日本の伝統精神~神道と天皇~

https://www.mskj.or.jp/thesis/9115.html 【日本の伝統精神~神道と天皇~ 杉島理一郎】より

西暦2011年は、平成二十三年であり、皇紀二千六百七十一年である。日本には万世一系の天皇陛下がおられ、神道がある。日本の伝統精神とは何か。伝統や文化の土台にある日本の精神文化を紐解くことで、改めて日本人のアイデンティティを考察したい。

1.伝統・文化とは

 西暦2011年は、平成二十三年であり、皇紀二千六百七十一年である。ご存じの通り、西暦はイエス・キリストが生まれた日を紀元とするものであり、和暦は今上天皇の御即位の日を、皇暦は神武天皇の御即位の日を紀元とする紀年法である。

 更に、神武天皇の御即位の日は建国記念の日(2月11日)として、国民の祝日と制定されている。同様に国民の祝日をみても、天皇誕生日(12月23日)として、今上天皇の御生誕の日が制定されており、昭和の日(4月29日)は昭和天皇の御生誕の日が、文化の日(11月3日)は明治天皇の御生誕の日が制定されている。

 このように、今上天皇誕生日以外は旧憲法下の四大節のうち、三つも形を変えて残されており、現在の日本において、神道や天皇という日本固有の伝統や文化はしっかりと息づいているのである。しかし、そのこと自体が素晴らしいのではなく、様々な歴史的環境の中でそれを残してきた日本人の心そのものが素晴らしいのである。

 伝統や文化と聞くと、歌舞伎や能などの伝統芸能を思い浮かべる人が多いだろう。更には、それが昔ながらの風習などを頑なに守る堅苦しく後ろ向きなものであると毛嫌いする人もいるかもしれない。しかし、そういった昔の形式や様式などの現存する形が伝統なのではなく、そういった様式美を継承し続けてきた、それらを脈々と伝えてきた日本人の心そのものが伝統なのである。前野徹氏がその著書で言うように、まさに、伝統とは日本人のアイデンティティそのものなのである。

 そして、今日の我々が着物も脱ぎ、刀も持たぬ世の中になっても、袴を着て、剣道や居合道を学び、また、畳のないコンクリートでできた密閉空間に住みながら、茶道を学ぶのはなぜかといえば、それは単にそれらの形を伝統や文化として保存するためではなく、そこから日本の伝統精神を体得し、日本人として生きていく、日本人の心を学ぶためなのである。

 なぜ今でも外国から日本の文化を学びに多くの方が訪れるのか。それはまさしく、「和」の心が日本固有の他国にはない精神文化だからであろう。

2.日本独特の精神文化とは

 昨今では、中国や韓国は、日本の技術や知的財産を無断で引用したり使用したりすることで、日本で社会問題となっているが、古代や中世においては立場は違い、中国や韓国(朝鮮)は日本の手本でありモデルであった。

 そもそも、東アジアの文化の多くは古代の中国大陸を起源としている。儒教をはじめとして、漢字や建築物など、生活習慣の隅々にまで影響しているところが大きい。古代から現代までの変遷をみていくと、地理的にも非常に近い国ながら、日本と中国と韓国においては、大きく異なる部分がある。それは、取り入れた後の運用の仕方である。

 中国は、古代から文化が発展していたために、漢民族の文化こそ世界の中心であるという中華思想の下で、外来文化に対する抵抗が強く、そもそも外国の文化などを取り入れることはしなかった。そればかりか、近代になってからは共産党に都合の悪い自国の伝統や文化すら否定するなど、排他的な運用がなされていた。

 一方、韓国においては、隣国である中国文化を積極的に取り入れ、その文化が今でも色濃く残っている。なかでも、儒教の影響が強く、それが年長者を絶対的に敬う精神などに代表されるように、伝統を重んじる国柄をつくったといえるが、一方で、支配階級のための儒教としてそのまま当てはめて取り入れたがゆえに、商人や庶民の伝統や文化といったものは軽視されてしまい、一国内でも伝統や文化の残存に濃淡がある状況である。つまり、パッケージで取り入れてそれに国民が合わせていくという運用であるといえる。

