Facebook能村 聡さん投稿記事【日本人はほんとうは何者なのか?】
紀元前586年に滅亡したイスラエル王国の失われた行方の知れていない十支族は日本に来訪して、土着していた。京都盆地に根付いた豪族の秦氏はそうだ。祇園祭もヘブライの祭りと共通点がたくさなる。山鉾にはなぜか中東地域の絵柄が多く描かれている。日本語とヘブライ語は意味も発音も一致した言葉がたくさんある。ひらがな,カタカナはほとんど同じ。生粋の古代ユダヤ人は日本人のルーツだ。これを日ユ同祖論という。正統派古代イスラエル人の真の末裔こそが日本人なのだ。彼らはスファラディユダヤというほんとうのユダヤ人。スファラディユダヤ人はセム系の有色人種。しかし、ユダ金や闇の勢力といわれるユダヤは白人系のアシュケナージユダヤという偽ユダヤ人だ。彼らは悪魔崇拝をしているサバタイ派ハザール人というのが正体です。偽ユダヤ人のハザール人が中心に組織されたのが闇の勢力と呼ばれて世界を裏支配してきたフリーメンソン。闇(フリーメンソン)と光(太陽=日の丸=アマテラス)がこの日本で交差している。これは歴史の宿命なのだ。偽ユダヤ人達にとって、日本人こそが正真正銘の正当派ユダヤの血を受け継いでいる、つまり神の意思を継ぐ民だと知っている。だから覚醒する前に葬りたいのだ。だから偽ユダヤの諜報機関のモサドは、3.11で原爆を海溝に設置して地震兵器で大地震を引き起こした。つまり日本人を潰す意図があったのです。失われたアークは徳島県の剣山にある。イスラエルの大使は見つけようと訪問したそうだ。これは本当の話です。失われたアークをテーマにしたあの映画インディジョーンズも日本で撮影しようとして偽ユダヤに妨害された。聖櫃アークは日本の御神輿と同じもので、日本人はお祭りの時に「えっさ」って声を出しながら「運ぶ」、ヘブライ語でエッサは運ぶという意味。相撲のルーツもイスラエルにあります。証拠がたくさんあって驚愕です。「はっけよい」とう相撲のかけ声の同じ音の古代ヘブライ語も意味は「投げよ、やっつけろ」という意味です。「相撲」そのものではないか。
最後に、国歌「君が代」、ほんとうの意味はご存知ですか?何も知らない左翼日本人は葬り去りたいようだが、大変な意味を秘めているのだ。
ヘブライ語に翻訳すると、
クムガヨワ(立ち上がれ)テヨニ(シオンの民)ヤ・チヨ二(神に選ばれし者)サッ・サリード(喜べ・人類を救う民として)イワ・オト・ナリタァ(神の予言が成就する)コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(全地で 語り 鳴り響け)
歴史は学ぶものではない。探求するものだ。学校で国家が教える歴史は、勝者、支配者の都合の良いフィクションである。
Facebook竹元 久了さん投稿記事
🌷やまとことば~心を癒す美しい日本語の意味と語源が知りたい②
①の続きです!
