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今日の一句 逢はぬ恋思ひ切る夜やふぐと汁 与謝蕪村 享保元年(1716年)生~天明三年(1784年)没 摂津国(大阪市)生まれ江戸時代中期の俳人・画家
写実的で抒情性のある作風で「江戸俳諧の中興の祖」と呼ばれた蕪村は俳諧発句と絵画を融合し「俳画」という独自の芸術を確立させました。
「ふぐと汁」(河豚汁)は冬の季語 「ふく汁」ともいいます。
河豚汁はふぐの身を入れた味噌汁で、江戸期のふぐ料理はほとんどこれでした。ただし、中毒を起こして命を落とす人も多かったのですが、やはりその美味しさの誘惑に一種の「賭け」があったようです。
蕪村は「河豚汁のわれ生きている寝ざめ哉」という句も詠んでいます。
叶わぬ恋に限をつけるべく、せめて今宵は美味しい河豚汁でも食べて忘れ去ろうとしたのか、はたまた死んでもいいという覚悟で河豚を食したのか、、、
魚図鑑より「ふぐ」の種類を載せてみました。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-2606.html【俳画の美 蕪村と月渓】より
柿衛文庫が創設者・岡田柿衛(かきもり)の没後30年を記念した展覧会「俳画の美 蕪村と月渓」展を開いている。
この十年の間に、主に逸翁美術館で蕪村や月渓(呉春)の作品に触れ、その良さが年降るごとにシミジミとわかるようになってきたので、喜んで出かけた。
「俳画の美」を近代において見出したのがこの柿衛だということだが、この人は長きに渡って逸翁美術館の館長を勤めていたそうで、そうしたことからわたしも知らず知らず教化され、こうして蕪村や呉春の魅力に溺れるようになったのだろう。
実際2008年に、逸翁美術館の「雅俗山荘」時代最後の展覧会は「蕪村と呉春」で、そのときわたしは、前後期にわたって感想を挙げている。
最初に蕪村の俳画から。
闇夜漁舟図 この絵に関する感想は、以前「雅俗山荘」時代の逸翁美術館でも書いている。
働く父と子。そこから少し離れた小さな家から大きな灯りが。母親が二人の帰りを待ってご飯をこしらえているのだ。幸せな情景。
狩場床自画賛 鷹狩りの人が使うドーナツ型のイスが草中にぽんっと捨てられている。
「翦鷹も 拳に戻れ 狩場床」ソレダカと読むそうな。狩の際、鳥(獲物)を見失ってあらぬ方へそれた鷹のことを言うらしい。
「学問は」自画賛 気持ちよさげ~に居眠りしてますなw
太祇馬提灯自画賛 傘がお猪口になってる、たいへんな風雨。必死で進む二人。困った情景だが、妙に楽しそうにも見える。そこが俳画の味わいか。
若竹自画賛 「若竹や 橋本の遊女 ありやなしや」 昔は八幡の橋本の遊女は有名だった。戯れ歌もあるくらいだ。しかしこの歌の意味はわたしにはわからない。安永中期の作。
澱河歌自画賛 扇面 こちらも「若竹や」が書かれている。ただし他にも句がある。
小舟に一人乗る。「澱河」は淀川。この表記は初めて見た。
雨中船頭図 蓑笠の船頭がいる。静かな味わいがいい。
徒然草・宇治拾遺物語図屏風 まず右には芥川の「鼻」の元ネタになった禅智内供の絵がある。
丁度「第一飯を食う時にも独りでは食えない。独りで食えば、鼻の先が鋺(かなまり)の中の飯へとどいてしまう。そこで内供は弟子の一人を膳の向うへ坐らせて、飯を食う間中、広さ一寸長さ二尺ばかりの板で、鼻を持上げていて貰う事にした。しかしこうして飯を食うと云う事は、持上げている弟子にとっても、持上げられている内供にとっても、決して容易な事ではない。」のシーン。
うむ、忘れていたが思い出すと面白い。他にこぶとり爺さんと三人の鬼たち。鬼もまるまる鬼スタイルの者ばかりではなく、官吏のようなのもいた。徒然草は西大寺の静然上人の話。
思えばどちらもこっけいな話だが、それが俳画になるとまた楽しい。それから扇面の自画賛にもやはり静然上人の絵がある。天狗自画賛 堂々たる大天狗。鞍馬居住の僧正房。
「せみ啼くや 僧正房の ゆあみ時」
そういえば天狗で湯浴みといえば「是害坊」の話を思い出す。
