花のような生き方

Facebook近藤裕子さん投稿記事2月25日☘️心に留めたい言葉☘️

「百花春至為誰開」ひゃっかはるにいたってたがためにひらく

「春になれば花が咲く」

花には〈誰かの為に〉〈何かの為に〉という計らいがあるわけではありません。

《花はなぜ美しいか ひとすじの気持ちで咲いているからだ》 という八木重吉の言葉があります。

このことはなぜ生きるかでなく、どう生きるかの問いかけです。

私達も どんな環境にあっても、与えられた縁を生かし、新たな縁を結びながら「夢と希望の種」を育てて行きたいものです。

✤写真はある日の芦屋川。

今年もこのような景色に会えるのを楽しみにしています。


https://xn--myoshinji-pl6n6645a.or.jp/houwa/archive/1282#:~:text=%E3%80%8C%E7%99%BE%E8%8A%B1%E6%98%A5%E8%87%B3%E7%82%BA%E8%AA%B0,%E7%84%A1%E5%BF%83%E3%81%AB%E5%92%B2%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 【花のような生き方】より

5月に入りました。境内に咲く桜も散り新緑の季節を迎えております。

 私がおります觀音寺には毎年様々な花が咲きます。先代の和尚は花が大好きでした。春に咲く梅・椿・桜・ツツジ、初夏に咲くあじさい、紅葉の美しいモミジなど、30年以上の歳月をかけ、境内に様々な花を植えました。現在は、後を継いだ私が、花のお世話を引き継いでおります。

 先月、私が先代の育てていたあじさいの苗木を地植えしておりますと、お寺に来られた方が私に声をかけてくださいました。

 「わしはこの花の寺がめちゃくちゃ好きじゃけえ」

 毎年のように花を見にいらっしゃる方なのでしょう。こんな嬉しい言葉をかけていただいて、苗木を植え続けて疲れていた私も疲れが吹っ飛んで元気をいただきました。

 「百花春至為誰開(百花春至って誰が為にか開く)」という禅語があります。春になると色とりどりの花が咲くけれども、花は誰のために咲くのだろうかと。花は誰かのために咲こうとするのでしょうか。花は何のはからいもなく無心に咲いています。それでいて、花の種ができ命を次世代に保存しながら、花の蜜に集まる鳥や虫の役に立ち、花を見る人の心をも和ませてくれます。花は無心に咲くことによって、自分自身を生ききると共に、他をも活かしているのです。

 しかし、私達人間は、なかなか無心に生きられません。目で見るもの、耳で聞くものなどを私達の心に映し出す時、そこに何のはからいもなく無心に目の前のことに打ち込んで生きていけばよいのに、好き嫌い、損得、執着、貪り、怒り、様々な煩悩妄想が湧き出て、自らで苦しみ悩みながら生きております。

 法事や坐禅会などでよくお唱えする白隠禅師坐禅和讃に「無念の念を念として謡うも舞うも法の声」という一節があります。私達人間が無心になって歌う姿や踊る姿も仏の教えを立派に表現していると。歌う人が、上手く歌おうとか、感動させようといった思いがあると素晴らしい歌は歌えません。無心になって歌ってこそ、その人は自分自身を完全燃焼して歌い、見る人の心を本当に感動させるのです。

 私達が、心に湧き上がる貪り、怒り、好き嫌い、損得などの煩悩妄想を振り払い無心になって頑張る時、目の前にいる人のために自分とか他人とか考えず親身になって仕事をしていく時、その姿は相手の人の心を動かし周りの人を元気づける素晴らしい生き方だと思います。

 私に声をかけてくださった参拝者の方も、苗木を頑張って植える私を見て、励まそうとも思わず、無心に、思わず声をかけてくださっていたのかもしれません。真心から出る言葉は本当に元気づけられます。

 私達が、一日一日を無心になって生きていく時、その生き方は自分のためにも他人のためにもなって、お互いが元気づけられる素晴らしい生き方になっています。私達一人一人、それぞれの日々のつとめを一緒に頑張ってまいりましょう。  木村宗凰


斎藤一人

人生にはいろんなアクシデントが起きます。事故や災害など、避けられない問題もあるよね。そこで大事なことは、例え問題が起きたとしても、自分の中で『大問題』に発展させないことなんだ。そのためには「愛」が必要です。「自分に優しく、人に優しく」だよ。

ひとり


Facebook田中 宏明さん投稿記事

忘れられない夜がありますそれは2019年の11月のある秋の夜日中の農作業でクタクタになっていつも座る籐椅子に座ってボーっとしていました

家族はもうグースカ眠っていて 田舎ですから虫の音だけが聞こえていました

静かな夜でした 一人で何か考え事をしていたと思います

何気なくテーブルに目をやると木製の茶碗が目に入って来ました しばらく茶碗を見つめていたら ふいに変な問いが 浮かびました「この茶碗に悩みはあるんだろうか?」

一瞬の間もおくことなくはっきりと輪郭を持った声が心の中に響きました

「あるわけないだろう だって茶碗は考えないんだから」その言葉を聴いた瞬間

僕の中で何かが弾け飛ぶのを感じました

そして今まで感じたことのないほど自分が広がっていくのがわかりました

その広がりの感覚が止んでしばらくすると今度は笑いが止まらなくなりました

え?マジすか?たったそれだけのこと?本当にたったそれだけのことで何十年もあんなに真剣に 悩んで苦しんで葛藤していたのだとわかった瞬間にあまりの馬鹿馬鹿しさに笑いが止まらなくなったのです

子どもの頃のように 腹がよじれそうになるくらい笑いました そして大笑いの後に今まで感じたことのない深い静けさが訪れました その静けさの中で何かが終わったことがわかりました

それは探すことでした いつかの未来に 何かを探すことが 終わったのを感じました

ただ今しかないことが わかったからです

あの茶碗の夜から未熟で稚拙と知りつつもずっと同じことを書き続け、話し続けています

これ以上に人を解放してくれる気づきはないと心の底から感じたからです

本当に苦しんで来た人が子どものように笑いころげている顔を見たい  そして一緒に笑いたい^ ^ それだけが人生でやりたいことです ワハハって😆

あ^ ^ あと最後にお知らせです 3/20の春分に懲りずに また瞑想会を開きます

魔女の美紀ちゃんの素敵な星読みの話しと天界の癒しの音フランコの奏でるサントゥール

の演奏もあります

それを土と藁で円形に作られた素敵なストローベイルハウスが建つ天才AKIRAさんの愛の創造

@デュニヤマヒルにて開催します

ご予約は僕にメッセージしていただけるか魔女の前田 美紀ちゃんまで^ ^

お暇な方はフラッと遊びに来てください本当に安心の時間をみんなで過ごしましょう

人生なんて思ってるよりかんたん、かんたん、^ ^てなわけで皆さまもよい一日を✨🌈

らぶ💓

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000