https://www.sankei.com/article/20200923-XTU7FA75HBIHNN2B2QCQUAZPHQ/ 【「心の表現」の軌跡示す 加藤楸邨、未発表500句含む新編全句集】より
<隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤(どとう)かな><鰯雲(いわしぐも)人に告ぐべきことならず>-。生活に即した人間の感情をうたった昭和を代表する俳人の加藤楸邨(しゅうそん)(1905~93年)。その未発表の約500句を含む1万3532句を収める『新編 加藤楸邨全句集』(上下巻、青土社)が刊行された。推敲(すいこう)の軌跡が伝わってくる詳しい注も付され、「人間探求派」といわれた俳人の豊かな内面世界が一望できる。
東京生まれの楸邨は俳誌「馬酔木(あしび)」で水原秋桜子(しゅうおうし)に師事。昭和15年に俳誌「寒雷」を創刊、主宰する。耽美的な自然詠から次第に生活に密着した人間の苦悩を見つめる句風へと転じ、中村草田男や石田波郷(はきょう)らとともに「人間探求派」「難解派」と呼ばれた。金子兜太さんや森澄雄さんらの後進を育てる一方、芭蕉の研究にも注力した。34年から45年まで「さんけい俳壇」の選者も務めている。
今回の新編全句集は、10年前に出た旧版全句集には未収録だった約3800句を収めた決定版だ。このうち約500句は遺族から日本近代文学館に寄贈された未発表のもので、もとは紙に墨書でしたためられていた。「筆記具でひっかくように句を刻みつけるのではない。毛筆でなでるように発句を楽しんだ感じがよく伝わってきた」と編集委員の一人、俳人の長谷川櫂(かい)さんは話す。
これらの未発表句が書かれた時期は不明だが、内容は多種多彩。<桃ひとつ我と妻との五十年>と夫婦の間に流れた長い時間を感じさせる句がある。また<大甕に舞ひ入りし蝶また出でず>という句は読み手の自由な想像を招き入れる。「甕に入った蝶が出てこない-。まるでこの世の不思議を見つめたような句。この甕を『宇宙』ととらえても面白い」と長谷川さん。十七音ですくい上げる世界は壮大で奥深い。
楸邨は新聞などにも句を発表したが、その後本に収めなかったものも多い。新編ではそれらも「拾遺」として掲載。類似した句を集めることで、推敲の過程が見える「校注」を付すことが可能になったという。例えば、同じ形をした寒卵から想像を広げた<寒卵の無限同型がふとさびし>という昭和39年の句。微妙な変化を重ね、44年には<寒卵無限同型のこのさびしさ>となる。推敲の跡には完成への強い意志がのぞく。
近代以降、俳句は描写を主眼にした「客観写生」が勢いを増した。長谷川さんはその流れと対置し、楸邨を古代の和歌に連なる「心の表現の人」ととらえる。「心の奥底から沸き上がる声や映像を言葉で表現した。だから自分の『心の近似値』を探しながら何年も推敲を重ねた。新編全句集刊行は、近代俳句の大きな節目となった楸邨の豊かな世界を改めて評価するいい機会になる」(海老沢類)
Facebook田中 宏明さん投稿記事
昔、立川談志さんがこんなことを言っているのを読んだことがあります
「落語ってな 人間の業を笑うもんだ 本当は楽しい もんじゃない」
「だから 映画や音楽はもっと 純粋に楽しいもので あってほしい」
少し細かいところは違うかもしれませんがだいたいはあっていると思います
きっと何かのインタビューだったと思うのですがなぜか忘れられない言葉として覚えています
さて、なぜ今僕がこの言葉を思い出したかといかと 人間は実は「業」が必要なんだと思うからです^ ^
業とは簡単に言えば 嫉妬や執着、比較や劣等感 怒りや悲しみや怖れetc そんな人間にとって心地よくない感情からくる言葉や行動 そんな感じで僕は捉えています^ ^
人に業が必要だというのは別にそれが気持ちいいという意味ではなくて 僕たちは「業」を
体験しにこの地球に生まれてきたからなんです
だから人はやっと体験出来ているこの業を、いつまでも離さないんですねでもそれは とても苦しいわけです
何が言いたいかというと僕たちの本質は人間として業を体験している「愛」というエネルギーだということです
たくさんの人が業の中にいることで人間とは業そのものだと勘違いしているだけです
例えばあなたが戦争のニュースを見ます あなたの心は 痛み、憤ります
なんで戦争なんかが この世界にあるんだ! そう言いながら あなたはまた業を 強化していくのです 業は業を求めているのです
世間のドラマや映画の多くに暴力的なシーンがあるのもそのせいです
悲惨で陰湿なドラマの方がリアリティがあると評価されます
話しを戻しますが仮に僕が談志さんに業なんてただの幻ですよ、と言ったとしたらきっと烈火のごとく怒り出すと思います
自分の幼少期からたくさんの辛かったこと 苦しみながら乗り越えてきたこと 痛みや涙をこらえながら それでも優しく生きようと頑張ってきたこと
と頑張ってきたこと大切な人たちがたくさんの理不尽や痛みを抱えて生きてきたこと
「てめぇ、それが 幻だってのかい!」そう言って怒られると思います^ ^
でもそれは事実です 起こったことが 幻なのではなく 自分の体験に いつまでも
過剰な思い入れや アイデンティティを 与えていること そうしてすでに 過ぎ去ったはずの実体のない過去の記憶を生きていることそれはまさに幻です
過去はどこにもありません あるのは今目の前の全てです
でも人は過去の体験や痛みを思いだすことで絶えることなく 業を握りしめ 業にエネルギーを与え続けているのです
でもね、もう十分楽しんだらいや苦しみつくしたんなら そろそろもうその体験やめませんか? だって意味なく ずっと苦しみが 続いていくだけですよ
世界はもっと 喜びに溢れています だからいい加減その遊びはやめて 人間でしか体験
出来なかった業はそろそろ卒業して 本質の愛を 生きませんか?
僕は自分の過去の体験のおかげで今の自分があると思っています 出会った人への感謝もあります でも、それ以上はありません むしろ、最近昔のことは ほとんど思い出さなくなって来ました
いいですか^ ^深いところでネガティヴな感情を必要としている自分に気づいてください
それこそが自分のアイデンティティとして必死で握りしめている自分に気づいてください
そしてそれを握りしめて放さないたくさん傷ついてきた自分を優しく許してあげてください
本当に大変だったね、と そうしたらあなたにもう苦しみや痛みがもう必要ないことがわかるのです
あんなに実体を持って迫ってきた怖れや怒りがただのハリボテだったとわかったら どれだけ安心して生きれるでしょう^ ^
苦しみに実体とエネルギーを持たせていたのは他の誰でもなくあなた自身です
だからそのエネルギーの蛇口を閉めて苦しみに栄養がわたらないようにしましょう
そうして苦しみが痩せ細ってきた時その隙間から喜びと安心が顔を出してきます
これからはそんな世界を生きましょう業はあなたではありません あなたは愛です
らぶ💓
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