盆踊り自画賛扇面 三人の男女が楽しそうに踊っている。東北の風習「錦木」についての句もある。錦木は男女の求婚の風習の一つ。
「錦木の 門をめぐりて おどりかな」
「もみぢ見や」句自画賛扇面 唐傘を閉じて高尾のもみじを楽しむ。
「もみぢ見や 用意かしこき 傘二本」
句の意味を知るといよいよ楽しい。ここからしばらく逸翁の所蔵品が続く。
「雪月花」句自画賛 牛若丸図 逸翁美でも好きな一枚。
「雪月花 ついに三世の ちぎりかな」
夫婦は二世、主従は三世のちぎり。牛若と弁慶のいた時代は「しゅウじゅう」と発音した。
いつから「しゅじゅう」になったのかは知らないが、これも面白い話だ。
「又平に」句自画賛 赤の頭巾かぶって千鳥足の浮世又平。
他の美術館でも同じようなのがあるが、それぞれの美術館は「うちの又平の方が可愛いでしょ♪」と楽しいジマンをしている。
展示替えでこの日は見れなかったのだが、「海の見える杜美術館」所蔵の「ぢいもばばも」は可愛い絵なのだ。猫としゃもじの絵。見たかったなあ。惜しいことをした。
その「海の見える杜美術館」所蔵のほうの「奥の細道」絵巻が出ていた。
冒頭シーンである。「月日は百代の過客にして行き交う・・・」から曾良と共に旅立つところ。
「有明の」付合自画賛 角屋保存会所蔵。「梨打ち烏帽子」とやらをかぶる人が体傾けて、今にも動き出しそうな気配を見せる。
角力自画賛 チカラギッシュな絵。行司も気合みなぎる。五人の句がある。
角力は相撲のこと。江戸時代にはこの文字表記のものが色々ある。
「双蝶々」の「角力場」などなど。「けさ見れば」句自画賛 「けさ見れば 煙ののこる やけのかな」ううむ。
皃見せ自画賛 顔見世のこと。衾かぶって肘立ててぼーっとする。先斗町に泊まって顔見世に行く支度をしているのだが、まだのたのたしている。芝居の始まりを告げる太鼓も鳴っているのに。
紫陽花にホトトギス自画賛 下に紫陽花の花、上に鋭く跳ぶホトトギス。この空間の配置がいい。「岩くらの 狂女恋せよ ほととぎす」
岩倉は、松園さんの「花筐」の照日の前を描くために通った精神病院のある地。
岩倉・大雲寺の不動堂は狂人たちの治療場として当時から有名だったそうだ。
安永2年(1773)4/4に描かれた。
蕪村の娘に出戻りがいて、蕪村亡き後その娘の再婚資金を稼ごうと奮闘する弟子たちがこしらえた作品を「嫁入り手」という。
そのうちの「桐火桶」陶淵明図は逸翁で見たもので、真正面の顔図。この鼻の様子を見ると、私はいつも「天牌」の入星という男を思い出すのだった。
「遊女図」は月渓の絵。袂で口元を隠しながら笑う女。
呉春の描く遊女は珍しいように思う。安永三年春興帖 月渓の句がある。
「筧から 流れ出たる つばきかな」
この挿絵には、瓶割りの絵がある。司馬温公の説話のように子供が瓶の割れたところから流れ出す。しかしここには日本の鎧兜をつけた人物が日の丸の扇子を広げて「あっぱれ」な絵があった。
次には月渓(呉春)。
百老図 山中に集う老人たちの図。楢山節考ではない。と思う。うむ。
網引き自画賛 働く人々がいる。
zen784.jpg
「いわし引く 網をはじめて 敏馬かな」
敏馬はミヌメと読む。そんな海岸があるらしい。
私は知らない。
蕪村が弟子の月渓をほめている手紙があった。
紹介文のその中に月渓の長所や得意技を挙げているのだが、横笛が上手だとも書いてある。
そうかそうか。
天明六年の月渓の句集もある。天明年間は京の人々にとってどんな意味を持つのだろう、と時々考える。
句会なのか「一菜会」という会があり、その会合の食事内容が書かれている。
汁:結び湯葉、大根。茶碗蒸し。酒肴:松茸、鱧、しじみ、蒲鉾、コウタケ、焼き栗、厚焼き、梅巻き、シメジ卵とじ。吸い物:コチ、シメジ。浸しもの:湯葉、サゴシ。そば。
なかなかおいしそうである。
暁台賛「壁破れて」 侘びしい門前が描かれている。
几董賛「去来屋敷図」こちらは薄い朱壁の。
どちらもとても侘びしい門前である。
遊子行 箕面ツアーした話もある。吟行本。神無月に出かけたことを記している。
もうこの頃月渓は池田に来て「呉春」になっていたのか。
池田と箕面はそんなに遠い地ではない。
今の人でも歩く人は歩くだろう。わたしは電車で移動したいけど。
