https://bairindou.com/archives/1427 【 〜ことわざ・慣用句〜】より
古くから広く言い伝えられてきた知恵や教訓、また風刺などを簡潔な言葉で表していることわざ。そして昔から習慣で使われてきた言い回しである慣用句。梅には面白いことわざや言い回しがたくさんあります。今回はそれらをご紹介していきましょう。
『塩梅』(あんばい)
塩梅(あんばい)とは、料理の味加減や物事の具合や様子を表す時に用いられます。程よく物事を処理する、並べる、配置するといったときにも用いられます。
ではなぜ、「塩」と「梅」で表現されるのでしょうか?
現在は、酢といえばアルコールや穀物を発酵させて作る醸造酢が一般的ですが、醸造酢(食酢)ができる以前は、塩と梅酢を使って料理の味付けをしていました。塩と梅酢が絶妙なバランスであったことから、その配分によって味の良し悪しが変わるため、丁度いい味付け加減を表すのに「塩梅がいい」と言っていたことが語源となっているとされています。
もともと塩梅は「えんばい」と読まれていましたが、意味や読みの近い「案配」と混じって、「あんばい」と読まれるようになったといわれています。
『松竹梅』(しょうちくばい)
松竹梅は三つの等級を表します。中国では、松と竹は冬の寒気に耐えて緑を保ち、梅は寒さの中、百花に先駆けて花を咲かせることから「歳寒三友」(さいかんさんゆう)といい、それが日本に伝えられました。
三友とは、友としてふさわしい「正直な人」「忠実な人」「多聞な人」のことを云います。「松」は厳冬に落葉せず、断崖絶壁にもよく根をはることから忍耐強く真心を尽くす人を表し、「竹」は節を持った人、隠し立てのない正直な人を表します。可憐な花を咲かせる「梅」は、逆境でも力強くある理想の人格を表していると言われています。
奈良時代から縁起物として飾りにも用いられてきました。
梅は他にも、「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)や、清潔な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称もあります。
『梅木学問』(うめきがくもん)
梅の木は、成長は早いが、大木にはならないことから、にわか仕込みで不確実な学問のことを言います。それに対し、楠学問(くすのきがくもん)という言葉がありますが、こちらは成長は遅いけれど、着実に大木になることから、進歩が遅くても堅実に成長することの例えとされます。
『梅根性に柿根性』(うめこんじょうにかきこんじょう)
梅根性とは、梅はなかなか酸味を失わないところから、頑固で変わらない性質、良い意味では頑張り屋さんのことを言います。それに対し、柿根性は、 渋い柿でも干し柿にすると一晩で甘くなることから、 一見頑固そうに見えても、変わりやすい融通のきく性格のことを表します。
『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』(さくらきるばか、うめきらぬばか)
桜は枝を切ると、そこから腐りやすくなるので切らないほうが良いが、梅は枝を切ると、枝振りがよくなり、花をつけ実を結ぶことから、「個性に応じた手の掛け方をすることが大切という意味です。
『梅はその日の難のがれ』(うめはそのひのなんのがれ)
朝に梅を食べれば、その日1日災難から逃れることができるという意味です。昔から旅人が、熱病や風土病にかからないように、梅干しを携帯していたと言われています。梅干しには疲労回復効果や殺菌効果があるので、昔から病気の予防に使われてきたことからこのようなことわざが生まれました。
『梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる』(うめはくうともさねくうな、なかにてんじんねてござる)
生梅のたねに毒があるから食べてはいけないという戒めのための言葉。
天神は梅に縁の深い菅原道真のことを指し、道真が梅を愛したという故事より生じました。さらには、「梅の種を齧ると字を忘れる」(うめのたねをかじるとじをわすれる)という言い伝えもあります。
その他にも梅には様々な言葉があります。
●『梅は百花の魁』(うめはひゃっかのさきがけ)
