Facebook宇宙からの呼びかけ投稿記事 バシャール:『今ここ』から未来を創る
記憶は感情的反応と密接にリンクしています。
例えば、昔よく聞いていた音楽を街で突然聴いたら、当時の自分が感じていた事から記憶が蘇ります。どんな家庭環境で、どんな人間関係だったのか。そういった細かなディテールを呼び起こす事ができます。
ここで何を言いたいのかと申し上げますと、引っ張り上げる過去のデータを決定しているのは、『今ここ』の貴方の感情的反応だという事です。
つまり、私たちは『今ここ』から過去データを引っ張り上げているわけですから、『今ここ』の自分がワクワクな自分であれば、自動的にワクワクデータを引っ張ってくる事になるわけです。
それと同じように、まだ体験していない未来も『今ここ』の貴方が創り出している事を知ってください。
『今ここ』の貴方の感情的反応がワクワクであれば、楽観的な未来を想像する事ができます。これがいわゆる、『今ここ』から未来を想像するです。
新しい地球のスターシード達へ the PLANET from NEBULA
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/21052802/ 【踊り念仏とスーフィー】
Facebook清水 友邦さん投稿記事
「怒りや欲望やその他の激情に支配される者は、あらゆる点から見て奴隷である。自由を獲得するために魂は奴隷状態から解放されなければならない」(プラトン)
愛を与える両親が子どもを深く傷つけることがあります。
親は社会の規範を学ばさせるために、子どもの自由なエネルギーをしばしば制限します。
子供は親に依存せざるを得ないので、自分の意見や感情を表現することを抑圧します。
子供はあるがままの自分を否定して、親に気にいられるような自我を形成します。
そうして、両親に嫌われない良い子の仮面をかぶり、自分を抑圧してしまうのです。
子供の体は緊張し、愛を感じる通路を封鎖してしまいます。
感情や心の痛みを抑圧するとエネルギーの流れは滞ります。
支配的な親に対して、歯向かった為にひどく罰せられ、親から傷つけられた経験を持つと、親への愛と同時に怒りと憎しみの感情も混入します。
否定された愛は、分離して怒り、恐怖、悲しみとして記憶されます。
そして、大人になって恋愛して傷つき、愛が冷めて終わりを告げるとき、否定的なエネルギーが上昇して愛は憎しみ、悲しみ、怒りに変わります。
深く傷ついたひとほど本当は愛に飢えています。
現代人は思考に依存している為に身体の反応を理性で押さえ込む事が多くなっています。
情動(感情エネルギー)がうまく発散出来ないと、やがて神経系統の中に閉じ込められたエネルギーが噴出します。
嫌だ嫌だと思いながら、自分を大切にしない人と我慢して一緒にいるうちに、突然、心が切れて関係性が破綻することがあります。
嫌われたくないと思って、相手が喜ぶことを我慢してやり続けているうちに、ある日突然、なにもかも、めちゃくちゃにしたくなる衝動が起きて、関係性が終わってしまうこともあります。
怒りをうまく発散出来ないと、神経系統の中に閉じ込められたエネルギーの圧力は高まります。
それが鬱積し噴出して、攻撃性が外に向えば、社会的な関係性の問題が発生し、内部に向かえば、免疫などの自己治癒のシステムにダメージを与えてしまいます。
私たちは、関係性の中で様々な感情に巻き込まれると、怒りという方法で逃げてしまうことがあります。
しかし、怒りを表現しても、感情を爆発させても緊張は解消されません。
怒りは抑圧しても短絡的に解放しても、気づきがない状態ではエネルギーの流れを堰き止めているブロックが解消されないのです。
泣くなという条件づけを受けた男性は、泣く代わりに怒りや暴力で発散します。
世界中で暴力の嵐が吹き荒れていますが、内側では愛を求めて泣いています。
怒りの奥には愛を受けとれなかった悲しみがあります。
悲しみの奥には無力感や恐れがあります。
怒りは分離された愛が表に出てきたエネルギーです。
湧き上がる攻撃的なエネルギーを自覚して、そのプロセスを経過させることができれば分離していたエネルギーは、統合されてその人は変容します。
部族社会では危機に陥ったとき祭りをおこないます。火を焚きそのまわりで歌い踊って、エネルギーを昇華させます。
祭という儀礼をおこなうことで不安や怒りを解消して、ストレスから身を守り、希望や勇気を回復して、心身の危機を克服します。
変容と統合とよばれる機能が、祭りにはそなわっています。
怒りと攻撃性はエネルギーの上昇と爆発であり誤用すれば破壊をもたらしますがそれを昇華すれば死と再生をもたらします。
先住民は荒野で一人になり断食と祈りの中で自分の恐怖、不安、悲しみ、怒りと向き合い魂と大地、共同体との繋がりを取り戻します。