急須に燭台図 煎茶が流行っていたことを裏付ける。
「ほととぎす いかに若衆の 声変わり」
これが芭蕉なら妖しいムードが漂うところだが、この時代ではそうはならない。
几董の賛とのコラボが続く。
五月雨図、梶の葉図、冬籠もり図、などがある。
「煮びやしや」画賛
「煮びやしや つもりの外の 客二人」
予想外のお客のために「煮びやし」をこしらえて運ぶ爺さんの絵がある。
山伏画賛 後ろ向きの山伏が描かれている。
幻住庵記画賛、烏帽子屋図賛、茄子画賛などは逸翁所蔵。
牛若丸図賛 後ろ向きの天狗と少年牛若丸。
こちらも逸翁所蔵だが、あまり見覚えがない。
逸翁の所蔵品がたくさん集まっているのも柿衛が逸翁美術館館長だからだということを改めて感じる。
徒然草画賛 琵琶法師の図。
内裏鹿図賛 向こう向きのバンビ。これは大原御幸の前段階の話をもとにしている。
三十六歌仙偃息図巻 試し描きらしい。リアルさもある。けっこう細かい図。のぞきめがねを持つ女もいる。別にまじめに座しているわけでもなく。
十二ヶ月風物句巻 これは前述の「蕪村と呉春」展でも見たがとても可愛くて楽しい絵巻
「初午や 竹の伏見は 二日月」「石山や くれぬ先から 秋の月」
ウサギの杵つきもあり、楽しい月渓の絵だった。
本当に蕪村と月渓の良さがわかる年頃になってよかったと思っている。
https://yorio-salon.sakura.ne.jp/newpage219.htm 【筆を惜しむこころ】より
文章や絵画表現で筆を加えることで自己主張する人が多いですが、白い画用紙に余白がないほど黒々としたら余情は生まれません。水 墨画には「筆を惜しむ」 という言がありますが、自己主張や自我を惜しむという意味でもあり、昔は禅僧が修行のために描いたと言われています。
墨は紙の白さを活かして墨になり、余白を持たせ濃淡で余情や枯淡を漂わせるのが水墨画です。何も描かれていない部分が余情として見る人の思いを無限に広げ、小さな色紙から大自然が連想できるものは、墨と紙の白とが程よくコラボで相まって余情になります。真っ黒では白も黒も友死にで、描いた人の人間性を疑われることになります。社会も他人を活かして他人にとり良い環境が自らも生きられる安らぎの環境になります。
圧倒的存在感と悠久さを持つ自然は動植物の生の営みを一際ひきたたせる。そこは一切の無駄と贅沢のない調和された世界で、水墨画はこの大自然が持つ簡素で質実な美と、日本人の独特な自然観を表現するのに最適な芸術である。
描こうとする「もの」から無駄をぎりぎり剥ぎ取って、墨の冷えた質感を枯淡で表現する。『筆を惜しむ』水墨画の精神は、我欲や煩悩をどこまで払拭できるかと古くは禅僧の修業として用いられ、謙虚さと清貧の思想を尊ぶ文に愛されてきた。
その心とは 「他人を尊重する」ことを美とするいにしえ人の美学です。
書画一体と言うように水墨画も筆勢で即決的、直接的、に表現します。墨一色で人世の哀歓やもののあわれなどの心境を表現するための限定的な技で、枯淡、省略、大胆、単純、豪快、勢いを筆を惜しむこころで描きます。
墨一色で描くため様々な技法が考えられた。筆勢、渇筆、没骨描写、白描法、かすれ、にじみ、直接的、決的、気韻生動などで、枯淡、閑寂、詫び寂びの冷え冷えとした印象を表現します。
この技法は水彩画にも十分利用できます。
https://www.amazon.co.jp/-/en/gp/aw/review/4882656116/R3CYQW78KC7JTP 【 カスタマーレビュー 俳画がこんなに味わい深いものとは、ついぞ知らなかったなあ 】より
榎戸 誠
『俳画のすすめ――日本の美しい心 四季折々豊かな日々をおくるために(改訂新版)』(豊島宗七著、秀作社出版)には、俳画の魅力と愉しみが溢れています。
「俳画は俳諧を母胎にして誕生した日本人の美しい心を画に表現したもので、日本の純粋な芸術(国画)である。俳画の祖は江戸中期の俳人・画家、与謝蕪村(1716~1783年)。蕪村は俳・書・画にすぐれ、『俳画は蕪村に始まり、蕪村に完成した』といわれるほどすぐれた俳画を多く描いた」。
