https://ameblo.jp/tomoohanashi/entry-12280711396.html 【俳句のひとつの要ー切れ】より
俳句の素人が何を書くか、とお叱りを受けるかもしれないが、俳句を書いて読んできてこれは要のひとつだなと思うことがあるので、書いてみようと思う。
先ず、下の桑原武夫が並べた句を読んでみよう。桑原武夫が「大家と素人の区別のつかない俳句界」「平板な大衆性を脱出しえない俳句」と俳句について書いたのは昭和二十一年である。それ以後この問題提起に対して誰が何を書いたか記憶から綺麗に飛んでいる。年月と病気が原因だが、だからこそ今、自分で考えてみたい。
桑原武夫が「俳句第二芸術論」を唱えた時、彼は無意味な学校教育での俳句教育はやめるべきだとまで言った。私は賛成はしないが、俳句とは何か教えず、五七五で書きなさいという教育は本質に届かまま勘違いをさせる原因だと思う。
また、俳句に作者の説明を加えるのも不用だと思っている。書き終わったら読者に理解は任せるべきだと思うからだ。
私の俳句の定義は次の通りである。
①基本、五七五。但し、字余り、字足らずはあり得る。
②よって、尾崎放哉のは俳句でなく一行詩と考える。最近の句誌に一行詩が多いのは私は残念である。
③季語は必ずしも必要としない。季節のものが変わりゆく中で、季語は増えてきた。この言葉を季語と認めるかどうかという判断が必要なら、どちらでも良いというのが私の考えである。
さて、桑原武夫は専門家と一般人の句、それぞれ十句と五句を並べ、読者が判別できるか、できないとしたら、それが俳句の作句に専門性がないことであるを示すと書いた。
1.芽ぐむかと大きな幹を撫でながら 2.初蝶の吾を巡りていづこにか
3.咳くとボクリッとベートヴェンひゞく朝 4.粥腹のおぼつかなしや花の山
5.夕浪の刻みそめたる夕涼し 6.鯛敷やうねりの上の淡路島
7.爰に寝ていましたといふ山吹生けてあるに泊まり 8.麦踏むや冷たき風の日のつゞく
9.終戦の夜のあけしらむ天の川 10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
11.腰立てし焦土の麦に南風荒き 12.囀や風少しある峠道
13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと 14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
15.柿干して今日の独り居雲もなし
さて、この十五句から一般人の五句を見抜けるだろうか。
2.6.9.10.12.13.14.ーーーーどうしてもあと二句判断できない。
2.初蝶の吾を巡りていづこにか 6.鯛敷やうねりの上の淡路島
9.終戦の夜のあけしらむ天の川 10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
12.囀や風少しある峠道 13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと切れ字
14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
特徴ある3と7はわかりやすく、あといくつかの句は判断できたというより多分で選んだ。それでもこの七句が悩ましい。この中に専門家の作品でない句が二句入っているわけだ。
答えは、6と9である。ーーーー理由を考えてみると、6.鯛敷やうねりの上の淡路島、は「や」の切れ字を使っているが、意味は切れておらず、「切れ」が生きていないこと。9.終戦の夜のあけしらむ天の川、は「あけしらむ」と「天の川」の間に間があるが、上五七と下七の間に意味やイメージの距離がなく、句全体がひとつの流れになっていること。これが判断の基準であろうか。
「切れ」について弟子の土芳の『三冊子』を通して、芭蕉はこう語っている。
「切字なくても切るる句あり」
