https://note.com/project_ishizue/n/n3357f8ae67a9 【日本人の感性-国民性】より
古より、日本人の心を表わす精神は、「和の心」であると言われます。
この日本の精神の特徴は、自然環境(エコ)を重んじた共存共栄、調和の精神です。
また、日本人は自然の様々な現象に「調和」を見出し自然と共に生きられるように心掛けて来た民族だとも言えます。
この自然環境が長年に渡り、人々の生活に影響し互いが敬い合い、そこから生まれる「和」を好んで尊ぶ国民性から形成され、詰り日本民族が「和」を大変重んじるのは自然からの恵みに依るもの大きいと考えます。
日本人は控えめな心、物事を慈しむ心、侘び寂びの心と言った豊かな感性を備え持ち更にその感性を磨くことでおもてなしを始めとした文化・芸術、物造りを独自の感性で創って来ました。
最近では、独自の文化おもてなしやコスプレ、アニメファッションなどが「クールジャパン」と言われ世界の国々から注目されている日本独自の文化や芸術、製品もあります。
私達は、美しいものを、実際に見たり触れたり味わうことで、感性を磨けます。
心の状態や意識が不安定で優れない時には、その個々人の持つ独自の感性は鈍ります。
また同じ日本人であったとしても、心が沈み荒んでいる時は自分への意識が高まり自然や物事の美しさを感じようにも見えなくなって見えません。
💖感性を磨くために
本物の「人・物」・事」に触れて感性を磨く 何故の心で物事を視る(観る・見る)
自ら感受性を高めるための活動をする(感受性の強い人を観察する)
自分なりの常識に捉われず、好奇心を持ち続ける
志を明確にし、自らが本物を目指す精進をる 本を読む(一つの物事に集中する)
自然界に身を置き、触れる時間を作る
自分と真摯に向き合う時間、自分を知る時間を作る(自省・内観)
私達の住む日本
美しい自然・四季 美しい心 美しい立ち振る舞い 美しい物や事象
美しい美術品・建造物 美しい絵や芸術(アート) 美しい話・・・など。
自然にこのような美しいと感じる自らの感性を磨く為にも美しさを味わい触れる時は、その瞬間の美しさ、その物の持つ本当の素晴らしさを心全体で感じ受け止めたいものです。
私達現代の日本人は、豊かな国にする為に物づくりに力を注ぎ、物質的な豊かさを追求し、「経済的豊かさ」が幸せであると考え「便利な物・快適な生活」ばかりを追い求めその環境で生活する大切な人の心を見失なっているように思われます。
当たり前になっている生活環境の在り方、格差社会、個人主義社会と言った様々なことを改めて見直さなければならない、日本の【ターニングポイント】の時期に来ているであるではないかと思います。
勿論、物質的にも、経済的にも豊かであるに越したことはありません
それだけでは決して満たせない大切なのは💕人の心であると思います。
その大切なものを感じ取るのは人の持つ日本人の感性が必要であると考えます。
それは、「幸福とは何か?」の答を導き感じ取れる感性、即ち人間の豊かな心なのです。
温故知新の心を以ってこの感性を磨くことで我が国独自の文化をもう一度見つめ直し、現在の社会環境改善、震災復興、少子高齢化問題などに立ち向かわなければならないと考えます。
ひとり一人が豊かな感性を磨き備え持つことは豊かな心と潤いのある人間関係を育む原点であり幸せを掴むために、とても大切なことと思います。
国内の人口減少に伴い人との触合いの場で個々人の心持ち方として求められるのは、それぞれが、日本人としての感性を磨き、相手の気持ちを察知し調和の基礎である【思い遣る心】を備えることです。
詰り、和の心=『日本のおもてなし心』を見直し個々人が備え持ちその活動をすることです。
🗾代表的な日本人の特質
1. 礼儀正しくきちんと挨拶をする。2. 相手を大切にし、思いやる心で接する。
3. 親切で世話好きである。4. 対人関係で目に見え難い心を優先する。
5. 気遣いや気配りの意識が高い。6. 人の思惑や人の目を気にする。
7. 「群れ意識」を持ち集団行動を好む、命令に従う習慣がある
8. ルールに従順である。9. 道徳観念は、根本的に恥を重視し、罪は軽視される。
10. 他者の邪魔をせず、争わずの意識が強い。11. 良いところをさりげなく褒める。
12. 横並び意識が強く協調性を重んじる。13. 伝統や文化を重んじる。
14. 「侘び寂び」と言われる地味を愛する。15. 他人に親切にするという感覚が
自然に備わっている。(世話好き)
https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g009095 【日本人は、感性をどうとらえたか? 視覚から日本文化を考える】より
歌も、絵も、藝も、感性の表現様式
前近代日本の人々は、自らの「観る感性」にもとづきながら、さまざまな表現様式を作り上げてきました。それは和歌や絵画だけではなく、作法や先例を厳守した儀礼や芸能など、現在では文学や芸術の一分野とされています。その意味をたどれば当時の人々が抱いていた感性やそこに宿る呪的な世界に出会うことができます。