寒さの厳しい中、その年のどの花より先立って咲くことから、優れた人は誰よりも先に秀でるものという意味。
●『炎天の梅花』(えんてんのばいか)
真夏の梅の花のように、実際にはありえないものや、非常にめずらしいもののたとえ。また、心の中で作り出す悟りという意味もある。
●『桜梅桃李』(おうばいとうり)
桜、梅、桃、すもものこと。転じて、それぞれが独自の花を咲かせることから、自分らしく個性を生かすことを意味する。
●『花も実もある』
一本の木に花もあれば実もあるように、外見の美しさだけでなく中身も充実していることをいう。
●『梅に鴬』(うめにうぐいす)
取り合わせの良いもの。両方にとって似合いの組み合わせである意味。
春先になり、梅の花が咲きウグイスが鳴き始める初春の光景の様子。万葉集の春の歌でよく歌われた題材で、絵の題材としてもよく使われた。
この句の後には、「紅葉に鹿(もみじにしか)」、「牡丹に唐獅子(ぼたんにからじし)」、「竹に虎(たけにとら)」、「柳に燕(やなぎにつばめ)」と続けて表現される。
まとめ
梅を使ったことわざ、慣用句はいかがでしたでしょうか?時代背景によって様々な表現や言い伝えがあって面白いですね。それだけ梅は人々にとって身近なものなのだと感じられます。
https://honz.jp/articles/-/14748 【『俳句いきなり入門』で、個性について考えてみる】
俳句いきなり入門 (NHK出版新書 383) 作者:千野 帽子 出版社:NHK出版
俳句と言えば何を思い浮かべるだろうか。年寄り趣味の代表格、自分のメッセージや感動の自己表現、五七五や季語を入れるなどルールが多そう……。そういった先入観をいったんチャラにして、俳句を「自分の外に出るためのゲーム」として捉えなおそう、というのが著者の提言だ。
その第一歩は「俳句は自己表現の手段」という考え方を否定すること。そもそも人間の「言いたいこと」なんて高が知れているが、自分の「言いたいこと以外のこと」は無限だ。
俳句は自分の意図ではなく言葉に従って作るもの。自分で思いつかない表現・自分の発想の外側に着陸し、無限から引き出した発想が17音の中に集約される。そうして出来た作品には奥行きや味わいが生まれ、読む人により多様な解釈が可能となる。
「高度に知的な言語ゲームである」とも言われる俳句の醍醐味は句会にある。句会では、数人で俳句を持ち寄り(投句)、どれがだれの句かわからないようにして人気投票し合い(選句・披講)、ああでもないこうでもないと評を述べ合う(句評)。
句会のいちばんのおもしろさは、じっさいに俳句を作ることにはない。他人の俳句を読んで人気投票したり、みんなであれこれ評しあったりすることにある。句会にとって「より本質的な」楽しさは、作句ではなく句評にある。だからそっちを味わってみるのが先決だ。
初心者にも配慮し、本書では「俳句経験ゼロでも、一句も作らなくても、句会を開く方法」が紹介されている。俳句は参加者が詠むかわりに『現代の俳句』のようなアンソロジーを用意。そして「高浜虚子」「中村汀女」など、アンソロジーに名を連ねる特定の俳人を自分の代役に立てれば十分だ。
この句会、興味はあるが取っ掛かりがつかめないものでも、仲間うちでワイワイ親しむうちに自ずと良し悪しや好き嫌いのセンスが磨かれてくるという、よく出来たシステムだ。ワインのテイスティングや日本酒の利き酒など、俳句以外の応用も我々には馴染み深い。
俳句を作ってみようという段になると、初心者は「言語論的転回」を経るという。
第一段階 自己表現期 「こういう内容を言いあらわそう」と考えて、それを表現するために言葉を捜す。意味が全部分かりすぎの、読み手としては「で?」っていうしかない俳句か、舌足らずで意味不明なボケボケフレーズができる。
・・・・・・・・・<言語論的転回>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二段階 自動筆記期 意味不明の自動筆記のような句ができる。
第三段階 前衛俳句期 意味不明だが読者たちが想像でいろいろと補える句が出来る。
第四段階 伝統俳句期 読者たちが想像でいろいろと補って、単一のもしくは複数の意味に回帰する句ができる。
ソシュールや構造主義言語学や記号論や言語哲学が20世紀思想に与えた深甚なコペルニクス的影響を言語論的転回という。それまで、言葉は考えを表現するための透明なツールだと考えられていた。