またそれは切れ字を用いていても切れていない場合もあることも意味する。
「発句の事は、行て帰る心の味也。たとへば『山里は万歳遅し梅の花』という類也。『山里は万歳おそし』といいはなして、『梅は咲り』という心のごとくに、行きてかへるの心、発句也。ーーーー先師も『発句はとり合物と知るべし』と言へるよし」
切れによって、違う二つをひとつの句の世界で味あう妙、それが俳句の要のひとつのように思う。
だいぶ昔に書いたが、修正しないことにした。
http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2008_02.html 【現代俳句における「切れ」と「切字」】より 安 居 正 浩
句会などで「その句には切れがないんじゃない」と自分の句を指摘され、どぎまぎすることがある。
俳句としての重要な要素は、「季語」と「五・七・五の十七音字」そして「切れ」の三つと言われる。季語の指摘なら歳時記を見ればわかるし、五・七・五は指を折ればすぐわかる。しかし「切れ」は、や・かな・けりなどの切字があれば、切れているだろうというぐらいの認識である。加えて動詞や形容詞の活用などの、文語文法もからんでくるから厄介である。
「出航」の方にも多数ご出席いただいた「沖」主催の「能村登四郎七回忌同門俳句大会」で、今瀬剛一「対岸」主宰の特選になった句に、
卵焼好きな男と花むしろ 徳植よう子 という句があった。
私はこの句を読んで次のように鑑賞した。
作者は今、卵焼の好きな男と花筵にいる。何人かでのお花見であろう。卵焼が好きだというぐらいだから、少し軟弱な性格の男なのかもしれない。酒を飲んだくれている男達にまじって、誰かが持参した卵焼を静かに食べている。作者はその男がなんとなく気になっている。
今瀬主宰は講評で、この句は二つの解釈が出来て面白い。好きなのは卵焼か男か。すなわち上五で切れるか切れないか、の二通りに読めるとした。
切れないとすると、私の鑑賞のように、卵焼を好物にする男といま花筵にいるとなる。上から読み下せる一物仕立の句。一方上五で切れるとすると、自分の好きな男と花筵にいるとなり、卵焼は取り合わせになる。
その後、今瀬主宰の話しは、作者の年令予想に移り、最後には作者本人の登場となって会場は大いに湧いた。楽しい講評だったのだが、一つひっかかったのは取り合わせで読めるか、言い換えれば上五で切れるのかどうかということであった。
例えば同じように男を読んだ句で、
秋風やつまらぬ男をとこまへ 日野草城
がある。この句は「や」という切字があり「秋風や」で切れるとはっきりわかる。
では「卵焼好きな男と花むしろ」の句はどうか。上五に切字はない。意味の上でも中七とつながって読めてしまう。しかし上五に軽い切れがあると読めば読めないこともない。非常にあいまいなのである。
句もあいまいだが、あいまいさは「切れ」や「切字」そのものにも存在する。
この「切れ」や「切字」を複雑にしたのは、芭蕉にも少なからず責任がある。
芭蕉の論として土芳が記した『三冊子』に、「切字なくては発句の姿にあらず、付句の体なり」(切字が無ければ、発句でなく付句である)とはっきり言う。
ところがその後に「切字を加へても、付句の姿ある句あり。(中略)また切字なくても切るる句あり」(切字があっても切れない句があり、切字がなくても切れる句がある)と付け加えるのである。
同じように『去来抄』に「いまだ句の切るる切れざるを知らざる作者のため、先達、切字の数を定めらる。此の定め字を入るる時は、十に七八は自ら句切るるなり」(先達が十八の切字を決めたが、この切字を入れれば十に七、八は切れる)と言い、ここでも切字があっても切れない句があることを匂わす。
そうかと思うと、『去来抄』には、「切字に用ふる時は四十八字皆切字なり。用ひざる時は一字も切字なし」などとも言う。
こうなると切字や切れは、作者や読者の意図次第と言っているようにも読める。
