Facebook市川 義男さん投稿記事
何という母親、何という教師たち、そして何という教育体制。素晴らしいを超えて「凄い」の世界。純粋な信念の世界。
日本の体制は記事を読んでゆっくり考えてくださいな。
【オードリー・タンを「絶望の淵」から救った人たち 東洋経済】
https://toyokeizai.net/articles/-/469002... 抜粋
前述した蔡文芷先生は心根の優しい教師だったのだろう、 … 申し訳なくなった李雅卿が「本当に、あの子はどうしてこうなってしまったのでしょう」と言うと、蔡先生は「あなたの態度は必ずお子さんに影響しますから、学校に行かせたいのであれば、時には頑なになることも必要ですよ」と返した。
「頑なになったこともあります。でも私が頑なになれば子どもが悪夢にうなされるので、仕方がありませんでした。それに私には子どもが学校に行かなければならない理由が本当に見当たらなくて、説得できないんです」。
李雅卿(母)が正直に打ち明けると、蔡先生は「あなたは小さい頃、学校に行くのが好きだったんですか?」と笑った。「どうなんでしょう、こんな問題、考えたことがないかもしれません」と李雅卿が答えられずにいると、「そうでしょうね。あなたのような母親を持ったから、お子さんはこういった問題に挑戦できるんですよ」と言って、蔡先生は立ち去った。
李雅卿は階段口に立ちつくしたまま、長い時間動けなくなった。
「私は子どもにどうなってほしいのだろう? 私は自分自身に訊いた。
温和? 従順? 明るい? 理性的? 寛大? 意志が強い? 独立している? 順応できる? 機敏? 正直?
――この時、突然自分の中にある貪欲な心と、その矛盾に気が付いた。私が心の中で求めているような子どもは、この世に存在せず、自分でもなることのできない『聖人』だ。そう思った途端に考えがはっきりし、身も心も明るくなった。もう、どんな子どもになってほしいかなど考えない。私は子どもがしっかりと生きていてくれたらそれで良い、ありのままで良いじゃないか!」
蔡先生の啓発を受けた李雅卿はオードリーの休学を受け入れ、1人、また1人とオードリーにとって恩師となる教育者たちと出会っていく。この時の彼女はまだそれを知らないし、それを目指したわけでもない。ただひたすら、オードリーの心を取り戻したいと願って行動しただけなのだと思う。
大人と同じかそれ以上に数学や物理ができるからといって、人と関わる力まで最初から成熟しているわけではない。オードリーの場合、人格形成の要となる時期を導いてくれたのが、この時に出会う教育者たちだった。
◇外に連れ出してくれた「教育者」◇
ある時、台湾北部の宜蘭で行われた楊文貴教授の実験教育キャンプにゲストとして参加したオードリーは、他の大学生たちの中で特別扱いをされることもなく、自分の年齢を忘れて楽しく過ごした。一晩目はいつも通りベッドに入ると泣き出し、李雅卿に抱きしめられて眠ったが、三晩目には1人で眠り、これ以降、悪夢にうなされて夜中に目覚めることはなくなったという。
…『まだ、彼の人に対する警戒心を解いただけに過ぎない。この子はいくつかの大きなニーズを同時に満たしてあげないと、幸せになるのは難しい』
そう言って、彼が必要としているニーズについて教えてくれた。仲間から受け入れてもらうこと、知識の探求、想像力の広がりに、感情――なんということだ! 私には何ができるのだろう。
◇ 個人的に教えてくれるという大学教授との出会い◇
そうして出会った朱教授は、オードリーと少し会話をしてから李雅卿の方を見て、「唐夫人、この子はうちのディスカッショングループには入れないですね」と言った。 … 「私はあのグループには適さないと言っただけで、教えないとは言っていないですよ! こうしましょう。これから毎週彼をここへ連れて来てください。私が2時間教えましょう」
楊教授に報告すると、「それは良かったね! これで宗漢の数学はもう大丈夫だ」と喜んでくれた。「人生には計算できないことがたくさんあるんだよ。私も、宗漢のおかげでカウンセリング心理学上たくさんの学びや心得、検証ができた。これだって計算したことじゃないよ! 知らないのかい? 名医っていうのは良い病例に出会うと手が疼くものなんだ。お互い様なんだから、遠慮する必要なんてないんだよ」と笑った。
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楊茂秀教授は全校生徒が60〜70人しかいない「直潭(ちよくたん)小学校」へ行ってみたらどうかとアドバイスし、紹介までしてくれた。
オードリーは幸いにも同校で特別カリキュラムを組んでもらえることになった。直潭小学校の校長も理解を示し、オードリーは4年生から6年生に飛び級させてもらうばかりか、1週間に3日だけ登校してクラスメイトたちとの友情を深めれば良く、ほかの3日間は彼を台湾大学や師範大学、《毛毛虫児童哲学敎室》などへ行かせ、知識学習のニーズを解決してくれることになった。このようなカリキュラムは、後のオードリーの自主学習にも影響を与えたという
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「宗漢はいつも、自分を助けてくれた教師たちのなかで、誰が最も大きな影響を与えたのかは分からないと言っていた。それでも私にははっきりと分かる。1年以上の努力の末に、宗漢は大人の世界への信頼を取り戻し、世界と和解したのだ。
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