座る余地まだ涅槃図の中にあり

タカハシリョウ|住職|下関市豊北町 @senjuuji

座る余地まだ涅槃図の中にあり 平畑静塔(俳人・精神科医)

もうすぐお釈迦さまの御命日。

第三者として眺めるのではなく、この私がお釈迦さまの最期をご縁として、教えをいただいていくことが大切である。


https://blog.tokozenji.net/blog-entry-1405.html?sp 【新米和尚の仏教とお寺紹介】より

新米和尚による、仏教やお寺の話!!  中学校で理科を教えていた男がある日突然和尚になった。そんな新米和尚が仏教やお寺についての紹介をします。 気軽に仏教やお寺に触れていただければと思います。

精神科医であり俳人でもある平畑静塔の座る余地 まだ涅槃図の 中にあり という言葉を知りました。とても、すごい言葉だと感じます。

「涅槃図」と言えば、どうしても亡くなったお釈迦様が主人公のように感じます。

しかしこの平畑静塔の言葉は、涅槃図と涅槃図を見ている自分自身が決して対立するものではなく、一体となるべきものなのだと教えてくれています。

涅槃図を見ている自分自身が主人公なのです!「主人公」とはもともと禅の言葉(禅語)であり 人々が本来持っている仏性、自分自身の中にある仏さまの様な素晴らしい心という意味があります。拝むだけでなく、拝むと同時に、拝まれているそのことを体験したからこそ、座る余地 まだ涅槃図の 中にありと涅槃図を見ている姿を表現できたのだと感じます。


https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/20172-1 【涅槃会に想う】より

 暦の上では立春といいつつも、まだまだ春は遠く、冷え込みの厳しい中、お寺では正月の後片づけを済ませた途端、涅槃会の準備に取り掛かります。

 この時季の2月15日、お釈迦さまは80歳で亡くなられました。それにちなんで、涅槃図を飾ります。

 全ての生き物を慈しんだお釈迦さまは、クシナガラの地で頭を北に向け死を迎えていく。弟子の阿難尊者を始め菩薩や信者、動物や虫たちが嘆き悲しむ姿、そして、悲しみのあまり沙羅双樹の木が2月というのに花を咲かせ、やがて枯れていく様子が描かれています。そして、それを見ようとたくさんの方々がお寺にお参りに来られるのです。 

  座る余地まだ涅槃図の中にあり   平畑静塔

 この絵を私たちは、第三者として観るのではなく、その絵の中に座って、共に悲しんで慈しみを感じている。絵の中の世界と一つになって共にお釈迦さま入滅を偲ぶと詩います。

 かれこれ20年近く前に、ある講習会で故松原哲明師にその当時の様子を話していただきました。

 「お釈迦さまは頭を北に向け、顔を西に向け何を見て亡くなったんだろうね。ほんとはどこに行きたかったのか。お釈迦さまが見ていた80キロ先には、母である摩耶夫人の生まれたラーマグラーマ村があったんだ。母の故郷に行きたかったんだ。日数にしてあと3日でした。あと3日、頑張れば最後の旅は完成されていました。でも行けなかった。お釈迦様もやはり私たちと一緒で人間だったんだなと思います」と。

 それを聞いた時、私は背筋が凍りつき言葉にならない感動を覚えました。日頃、お釈迦さまのことを本で読んだりしてある程度のことは理解していたのですが、心の中に人間的な思いは感じ取れなかったからです。そんな私に、故松原師は人間味のある姿を教えてくれた気がします。

 ですが、この母の故郷に行きたかったということは完全に証明されてはいません。「そんなことあるわけない。お悟りを開いて何十年も旅をし続けたお釈迦さまは、やはり最後の旅も、そんなおセンチ(感傷的)な思いはなかった。死ぬまで求道の旅を続けたのだ」と否定的な言葉で返した方もいました。

 私はどちらが正しいのかわかりません。でも、私は全ての物に慈しみを注いだお釈迦さまは最後の最後に母に慈しみを注いだと信じたいのです。

 以来、松原師とは、インド、中国、各地での研修に同行させて頂きました。

 その都度、「あなたたちは誰について行くんですか? 私はお坊さんだからお釈迦さまについて行くんです」と言われました。

 私たち僧侶はどうしても、葬儀や法事といった法務を中心に生活してしまいます。それはそれで構いません。ですが、お釈迦さまの思いや生き様を心の中に持ち続けながら法務を勤めていかなければならないな、といつもこの涅槃の時期に感じるのです。

