Facebook向後 善之さん投稿記事
「感じるオープンダイアローグ 森川すいめい 著 講談社現代新書」
僕がアメリカでコミュニティメンタルヘルスの施設でインターンをした後日本に帰ってきて驚いたのは、医師から「統合失調症の人の話は聴いてはいけない。患者さんの状態が悪くなるから」と言われたことです。僕がインターンをしていた施設では、当たり前のように患者さんのお話を聴いていたものですから。
また、病院の職員が、患者さんを取り囲んでいるのを見たこともあります。その患者さんは、怯えた顔をして何か叫んでいました。もっと、別なやり方があるだろうと思いました。あんな人数(数人)で取り囲まれたら、患者さんは恐怖を感じるだろうと思ったのです。
この本の中で、森川さんも同じような違和感を持ったということが書かれていました(p.36,38など)。
この本は、著者によるオープンダイアローグの紹介とともに、おそらくもっと大切なのが、著者がオープンダイアローグのトレーニングを受けていく中で変容していく様子が書かれている第3章でしょう。トレーニングは、ざっくり言ってしまえば、自分を見つめ鎧をとっていくというものだと思います。
欧米では、教育分析を受けたり、個人カウンセリングを数十回受けるなどを通して自分を見つめることを科されていることが多いです。僕は、大学院修了までに40〜50時間程度のカウンセリング、その後は義務ではありませんでしたがカウンセリングを受け続け、合計は100時間を超えていると思います。その中で、それまで気がつかなかった、自分の中の思い込みとか、癖とか、防衛とかが見えてきました。
自分を徹底的に探求することは、ときにとても苦しいものだと思いますが、人の心を扱うプロになるとき必要なプロセスだと思います。
この本の最後の方で書かれていた、フィンランドのケロプダス病院での患者への初期対応が印象的です。
「ケロプダス病院では、最初の3回は、抗精神病薬(向精神薬の一つ)を処方しないと決めています。薬や診断名を考える前に、話をすることを優先させます。最初の対話のときに、医師が参加していないときもあります。一方で、看護師さんたちは数個の睡眠薬(向精神薬の一つ)をポケットに持っていて、それを渡すことがあります。(p.146)」
とても落ち着いた柔らかい感じの対応の様子が伺えます。
https://www.gqjapan.jp/lifestyle/article/20210527-open-dialogue-morikawa-intv-1 【“人の可能性を信じて対話を続けていく”──「オープンダイアローグ」とはなにか? 精神科医・森川すいめいさんインタビュー【前編】】より
近年、精神医療の現場で注目を集めている「オープンダイアローグ」について、精神科医で鍼灸師でもある森川すいめいさんにZoomを通して話を聞いた。その前編。
By 贄川 雪
「オープンダイアローグ」(開かれた対話/対話を開く)というものが、近年、精神医療の現場で注目を集めている。発祥の地フィンランドでは、それまで向精神薬による治療継続が必須と思われていた人たちや、何十年も精神科病院の中で暮らさなければならないとされてきた人たちの8割が、この「対話」によって回復しているという。
精神科医・鍼灸師の森川すいめいさんは、日本人医師として初めて、オープンダイアローグの国際トレーナー資格を得たひとりだ。今年4月には、オープンダイアローグとの出会いから、フィンランドで受けたトレーニングの様子までを詳細に記した『感じるオープンダイアローグ』(講談社現代新書)を上梓した。
森川さんはこれまで、震災ボランティアやホームレスの人たちへの支援活動など、“クリニックで待つ”のではなく、自ら現場に赴き当事者と対話することを大切にしながら活動をしてきた。そんな森川さんは、オープンダイアローグにどんな可能性を見出しているのだろう。
メンタルヘルスが不安定になりがちな5月、オープンダイアローグから私たちは何を学びとることができるのか。森川さんに話を聞いた。
オープンダイアローグに出合うまで
──前著『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社、2016)では、自殺が少ない地域を旅しながら、現状の精神医療へのヒントを模索されました。森川さんは、その頃からすでにオープンダイアローグの可能性を示唆されていましたね。まずは、そこから今回の本に至るまでに歩んだ道筋について聞かせてください。
森川:2011年3月に東日本大震災が起き、私はすぐ被災地に入りました。そこで、あまりにもたくさんの人が苦しみ、自殺に追い込まれるような気持ちになっているのを目の当たりにしました。でも、自殺の防御策を完璧にしようとすればするほど、どんどん「管理」するしかないという考えにいきついてしまうんです。自殺を止めることは大切ですが、そもそも自殺を管理によって防止することは本当の助けになりません。どうしたらよいのか思い悩みました。
森川:被災地での活動を開始してから1年ほど経った頃、岡檀(おか まゆみ)さんの「自殺希少地域」(自殺で亡くなる人の少ない地域)に関する研究を知りました。自殺の原因ばかり調べて考えていた私にとっては正反対のアプローチだったので、とても衝撃を受けたんです。すぐに岡さんにコンタクトを取り、自殺希少地域の1つである徳島県の旧海部町(かいふちょう、2006年に合併し現在は海陽町の一部)に向かい、その後7カ所の自殺希少地域をまわりました。