視力とは、網膜に物の形や像を映すことですが、人の視覚は、その形や像の意味までをとらえてきました。この視覚性は、人の「観る感性」にもとづいています。「視覚文化」とは、一つの形や像から連想的に意味が広がり、それが社会的・文化的なネットワークに連結しながら、さまざまな表現様式を流行させた文化史の問題としてとらえることができます。
視覚のバラエティーとしての「観る感性」
古語に明暗や色彩を表現する語彙が多くみられたように、人は、目に映る形や像を、コトバや色彩、リズムによって表現してきました。それはまさに人々の「観る感性」が視覚のバラエティーを作り、その視覚性に合った表現様式によって、視覚の文化が形成されていたといえるでしょう。このような「観る感性」を前近代的な「視覚文化」のフレームとしてとらえるとすると、江戸時代に登場してくる肉眼+レンズによる科学的な物の見方は、それまでとは異なる近代的な「視覚文化」のフレームとして考えることができます。
日本文化を知ることは、国際理解の手段
グローバルを地域単位でとらえれば、日本は東アジアの一地域です。現在では日本語となっている中国起源の漢語や仏教用語も、起源をたどれば文化のグローバル化を証明しています。同様に人の「観る感性」は、グローバル化によってどのように変化してきたでしょうか。歴史を通じて先祖の文化的眼差しを学ぶ日本文化史は、異文化との交流や摩擦、相違を学ぶことでもあり、実践的な異文化コミュニケーションのツールとしても考えることができます。
https://magazine.chichi.co.jp/articles/2155820056/ 【命ある限り歩き続ける
東洋思想家境野勝悟 松尾芭蕉が求めた世界】
俳聖・松尾芭蕉は道元禅を深く学んだ求道者でもあった。厳しい漂白の旅の中で、歴史に残る多くの秀句を詠み続けた芭蕉が求めた世界とはどのようなものだったのか。禅の教えに造詣が深い東洋思想家の境野勝悟氏にお話しいただいた。
世間から見捨てられたものに価値を見出す
確か大学3年生の時だったと思います。一つ上の先輩から「これを読めよ」と勧められたのが鈴木大拙だいせつ先生の『禅と日本文化』という本でした。私が禅の教えに触れたのはこれが最初でしたが、禅が茶道や俳句など幅広い日本文化にも影響を与えたことに興味を覚えながら読み進めると、そこには少年の頃から慣れ親しんだ芭蕉ばしょうの句が紹介されていました。
古池ふるいけや蛙飛かわずとびこむ水のおと
山の中の静かな古池に蛙が飛び込んだ。ポチャンという音が静寂を破り、しばらくするとさらなる静寂が広がった。それまでの私はこの句をそう解釈していました。ところが、大拙先生の解説はそれとは全まったく違っていたのです。大拙先生は古池を永遠なる自然の生命の象徴と捉とらえられました。そして蛙が飛び込むポチャンという音は、永遠の生命から比べれば一瞬に過ぎない人間の一生。つまり、一瞬に過ぎない二度とない人生の時間を嘆き悲しみながら過ごすことの虚むなしさ……。逆に生を惜しみ感謝しながら生きることの大切さを説いたのがこの句だというのです。
数多い動物の中で私たち人間だけが花を愛めで、音楽を聴き、小説を読み、新幹線や飛行機で旅をして人生を謳歌おうかする喜びを知っています。そういう人間の素晴らしい働きを、なぜもっと生かして人生を意義あるものにしないのか。自分にとって大切なのは、いまこうして生きているということではないのか。これが芭蕉の根底にある考えです。その人生観を知った時、私はとても驚き、心が震えました。坐禅に取り組んでみようと思ったのは、実はこの時が最初でした。
あまり知られていないことですが、芭蕉は鎌倉時代の禅僧で曹洞宗そうとうしゅうを開いた道元どうげん禅師(1200~1253)の思想的影響を受けた俳聖はいせいです。芭蕉は伊賀(現在の三重県)に生まれ、37歳の時に江戸に出て深川に芭蕉庵という庵いおりを結びます。その頃、広く世にその名を知られていた名僧・仏頂和尚ぶっちょうおしょうに禅の知恵や生き方を学ぶためでした。先ほどの「古池や……」は、芭蕉が大きな悟りを得た頃の句で、人生の捉え方が大きく変わったことがよく分かります。
大悟した芭蕉が、その時に「私が大事にする風雅ふうがとはこういうものだ」と述べて綴つづったのが次の句です。
枯枝に烏からすのとまりたるや秋の暮
カラスについて、皆さんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか? 自身の美意識の中にカラスが存在しているという人は多くないはずです。それまでの詩歌の世界でウグイスやホトトギスをうたう人はいても、カラスを題材にした人はまずいませんでした。しかし、芭蕉は枯れ枝にカラスが止まっている背後に、極楽浄土を思わせるような真っ赤に燃える秋の夕景を重ねることで、金屏風びょうぶに描かれた墨絵を彷彿ほうふつとさせる美しさを見事に発見したのです。