では「切字」や「切れ」をどうやって見分けるの?芭蕉さん、と聞きたくなるのだが、芭蕉はしゃーしゃーと「切字の事は連俳ともに深く秘(ひす)。猥(みだり)に人に語るべからず」と秘伝だと言ってわずかの説明で逃げてしまうのである。
だから後世の学者や俳人が芭蕉の言を都合よく利用して、いろいろに解釈してしまうこととなった。
たとえば
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
の句、私は「や」の切字があるから、当然上五で切れる取り合わせの句と理解していた。
山本健吉は「古池や」の句は、形は「初五に〈や〉の切字を入れ、下五を体言で結んで、(中略)二句一章の典型的な構成様式を取っている」、しかし「や」が「俳句独特の微妙なニュアンスを附け加えて」おり、「厳密に言えば二つのものの取合せではなく、一つの主題の反復であり、積重ねであると言うべきである。(中略)〈古池〉の句を其角のように〈山吹〉と置けば取合せとなり、二物映発の上に濃厚な季的情趣を発散させているのである。だが芭蕉はこれでは満足出来なかった。さりげなく〈古池〉と置くことによって強い詠嘆の語調も押殺し、句を一枚の黄金と化す」(俳諧についての十八章「や」についての考察)と、一物仕立の句であると言う
山本健吉は一物仕立の句と見たとき、「切れ」について直接的には言及していないが、「や」は切字ではあるが上五で切れていないという見解であろう。
現代俳人の長谷川櫂は、この場合「や」は「現実の世界と心の世界の境界を示す」切字であると断定し、上五で切れるからこそ芭蕉開眼の句になったのだと言う。
そのほかにも「や」は「に」と同じだと言う人もいれば、芭蕉の言う口合いの「や」で切字でなく口調を整えるだけのものであるという人もいる。
この一句だけの見解をとっても「切れ」と「切字」問題の複雑さがわかる。
芭蕉時代の発句が、正岡子規により俳句と呼ばれるようになり、「切れ」と「切字」の問題はあいまいなまま現代俳句に引き継がれている。
俳句は俳諧の発句が独立したものだから、俳句であるためには「切れ」や「切字」が必ず必要であると主張する人がいる。これらの人たちは現在の俳句雑誌には、切れのない句すなわち俳句でない句が氾濫していると警鐘をならす。
しかし私は現代俳句をどう考えるかは、別問題ではないかと考えている。
俳句に「切れ」や「切字」を使うことで、句の奥行きがひろがり、きりっとした風格や品位が生まれることを否定しない。だから俳句を作るには今後とも有効な方法である。しかし現代俳句の最低限のルールとしては、有季定型(季語と十七音字)で十分ではないだろうか。
俳諧において「切れ」や「切字」は、発句であることの一番の条件であった。しかし江戸時代の切れ味重視の時代から、現代は雰囲気を重んじる世界に変わっているように思う。毎日どんどん生み出されている切れのない句(平句めいた句)にも、現代俳句としてそろそろ確かな位置を与えてもいいのではないか。
バレーボールは六人制が主流になり、柔道着が白からカラーに変わったように、正岡子規のいう俳句と現代俳句が違っていて当然である。
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
この句に、「にて留めはよくない」と非難が出たのに対し、其角と去来がそれぞれ理由をつけて、この句は発句であると擁護した時、芭蕉は「角・来が弁、皆理屈なり。我はたゞ花より松の朧にておもしろかりしのみ」(其角と去来の言うことは理屈だ。私はただ、花より松が面白かっただけだよ)と言ったと去来抄にある。この芭蕉のとぼけたようなおおらかさを真似て、現代の私たちも発句の呪縛からそろそろ抜け出していい時期でないかと思っている。
*『三冊子』『去来抄』の原文の後ろの( )内は筆者口語訳
参考文献
『俳句私見』山本健吉 文藝春秋 昭和58年1月30日
『芭蕉と現代俳句』林翔 角川書店 平成7年9月1日
『芭蕉百名言』山下一海 富士見書房 平成8年6月30日
『芭蕉の言葉―去来抄新々講』復本一郎 邑書林 平成
