https://blog.goo.ne.jp/haiku_2007/e/cc32bc39c464dc0c21876ba51c876aec 【創造的誤解 大岡まこと研究会 高柳克弘さんの話】より
28日の日曜日に、大岡まこと研究会で俳人の高柳克弘さんが「折々の歌」の大岡信の解説について話をされた。
その話の中で興味深かったのは、「創造的誤解」という言葉だった。
この創造的誤読という言葉は、もともと萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」について、山下一海という人の評に現れる言葉と言う。
朔太郎は、蕪村の俳句を普遍的な詩と受け取り、その詩の中に没入する。少し引用する。
「朔太郎のような解釈・批評の前では、もともとの句意など、小さな問題であるように思われる。もちろん、もとの句意をないがしろにするわけではない。もとの句意を承知した上で、そこに加えられた朔太郎の蕪村理解の自由な膨らみを味わいたいものである。・・・・それがいかに蕪村の世界を膨らませているかと、創造的に読み取る込みとが、朔太郎の蕪村讃歌を理解するためには必要なのである。」
大岡信の読みにもこれと通じる点があると高柳さんは語る。
こどもたちに求める読みは正にこれである。
正確な正しい読みを求めるのではなく、その子が作品に没入し、自分の物語として句を語ることが、こどもの創造性を育むのだと考える。
したがって、授業においては、
「この俳句の良いところはどこか?」と問うのではなく、「これはどんなお話なのか、作者に代わって話してください」と問うべきなのである。
俳句は、世の中を十七音に凝縮するが、それを解凍するのが読みの作業である。
Faceboook津留晃一の世界投稿記事 「分離」そして「統合」
あなたは根源なる一つの魂から分離しました。分離はあなたに欠乏感を生じさせます。
常に何かに欠ける思いがあなたに不安感を感じさせます。あなたは源から分離したとたん、永い永い不安感との付き合いが始まったわけです。不安なあなたは身を守る必要を感じます。
自分を家族をそして自分の国家を守らなければならないと思います。
守るとは、孤立するという事です。自分をガードするとは、自分一人きりになるという事です。あなたが自分のまわりに築いた壁は、あなたを他人から孤立させることとなります。
すなわちあなたの自分を守ろうとする思いはあなたをさらなる分離へと導き、ますます強くなる分離感により、さらに防衛本能が強化され続けます。
「自分を守るぞ」と決めた瞬間、あなたはその守るべき相手である敵を生み出します。
初期値としてある記憶を植えつけ、その後の入力はすべてこの初期値から影響を受けるよう
プログラムされたロボットを創ると、そのロボットは外からのどんな情報も正確に受け取ることができなくなります。
そのロボットに入力されたデーターは、初期値データーと混じり合い、初期状態から離脱することはありません。これが人間の自我のことです。
あなたの五感を通じて入ってくる情報は、全て自分にとって安全かどうか判断され、振り分けられます。
あなたの目に入る全てを、自分にとって都合の良いものかどうか一つ一つ分類して仕分けしていくわけです。
自分にとって都合のいい情報は取り入れ、都合の悪い事を言う人を排除します。
あなたにとって好都合の宗教があると、その教えを信じ、あなたの観念を強化しますが、あなたの宗教の教義に反するものを断固拒否します。
あなたの信じる教義によって善人と悪人を生み出し、あなたの強い反発が敵を生み出します。
すると自ら生み出した敵から自分を守らなければならなくなり、守るためにさらに仲間との結束を強くする代わりに、その結束の強さに比例して敵の勢力も同じだけ強くなる事になかなか気付けません。
あなたの正義感が生み出した心の葛藤を何とかしようと、道徳や規律というルールを作り、他人が枠からはみ出さないようにコントロールしようとします。
あなたは源から分離した瞬間から、営々と長い時間をかけ、これまで一貫して不安感を土台とした観念を、 思想体系を、文明を築き続けてきました。
今あなたのまわりにある全ては、不安をその基礎として創り続けられたことをしっかりと自覚しなければなりません。
何よりもあなたが自分だと信じて疑うことのない「あなたの記憶」という自我は、あなたが、
自分は有限であるという立場から構築されたものであるということを自覚していただきたいのです。そして人は無限なる源へと帰り始めました。「分離から統合」へとその流れを変え始めました。
分離から生じた欠乏感の意識が、自動ロボットとして機能し続けて、分離を加速し続けてきましたが、この三次元世界は有限の世界であるため、すなわち限りがあるため、分離は限界までくると反転することになっていました。
人類の育て続けた防衛本能と恐怖心は、とうとう核兵器という最終兵器を生み出し、その限界点へいたりました。地球が、そして人類の集合意識がその限界であることを知ったのです。