ところが20世紀には、言語は透明なツールではなく、人間が知ることができることすべてを条件づける不透明な存在であるとか、人間が言語を使って考えるというより言語が人間を使って考えているのではないか、というような考えに転換した。
俳句初心者に置きかえると、個人の内部ではこんな意識の変化が起こっていると言える。
“
第一段階 結果より自分の意図(言いたい内容)が大事。
・・・・・・・・・<言語論的転回>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第二段階 自分の意図(言いたい内容)はどうでもよくなる。
第三・四段階 いい結果を出すことが自分の意図。それ以外の意図(言いたい内容)は二の次。
”
言語的転回を経た人は、自分の着想のために言葉を捜すのをやめ、「XXXという言葉を使おう」と考え、それにあわせるために別の言葉を捜すようになる。人参煮てないのに煮たことにしちゃうし、そもそも蒟蒻干したことないのに干したことにしちゃう。俳句的にはそれが正しいのだ。
これも俳句に限ったことではない。本当に創造的で心からおもしろいと思えるものは、頭で考えてひねり出すのではなく、自分の意図とは関係なく「手段先行・素材ドリブン」で生まれてきてしまうのではないだろうか。旬の食材から創作料理を作り出す料理家、文学・絵画に霊感を受けて名曲を生み出す作曲家、ビジネスでは「プランド・ハップンスタンス理論」もこの考えに近い。
それでも、「俳句って字数制限キツイし季語とか切れとか定型とかルールがきついんだからただでさえ個性なんて出ない……」と制約ばかりに気を取られる方も多いかもしれない。しかし、俳句ではその「お約束」ゆえに「全員に制服を着せたらかわいいことそうじゃない子が残酷なくらいはっきり分かっちゃう、というような意味で」個々の言語センスが測られてしまうことになる。
しかも測るモノサシはひとつだけではない。「ダメな句は全部似ているが、いい句はそのよさが一句一区違っている。」自分を捨て言葉に徹し、「お約束」の枠内に自分のエッセンスを凝縮し、ここにきて本当の「個性」というのが現れてくるのだ。
何かに行き詰まりを感じたとき、現状を変えたいときにも「転回」でアプローチしてみよう。私にとっては読書もそれ自体が目的の娯楽。文章は人間より偉く、レビューも自分の外にある言葉で作るのが「読書論的転回」。自分に最も縁遠いと思われるテーマの本を読む「濫読」の醍醐味もここにある。
https://note.com/chilli_koda/n/nae63ef95b179 【個性のある俳句を詠むには】より
香田ちり
こんばんは。まだ寒いですが、立春が過ぎ、暦の上では春ですね🍀
愛亀のチリちゃんも季節を感じ取り昼間、外に出してくれと訴えるようになりました😄
また庭での俳句が始まりそうな予感がしているちりです。そんな私は、リクガメ以外では相変わらず俳句三昧です。
最近は観察力をつけたいなとぼんやり思っていました。でも、実際にどうするか分からず、こちらの本を読んでみました。
観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか (SB新書)
俳句用ではないのですが、俳句を念頭に読んでみると結構面白くて、為になりました。
観察の方法を学ぶつもりがオリジナリティの出し方まで学ぶことができました。
自分の備忘録を兼ねてほんの一部ですが、ここにまとめておきます。
長文の割にシンプルな結論なので、結論だけ知りたい方は最後だけ見てくださいね😉
なぜ観察がそんなに大事かそう思ったことはありませんか。たとえ一生懸命に観察しても、やっぱり感性がないと気づけない。そんな風に考えていましたがそれは間違いでした。
当書によると感性とはよーく観察した結果、生まれてくるものだからです。
そして、その最終地点に良いアウトプット(=良い俳句)があるのです。
当書に書かれている内容を簡潔にまとめるとこうです。
観察力が鍛えられる→インプットの量が増え、質が上がる→感性が上がる→気づきの量が増え、質が上がる→アウトプットの量が増え、質が上がる
これを見ると感性はもともとあるものではなく身につけられるもの。
そして、観察力が上がれば、感性も上がっていき、いずれは俳句の質も上がるということです。