11年4月10日
『古池に蛙は飛びこんだか』長谷川櫂 花神社 平成17年6月10日
(俳句雑誌『出航』第29号より転載)
http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2010_10_01.html 【現代俳句の切れについて】より
堀口 希望
一、はじめに
「沖」の俳句は切れがあまい、という評をときどき耳にする。
過日、図書館で調べものをしていたら『俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である』(清水杏芽・平成11年・沖積舎)という本が目に付いた。著者は、俳句は十七音字・季語・切れを三要素とするが、十七音字も季語も詩を生む力を欠いており、「只有形無形の『切レ』のみが詩を生む力を持ち、十七音字と季語を含めて詩である俳句を生んでいる」と述べている。
そして、能村登四郎の〈長靴に腰埋め野分の老教師〉は「老教師」で切れているとする石田波郷の解説を批判し、また、飯田龍太の〈大寒の一戸もかくれなき故郷〉は「故郷」で切れているとする草間時彦の解説を批判している。要するに両句は「老教師」「故郷」で切れていないというのである。切れていないから俳句でない、と主張しているのだろうと理解した。
また、俳人協会の機関紙「俳句文学館」の第400号(平成16年8月5日)に渕脇護は「切れ字の危機」という一文を書き、「や」「かな」「けり」を使った俳句はご老体の慰み物めいているが、「しかし、依然として俳句では『や・かな・けり』を中心とする『切れ字』が、俳句の全生命を左右する」と主張している。
一方、筑紫磐井は雑誌『俳句』(平成15年3月号)の「現代俳句時評―現代俳句と切れ」の中で「〈上五に切字「や」を置き下五を名詞止めにする句〉を典型的な切れのある句と考えれば、登四郎は現代俳句は切れを持たないほうがよいと考えていたことになる。実際、能村登四郎は伝統俳人の中でも切れのない俳句が顕著であり、むしろ積極的に現代俳句は切れのない俳句から生れると見ていた節がある」と述べ、切れの無さを肯定的にとらえているように思われた。
このような諸説に触発され、現代俳句においては「切れ」の有無をどう考えたらいいのか、自分なりに答を出してみたいと思ったのが、この小論に取り掛かった動機である。
二、芭蕉までの切字論
私が問題にしているのは現代俳句における「切れ」である。しかし、現代俳句は芭蕉に代表される「俳諧の連歌」(以下、俳諧という)の発句に由来し、俳諧は平安時代末期に発生した連歌を踏襲したものである以上、現代俳句の「切れ」を考察するについても連歌の発句に遡らざるを得ない。ここでは、論旨上必要最少な範囲で連歌の発句の「切れ」(連歌の時代の言い方としては、「切字」であるが)について触れたいと思う。
連歌の発句の切字について論ずる場合、どの論も必ず最初に触れるのは『八雲御抄(やくもみしょう)』(順徳院)である。『八雲御抄』は鎌倉時代の歌論書であるが、その中で既に「発句は必ずいひきるべし」と述べている。
では、「いひきる」(後世の「切る」と同義語)とはどういうことか。これについて川本皓嗣は二つの意味があり、二つは表裏一体の関係にあるという(『俳句教養講座俳句の詩学・美学』平成21年・角川学芸出版)。一つは「最後まで言い終わり、叙述を完結させること。具体的には、ひとまずセンテンスを終止させること」であり、もう一つは「第二句以下の助けを借りてはならない、後続の句とはきっぱり『切れよ』ということ」であるという。川本はこの二つを「一句としての完結性」と「第二句からの独立性」と端的に表現している。
こう言えば、どんな文章であれ、詩であれ、歌であれ、句であれ、完結性と独立性を持つのは当たり前だ、と思われるかもしれない。しかし、連歌においても俳諧においても、一句として完結し独立しているのは発句だけであり、第二句(脇句)以下は独立せず、前句とセットになって一つの世界を形づくり次の句にバトンタッチするのである。