その間に、偶然友人から教えられたのが「オープンダイアローグ」です。最初に知ったときは、驚きというより“腑に落ちた”感じがしました。一方的に決めつけて管理するのではなく、人の可能性を信じて対話を続けていく──あまりにも多くの人が亡くなっていく世界にいたせいで、そんな当たり前のことにさえ気づけなくなっていたんですね。
旧海部町には「朋輩組」(ほうばいぐみ)という自助組織がありました。約400年前からあるこの仕組みでは、町に暮らす同世代が少人数でグループを組み、その中の誰かが困ったときは集まって話をします。問題が起こらないように監視するのではなく、問題は起こるものだという前提のもと、起こった問題を一緒に考えるんです。後になって、あれはまさにオープンダイアローグじゃないか、と気づきました。
発祥の地フィンランドへ
──読者の中には、オープンダイアローグを初めて知った人も多いと思います。あらためて簡単に教えてください。
森川:オープンダイアローグとは、文字通り「開かれた対話/対話を開く」という意味です。かつて、精神を病む人たちは病院に閉じ込められ、一方的に処遇を決めつけられてきました。しかし1984年、フィンランドのケロプダス病院で、それを覆そうとする活動が始まります。患者を閉じ込めるのではなく、「その人が話したいことを話す」「本人がいないところでその人のことを話したり、処遇を決定しない」「1対1ではなく複数で対話をする」という方針で、のちに「オープンダイアローグ」と呼ばれるようになりました。
──オープンダイアローグを知ってすぐ(2015年9月)、森川さんはケロプダス病院に向かいました。病院はどのような環境でしたか。また現地を訪れて、このような対話のかたちをとる精神医療がフィンランドという国で生まれたことに対して、何か必然性を感じましたか。
森川:フィンランドといえば「幸福度が高い国」「高福祉国家」というイメージもありますが、同時に、かつては自殺率の高さも指摘されてきました。長年ロシアやスウェーデンに支配されてきた歴史もあって、現在の高齢者たちはみな言葉を閉ざしてしまっていたとも聞きました。負の力に押し潰されそうになりながらも、それに必死で抗おうとする人々の中から生まれてきたのが、まずは「対話をする」ことだったのかもしれません。
森川:ケロプダス病院は、西ラップランド地方のトルニオという街にあります。かつては約160床を抱える大病院でしたが、今では約20床しかなく、入院患者もほとんどいません。対話を繰り返すことで、患者さんがどんどん退院していったんです。現在は、外来の患者さんやご家族たちのための対話のスペースが6、7部屋ありますが、それもいつも埋まっているわけではありません。スタッフが患者さんのいる場所を訪問し、そこにいる人たちと対話をすることが増えたため、病院に来る人は少ないそうです。また、病院の周辺にもサテライトのクリニックがいくつか設けられていて、ここでも対話をし、患者さんの元へ訪問活動をしています。
オープンダイアローグの実践
──オープンダイアローグは、具体的にどんなふうに行うのですか。
森川:オープンダイアローグでは、困難に直面している人たちのところへ、対話の訓練を重ねている専門スタッフが2名以上でうかがって、その人が一緒に話したいと思う人を交えて対話します。たとえばその人の家族や学校の先生、ときには年金事務所や福祉事務所の担当者が参加する場合もあります。重要なのは、全員が対等な立場で場に臨むということです。そして60分間の対話をしますが、結論を急ぎません。対話の場で結論がでなくても良くて、対話の場では、ただ対話することだけが大切にされています。
森川:話す内容も、それぞれが自分の視座や人生に基づいて考えを話せばいい。当人は、いろいろな立場や経験を持った人の考えを聞いて、その中からピンときたものを参考にすればいいし、まったく違う答えを出してもいい。困難を抱えていた人が、いろいろな可能性を見るうちに開かれていくのです。それは、支援者による一方的な判断とは違い、とても安全で多様です。招かれた人たちも、誤解が解けたり、「そんなことを考えていたんだ」という発見があったりして、対話の場に参加した全員にとっても何らかの助けになります。
それぞれが思うことを話すため、当然話はまとまりません。60分が一瞬にして過ぎてしまうので、参加した多くの人が「話し足りない」「もっと喋りたい」と言い、対話が続いていくのです。会話が完全になくなってこじれていた人たちが、その後も話したくなっていれば、もう大丈夫でしょう。
【後編へつづく】
森川すいめい(もりかわ すいめい)
PROFILE
1973年、東京都生まれ。精神科医、鍼灸師。2つのクリニックで訪問診療等を行う。2003年にホームレス状態にある人を支援するNPO法人「TENOHASI(てのはし)」を立ち上げ、現在も理事として活動中。2010年、認定NPO法人「世界の医療団」ハウジングファースト東京プロジェクト代表医師、2013年、同法人理事に就任。オープンダイアローグ国際トレーナー養成コース2期生で、2020年に日本の医師としては初めてオープンダイアローグのトレーナー資格を取得した2名のうちの1人。世界49カ国を旅する。著書に、『漂流老人ホームレス社会』(朝日文庫)、『その島のひとたちは、ひとの話をきかない 精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)、『ハウジングファースト 住まいからはじまる支援の可能性』(共著/山吹書店)など。