<風寒し破れ障子の神無月――山崎宗鑑>。「唯一の絵である茅葺きらしき粗末な建物とその中で寒そうに座っている自身を極端に左隅に配し、しかも建物は一部だけを描いている。その自身に向かって、賛の書を『風寒し 破れ 障子の 神無月』と区切り高低をつけて、風が吹きつけてくるように配置している。・・・句の『破れ障子』からその赤貧ぶりがしのばれるが、そういうなかにあっても風流をたのしむ俳人の心情が実によく表現された作品である」。
<山吹や宇治の焙炉のにほふ時――松尾芭蕉>。「左やや中央から山吹の一枝を描いているだけだが、賛の句を添えたことによって、上下の空間に宇治茶の香りが漂い出した。・・・今頃は山吹の咲いている辺りには、宇治茶の焙炉のあの芳ばしい香りが漂っていることだろうなあと、思いを馳せているのである。わずか山吹一枝の世界が作者の豊かな想像力によって宇治茶の里にまで広がった」。
<ばけそふな(傘)借(か)す寺のしぐれかな――与謝蕪村>。蕪村さん、「借す」は「貸す」と書くべきでは(笑)。「(山深い)寺に招かれて帰ろうという時に時雨がきて傘を借りたが、その傘が古ぼけた、今にも化けそうな傘であった。句はその俳趣を詠んだもの。時雨は冬の季語だから、その山寺の寂しさがひときわ目に浮かぶではないか。その(番)傘の先のほうを暈して竹骨の墨線をゆらゆらと曲げて描き、まさに化けそうな傘である。句の傘の字を絵で代用したのもユニークだ」。
<ちる花を屁ともおもはぬ御皃かな――小林一茶>。「花といえば桜。『御皃』は面壁九年の達磨のお顔。厳しい修行中の達磨には、散る花も眼中にはないように見えるというのである、達磨の法衣の線はただ一本調子の線ではなく、遅速、太細、濃淡、かすれなどで表現されており、一茶の意思がよく表れている」。
<あの月が欲しくはやろふ取て行け――仙厓>。「天上の月ばかり貪って眺めていると、掌中の珠まで失ってしまうぞ、という意味。これ(禅語)を平明な俳諧にして民衆に説いたものである。人物を布袋に描いてあるが、これは自像であろう。没骨と線描を巧みに使ってユーモアのある作品となっている。『俗語の仙厓』と呼ばれる所以である」。
<世の中にまじらぬとにはあらねどもひとりあそびぞわれはまされる――良寛>。「良寛は禅僧で賛も俳句ではないが、趣があり俳画として取り上げた。・・・画は草庵(五合庵であろう)でひとり行灯の明りを頼りに読書にふける自身を、簡潔な墨線で描いているが、名筆とうたわれる流れるような賛の書と調和して、孤高の良寛像となっている。良寛の雪深い五合庵での清貧の生活を知っていれば、本画をより深く鑑賞することができるだろう。良寛が画も自ら描いた珍しいもので、素朴な味わいがある」。
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Facebook松本 昌大さん投稿記事 ~ 真の強さ ~
固い木に雪が降り積もるとしならずに耐え続け限界が来た時にボキッと雪と共に折れます。
しなやかな木に雪が降り積もるとしなりながら耐え続け限界が来た時にバサッと雪を落として元に戻ります。固い心に苦しみが降り積もるとしならずに耐え続け限界が来た時にボキッと苦しみと共に折れます。
しなやかな心に苦しみが降り積もるとしなりながら耐え続け限界が来た時にバサッと苦しみを落として元に戻ります。真の強さはしなやかな強さです。真の強さはしなる強さです。
https://www.foresight.ext.hitachi.co.jp/_ct/17379849 【竹有上下節 ~しなやかな強さをもつ竹にまつわる禅語~】
竹有上下節教育経営働き方ヘルスケア有識者
秋の季語に「竹の春」という言葉があるそうです。
おのが葉に 月おぼろなり 竹の春 蕪村
竹は秋にもっとも翠々(みどりみどり)として勢いを増し、自らの葉で月の姿がおぼろげにしか見えなくなっている情景を詠んだ与謝蕪村の句です。