 では、日本においてはどうか。日本は、漢字を取り入れて、ひらがなやカタカナを生みだし、儒教を取り入れて、神道や仏教と習合しながら独特の精神文化を作った。他国の文化を排斥することなく次々に取り入れながらも、取り入れた文化を吟味し、取捨選択しながらうまく咀嚼し、アレンジをしてより良い形へと進化させていくという運用である。

 これによって、結果として日本独特の伝統や文化を作り上げたといえる。つまりこの文化の咀嚼力こそ、日本独特の文化を形成する上で欠かせない要素なのであり、これ自体も日本独特の精神文化であるといえる。

 しかし、なぜ日本では他国と違い、異国の文化を咀嚼することができたのだろうか。そこには、日本の成り立ちまで遡る大事な伝統精神が関係しているようである。

3.松下幸之助塾主の捉える日本の伝統精神

 塾主は、日本の伝統精神を、「衆知を集める」「主座を保つ」「和を貴ぶ」という三つの具体的要素を挙げて説いている。

(1)「衆知を集める」

 「衆知を集める」とは、事にあたって広く意見を求め、様々な考えを吸収し判断するということである。

 これは、天照大神が神々たちを集めて衆議をし、知恵を結集して事に臨んでいたという皇祖神の御姿に始まり、聖徳太子による十七条憲法の第十七条にある“夫れ事独り断むべからず。必ず衆とともに宜しく論ふべし。(略)”によって明文化され、更には明治天皇による五箇条の御誓文にある“広く会議を興し、万機公論に決すべし”や“智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし”によって強調されてきた。

 古くからずっと日本は決して独善的になることなく、広く海外にまで知恵を集めて、それを生かして発展してきたという伝統的なあり方があり、それは天皇によって示され続けてきたといえる。

(2)「主座を保つ」

 「主座を保つ」というのは、天皇の存在そのものであるといってもいい。

 これまで、「衆知を集める」という日本の伝統精神ゆえに、多くの思想や宗教なども伝来してきた。しかし、どんな時においても、天皇が皇祖皇宗の御霊よりもそれらを上位に置くことはなかったし、天皇という位において信仰することはしなかったのである。

 天皇自らが、神仏あらゆる宗教を取り入れながらも、決して曲げてはいけない主座を保ってきたからこそ、あらゆる外国の文化が入ってきても、それをしっかりと咀嚼し取り入れることができたといえる。

(3)「和を貴ぶ」

 「和を貴ぶ」というのは、まさに平和愛好の精神である。

 衆知を集めるためにも和が重要であり、何よりも争いや戦いからは不幸しか生まれないという平和を愛する心が日本の伝統精神を基礎付けているのである。

 塾主は、こういった考えを、世界ではまだ部族間闘争に明け暮れている七世紀初頭に聖徳太子が憲法の第一条に明記したという事実こそ、誇るべき日本の伝統精神であると説いている。

 西欧において、マグナカルタとして民主主義の概念が生まれる六百年も前に、日本ではそれが生まれていたと言える。

 農耕民族であった時代から、その文化のほとんどを外国から取り入れながらも、日本が主座を保ち、和を貴んでくることができたのはなぜなのか。

 それこそが、塾主が日本の伝統精神の根本として、その具体的三本柱よりも伝えたかったことではないだろうか。それは、日本独特の気候風土に大きく由縁し、神道と天皇という日本固有の伝統から読み取ることができる。