そう聞くと誰にでもチャンスがあり可能性があるのだと思えます。
では、どうやってその観察力を上げるのか。観察力を上げる方法当書によると見たものをとにかく言葉にすると良いとのことです。
俳句で言うと、何かを見て少しでも何か感じたら十二音にまとめる。そういうことかなと思います。意識をすることで気にも留めてなかったことが目に入るようになります。
俳句を始めて以来、日本の文化やどの季節も美しく感じ、楽しめるようになりました。
こういうことの積み重ねなのでしょうね。
「見ているようで見ていない」から脱却し、観察力を上げるための第一歩。それは、まず「言葉にしてみる」こと。(…)頭に浮かぶ漠然とした印象という「抽象」的なものを、言葉という「具体」に一度、落とし込もう。
SBクリエイティブ.「観察力の鍛え方」.佐渡島庸平 ,2021,P63
人は意外とぼんやり物事を見ているというのは分かる気がします。
いつも句の鑑賞文を書いてみると最初のふわっとした印象よりもっと具体的な言葉や思いが出てきます。今までこの感覚をずっと不思議に思っていましたがこういうことかと納得しました。鑑賞文を書くことも察力を上げる手段として効果的なのかもしれません。
こうして観察し、言葉にする方法が分かると次に欲しくなるのは「オリジナリティ」です。
ここで有効なのが「真似る」ことだそうです。個性を出すのに真似る?と思いますが急がば回れの発想でした。
オリジナリティを生むにはある程度できるようになると斬新なことや新しいことをやってみたくなります。
それはそれで良い、と私は思います。
でも、真似ることは学ぶことであり、どんな分野でも過去から学ぶことは多いです。
これまで先輩たちがたくさんの苦労や失敗を経験し、最短で効果的な方法として作ったのが「型」です。
その「型」を使うということは究極の真似であり、学びです。
優れた仕事に必要なことは、ホームランではない。当たり前を積み重ねることだ。だから、突飛なアイデアを思いつくよりも、基本を身につけることが、一番重要だ。どんなフェーズにいる人も、まずは「真似る」。(…)「型」を学ぶことは、歴史の中で生き残ったものを徹底的に真似るという営みだ。「型」を身につけるという行為そのものが、観察に通じている。
SBクリエイティブ.「観察力の鍛え方」.佐渡島庸平 ,2021,P75-78
こうしてみると、藤田湘子先生の型が本当にありがたいですね。
そして、粛々と、でも楽しく毎日詠むことの大切さも感じます。
その究極の真似である「型」を暗記し、自由に使えるようになったとき「オリジナリティ」が生まれるそうです。当書の内容を簡潔にまとめるとこんな感じです。
「型」を暗記して自然に使える→解像度が高くなる(具体的ではっきりしていて、想像しやすい表現ができる)→仕種や所作にも自分の考えを持つようになる→「型」の更新 (= オリジナリティ)オリジナリティにこだわって「型」を使わずに自分なりに作ると伝わらないものになるそうです。
俳句を始めた頃、何も分からず自由に詠んでいましたが「型」を使った途端、すぐに良い反応があったので納得です。
「型」を使うとみんなと同じになりそう…そう思うかもしれませんがシンプルな型でもしっかりと個性は出せると言います。
個性的な物語 = 型 x 自分の記憶(体験)
SBクリエイティブ.「観察力の鍛え方」.佐渡島庸平 ,2021,P88
たとえ型は同じでも書く人の記憶や体験を合わせることで個性的な物語が生まれるそうです。
確かに句集を読むと言葉も型もシンプルなのに個性的で素晴らしい句が多い!
結論
自分の人生を存分に楽しみそこで経験し、感じたことを型にはめて俳句にする。
これが個性のある俳句を詠む方法だと思いました。
思ったより普通の結論でした💦
自分自身のアクションポイント
・引きつづき、先輩たちの句集から学ぶ
・句集を読んだら鑑賞文を書く
・気づいたことはすぐに十二音にする
・型の見直し
・俳句以外の時間を作って楽しむ
というわけで、今まで通り好きなことを自由にやって、俳句を楽しもうと思います😉
ここまで長々と読んでくださった方大変お疲れさまでした。楽しい俳句生活を✨
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