アフリカのカラハリ砂漠のブッシュマンは、部族の全員が夜通し火を囲んで踊る癒しのダンスを踊ります。
ブッシュマンはヨーロッパ人が名付けた侮蔑(ぶべつ)を含む呼称とされているので現在はサン族と呼ばれています。
ダンスは部族全員が参加します。
ダンスは個人の病気だけでなく共同体の癒しにもなります。
サン族は煮えたぎるエネルギーをヌンと呼んでいます。
ヌンは踊りに入ると体を震わせ激しく体を熱しながら背骨を上昇して頭蓋骨に達して「キア」とよばれる強烈な変性意識状態に入ります。
「キア」に入った踊り手は、鉛から金に変容するように非物質的な微細な領域にはいります。
そして、シャーマンとなった踊り手は変性意識状態の中で精霊から癒しの力を授かります。
踊り手は祭りが終わると普通の村人に戻ります。
サン族は序列がなく職業の分業がないのです。
しかし誰でもキアに入れるわけではありません。
キアに入る前に、存在を根底から揺るがすような痛みと恐怖を経験するからです。
一番怖ろしいのは死ぬことです。
このまま死んでしまうのではないか、もし死んでしまえば帰って来られないのではないかと恐怖に襲われるのです。
激しい痛みと恐怖のあまり殺される、助けてくれと悲鳴をあげて泣き叫びます。
これを乗り越えるには「魂は再生し、かならず戻って来られる」という確信が助けになります。
喜んで死ねるようになって、明晰な意識を保ったままキアという変性意識状態に完全に入って出たものだけがメディスンマン・シャーマンになります。
そこでは腐った肉が焼かれる臭いの中で心臓が止まり、呼吸が停止して無思考になります。
非物質的な微細な領域である精霊の世界に入り、眼に見えない病気の悪いところが見えるようになった踊り手は、悪い患部を取り出したり、生命エネルギーのヌンを自在に扱い村人を治癒します。
そしてダンスが終わると共同体の一員に戻ります。
古い自我を超えようとする時には、分離していた影との境界で激しい葛藤が起きます。
古い自我を越えるとき死のイメージが浮上します。
それを乗り越えるコツは、明晰な意識を保ったまま恐怖の感情や思考に同化しないで、リラックスして起きていることを信頼してあるがままに身まかせることです。
サン族の癒しのダンスは、体が震える魂振りの状態から魂がしずまる鎮魂の状態をたどります。
魂が再生する儀式を日本では鎮魂法と呼びます。
今は形骸化して鎮魂の儀式になっています。
あらゆる人々が心の安らぎを求めて努力をしています。
本当の安らぎは、怒りと悲しみと恐怖、絶望と無力感の只中にあります。
いまここにあります。
怒り、不安、恐怖、心痛、わたしの思考、あらゆる現象に実体はありません。
すべては関係性によって起こり、去り、変化しています。
思考が作り上げた虚構を見破ることができた時、
過去・現在・未来はなく、
存在という永遠の光だけがあります。
それは時空を超えた今ここにあります。
怒りの感情とともにそこに付随する様々な感情を純粋意識で自覚した時、
否定的に思えたエネルギーは肯定的なエネルギーに変容します。
湧き上がる攻撃的なエネルギーを自覚できると、情動のエネルギーに巻き込まれなくなりその人は変容します。
人間はまわりにエネルギーの波動の場を作っています。
相手が優しいと気分がよく、相手が敵意や怒りを持っていると気分が悪くなります。
相手の低次のエネルギー場と同じエネルギーを自分が持っていると共鳴して感情が揺れ動いてしまい自己の中心を保てなくなります。
人々の心的エネルギーが環境に影響を与えて、エネルギーの場を形成しています。
怒り、憎しみ、恐怖、悲しみは愛の扉の鍵であり、心を開いて自分の傷つきやすい感情をあるがままに受け入れると、本当の自分に出会う機会(チャンス)になります。
否定的に思える体験には、真実の愛に目覚めるというまったく新しい次元が隠されています。
一つだったものに境界線を引くと境界線上で問題が生じます。
心の内面である自我の境界線上には恐怖や怒り、無力感、が発生し、外側の世界の国境線上でも紛争が絶えません。
境界線が消えると外と内の区別も消えて世界は一つに戻ります。
心の中にある境界線に実態はないので、気がつけば境界線は一瞬にして消えます。
成熟した社会への道は、個人の意識の成熟と切り離せません。
怒りのエネルギーを誤用すれば破壊をもたらしますが、それに気づけば世界の再生をもたらします。
怒りや憎しみを他人に投影して行動せず、攻撃的なエネルギーを生命力に変容出来る人々が増えてきて、それがある臨界値に達したときに社会は根本的に変容するでしょう。
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