堀田季何氏

https://gendaihaiku.gr.jp/about/award/association_award/page-9904/ 【現代俳句協会の賞現代俳句協会賞第77回 堀田季何】より

2021年度 第77回受賞者 堀田季何(ほった・きか)

1975年生まれ、主に、東京、広島、米国で育つ。

2009年 第2回石川啄木賞(短歌部門)受賞。

2010年 第3回芝不器男俳句新人賞齋藤愼爾奨励賞受賞。

2016年 歌集『惑亂』により平成28年度日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞受賞。

2018年、「俳句王国がゆく」北海道浦河町編俳句チャンピオン。

2020年 楽園俳句会を結社。

2021年 俳誌「楽園」創刊、主宰、現在に至る。

2022年 句集『人類の午後』で2021年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

国内外の文学祭や詩祭に参加する他、俳句を中心に、多言語多形式で執筆。

「楽園」主宰、「短歌」同人。現代俳句協会会員、同協会幹事、兜太現代俳句新人賞選考委員、全国俳誌協会新人賞審査員、センバツ!全国高校生即吟俳句選手権審査員、詩歌トライアスロン選者。現代歌人協会、日本歌人クラブ、日本国際詩人協会各会員。

句集に『亞剌比亞』(2016年)、『星貌』(2021年)、『人類の午後』(2021年)、歌集に『惑亂』(2015年)。他に訳書や共著。

『人類の午後』自選五十句   堀田季何

水晶の夜映写機は砕けたか             息白く唄ふガス室までの距離

戦争と戦争の間の朧かな              鳥渡るなり戦場のあかるさへ

少年少女焚火す銃を組立てつつ           自爆せし直前仔猫撫でてゐし

雪女郎融けたる水や犬舐むる            満月や皆殺されて祀らるる

迷彩の馬駆けめぐる桜かな             花の樹を抱くどちらが先に死ぬ

宝舟船頭をらず常(とは)に海            懇ろにウラン運び来宝船

エレベーター昇る真中に蝶浮ける          紋白蝶重し病者の鼻梁には

白蝶の己が軌跡をなぞるとき            歪みつつしやぼん玉デモ隊の上

しやぼん玉水面にとまる円きまま          斑蝶斑蛾斑蝶斑

うち揚げられし魚へ夏蝶とめどなし         法案可決蠅追つてゐるあひだ

吾よりも高きに蠅や五六億七千万年(ころな)後も   霧のなか霧にならねば息できず

みな聖樹に吊られてをりぬ羽持てど         正方形の聖菓四ツ切正方形

ぐわんじつの防弾ガラスよくはじく         双六に勝つ夭折のごとく勝つ

とりあへず踏む何の絵かわからねど         汝が夢をはる吾が春の夢のなか

囀れりわが宍(しし)を喰ひちらかして        地球儀のどこも継目や鶴帰る

こどもの日ガラスケースに並ぶ肉          噴水や生前生後死前死後

白百合やわが遺伝子のやがて屑      かき氷青白赤(トリコロール)や混ぜれば黎(くろ)

星涼し聖母の顔は画家の妻             万緑を疾走す血の乾くまで

張りぼてを蹴つて西日に突きあたる         向日葵や人撃つときは後ろから

箱庭は橋落ちてをり岸に人             猫転がり人寝転がる原爆忌

人糞も化石にならむ敗戦日             人間を乗り継いでゆく神の旅

神還るいたるところに人柱             石段のはては祭壇冬銀河

首振つて白鳥闇を受容れぬ             寒林を出づ樹にされてしまふ前

撃たれ吊され剥かれ剖(ひら)かれ兎われ      日の本の中心や色変へぬ松

泳ぐなり水没都市の青空を            タイムマシン着くどこまでも夏の海

http://petalismos.net/tanka/kanran/kanran320.html 【第320回 堀田季何『人類の午後』】より

義眼にしか映らぬ兵士花めぐり         堀田季何『人類の午後』

 邑書林から昨年 (2021年) の8月に刊行された堀田の句集『人類の午後』が俳句の世界で評判になっているという。同時に『星貌』という句集も刊行されているが、『星貌』は第三詩歌集、『人類の午後』は第四詩歌集と銘打たれている。『星貌』には付録として「亞刺比亞」という句集が収録されている著者の解題によると「亞刺比亞」は、日本語・英語・アラビア語の対訳句集としてアラブ首長国連邦の出版社から2016年に刊行した第二詩歌集であり、『星貌』に収録されているのはその日本語の原句だという。すると本コラムでも取り上げた歌集『惑亂』(2015年) は第一詩歌集ということになる。