禅宗では、竹は松や梅とともに「歳寒の三友」といわれ、いわゆる寒さに耐えるというところから喜ばれる樹木です。竹と松は常緑樹で寒い中でも翠を失わず、梅は寒さの中で百花に先んじて花を咲かせていち早く春を告げます。なかでも竹は、禅宗の宗祖達磨大師がインドから中国に渡り、禅を普及させた江南(※1)の地が竹の名産ということもあってか、竹にまつわる禅語はいくつもあります。美しく涼やかな竹林はかつて清談の場であり、「清風動脩竹」(せいふうしゅうちくをうごかす)(※2)とか、「竹葉葉起清風」(たけようようせいふうをおこす)(※3)といった禅のこころを表現した言葉も多く残されています。いまでも禅寺に行けばどこかに竹が植わっています。私が修行した静岡県三島にある龍澤寺にも広大な竹林があって、春には修行の一つとしてひたすらタケノコ掘りをしたのを懐かしく思い出します。
竹にまつわる禅語として恐らくもっとも知られているのは、「竹有上下節」(竹に上下の節あり)ではないでしょうか。そしてこの禅語にはいろいろな意味・解釈が加えられています。文字どおり、竹に上下の節があるように、人間にも区別があって、どんなに仲が良くてもそれぞれの立場や考え方があり、礼儀や節度を守らなければ社会の調和は保たれないということです。また、上下に節があるのは竹の根本・基本のかたちであり、これをおざなりにしてはならないという教えです。たとえば、歌舞伎の世界でいう「形無し」と「型破り」の違いと同じで、基本のかたちを身につけていなければ、型破りな演技として評価されることはなく、単に形無し(台無し)になってしまいます。
画像: 「辛巳初冬日書於全生庵鐵舟居士」(辛巳(かのとのみ、明治14年)の初冬の日に全生庵に於いて書す 鐵舟居士)
「辛巳初冬日書於全生庵鐵舟居士」(辛巳(かのとのみ、明治14年)の初冬の日に全生庵に於いて書す 鐵舟居士)
また竹は、上下の節と節の間が中空で、それが連なったおもしろい構造になっています。全部が節だと曲がらないし、全部が中空だとすぐに折れてしまいます。節のもつ堅さと中空のもつしなやかさのバランスがとれていることで、竹はそのしなやかな強さを保っているわけです。私たちの普段の生活は竹でいえば中空の部分です。これに対して創業何周年とか、結婚記念日とか、お正月といったさまざまなイベントが節の部分です。普段の生活に流されるばかりだけでは、いつかこころも身体も折れてしまいます。そこで竹と同じように、組織としても個人としても節目のもつ役割が大切になります。それぞれが節目を作ることで、過去をしっかりと認識し、未来を展望するとともに、現在を見つめ直す機会となります。過去・現在・未来を俯瞰し、自分自身の今を見つめ直して行動を起こす節目をもつことで、組織や個人が生きていくなかで何かが生じた時、強い風が吹いて嵐になった時に、その対応力に差が現れると思います。ますます内憂外患の難しい時代と簡単には片づけられませんが、硬軟両面をあわせもつ竹のように、力強いしなやかさを身につけたいものです。
※1 江南:現在の河南省。その鄭州市登封に達磨大師が修行した嵩山少林寺がある。
※2 清風動脩竹:ありのままの現象も大事だが、それに執着してはいけないといった意。
※3 竹葉葉起清風:竹の葉が清風を送っているさま。竹林の美しさを表現した語。
画像: 竹有上下節
~しなやかな強さをもつ竹にまつわる禅語~
平井 正修(ひらい しょうしゅう)
臨済宗国泰寺派全生庵住職。1967年、東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、1990年、静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。2001年、下山。2003年、全生庵第七世住職就任。2016年、日本大学危機管理学部客員教授就任。現在、政界・財界人が多く参禅する全生庵にて、坐禅会や写経会など布教に努めている。『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)、『坐禅のすすめ』(幻冬舎)、『忘れる力』(三笠書房)、『「安心」を得る』(徳間文庫)、『禅がすすめる力の抜き方』、『男の禅語』(ともに三笠書房・知的生きかた文庫)など著書多数。
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