4.この国の風土が生んだ「八百万の神」

 日本列島は、南北に細長く、亜熱帯から亜寒帯に至る地形ながら、そのほとんどが温暖な温帯に位置し、四季が存在する。太平洋側には黒潮と親潮が、日本海側には対馬海流が流れ、地上には、山岳地帯から平野へと流れる河川があり、地形も起伏に富んでいる。前野徹氏が、日本を「山紫水明の国」であると述べているように、日本は自然の様々な顔と共に生きてきたのである。

 この風土があるからこそ、草木やモノに至る全てのものに魂が宿り、八百万の神という概念が生まれ、この神々を祀ることで自然の恵みを受けて生きることができるという神道のあり方が発生したのである。

 日本人は、古より自然と調和し、感謝し、畏怖畏敬の念を持って生活をしてきた。

 たとえば、家屋の形態にしても、日本では暑い夏を快適に過ごすために自然の風を取り入れる工夫がなされ、木造造りで自然と調和するよう作られている。これに対し、欧米の家は、厳しい環境をもたらす自然を遮断し、人工的な空間を作り上げる。

 このように、自然を克服すべき厳しい相手と捉えるか、恵みを施し生命力を与えてくれる感謝すべき存在と捉えるか、それは、その土地の風土によるところが大きいのであり、結果としてこれが日本人独特の宗教観を生んでいるのである。

 日本人は、万物全てに神を見出し、自分の魂もいずれ神の世界へ行くからこそ、神の子として恥じぬ存在であるよう、精神を高めるのである。だからこそ、神道は鏡を御神体とし、自らの心と向き合い、道を求める「神ながらの道」なのである。

 更に、日本人は自然と向き合い、調和をしてきたからこそ、自然の小さな移り変わりに心を動かされ、趣を感じる鋭い感覚を持っているのである。そしてこの感覚が日本の侘び寂びの文化を生み、その豊かで鋭敏な感覚が日本のモノづくりにおける技術を生んだのである。この原点をまず抑えることが日本の伝統精神を読み取る上で最も大切なのである。そしてこの長きにわたって日本人がその伝統精神の原点を忘れずに道を外すことなく進むことができたのは、その八百万の神々の長である天照大神の子々孫々である天皇の存在があったからなのではないだろうか。

5.この国の伝統そのもの「天皇」

 二千六百七十一年間、百二十五代に渡って途切れることなくこの国を治めて下さる「天皇」こそ、日本の伝統であり、日本そのものであると考える。それは決して武力で治め、民が恐れることによって続いた伝統ではない。自然と調和し、伝統や文化を考え、日本が日本であるために、民と一体となって国の平定を祀り続けて下さった天皇を、我々民族自らが、魂のふるさととして敬愛し、守り続けてきたからである。

 武を以って統治しない天皇が、武を以ってその地位を勝ち取った、時の権力者たちからその地位を奪われなかった奇跡こそ、天皇が国の中に生き、天皇を中心として全ての日本人が日本という国家の伝統を大切に守り続けてきた証拠であり、世界に誇る日本人の精神文化の偉大さである。

 古代中国においては、王道と覇道という二つの政治の道があるとされていた。仁と徳によって治めるのが王道であり、武力や権謀を以って治めるのが覇道である。王道を行くものにあって、覇道を行くものにないもの、それが公の心である、と考えられていた。

 公の心を以って、仁と徳によって治めるのが王道ならば、もちろん日本も王道を進まねばならないが、日本が古くから歩んできた道である、自然に対する調和の心を持って、衆知と和によって治める「皇道」こそ、日本の伝統精神に即して、今の日本が進むべき道であるように思うのである。

6.今こそ日本の伝統精神が求められる時

 今、日本は民主主義に潰されそうである。

 前野徹氏は、日本は家族を最小単位にして心の絆を軸として成立した自然発生的国家であったという。しかし、戦後、個人を最小単位とした契約という利害関係によって結ばれた人工的国家である西欧諸国の概念を押し付けられたことにより、日本にエゴイズムが蔓延したと述べている。