●「いえ(家)」は、ハウスじゃなくてホーム
国語辞典で「いえ(家)」を引いてみると、最初に「人が住む建物。家屋」と出てくる。しかし元々の意味を調べると、ちょっとニュアンスが違う。
「いえ」は、古語では「いへ」と書く。「い」という言葉は、それだけで「神聖なもの」という意味を持ち、「へ」は「辺(あたり)」の意味。つまり、いえとは「神聖な辺り」、生きていくパワーが集まる場所のことをいう。
ちなみに「建物」の方は、「や(屋)」。やど(宿)の「や」で、物理的に雨風をしのぎ体を休ませる場所、という意味だ。
いえは「や」である以上に、人が生きていく活力を養うために帰るべき場所。英語でいえば「Home」ということになる。
●「からだ(体)」は幹で、手足は「えだ」
人間の身体(からだ)にある「め=目」「はな=鼻」「は=歯」「み=身」。これと同じ音で別の言葉が、私たちのよく知っている、身の回りにあることに気づいているだろうか。
それは植物。「め=芽」「はな=花」「は=葉」「み=実」、人体を示す言葉と似ている。たんなる偶然とも思えない。
からだの中心のことを「幹」ともいう。本体そのものを意味する言葉だが、幹といえば「木の幹」で、面白いことに古代人は手足のことを「えだ」と呼んでいた、という話もある。
もしかすると大昔の日本人は、人の体(からだ)を植物に見立てて、同じように名前を付けたかもしれない。それくらい植物は大事で身近なものだった。
●手を当てるから「てあて」、心で痛みを和らげる
子どもの頃のことを思い出してみてほしい。どこか痛かったり具合が悪くなった時に、お母さんはやさしく手で触れて「痛いの痛いの飛んでいけ!」と言わなかったか。それこそが「てあて(手当て)」だ。
手のひらは、昔の言葉で❤「たなごころ=掌」ともいう。これは、「手の心」という意味。
ケガや病気をした時に処置をすることを「手当て」というが、昔は、痛みがあれば実際に手を当て、掌を通して痛みを和らげようとした。
掌から伝わる温もりには、心が感じる痛みを癒す力がある。体ではなく心に苦しみを抱える人の背中に、そっと手を当てる。それもまた「てあて」。
ちなみに、漢字の「看護」の「看」は、「手」と「目」を組み合わせた字を書く。つまり、手を当て掌で相手をみる、という意味だ。
●「ことば=言の葉」には神聖な力が宿る
「ことば」の語源は、奈良時代以降に生まれた「ことのは(言の葉)」。それ以前にどう表現していたかというと、「こと」。ただそれだけ。
物事や事柄などに含まれる「事」、こちらも古くから「こと」。その昔、日本では「言葉」と「出来事」は、どちらも「こと」という同じ言葉で表されていた。
どうして同じなのかというと、日本に古くから伝わる「ことだま(言霊)信仰」というものがある。口に出した言葉、心に思った言葉は、本当の事として実現してしまう、そんな風に昔の日本人は考えたのだ。
うれしいこと、たのしいこと、嫌なこと、悲しいこと。言葉に宿る神聖な力が、実際の物事をも動かす。
ネガティブな言葉は、ネガティブな事態を招くかもしれない。そう考えたら、使うのを極力避けたくなるはずだ。
ことばの元々の意味や成り立ちを知らなくても、「やまとことば」は長い時を超え、いまも使われ続けている。
声に出して言ってみて、さらに本来その言葉が持つ意味を知る。そうすることで、なぜだか背筋が伸びるような、自分の中心にきゅっと力が入るような気持ちにならないか。
何か辛い状況に陥ったときも、大事な誰かの手のぬくもりを思い出せば、少し安心して、がんばれそうな気持ちにもなってくる。
「ありがとう」とお礼を言うときにも、それは本当に「有り難い」ことなのだと思えば、いつもよりも気持ちを込められそうな気がするのでは。
膨大な情報、すなわち言葉が溢れる時代だからこそ、私たちのご先祖様が贈ってくれた素朴でポジティブな「やまとことば」を大事にして、そこに宿る不思議な力に癒されてみたい。
引用
Facebook佐藤 水緒さん投稿記事
2年連続 お正月の着物👘日本という国の素晴らしさを学ぶ機会が多くなりました!!
学生時代から海外大好き人間だけど言葉に宿るエネルギーを1番感じられると感じる
日本語
“言葉”は今までも大切に使ってきたでも歴史と未来の会に参加したら花の散り方にも
様々な表現があることを知る
桜が「散る」 梅は「こぼれる」 朝顔は「しぼむ」 菊は「舞う」 牡丹は「崩れる」
椿は「落ちる」美しい✨とっても美しい✨一つ一つに赴を感じ、表現していく
だから日本人はとても繊細な心をもち細やかな気遣いもしていけるDNAを持っているのだなあ。。窮屈に感じることも多かったけれど今は解放された自分がいるからこそ日本の良さを
シャンと受け止められる自分がいるかもしれない。。そんな日本の良さを知り感じること
そしてこれからの革新の世界、未来を知ること2024は更に大切にしていく💕
それがとても大切なことだと知っているから、、✨
大きな大きな変革の時代が訪れている。
何を見るか何を感じとるかが問われている時代✨
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