を確信していながらも、あまりに周囲にその気運がな いため半ばあきらめていたものだった。しかし、「宗教に矛盾がない」とはまたどういうことなのであろう。どの宗教に矛盾がないと言えるだろうか。宗教はも ともと矛盾をエネルギー源として出発しているはずである。すでにのべたごとく、わが直立二足歩行の開始にすら矛盾はあった。
おそらく空海の構想には遠慮がなさすぎたのだとおもう。日本人はたとえそれが真実であれ、あまりにあけすけに「構想の全体」が提示さ れることを容認したがらない。すでにギリシャやローマに、アリストテレスやプリニウスのプログラム体系をもったヨーロッパとはそこがちがっている。まして 時代は御簾几帳の陰影にうつろう美を尊んだ平安王朝の只中である。空海だけがとびぬけていた。そして、あまりにとびぬけているその構想は、平安王朝のみな らず、ごく最近にいたるまでそれが日本思想に根をおろすものであるとはおもわれなかった。しかし、「とびぬけているとは深く根ざしていることである」(ル ネ・デュボス)という『内なる神』の著者の言葉はいまこそ確実によみがえっていると言うべきである。
https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/negainojitug【願いの実現】
Facebook津留晃一の世界投稿記事 望む現実の創造
あなたはどうありたいのでしょうか? あなたは何を感じていたいのでしょうか?
どんな自分でいたいのでしょうか? 本当は自分は何が欲しいのだろう。
自分の心から望む状態とはどんな状態なのでしょう。幸せな状態とはどんな状態なのでしょうか? どんな人も「あなたは輝きたいのではないですか? いきいきと自分の生を輝かせたいのではありませんか?「輝き続けていたいのではありませんか?」と問うと例外なくそうだと答えます。
ありたい自分でいればいいのに、なかなか人はありたい自分でい続けようと思考を働かせないようです。
「思いは実現します」と言うと、そんなことは知っていると言います。
ではありたい自分の状態を思い続ければいいのに、なかなかありたい自分でいることに
時間を惜しみなく割き続けている人はいないし、その事に意識を向け続けている人もいないようです。
人から非難されたら、どうしたら非難されずに済むだろうかと考え、「非難されないようにすること」に大切な時間と労力を注ぎ込んでいるようです。
非難されなくなったら輝けると思うからでしょう。
それは人から非難されて輝けなくなってしまったという経験があるからです。
非難された時しぼんでしまったから、そのしぼんだ原因を取り除こうとするわけです。
こうして人はいつもいつも人生の大切な時間を、苦しみの原因退治に費やしてしまい、
喜びを産み出すことには時間を割きません。本当に自分のしたいことは輝いていることであるはずなのに。非難されないために大半の時間とエネルギーを浪費し続けます。
どうか、どの瞬間も、どんな瞬間も、ただただありたい自分でい続けることに意識を向けて下さい。好きなことをしなさいというと、車が欲しいからお金を貯めるといいます。
ではあなたは今お金を貯めたいのですかと問うと、そうです目的があるから今は我慢してお金を貯めますといいます。
では今は我慢したいのですかというと、いえ我慢したいわけではありませんが仕方がないと答えます。「仕方がない」、ここにあなたの固定観念が隠れています。あなたのジレンマです。
究極の目的を遂げるためには今は我慢しなければならないとする固定的観念です。
我々の集合意識がこれまでそう思っていたから、そんな現実世界が今現れているわけです。
あなたが目的を遂げるのに何かを我慢しなければ達成できないとする固定観念はそろそろ手放してもいい時期に来ているのではないでしょうか。
「今は我慢しないと」とするあなたの思いが、今は楽しめないという現実を産み出しているのですから・・・。我慢して我慢して我慢して、ついにやり遂げて達成感を味わう。
それもなかなか捨てがたいゲームであることは認めます。
でもこれからは、今を楽しむゲームに変えてみることもできるのです。
これが出来ないのは、今楽しんでばかりいたら、必ず後で泣きを見るという価値観があるためでしょう。あなたがそう信じているのですから、そう信じているあなたは必ずそんな体験をすることになります。
この世には恐い出来事が、災いのように降りかかってくることがあるのだと信じている人には、そんな体験が待ちかまえているということです。
「でも実際にこれまで多くの苦い体験をした、だからそれは事実だ」と主張し、その現実を
より強固にしているわけです。
あなた方がこれまで環境から被害を受けるという体験をいやというほど積み重ねてきたことは
重々承知しています。でもそれは過去の記憶です。
創造主であるあなたは過去からの影響を受けることもできますが、影響を受けないようにすることももちろん可能です。
どうすれば過去からの影響を受けずに済むようになるかというと、あなたが「もう過去からの影響は受ける必要がない」ことを はっきりと意図し、そう決めることによってそうなります。「将来のいつかのために今は我慢しなければ」という従来の固定的思考パターンを少し疑ってみましょう。
あなたのこの観念は一体どこからやって来たのでしょう。「もっと勉強しないと立派な人になれませんよ」と親から、そして先生から教わり、現に社会がそうなっています。
先人からそれを教わり、そして環境がそれを証明しているからです。
外部(他人)から伝えられた言葉を検証し、事実ならそれを受け入れるというあなたの行動パターンがそこに発見されます。
あなたのまわりにいる人もみんなそうしているからです。
「みんながやっているのだから正しい」と無意識に思考しています。
そのことを疑ったことさえありません。それほど強くそのことを信じているわけです。
「あなたが信じることによってその現実は起きています」と言っても、「いや、事実は事実だ。そう思っているからそうなっているわけではなく、そうなっているからそう信じているのだ」と主張したくなるでしょう。
これはどちらが先だったのでしょう?