『八雲御抄』から約百年後(足利尊氏の時代)の連歌学書『連理秘抄』(二条良基)は「かな」「けり」「らむ」をもって切字(という言葉は使っていないが)を例示しており、その後も時代を追って切字の数は増えていった。
切字の目的を別の面から見れば次のように言うこともできる。
川本は言う。連歌の発句には切字以外にもいくつかの制約がある。短句(七七)でなく長句(五七五)であること、季語が入ること、格調が高いこと等である。しかし、奇数番目の句はみな長句であるし、雑(ぞう)の句以外にはすべて季語が入るから、長句と季語だけでは発句か付句か区別が付かない。格調が高いことも発句の条件であるが、格調の有無は読む人の解釈や印象に左右されるから客観的な価値基準とはなり得ない。そういう事情で、切字が工夫された。発句は必ず切字を用いる、発句以外には切字を使わない。すなわち、切字があれば発句、なければ付句であると。
三、芭蕉の切字論
俳諧のルールは連歌を踏襲したものであり、テキストとしても『八雲御抄』『連理秘抄』などの歌論書や連歌論書を用いてきた。切字」についても同様で、いかなる文字をもって切字とするか限定し、その文字を使えば発句、といういわば形式論に終始していた。
しかし、芭蕉に至って切字論は質的に変化した。すなわち切字という形式論から「切れ」という本質論に変化したのである。
芭蕉の切字(「切れ」)観は、弟子達の著述の中に散見されるが、私は特に次の二つの論に注目したい。
①『三冊子』は芭蕉の弟子である服部土芳が生前の師の言説を纏めた俳論書で、芭蕉晩年の主張と芸境をもっとも忠実に伝えるものといわれているが、この中で芭蕉の切字(「切れ」)観を端的に示すものとして次のように述べている。
「切字なくしては発句の姿にあらず、付句の体(てい)也。切字を加へても付句の姿ある句あり。
誠に切れたる句にあらず。又、切字なくても切るる句あり。その分別、切字の第一也。その位は
自然と知らざれば知りがたし」
芭蕉は「切字なくしては発句の姿にあらず」と、連歌以来の考え方を継承しつつ、「切字」があってもなくても、切れる句は切れ、切れない句は切れない、大切なことは「誠に切れる」ことで、それは自得するしかない、と言っている。ここで芭蕉は発句の「完結性」と「独立性」を、切字という形式ではなく、「切れ」という実質で考えており、芭蕉以前の切字観を抜け出している。
②もう一つ注目したいのは、芭蕉の句「辛崎の松は花より朧にて」についてのエピソードである。このエピソードは『去来抄』(向井去来が師の没後に著した俳論書)や『雑談(ぞうたん)集』(宝井其角編・俳諧撰集)などに見られるが、ここでは栗山理一の『芭蕉の俳諧美論』(昭和46年・塙書房)を参考にして『去来抄』の文章を要約したい。
〈辛崎の松は花より朧にて〉(句意―湖水一面朧ろに霞みわたる中、湖岸の辛崎の松は背後の山の桜よりさらに朧ろで風情が深い)について、伏見の俳人がこの句は「にて留め」で切れがないから発句ではないと難じたのに対し、其角は「にて」は「かな」と同じように使われるとし、この句の場合、「かな」とすると句調が差し迫って感じられるので、「にて」とゆったり留めたのである、と弁護した。呂丸は其角の解釈に同意しながらも、これは発句ではなく第三(脇句の次の第三番目の句)であるとした。去来が言う。この句は第三ではなく、やはり発句である。第三は発句・脇句の句想から転ずるから、考えてこしらえるものである。もしこの句が考えて作られたものなら、句の価値は第二等に堕ちるだろうと。これに対して芭蕉は、いずれの見解をも斥けて、「我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と断じている。
このエピソードに関し栗山は非常に興味深い見解を述べている。芭蕉は「もはや切字の有無を思料する域を離れて、ただ眼前の風光に触発されて生動するものを打ち出そうとしたまでだと極言する。いいかえれば、純粋な感動をこそ詩的真実とする芭蕉にとっては、詩的真実の発見には語法も従属すべきであるという傲慢もあえて許されてよいとする自侍があったのではなかろうか」というのである。
