俳句の潮流

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO59734020Z20C20A5BC8000/ 【外国人 短歌・俳句に新潮流】より

韻律や情緒、表現多様に

2020年6月1日 2:00 [会員限定記事]

外国人の歌人・俳人が日本語で書いた短詩型作品を発表する動きが広がっている。その作品と創作観からは、短歌・俳句の世界の潮流変化が浮かびあがる。

ソウル出身のカン・ハンナ(38)が昨年12月に刊行した第1歌集「まだまだです」(KADOKAWA)が歌壇の話題を集めた。カンは角川短歌賞佳作や次席に入選するなど、その実力が評価されている歌人だ。

〈大阪のたこ焼きの出汁が東京と違うと言い張る私がうれしい〉〈...


国際俳句は外国人俳人を育てる機能を持つとよいのかもしれません。


http://knt73.blog.enjoy.jp/blog/haikutosenryu.html 【俳句と川柳: 世界遺産へ小異捨て】より

俳句と川柳はどちらも諧謔・滑稽味のある俳諧連歌から発展した文芸であり、俳句は「発句」から発展し、川柳は「付句」から発展しました。 

「にもかかわらず、ユネスコ無形文化世界遺産登録への運動が俳句界のみなのは何故か?」 

その理由について最近ふと考えました。

(青色文字をクリックするとリンクされた関連の記事がご覧になれます) 

俳句の面白さは人事を含む花鳥諷詠にあり、諧謔・滑稽は川柳における風刺ほど強いものではありません。

川柳では人間の様々なありようを風刺して、その面白さを強く表現します。 

弱い立場のものが強い立場のものを風刺しすれば、「憂さ晴らし」になります。 

その逆をすると、「風刺」は「いじめ」になります。 

度の過ぎた風刺は風刺された者の不興を買い、予期せぬ争いの原因にもなるでしょう。  

しかし、「和」と「節度」を尊重する日本の川柳は、テロ事件の要因になった風刺漫画の轍は踏まないでしょう。

最近は「詩性川柳」という呼称の川柳もあるようですが、「川柳」という呼称に何故固執するのでしょうか?

「伝統俳句」が「季語」を重要な要素としているからでしょうか?

現代俳句には無季の句もあります。「季語」にあまり拘る必要は無いでしょう。 

日本は幸い四季のある自然と平和に恵まれていますが、地域によって季節の変動の仕方が異なり、災害もあります。  

世界には、四季が無く過酷な自然と戦争に苦しんでいる国もあります。   

俳句界のみが世界遺産登録の運動を推進するのは片手落ちだと思われますが、川柳界には川柳を俳句と共に世界遺産に登録しようという考えはないのでしょうか?

俳句界と川柳界が協調して、「俳諧世界遺産運動」とか「俳川世界遺産運動」とか、何か適切な呼称で登録運動を推進すれば、もっと運動が盛り上がるのではないでしょうか?

「俳句と川柳は室町時代の俳諧から発展して世界の人々に現在も愛されている世界一短い短詩形式である」と主張して運動を推進する方が、ユネスコの認定を得やすいのではないでしょうか? 

この考えに俳句愛好者と川柳愛好者が共に賛同してくれると、

世界平和と世界遺産登録の「草の根運動の一助」になればとの思いでブログを書いている筆者として、望外の喜びです。

高浜虚子は「俳諧に老いて好もし蕪汁」という俳句を詠んでいます。    

川柳擬きの拙句を最後に掲載させて頂きます。 

去年今年世界遺産の夢を句に 初夢や世界遺産の句に興じ 

川柳も俳句も同じ俳諧よ 果てしなき夢を追いつつ去年今年 

去年今年八十路の夢を茶寿までも    

皆さんは、上記の句を「俳句」と「川柳」のどちらに捉えますか?

英語など外国語に翻訳すると、いずれの句も俳句か川柳か全く区別がつかず、両者を区別する必要がないでしょう。そう思いませんか?   

真の世界平和は、「俳句」(HAIKU)が世界遺産に登録されても直ぐには実現しないでしょうが、その実現の夢を追って、「俳句を通じて世界平和を!」をモットーに、「俳句HAIKU」のブログ記事を書いています。


https://note.com/da4_men2/n/n2967adda4623 【無季俳句と川柳を区別したい】より

 発表するかわからないですが、今までの記事を再構成する川柳論を書いています。論文中で、無季俳句と川柳を比較検討した結果、川柳作家の方々が実感する「物」と「心」の比較が上手く出来たので、noteに共有したいと思います。

 無季俳句について、俳句の構成要素とも言うべき「季語」がない俳句というのが存在しています。現代俳句協会の取りまとめた『現代俳句歳時記』に「無季」の巻があります。掲載語を見ると、俳句は事物に「情緒」を託す表現であり、季節感はないけれども、強い情緒を覚える事物を「季語」として取り扱うことが「俳句」のアイデンティティを確保するものであると、無季俳句の理論を補強した意欲作です。