 『惑亂』のプロフィールでは堀田は春日井建最後の弟子で、中部「短歌」同人となっていたが、『人類の午後』のプロフィールでは「吟遊」「澤」の同人を経て、現在は「樂園」を主宰しており、現代俳句協会幹事という肩書まで持っているという。いつの間にか句誌を主宰していて、どうやら現在は短歌ではなく俳句を中心に活動しているらしい。おまけに「樂園」は有季・無季・自由律何でもありで、日本語の他に英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語などでも投句可能だという。幼少より外国で暮らし、他言語話者である堀田ならではの自由さだ。

 句集題名の『人類の午後』からは、ブライアン・オールディスのSF小説『地球の長い午後』(1962) が連想される。舞台は太陽が終末期を迎え、自転が停止した未来の地球である。太陽を向いた半球は熱帯、その裏側は極寒となり、人類の子孫たちは巨大化した植物や昆虫に怯えながら暮らしているという黙示録的な設定である。堀田の句集もまた、決して明るいとは言えない人類の未来を幻視しようとしているかのように思われる。

 跋文で堀田は次のように書いている。「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々な性さが及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。」古代より変わらない人間の性とは「愚かさ」であろう。また次のようにも書いている。「時間も空間も越えて、人類の關はる一切の事象は、實として、今此處にゐる個の人間に接續する。」つまりずっと昔の事件も、遠く離れた異国で起きた出来事も、廻り廻って今ここにいる〈私〉と地続きだという認識である。

 堀田が跋に書いたことは、句にどのように表現されているだろうか。句集を一読してまず目に止まるのは次のような句である。

水晶の夜映寫機は砕けたか            息白く唄ふガス室までの距離

片陰にゐて處刑䑓より見らる           ヒトラーの髭整へし水の秋

花降るや死の灰ほどのしづけさに

 一首目の水晶の夜は1938年の11月にドイツで起きた反ユダヤ暴動で、割られ散乱した窓ガラスの輝きからこの名が付けられたという。二首目もナチスによるユダヤ人処刑の場面で、季語は「息白く」。三首目も処刑の場面で季語は「片陰」。四首目はかのヒトラーも理容院で髭を整えただろうという句。ヒトラーの髭をあたった理容師もいたはずだ。五首目は原爆あるいは水爆の死の灰を花に喩えた句。ムルロワ環礁での水爆実験と取ってもよいが、かの地には桜はないだろうから、そうすると幻視の句になる。

 堀田の言う、人間に関わる一切の事象は時空を超えて今ここに接続するというのはこういうことである。これは単に歴史的事件に素材を得たり、世界史的な時事問題を句に詠み込むということとはちがう。水晶の夜やガス室や死の灰という過去の出来事と、今ここにいて呼吸している私たちとは直に繋がっているのであり、私たちは過去の出来事に不断に思いを致さねばならぬということである。

 次のような句には、大きな出来事がより間近に迫っているような緊迫感が感じられる。

戦争と戦争の閒の朧かな           ミサイル來る夕燒なれば美しき

ひややかに砲塔囘るわれに向く        基地抜けて倭やまとの蝶となりにけり

法案可決蝿追つてゐるあひだ

 一首目、人類の歴史は戦争の歴史であり、平和に見える現在は先の戦争と次の戦争の間に挟まれた一時に過ぎないという句。二首目、北のかの地より飛来するミサイルとも、未来の戦争と取ってもよい。三首目、自分の方向に向けられる戦車の砲塔は、迫り来る戦争の喩である。四首目、米軍基地の中を飛んでいるときはアメリカの蝶だが、基地を抜けると日本の蝶になるという句。五首目を読んで、安部内閣が国会を通過させた安保関連法案を思い浮かべる人は多かろう。

 人類を襲うのは戦争の脅威ばかりではない。自然災害もまた人類の午後の予兆でもある。

地震なゐ過ぎて滾滾と湧く櫻かな        花疲れするほどもなし瓦礫道

春雪や死者の額ぬかから潮うしほの香      草摘むや線量計を見せ合つて

 一首目や二首目はどこの場所の光景でもよいのだが、どうしても東日本大震災が日本を襲った春に咲いた桜を思い浮かべてしまう。三首目も津波で流された人の額であろう。四首目は大震災に続いて起きた原子力発電所の苛酷事故によって大量に飛散した放射性物質を詠んだ句である。私たちはかの春にベクレルやシーベルトという聞き慣れない単位を覚えてしまった。

 このような時事問題を詠んだ句が読者にとって押しつけがましくないのは、堀田が主義主張を声高に詠むのではなく、出来事をいったん受け止めて、それを心の中で沈潜させて得た上澄みを、「花疲れ」や「草摘む」などの伝統的な有季俳句の季語の世界にまぶして提示しているからである。栞文を寄せた高野ムツオは、「言葉に蓄えられた伝統的情趣をことごく裏切り拒絶し」、「これまで誰も見たことがなかった季語世界が出現する」と評している。