芭蕉は切字について「むかしより用ひ来る
文字ども用ゆべし」(『三冊子』)というようにかなり保守的であったが、それは初心者への指導的配慮という一面が強かったからではなかろうか。より本質的には、切字があろうとなかろうと、切れている句は切れており、切れてない句は切れてない、「切字に用ふるときは四十八字皆切字」(『去来抄』)というところにあり、究極は「辛崎の」の句のエピソードから推察されるように、切字(「切れ」)の有無はどうでもいいことであって、眼前の風光に触発された詩精神(純粋な感動)をどう表現するかということだけが問題だったのではないか、と思われる。この点は、現代俳句の切字を考える上でも極めて示唆に富むのではなかろうか。
四、子規・虚子以後の切れ論
さて、芭蕉の時代を頂点とし、その後も明治の中期まで連綿と続いてきた俳諧を徹底的に破壊し、しかしその発句だけは生かし、これに「俳句」の名を冠して新たな文学(芸術)に仕立て直したのが、正岡子規の俳句革新運動であった。
子規が俳諧を攻撃したそのイデオロギーは西洋近代の芸術思潮であり、具体的には「個性」と「写生」の尊重にあった。俳諧は、数人が寄り集まり(座)、一定のルール(式目)のもと、交代で詠み繋げ、三十六句(歌仙)あるいは百句(百韻)をもって一巻とする、しかもそこには宗匠の手が自在に入る―このような遊芸であった。芭蕉の俳諧に対する真摯な姿勢に対してこれを遊芸と決め付けるのは如何なものかとも思うが、西洋近代の芸術観からすれば俳諧は遊芸であったし、少なくとも幕末、明治中期の俳諧は全くの遊芸だった。このような遊芸は子規にとっては到底文学とはいえなかったであろう。
子規はこのような観点から俳諧を捨てる一方で、発句は「個性」と「写生」を盛り込む器たり得るから文学たり得る、と考え、発句の革新に取り組み、俳諧から切り離した新たな文学として俳句文学を確立したのである。
では、子規は俳句に形として何を求めたか。どうも季語と五七五定型だったらしく、『獺祭書屋俳話』(明治26年)『俳諧大要』(明治33年)等を繙く限り「切れ」については殆んど論じていないようである。
子規の後継者の高浜虚子も切れについては大らかだったようで、『定本虚子全集・俳話集(二)』(昭和24年・創元社刊)の「第五編・切字」では「切字の論の如きは左程大切なることとも覚えず」と言い、「兎も角も十七字をならべて、一の中心ある意味を顕はさんとする時は、自然に何処かにて切れるやうに言葉を配列することを常とし、却て切字についての小六ヶ敷議論を耳にする時は、天真爛漫の句を為すこと能はざるが如し」とも言っている。
もっとも、復本一郎の『俳句実践講義』(平成15年・岩波書店)によると、虚子も晩年には「切字」を重視する立場をとっており、昭和30年12月4日付の朝日新聞では「『や』『かな』の如き切字は十七音(五七五)と共に俳句の骨格を成すものである。(略)自から俳句という一つの詩の、根本の形を規定してゐるものである。(略)『切字』というものが問題にされず、従来の俳句らしい調子が無視された現代の一部の傾向は決して愉快なものではない」と論じている由である。
では、子規・虚子後はどう考えられているのだろうか。
「切れ」絶対論者は冒頭にあげた清水杏芽であろう。何しろ書名が『俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である』というのであるから。清水は子規・虚子の不徹底な切字観(例えば「虫の声」というような名詞止めの句でも「虫の声かな」の省略されたものと見ればいいという論の如き)が、現代俳句百年の間違いの因と指弾し、「切れ」の絶対性を主張している。