現実がそうだから信じたのか、信じたから現実が起きたのか、一体どちらが先なのでしょうか?
これまで人はまず社会というものがあって、その後に自分が生まれ出た、という観点から
世界を捉えていました。その観点から見ると、「そうなっているから信じたのだ」と思うでしょう。そこで新しい観点の導入をしてみましょう。視点を変えてみるということです。
この世は幻影であり、自分がいて、自分の内側が投影されて外部に映し出されているという観点です。そうすると「もっと勉強しないと立派な人になれません」と言った親はあなたの内側にいます。
先生も、社会環境も、あなたの中にあるわけです。ということは、「もっと勉強しないと
立派な人になれません」と言っているのは自分以外にはいないということです。
とすると、「信じたから現実が起きたのだ」という結論が導かれます。
自分がそう思っているからそうなるわけです。だったら事は簡単です。自分の思いを変えればいいだけですから。
そこにはもうジレンマはありません。仕方なくやる必要はなくなります。
自分のジレンマに気づいて下さい、そこに答えが埋まっています。仕方なくやっていることを
探して下さい。その根元にあなたの気づくべき固定観念が眠っています。
自分の思う事が現実として現れてくるのだ。自分は体験したい事を体験できるのだと
100%確実に知っている人はいったいどんな思考をすると思いますか?
自分の思いに100%責任を持っている人のことです。
でもそうは言ってもまず先立つ物がいるし・・・、「今のこの世ではお金がないと生きていけないじゃないか」という考えが心の奥から浮き上がってきて、新たな価値観を瞬間で一掃してしまう人達がたくさんいます。
でもそれは「社会の中に後から自分が放り込まれた(外界に他人がいる)」という観点から体験した時の、過去の記憶でしかありません。
実際はあなたの今ここでの思いが現実を創ります。今、あなたはあなたに与えられた大半の時間を、より快適な生活環境を生み出すために必要だと思っているお金を生み出すことに費やしています。
お金とは、その先にある目的のための手段でしかありません。
手段に大半の時間を割くのではなく、目的を生み出すことにあなたの意志の力を使いませんか? そうすればあなたの望む現実が確実にやってきます。
どうぞ自分の思いがいつもどこを向いているかチェックしてみて下さい。
一日、起きている時間が16時間あるとして、あなたは自分の望む現実を生み出すために
どのくらいの時間、思いの力を使っているでしょう。
人に良く思われようと考えている時間はどうですか?人に迷惑だけはかけないようにと、どれだけ多くの時間を使っていることでしょう。
人の機嫌をとるために時間を使うのを止めてみてはいかがでしょうか。
あなたは創造者です。自分の生み出したいものに100%意識を向けて下さい。
時間を使って下さい。そうしたらあなたの望む現実がやってきます。
ではどうしてこんな簡単なことがなかなか出来ないのでしょう。
現在「人に迷惑を掛けるようなことだけはしてはいけない」という道徳的価値観が
最も支持されていると思いますが、この「人に迷惑を掛けてはいけない」という価値観から、
わがままはいけないという考えが導かれています。
現代人を最も束縛し不自由にしている共通の考え方です。したいことをしてはいけないというジレンマがこの価値観から起きていることに気付いて下さい。
あなたは加害者になりたくないと思っています。自分が被害を被ったときの体験があるからです。でも「人が人に被害を与えることは不可能」であると伝えられました。
なので、在りたい自分になってください。
0コメント