 以前、俳句と川柳を区別した方法があって、最も情緒を強く出しているフレーズが季語かそうでないかでやりましたが、同じ区別方法を用いたとき、無季俳句と川柳ではどうなるか比較してみましょう。

  見えぬ眼の方の眼鏡の玉も拭く  日野草城

  どんな日になるのか靴の紐が切れ  鈴木柳太郎

 一句目が無季俳句で、二句目が川柳です。

 まず、どのフレーズが最も強い感情を引き出すかを検討しましょう。草城句は「眼鏡」あたりが強い情緒を引き出してくれそうです。あるいは「見えぬ眼」としてもいいでしょう。無季俳句は、事物に強い情緒を与えています。一方で、柳太郎句は、事物を出しながら感情を詠みます。「靴の紐が切れ」が「どんな日になるのか」の言葉に「不安」の感情を与えます。すなわち、柳太郎句では「どんな日になるのか」という不安の感情が最も強い情緒として現れています。

 こうして区分することで、綺麗に「物」と「心」という比較ができました。最も強い情緒語による比較は、「俳句らしい川柳、川柳らしい俳句」と言われた時の一つの考え方として、ある程度有効そうです。

(参照文献)

・『現代俳句歳時記 無季」(2004 学研)

・樋口由紀子『金曜日の川柳』(2020 左右社)

・「無季俳句(むきはいく)とは? 意味や使い方 - コトバンク」

(https://kotobank.jp/word/無季俳句-1424644)


https://haiku-textbook.com/senryu-mukihaiku-chigai/ 【川柳と無季俳句の違い】より

まず、おおまかに大別すると「川柳には季語がない」「俳句には季語がある」という認識が一般的な常識です。

しかし、さきほどの序文でも述べたように、俳句には季語のない俳句「無季俳句」というものがあります。

では、「川柳」と「無季俳句」の大きな違いはなにかというと、以下の4点があります。

【川柳の特徴】

季語はあってもなくてもどちらでも良い

口語(話し言葉)

人情や時勢が主な題材となる

庶民的でユーモアがある風刺的な表現を用いる

決まりごとがなく概ね自由

【例】 大阪は よいところなり 橋の雨  作者:岸本水府(きしもと-すいふ)

季語:ありません

意味:雨が降る日に見る橋の袂や水面は、別れの涙や悔し涙はたまた喜びの涙など、さまざまな気持ちを映し出しているようで、川柳の題材に困りません。そんな橋が多く存在している大阪の街は、本当にとても良いところです。

【無季俳句の特徴】

季語がない

文語調(書き言葉)

情景や情緒が主な題材となる

文学的で味わい豊かな風流を感じさせる表現を用いる

細々としたルールによる縛りが多い

【例】 亡き母や 海見る度に 見る度に  作者:小林一茶(こばやし-いっさ)

季語:ありません

意味:生命の源である「母なる海」を見るたびに、そのたびごとに、幼い頃に亡くなった顔すら覚えていない母の朧げな面影を探して、懐かしい思いにとらわれながら海辺に立ち尽くしてしまいます。(注釈:小林一茶は、幼き頃に実母と死別したと言われています)

川柳には、人間関係や苦労話などをテーマにした「サラリーマン川柳」、学校生活や友情などをテーマにした「小学生川柳・中学生川柳・高校生川柳」、家族や夫婦をテーマにした「主婦川柳」などがあります。ほかにも、犬や猫などペットとの生活模様などをテーマにしたペット川柳もあります。

いずれも、身近な出来事をテーマにしているので比較的難しくはないでしょう。川柳は無季俳句に比べて決まり事も少なく、口語(話し言葉)で詠めるので、いざ取り組んでみると思いのほか自由度が高いです。

おすすめ有名川柳【3選】

【NO.1】不明

『 孝行の したい時分に 親はなし 』

意味:親孝行がしたいと思った時には、この世から親は去っていて、いくら孝行がしたいと強く願っても、もはや叶うことがありません。

※注釈:古川柳より選定しました。古川柳とは、柄井川柳(からい-せんりゅう)という江戸時代中後期の選者が7音7音で構成される14音の前句を詠み、その14音を題材に5音7音5音の附句を別の人が付けて、ユーモアを競い合うという娯楽的な文芸で、当時の庶民の間で流行しました。なお、柄井川柳は「川柳の始祖」と言われています。

俳句仙人

現在では、ことわざや慣用句としても流布している有名な一文。「親の生きているうちに孝行しておかないと、いずれ後悔することになりますよ」という意味です。長い年月を重ねることで、親心が理解できるようになってきます。そして、親への感謝の気持ちが沸き上がり孝行したいと思うようになります。しかし、もし親が亡くなっていたらどうしようもありません。若さのあまり、いまいち親心が読めなかったとしても、多少の親孝行はしておくべきだなと、しみじみと思いました。