石田波郷も(これも復本によると)結社誌「鶴」の昭和17年11月号で「韻文、特にわが俳句では、表現の核といふものは絶対に厳重でなければならない。自分はこのために、『や』『かな』『けり』を必ず用ひよ、といふことを敢て言った」と述べ、「切れ」の重要性を強調している由である。
概ねの論者は、ニューアンスの相違こそあれ「切れ」を絶対視あるいは最重要視しているようである。
これに対して、「切れ」不要論は(私の調査不足があるのかも知れないが)ほとんど見ることができなかった。
五、私見
以上、「切れ」(以下「切字」を含む)の歴史を概観し、「切れ」は俳諧の発句を一句として完結せしめ、しかも第二句以下から独立させるために無くてはならない修辞法であることを知った。
また、「辛崎の松は花より朧にて」の句により、芭蕉は究極には「切れ」よりも純粋な詩的感動をどう表現するかの方を重要視したのではないか、ということも見てきた。
そして、子規の俳句革新運動により、俳諧(その俳諧こそが「切れ」を必要とした)は徹底的に破壊され、発句のみが俳句に姿を変え現在に至っていることも見てきた。
では現代の俳句は「切れ」の有無についてどう考えればいいのであろうか。
私の結論は次の三点である。
① 子規の俳句革新運動によって興った俳句と
いう文学は、俳諧の発句に由来するが、もはや発句ではない。脇句以下を切り離した俳句という新しいジャンルの文学である。したがって発句の約束事(例えば挨拶性など)に束縛される必要はない。「切れ」の有無も然り。俳句は「切れ」から自由である。
(「俳諧の約束事」といった場合、「五七五定型」「季語」をどう考えるかという問題が生ずるが、別の次元である。)
②それでは、俳句にとって「切れ」は無意味かといえば、そのようなことはない。このように言うと、①と矛盾すると受け取られるかも知れないが、言いたいことは「切れ」は絶対不可欠のもの(俳句の本質)ではないが、僅々十七音字が文学(詩)たり得るためのすばらしい修辞法であるということである。僅か十七音字によって読者に作者と同じ感動を共有してもらおうとしたら、あるボリュームの感情なり、思想なり、出来事なり、情景なりをその中に盛り込まなければならなく、いきおい言葉の節約や省略や飛躍が必要になる。また詩である以上、詩としての調子も欲しいし、余韻も欲しい。ここに「切れ」の価値があるのである。繰り返して言えば、俳句にとって「切れ」は絶対不可欠なものではないが、俳句を文学たらしめる上で非常に有効・有用なものである。
③私達は「切れ」のない俳句、あるいは「切れ」のあまい俳句にも積極的にチャレンジしていいのではなかろうか。芭蕉が「辛崎の松は花より朧にて」のエピソードで「我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と断じた姿勢は俳句の句作にも参考になるのではなかろうかと思う。要するに俳句は季語を伴う五七五定型の詩であり、その値打ちはひとえに詩精神の有無とその表現如何によるのである。「切れ」があっても詩といえない五七五が世の中に氾濫しているし、「切れ」がなくても立派な俳句もあるのである。
以上、三点にまとめて私見を述べたが、そもそも「切れ」の有無の判定はむずかしい。冒頭、清水が「切れ」のない句として挙げた
長靴に腰埋め野分の老教師 登四郎
大寒の一戸もかくれなき故郷 龍太
は、次の二句とどう違うのだろうか。
送られつ送りつ果ては木曾の秋 芭蕉
去年今年貫く棒の如きもの 虚子
ちなみに、この芭蕉と虚子の句は林翔が「体言(名詞)の切字」の例としてあげた句である(『芭蕉と現代俳句』平成7年・角川書店)。 私には上記四句のどの句の何処に「切れ」があり、どの句にないのか分からない。しかし四句とも立派な俳句であると考える。
このような曖昧な「切れ」を絶対的なものとしてもしようがない。必要に応じ「切れ」を十分に生かしつつ、場合によってはそれを無視する姿勢も必要であろう。
(「沖」平成22年10月号より転載)
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