https://www.gqjapan.jp/lifestyle/article/20210528-open-dialogue-morikawa-intv-2 【オープンダイアローグを実践するために必要なこと──「オープンダイアローグ」とはなにか? 精神科医・森川すいめいさんインタビュー【後編】】より
近年、精神医療の現場で注目を集めている「オープンダイアローグ」について、精神科医で鍼灸師でもある森川すいめいさんにZoomを通して話を聞いた。その後編。
By 贄川 雪
聞き手になるために
──森川さんは、その後3年以上にわたって、対話実践者(ファシリテーター)になるためのトレーニングを積みました。そこでは、どんなことを学び訓練しましたか。
森川:自分が実践者となるための訓練を受けると同時に、今後トレーナーを育てていくための訓練も受けました。特徴的だったのは、いずれも座学や講義ではなく、それすらも対話によって理解を深めるスタイルだったことです。他にも、自分の現場での対話の様子を撮影し、後日チームに見てもらいながら対話をしました。つねに、対話の時間の質をどう上げるかを考え、自分たちの実践がちゃんと役に立っているのかを、厳しく自己評価できるように助けてもらいました。
森川:本にも書きましたが、最も印象的だったテーマが「自分のルーツ」について、でした。現地でのトレーニングの間、ずっと話すことを求められ続けました。「ファミリーオブオリジン」(原家族)、つまり自分の家族や環境、親族との関係、祖父母、曽祖父母、その前の世代とのつながりを、様々な形で話します。それには、過去の出来事を思い出す必要があり、心がつらくなることもありましたが、それを仲間に聴いてもらい、仲間と対話することで私の苦悩は回復しました。それからの私の人生は一変したように思います。
現地の専門家たちは、つねにいろいろな分野を勉強しています。それは、対話を進めるスペシャリストとしての責務があるからです。ただ対話を進行するだけなら、自分じゃなくてもいい。精神的に困難を抱えた人たちは、話したことで余計に傷ついてしまうこともあります。また、対話が失われている人たちを集めて、再び対話をしてもらおうというのは、とても難しいことです。それぞれが話したいことを安全にゆっくりと話せるようにすることはもちろん、自分も一参加者として何を話すのか。その内容の質もとても大切です。だから、私もまだまだいろいろなことを勉強しなければ、と思っています。
私たちはどう体得できるか
──オープンダイアローグには、今お聞きしたような専門的なトレーニングや、正しい実践方法が求められると思います。しかし、この方法を知った読者が、専門のクリニックを探してドアを叩く以外に、何か日常に取り入れられることはないでしょうか。また、その時に大切なポイントはどんなことですか。
森川:たしかに、困難な状況にある人たちに対話を促すことは想像以上に難しく、対話する覚悟を必要とします。また、専門的な知識が助けになる場面もたくさんあると思います。オープンダイアローグでは、必ずしも内服を促すことはありませんが、対話のうちに薬についての話が出れば、とくに避けることもなく、それについても対話をします。その結果、試しに短期間お薬を使ってみよう、ということになる場合もあるし、トラウマやアルコール依存の治療セラピーを受けてみよう、という話になることもあるでしょう。そうなれば処方をしたり、専門家につながるように支援や援助をしたりします。
森川:しかしじつは、ケロプダス病院の専門的な対話の場面においても、そこに精神科医が入ることは滅多にありませんでした。精神医療のスペシャリストが必要であれば、精神科医もその対話に招待される、という感覚なのです。現地では、行政が主体となったオープンダイアローグの試みもされていて、医療者ではないけれど対話のスペシャリストで行政の知識をしっかり持っている人たちが、地域の困難な場所に出かけていき、その困難に関わる人たちの対話をファシリテートしていました。旧海部町の「朋輩組」のように、ファシリテーターが不在の対話もあり得るかもしれません。対話の形にはさまざまな可能性があり、そして専門家は必須というわけではなく、必要であればそこに呼ぶべきなのだと思います。
最近、「経営者で集まってオープンダイアローグをしてみよう」というツイートを見かけて、とても嬉しかったんですね。オープンダイアローグの原点は、やはり「対話が生まれる」ことなんです。ですので、「正しい実践方法」というものは必ずしも存在しないのだと思います。どんな形でもいい。家族や会社、学校や保育園といったそれぞれの現場で対話が始まればいいし、そのときオープンダイアローグの方法が参考になったらいいと思います(参考:『感じるオープンダイアローグ』第5章「オープンダイアローグFAQ」)。
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