 私自身もこれまで、現代日本の精神荒廃は、占領軍による占領政策によって押し付けられた西洋的概念が諸悪の根源であると考えてきた。しかし、塾主は、占領軍が日本の伝統精神を弱めようとしたのは必ずしも悪意によるものではなく、世界の平和や自国と日本の国民の幸せを願う善意によるものであっただろうと解釈し、それでも結果として今どういう姿になっているかといえば、必ずしも平和で幸せな状態にないのだと述べている。

 つまりは、日本に主体がない状態で取り入れた文化は、日本の優れた咀嚼力を発揮するに至らず、結果として占領軍も日本も望まない形となってしまったのである。大切なのは誰が悪いということではなく、その事実をありのままに捉えて、それをこれからどう咀嚼していくかということであり、これからどのようにして前に進んでいくかと考えた時に、主座を保ち取り入れていくことの大切さ、つまりは、薄められた伝統精神それ自体を取り戻す必要がある、と説いているのである。

 しかし、主座を保った上で、取り入れたものを咀嚼するとはどういうことであろうか。それを捉えるに、二宮尊徳の「水車の論理」がある。

 尊徳は、自然のままにという「天の理」と、人間が独自に生みだした論理である「人間の理」、この二つの存在があると言う。水車は水が上流から下流に流れるという天の理によって回転しているわけだが、天の理にのみ委ねれば、水車自体が下流に流されてしまう。水車を半分水中から出し固定しているのは人間の理であり、この二つの作用によって水車は回っているという考え方である。

 つまり、ただ単に自然に任せて闇雲に行うことではいけない、人間の手による造作も大切な理の一つであり、この二つの共同作用によって事は進むのであると教えている。

 更に、「稲と雑草の論理」がある。天は稲も雑草も区別せず両方の生命を大事にするからこそ、田に植えられた稲が育つのと同時に雑草も育つ。しかし、稲が十分に育つために、人間は雑草を抜き、雑草の生命を奪う。天の理からみれば人の理は道に反する行為であるが、それを貫かねばならぬ時があると尊徳は説いている。

 まさに、和を貴びながらも主座を保つということは、こういうことではないかと思うのである。だからこそ、人の理が何に根差しているかが大切であり、伝統精神の重要性を認識しなければならないのである。

 インドのチャトランガというゲームを咀嚼し、西洋のチェスとは違う、複雑で知的な将棋を生んだように、今一度日本の伝統精神に立ち返って、戦後に取り入れた民主主義を咀嚼するのは今からでも遅くないのではないだろうか。

 そのためにも、日本人一人ひとりが、日本の風土ならではの自然と、日本の伝統そのものである天皇を、素直な心で捉えていく必要があると考えるのである。

7.最後に

 日本の伝統精神とは何かという命題に対して、塾主は皇祖皇宗の時代から日本を捉えた。

 私自身も塾主の考えに沿って考えてみると、自然との共生という原点から始まり、神道が生まれ、仏教やキリスト教などのあらゆる宗教を取り入れながら、天皇に象徴されるように、そんな中でも変わらず保たれた主座こそ、日本の心であるということに気づかされた。

 だからこそ、その根底である日本の風土や気候という「自然」と調和することの大切さを改めて感じ、塾主の言う天地自然の理にかなうあり方が根底にあることではじめて、国家を構成する政治や経営というものを誤ることなく捉えることができるのであろうと感じている。

 自然崇拝と宗教について、また天皇と政治について、これから研究を進め、日本の伝統精神における地域性についても考察をしていきたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える 第二巻 日本の伝統精神・日本と日本人について』PHP研究所 1982年

前野徹『国家の大義』講談社+α新書 2007年

早川庄八『天皇と古代国家』講談社学術文庫 2000年

高橋紘『象徴天皇』岩波新書 1987年

造事務所編著『こんなに違うよ日本人・韓国人・中国人』PHP文庫 2010年

童門冬二『内村鑑三「代表的日本人」を読む』PHP文庫 2010年

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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