つまり、芭蕉は皆が嫌って価値を認めない、見捨てられた生存の中に美を見つけ出したのです。新しい価値を見出すことのできる達人という言い方もできるでしょう。
現代人の多くは、世間的な価値観の中で生きています。時には自分の考えを曲げてでも世間的な価値観に合わせて生きようとします。高等教育を受け自立した生活を送りながらも、なお本当に自分がやりたいことは何か、何が価値あることなのかを考えないまま生きている人が多くいます。
もちろん、世間の価値観で生きることは悪いことではありません。
しかし、いざ世間の価値観と合わなくなった時、自分が果たしてどう生きるかを考えておくことも大事ではないかと私は思います。
芭蕉は世間が見捨てたものの中に価値を見出しました。自身も武士という生き方を捨てて、41歳から51歳までは各地を漂泊ひょうはくして旅し、多くの句や紀行文を残しました。私は「枯枝に……」の句に触れる時、「俺の生き方だってそうなんだぞ。自分の価値観で力強く生きているぞ」という芭蕉の誇り高き声が聞こえてくるのを感じます。
東洋思想家境野勝悟さかいの・かつのり
昭和7年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、私立栄光学園で18年間教鞭を執る。48年退職。こころの塾「道塾」開設。駒澤大学大学院禅学特殊研究博士課程修了。著書に『日本のこころの教育』『方丈記 徒然草に学ぶ人間学』(共に致知出版社)『芭蕉のことば100選』『超訳法華経』(共に三笠書房)など多数。
https://inkyodanshi21.com/lifestyle/4470/ 【松尾芭蕉も現代を生きる上であまりにも参考になるので、誰にも教えたくない。】より
「BS歴史館 シリーズ 江戸のスーパー変革者(1) 松尾芭蕉~17文字で日本を変えた男~」を観て、自分なりにどうしても書き残しておきたいことを箇条書きでご紹介していこうと思います。
歴史の中に、自らを位置づける。
王朝の人々が達成したものと遜色ないものを追求したい。現世の素晴らしさ、俗の素晴らしさを。「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよ。」
歴史の中に自らを位置づける。そこには責任性がある。ミッションや使命がある。千年にわたる財産を正しく継承し、後世に伝えなければならない。
新しい美をつくりあげようとした。芭蕉は美を自分の目で作ることを決めた変革者だった。それまでの美意識をガラッと変えてしまった。
雅と俗を掛け合わせる。どちらか一方だけではダメ。コントラストをはっきりさせる。読み手が王朝のコードを知っている事が大事。
「蛙飛び込む 水の音」心の世界としての古池。
「いかに死ぬか」から「いかに生きるか」
深川に隠棲して、新たな生き方を模索した。
時代は、憂世から浮世へ変わっていた。「いかに死ぬか」ではなく、「いかに生きるか」にパラダイムシフトし始めていた時代。芭蕉もその可能性を探っていた。
立身出世を願ったこともあった、僧侶を目指そうとしたこともあった。そして芭蕉は遂に俳諧一筋となった。
身分制度が固まった時代、立身出世を願っても所詮は枠の中のこと、芭蕉はその価値観の転換をはかった。
全てを捨てる暮らし。身分を超えた生き方。芭蕉は、捨てることで人生の豊かさ、楽しさを見出そうとした。
100年の平和。かつては古典が金科玉条。芭蕉は「いかに生きるか」を模索する中で、「新しい価値観」を現実や俗世界、自然世界の中に求めようとした。
芭蕉にとって旅とは?
中世における旅とは、現世から立ち去る全てを捨てた人の姿。世捨て人、西行や兼好法師等。無一物が良いという生き方。
芭蕉にとっての旅は、世の中が嫌いなわけではなく、世の中と一線を引くための旅。
1人で作る俳句は明治以降のもの。俳諧はもともと仲間と一緒に句を作る言葉遊び(連句)だった。芭蕉はほとんどを連句として捉えている。
物事を言い尽くしてしまえばあとに何が残るのか、言い切らない、語りきらないということが想像力をかきたてて、芸術的な奥行きを創りだすと考えていた。
旅先では身分関係なくその地の人々と共に、連句をして楽しんだ。
結果として、都会だけではなく地方でも俳句が非常に盛んになり、深まっていく。明治以降の文化のあり方として影響を与えた。
芭蕉の行いは、一極集中ではない、日本の古来の文化の根強さと多様性を思い出させてくれる。
楽しく生きる。いいことと悪いことの境目が見えない。しかし必ず「環(たまき)」のように苦楽がワンセットなのが人生。
黙っていたほうが気持ちが伝わるという日本人の感性。俳句は更にそれを助長させた。
沈黙を重んじる文芸があるというのが日本らしい。グローバルの中からみると、非常にわかりにくい。しかしそれが良さでもある。
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