 そんな思いで涅槃図を眺めていると、まだまだその絵の中には私も座る場所がありました。

多田曹渓


https://note.com/mlb39111/n/n04114426bef8 【サブカル大蔵経779多川俊映『俳句で学ぶ唯識超入門』(春秋社)】より

永江雅邦

鎌倉時代の新興仏教宗派が勢力を拡大する中で、奈良の南都六宗という存在は、過去の遺物として葬り去られた。しかし今、内田樹風に言えば「南都六宗の呪い」が現代社会を撃つ。本来の仏教を取り戻せと。

現代の研究では、〈南都の衰退〉は、鎌倉仏教史観であり、律宗や華厳宗の思想的な影響などは当時も大きく、その現代性や個々の僧侶の実践も再評価されていると思われます。

奈良の仏教寺院は美術的に再発見され、修学旅行や観光地として賑わい、特に興福寺の阿修羅像は大人気となりましたが、興福寺が〈法相宗〉の本山だと知る人は少ないかもしれません。私も知りませんでした。

その興福寺元貫首が、法相宗の根幹である〈唯識〉を丁寧に説いた本書。〈唯識〉は仏教がその歴史の中で到達したユニークかつ深淵な思想で、その影響の大きさは計り知れません。

宗派のトップだっただけあって、学者よりもこなれた言葉遣いにさすがの印象。しかし鎌倉仏教にはやはり一言申したい雰囲気が漂う印象で、そのスリリングさがたまりません。だからこそ、真宗僧侶にとっても貴重な提言。引用される俳句は正直無くてもいいくらいわかりやすい説明でした。

私たちは直接、その月そのものを認識しているのではなく、私たちそれぞれの心に浮かんだ月なるものの映像(相分)を、心のもう一方の見分がみる。そこに、いわゆる認識が成立すると考えるのです。p.43

 全ての仏教に共通した基本認識だと思いました。そして、こういう私の〈わかったつもり〉が良くない。そこからどうするかが、宗派の違いでしょうか。

阿頼耶識は、実に無始以来という遠い過去にまで遡り得るものと考えられています。p.54

〈無常〉と〈無始〉。時間感覚の混合。仏教はこの二つが螺旋のように絡まり合う。日本文学もその影響か?

子規の視野には秋海棠しかない。そうして比較するものがなにもなければ、秋海棠が異様にクローズアップされp.68

 写実の子規を支配する識。宗教嫌いの子規の限界すら提示してくれます。

私たちはそれぞれそういう使い慣れた視線や角度というのがあり、その使い勝手の良い習慣的な見方で、ものを見、人を見、そして世間というものを見ています。p.74

 使い慣れた視点を変えるのは難しい。だからこそ仏教で自身を磨いていくということでしょうか。

第六意識は、まさに(当面の)自己そのもので、そのはたらきの如何によって、その人の人生の内容が決まるといっても過言ではありません。p.77

 第六意識の如何によって人生が決まる、という言葉が刺さります。

はっきりいえば差し障りがあるかもわかりませんが、最初から利他をかざす宗教は、そうとう眉唾物でしょう。p.85

「親鸞一人がためなりけり」を引用されていました。親鸞聖人のステップは良いと。己を救って欲しい、その果てに利他があるのでは、と説いていただいています。たしかにそれ抜きの利他は嫌らしいかも。

末那識がささやく自己中心性は、文字通り、寝ても覚めてもです。p.124

 もともと無記だが、心所に汚染される。その末那識をよりどころとする第六意識。

第七末那識の影響を絶えず受けている第六意識という自覚的な心を、私たちが深く顧みる時、社会性と自己中心性の間で大きく揺れるさまを目の当たりにする他ないでしょう。p.126

 利他の第六識と自己の末那識の闘い。これをガチではなく、プロレス的に捉えることで、悟ることはできないだろうか。

こうした現行の残存気分や情報つまり種子が、薫習といって、心の深層領域の第八阿頼耶識に送られ植えつけられます。p.150

 先月の月参り法話は薫習の話をしていたのですが、唯識の言葉だったんですね…。お焼香と薫習を結びつけてしまった…。

「私たち人間は、平均して一日六万個の想念、考えを持つといわれています。/本当に驚くべきことは、その95%は昨日と同じことを思っているという現実です。」(アーユルヴェーダ医学研究のディーパック・チョプラ氏)p.162

 少し怪しいけど、いかに変われないか、そして、ちょっとのことで変われるのではということがわかる理系的知識です。法相宗がこれを参照するのもすごいと思いました。本書の出版社である春秋社の「春秋」に掲載された論とのことです。

「座る余地まだ涅槃図の中にあり」(平畑静塔)p.228

 ウチのお寺にも涅槃図があるので、お参りに来たみなさんにも紹介したい句です。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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