Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事
自我と無我
庭の梅がつぼみをつけていました。ゆっくりと春がふくらんでいきます。
自我。その反対は・・・無我です。無我は自我の反対ですが、思いようで究極の自我ではないでしょうか。
こういう視点は、ものづくりというか制作というか、私では、陶彩画が教えてくれるものです。はじまりは自我ですね。私思い巡らせる世界からはじまります。うまく描きたい、もっと技術をあげたい、失敗したくない、世界を広げたい・・・が一旦制作に入っていくと、いつのまにか、思惑のようなものを離れています。
私が筆を使っているのか、筆のほうが私を使っているのか・・・そういう境がなくなります。
自我というのは、言い換えると「都合」かも知れません。起きることのすべてが私の都合にあえばこの上ないわけです・・・がそうはいきません。で、自我が葛藤して露出してきます。その露出をどこに出すか=自我をどこに置くかですね。
最近のこどもたちは家で絵を描いて遊ぶということをあまりしないようです。その代わりがユーチューブやゲーム。私たちが子どもの頃は、たいていどこの家でも裏が白い広告の紙などは大事にとってありました。子どもたちはそれに絵を描いたり落書きしたりしたものです。たいてい、女の児はお姫さまや花で、男の児はロボットや車・・・。今はそういうことがありませんから、どんどん絵が描けなくなります。学校では、絵も点数(評価)の対象ですから、楽しく自我をアウトプットできない。
ものづくり=個々の創造性を点数化したことの罪は大きいと考えます。教育のご都合主義に子ども達を巻き込んでいるわけです。
無我には恐怖がありません。私がいないから恐怖はなりたたないからです。そこで手放す自我こそが自由な広がりですね。自我の延長線に無我があるという、そういうことを実体験する大切さを思います。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
身の回りに、「悩み」や「問題」が起きるときは「自分らしくない」ときです。
ほんとうは、冷たい人なのに、優しいふりをしたり ほんとうは、出来ない人なのに、出来るふりをしたり ほんとうは、のんびり屋さんなのに、ちゃきちゃきしてみたり ほんとうは、怠け者なのに、働き者のふりをしたり ほんとうは、悪いやつなのに、いい人のふりをしたり
ほんとうは、怒っているのに、平気なふりをしたり ほんとうは、やさしいのに、悪い人のふりをしたり。それが「自分らしくない」とき。それが「自分にウソをついているとき」
それが「自分を恥じているとき」そんなときに、目の前に「問題」が現れる。
「あなたの、本当の生き方じゃないよ」「誰になろうとしているの」「何をいけないと思っているの」と、誰かが教えに来てくれる。
「ほんとのあなたは、こんなこと思ってるよね」って。「でも、それを悪いことだと思って隠しているよね」って。「自分らしく、正直に、生きてないよね」って。わざわざ、教えに来てくれるからざわざわ、する(😑)
「ああ、ほんとは、わたしは、ああしたいんだな」「でも、ダメだと思っているから、そんなことしたら嫌われると思っているから、自分らしさを我慢しているだけなんだな」と、気づいてみてください。そして、少しずつ「自分らしさ」を出してみてください。
わかりやすくて 正直で 可愛くて 愛される そんなひとになるから、
ひとが、自分らしく生きてないで うまくいくはずないし、幸せになれるはずがない。
「しあわせもどき」にはなれるかもしれないけれど。ひとが、自分らしく生きていてうまくいかないはずがないし、幸せにならないはずがない。
僕も、ほんとは、冷たいからこそ、優しいフリをして ほんとは、ケチだからこそ、器が大きなふりをして ほんとは、できないからこそ、頑張って出来るようになって ほんとは、弱いからこそ、強いフリをしてた。
勇気を出して 自分のダメなところ 自分の冷たいところ 自分の怒り 自分の悲しみ
自分の劣等感 表に出してみよう。それが「自分らしさ」への第一歩かもしれないね。
心屋仁之助
Facebook加藤隆行さん投稿記事【自分にあったやり方ってある】
ボクは ◯ゆっくり ◯ひとりで ◯ひとつずつ だったら結構なんでもできる。
コツコツ モクモク ポチポチと 納得行くまで調べて やり直して 時間かければ
楽しくそれなりのものを作り出し、結果を残すことができると思っている。でも会社員だった時は■いそいで■みんなで■たくさんをがアタリマエだった。それができるようになることが”仕事ができる”ということだと疑いもしなかった。
だからとにかくがんばった。
■いそいで■みんなで■たくさんをできるように必死に働いた。
がんばればなんとかなると思っていた。人の3倍働いてたくさん仕事術の本も読んだ。
そしたら結果、劣等感だらけになった。
結果、自分を嫌いになった。結果、壊れた。結果、血ヘド吐いて◯んだ(笑今思えば
■いそいで■みんなで■たくさんをこれら3つはありえないぐらいできない一番ニガテなことだった。
とくに■みんなでが無理だったのだ。
小さい頃からの自分を振り返ってみればよくわかる。 ◯ゆっくり ◯ひとりで ◯ひとつずつ なんでもやってたじゃん。
それしてたときが楽しかったじゃん。幸せだったじゃん。うまく行ってたじゃん。
誰か、「あなたはそういう人なんだよ」「それでいいんだよ」って言ってくれてれば気づけたかもしれん。
■いそが”ねば”■みんなででき”ねば”■たくさん同時にやら”ねば”そりゃあ大変だったろう。苦しかったろう。
これに気がついたからボクは会社を辞めた。そして ◯ゆっくり ◯ひとりで ◯ひとつずつ
今は働いている――。
*
したら最近はかとちゃん器用だね。 かとちゃんなんでもできるよね。 かとちゃんみたいになりたい。とよく言われるようになった。
不思議だね。その逆の人間だと思っていたのに。
*
昨日、たまたま友人に呼ばれて行った サラリーマン時代の懐かしい街で最後に働いていたビルを見上げてそう思った。
「自分の場所で咲けばいい」いま、うまく行ってない人、劣等感にさいなまれている人、
自分の出来なさを責めてる人、結果が出なくて悩んでいる人、
それ、場所とやり方が違うだけかもね(^ω^)
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