【NO.2】不明

『 盗人を 捕らえて見れば 我が子なり 』

意味:盗人を捕らえて、よくよく顔を見てみれば、なんたることか我が子でした。

※注釈:古川柳より選定しました。

俳句仙人

現在では、ことわざや慣用句としても流布している有名な一文。「あまりにも意外な事柄なので、どうしてよいか処置に困る」または「身近な人や親しい間柄だったとしても油断してはいけない」という意味です。予想していないような思いがけない出来事には、上手く立ち回れずに右往左往しそうな気もしますが、なるべく冷静沈着に行動できたら良いなと思いました。

【NO.3】不明

『 かんざしも 逆手に持てば 恐ろしい 』

意味:かんざしを逆手に持つと、尖った先が凶器になりえるので、恐ろしさを感じます。

※注釈:古川柳より選定しました。

俳句仙人

かんざしは、結い上げた髪や刀の鞘などに使えば素敵な飾りになります。しかし、玉飾りや紐飾りなどが付いていないほうは、なんとなくですけれど形状がアイスピックに似てなくもないような気がするのです。もし逆手にもって人に向けたとしたら、おそらく凶器になることは間違いなさそうに思えます。かんざしは美しく、愛らしさや華やかさが前面に出ているように思っていましたが、ほんのちょっと視点を変えてみれば恐ろしいものに様変わりするのですね。薔薇の花には「美しいものには棘がある」という例えがありますが、それに近い印象を抱きました。

おすすめ無季俳句【3選】

【NO.1】松尾芭蕉(まつお-ばしょう)

『 歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな 』

意味:歩いて行くとしたならば杖が必要であろう坂道を、馬に乗ったままで登ってしまったので、ついに落馬してしまいました。

俳句仙人

松尾芭蕉が、江戸から伊賀に帰る途中に詠んだ一句と言われています。舞台となったのは、三重県の四日市から鈴鹿にかけての坂道で、古事記に登場する地名「杖衝坂(つえつきざか)」のことであると推測されています。倭建命(ヤマトタケルノミコト)が杖衝坂を登ったときに、「吾が足は三重の勾がりの如くして、はなはだ疲れたり(私の足は三重に折れ曲がったようになり、たいそう疲れてしまいました)」と言ったという記述があります。よほどの急こう配の坂道だったのでしょう。松尾芭蕉は、たとえ急いでいたとしても、もし面倒だったのだとしても、馬から降りて歩くべきだったと思ってしまいました。

【NO.2】田原坊(たわらぼう)

『 松島や さて松島や 松島や 』

意味: 松島よ。その美しさに見入ってしまいます。さて、この情緒を俳句にしてみましょう。松島よ。松島よ。・・・。

※注釈:二句の「さて松島や」は「ああ松島や」であり、作者は松尾芭蕉であるという俗説もあります。現在は、狂歌師の田原坊が作者というのが定説になっています。

俳句仙人

日本三景に数えられるだけあって、松島の絶景たるもの壮大な眺めです。その美しい景色に感動し、深く胸を打つ情緒を言葉に託して俳句を詠みたいと作者は思ったのでしょう。ところが、あまりにも美しくて、言葉に変えるという陳腐なことができなかったようです。ひたすら、「松島よ、松島よ」と呼びかけては口ごもり、頭をポリポリと掻いてごまかしているような、そんな様子が目に浮かびます。

【NO.3】広瀬惟然(ひろせ-いぜん)

『 水さつと 鳥よふはふは ふうはふは 』

意味:水面ギリギリを颯爽とした雰囲気で横切っていく鳥の、ふわふわふーわふわと悠然と飛んでいる姿に見とれてしまいます。

俳句仙人

子供の頃に、なんども「鳥のように大空を飛んでみたい」と夢見ていました。大人になってからは、人間関係などの窮屈な生活から抜け出したくて「鳥のように飛び去ってしまいたい」と願うことがあります。作者の広瀬惟然も、なんのしがらみもなくゆったりと泳いでいる鳥を、のんびりできていいなぁ・・・と、羨ましく思ったのかもしれませんね。

さいごに

それでは、さいごに今回のテーマ「川柳と無季俳句の違い」を改めて、本文より抜粋いたします。

【川柳の特徴】

季語はあってもなくてもどちらでも良い

口語(話し言葉)

人情や時勢が主な題材となる

庶民的でユーモアがある風刺的な表現を用いる

決まりごとがなく概ね自由

【無季俳句の特徴】

季語がない

文語調(書き言葉)

情景や情緒が主な題材となる

文学的で味わい豊かな風流を感じさせる表現を用いる

細々としたルールによる縛りが多い

俳句仙人

川柳は俳句を詠む合間にでも、ちょっとしたティータイムにおしゃべりするような感じで、気楽に挑戦してみてはいかがでしょうか。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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