我々は、有限であるという立場から、無限であるという立場へとその土台をシフトしなければなりません。人類全員が帰り着く源がそこであるからです。
無限であるとは、全ての現実は自分が生みだしたということを認める立場です。
全て自分が生みだした世界であるとは、他人もあなたが生みだしたという立場です。
意地の悪い人がいたとしたらそれはあなたの責任であるということを認める立場です。
この立場に立てば、全てあなたの責任であるということになります。
すなわちあなたはもはや被害者となることはあり得ません。
あなたが全ての責任者なのですから・・・。この立場に立てばもはや加害者になることもあり得ません。あなたは全てなのですから。
そしてその時あなたは無限であるのですから。
人は自分が有限であるという立場をとったとき、不都合さの原因を自分の外に求めます。
人が外部にその原因を探すと、必ずその不都合さの原因は見つかるものです。
無限の立場に立ったあなたは全て自分の責任であるわけですから、その不都合さの原因を
外に求めなくなるのです。
何か不都合なことを感じると、「誰が」という疑問を抱くかわりに、「どうして」という問いが内側に起きてくるようになります。
この内からわき上がる自分に対する問いかけがあなたを変え始めます。
あなたの疑問に対する答えとして新たな現実が起きてきて、あなたにその解答をもたらし始めます。
こうして次々と自我に気付く場面に出くわすようになってきます。
私は難しいことを
あなたに要求しているわけではありません。あなたは無限であるというと、人は「その考え方は頭では分かるがなかなかそんなわけにはいきません」と言います。
しかし私はあなたに東大に合格しろと言っているわけではありません。
あなたに総理大臣になれと言っているわけでもありません。何かに成ることを目指していくことが、どんなに大変なことであるかは、よく知っているからです。
しかし、総理大臣も、東大の主席になることも、どちらも有限の何かであるにすぎません。
無限とはかけ離れた存在にすぎません。
元々無限であるあなたがそんな有限の何かに成るなんて大変であるに決まっています。
私はあなたに無限者、即ち創造主の立場を「選択」しなさいと言っているのです。
選択するとは単に選ぶだけのことです。
あなたが町の食堂に入って、うどんにしようかソバにしようか迷ったとします。
そしてやがてあなたは決断します。「お姉さんタヌキそば一つ!」と。
これが選択するということです。
あなたは有限者の立場をとるか、無限者の立場を選ぶか、そのどちらかです。
これまで一貫して有限者の立場を選択し続けてきた現実があなたのまわりに現前しています。
今のままでよろしければそのまま有限者であり続ける権利があなたにはあります。
それはあなたが無限者であるからです。
有限者の立場のあなたは自由になるために、お金を稼がねばなりません。
偉くならなければなりません、名誉も欲しくなります。その全てに競争がつきまといます。
「競争」とは有限者にのみ与えられる特権のことです。
あなたは独立して社長という「立場に立った」ときから社長としての思考を開始します。
「社員の給料は低いに越したことがない。一円でも多く売り上げを伸ばしたい」と。
平社員が課長に昇進するとその瞬間から課長としての思考を始めます。
共産主義国家の人は共産者としての思考をし、キリスト教の信者は、キリスト教者としての思考をします。
人は誰もその立場となった時、その者の思考を開始するのです。
無限の立場を選択したあなたはその瞬間から創造主としての思考を開始します。
「どうなろうか」ではなくて、「何を産み出そうか」と思考がシフトします。
有限の立場から始まったあなたの自我という名の自動ロボットは、無限者の立場を選択したときからその流れを逆転し、自我の解放に向けて自動運転を始めます。
あなたの自我があなたの味方となる瞬間です。
「創造された者」から「創造する者」へのシフトです。
自動ロボットの
反転のスイッチを押せるのは
あなただけです。
あなたが創造主の立場を
選択したとき、
他人は全て
あなたを進化へ導く
協力者以外の
何者でもなくなります。
敵がいなくなるのです。
なわち無敵となります。
起きてくる現実の全てが、
あなたが自身の
自我に気付くための
メッセージへと変わります。
あなたの環境全てが
愛の化身であったことに気付きます。
もう誰とも
「競う」必要が
無くなります。
あなたの敵は
唯一あなただけとなります。
もう人を
変えなくても済むのです。
自分の意識を
変えるだけでいいのです。
分離へ突き進んでいた
「自我」という名の
自動ロボットは、
あなたの
「無限者としての立場の選択」
という
スイッチの切り替えにより、
これからは
自我の解放へと運転を
始めます。
統合へ向けた自動操縦が
始まります。
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