 もちろん本句集に収められているのはこのような句ばかりではなく、伝統に根差した有季定型の自然詠もあるが、そこにもおのずから独自の世界がある。

花待つや眉間に力こめすぎず         花篝けぶれば海の鳴るごとし

一頭の象一頭の蝶を突く           戀貓の首皮下チップ常時稼働

檸檬置く監視カメラの正面に

 三首目は機知の歌だ。私は大学で言語学概論を講じる時、「フランス語やドイツ語にある男性名詞と女性名詞の区別を皆さんは不思議だと思っているかもしれませんが、日本語にも同じような名詞クラスはあるのですよ」と言って、物を数える時に用いる助数詞の話をすることにしている。鉛筆は一本、箸は一膳、靴や靴下は一足、箪笥は一棹、烏賊や蟹は一杯で、大きな動物と蝶は一頭と数える。大きな象と小さな象が同じ数え方をすることで並ぶ面白さである。四首目の猫の首に埋め込まれたICチップは近未来的で、五首目の町中到る所にある監視カメラは現代的光景である。

 特に印象に残った句を挙げておく。

小米雪これは生まれぬ子の匂ひ             月にあり吾にもあるや蒼き翳

匙の背に割り錠劑や月時雨               エレベーター昇る眞中に蝶浮ける

うち揚げられし魚いをへと夏蝶とめどなし        落ちてよりかヾやきそむる椿かな

うすらひのうら魚形うをなりの紅こううごく       蟻よりもかるく一匹づつに影

薔薇は指すまがふかたなき天心を           人閒を乗り繼いでゆく神の旅

 ビルの中を上昇するエレベータに一頭の蝶が浮いているという四句目の浮遊感が美しい。また七句目は、冬の寒い日に池に氷が張り、その氷を通して泳ぐ緋鯉の紅が透けて見えるというこれまた美しい句である。私がその宇宙的なスケールの大きさに感心したのは最後の句だ。進化生物学の一部には、私たち人間を含めて生物は遺伝子の乗り物であるという考え方がある。これは個体の生と死よりも、種の存続と繁栄に重点を置く考え方だ。親から遺伝子を受け継ぎ、それを子へと伝えることによって種は存続する。川の浅瀬に飛び飛びに配置された石を飛んで渡る子供の遊びがある。これと同じように、私たちは遺伝子を後世に伝えるための置き石にすぎないというのである。置き石を飛んで渡るのは句では神と表現されているが、これはもちろんキリスト教のような人格神ではない。この世界を統べる自然科学的な原理である。

 『惑亂』の評の最後に私は「堀田の句集が読みたいものだ」と書いた。その願いは満たされたのだが、今度は堀田の次の歌集が読みたいものだ。瞑目して待つことにしよう。


https://horiei.jp/eden/about.html 【楽園俳句会】より

楽園俳句会は俳句・連句を中心とした詩歌結社です。

俳諧自由の理念に基づき、俳諧普及のため、堀田季何によって2020年3月20日に設立されました。

会誌「楽園」

電子媒体として隔月発行されます。

別途、総集編が紙媒体で年1回発行されます。

有季・超季・無季、定型・自由律、具象・抽象、伝統・前衛、全て「楽園」に投句可能です。

多行や特殊表記も一応可能ですが、誌面の制約上、掲載の難しい場合があります。

投句欄は2つあります。両方に投句できます。

⇒投句規定

【個個集】

スタンダードな雑詠欄です。日本語、英語、フランス語、中国語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語で投句できます。最大6句投句、最大5句選です。名前付の選で、作者の進化や方向性を重視します。

【球体集】

実験的な題詠欄です(季題はありません)。日本語、英語、フランス語、中国語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語で投句できます。1句以上投句できます(10句制限)。バトル・ロワイアル方式で、主宰が良いと思う句だけが掲載されます。無記名の選です。

主宰について

堀田季何

「楽園」主宰、「短歌」同人。

現代俳句協会理事、国際俳句協会理事、現代歌人協会・日本歌人クラブ・日本文藝家協会各会員。

句集により、芸術選奨文部科学大臣新人賞、現代俳句協会賞、高志の国詩歌賞、

歌集により、日本歌人クラブ東京ブロック優良歌集賞。

句集『亞剌比亞』・『星貌』・『人類の午後』、歌集『惑亂』、詩歌ガイドブック『俳句ミーツ短歌』他。

多言語多形式で創作。



コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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